必要な存在。
「イマ……LINEのブロックはお前がやったのか?」
「……」
森羅さんが屋嘉先輩の別人格の名前を呼ぶ。
現在と呼ばれた彼女はそれには答えずに、プイッとそっぽを向いた。
やはり、この二人は面識があったのだ。
でも他人に気安くは言えない。
それは屋嘉先輩にとって、とても繊細な領域だ。
「轢斗は何で分かったの?」
美風がこそっと俺に聞いてくる。
俺も声を潜めて言葉を返す。
「……まず、俺達の呼び方が『君』だったし、一人称も屋嘉先輩は『自分』だったのにイマさんは『私』って言ってた……おかしいなって。それと……柔道ピクトさんからヒント(?)をもらっていたんだ」
◇
それは、ピクトさんあるある、超カルトジェスチャークイズ。
柔道ピクトさんが相方のピクトさんを寝かせてその上に自身が重なり、起き上がる動作。
………………
いや全然、わからーーん‼︎
え? 何? 何なの?
頭を抱えた俺はふざけて、某双子芸人さんのネタを口走った。
「幽体離脱ーーってか?」
ビシッ!
正解のポーズを取る柔道ピクトさん。
………………
いや、ますますわからーーん!
ただ、俺が大混乱に陥っただけだった……。
◇
今となっては、二重人格は幽体離脱じゃないから、あれは正解じゃない。
『本人とは別な存在』がいるってのを表現したかったのか?
また改めて、今度聞いてみよう。
「おーい、轢斗?」
「あっ! ごめんごめん」
美風の呼び声ではっと我に帰り……それと同時に、俺を睨むイマさんとバチッと視線がぶつかる。
「不用意にこの人を連れて来るなんて……」
「あ、貴女に切り替わっているなら大丈夫だと思ったんです。貴女は屋嘉先輩の心を守ってくれる、と」
「……私を買い被りすぎだ」
目の前の彼女がふうっと溜息を吐いた。
「……先に言っとくけど、森羅のことを未来が忘れているのは、私のせいじゃない。……未来自身の防御反応だ」
「……俺のせいか?」
森羅さんが腕組みしながら静かに尋ねるが、彼女は答えずにまたそっぽを向く。
「えっと……つまり、イマさんが表に出てきたってことは、未来ちゃんにとって、何か心に負担がかかって……バトンタッチした、ってこと……なのかな?」
美風が一つ一つ確認するように、言葉を選ぶ。
前触れは、あの頭痛か?
「そうだよ。……でも、もう終わり。私は……本当はここにいてはいけないんだよ」
「なぜです? 貴女は屋嘉先輩にとって必要な存在でしょう? だったらそのままで……」
「ダメなの!」
ドン!
声を荒げてテーブルを叩く!
「……私が……私の存在が……未来を苦しめるから……」
「どうして……?」
「屋嘉先輩が……不安になるから……ですか?」
「……」
無言で彼女は頷く。
解離性健忘……記憶喪失。
自分の記憶が欠けているということは、一体どれほど怖いことなのだろう?
学校にいたはずなのに、気づいたら家にいた……とか、話したことないはずの人が親しげに自分のことを既に知っている……とか。
この世界の全てを疑いたくなる程、自分という存在の足場が揺らぐ……。
そんな不安という闇の中でも、微かに信じられる光が見つかれば、藁にもすがる気持ちで執着するだろう。
でも、それがもし消えてしまったら……今度は一体何を信じていけば良いのだろうか?
……俺だったら絶望する。
「中学三年生の春休みに……私は生まれた。あれは……未来にとって、あまりに酷いもんだったからね。それから何か、心理的ストレスが加わると自動的に私が表に現れる……そういう頭か心かの仕組みみたい」
「……」
解離性同一性障害……二重人格。
過度なストレス、トラウマ、虐待、事故等、心が壊れてしまいそうなダメージを回避する為に作り出された自己防衛による別人格の形成だと聞いた事がある。
イマさんは屋嘉先輩を守る為にこの世に存在しているのだ。
過去、イマさんに対面している森羅さんは、驚く素振りもなく話を聞いている。
おそらく卒業式の前日、屋嘉先輩が退室した後、イマさんに切り替わり、部室に戻ってきたのだろう。
叔父貴の仮説が当たっていたんだな。
「どんどん、私が表に出ることが増えてきていてね……それとは反比例に心をすり減らす様子が見て取れた」
「……屋嘉先輩はイマさんの存在に気づいているようでしたよ?」
「な、何を馬鹿な……」
あ、また馬鹿って言った。
「本当です。『調べ物してる』って、医学書をめくっていましたから……」
オカルト研究会の部室に似合わない現実的な分厚い本を、何冊も積んで読み漁っていた。
「俺はあくまで『何を探していたかを探して欲しい』っていう屋嘉先輩のお願いを叶える為に、今ここにいます」
先輩の心のどこかの部分は後悔してる……本当は忘れたくないものを奥底に隠し、脳味噌が忘れたフリをしていることに……。
「……屋嘉にはイマが必要なんだよ。俺なんかじゃなくて……」
そう言うと、静かに青年は眼鏡をかちゃりと再度、眉間に押し上げた。
俺の位置からじゃ森羅さんがどんな表情をしてるか見えなかった。
◇
「う〜〜ん……」
部室のソファに横たわっていた屋嘉先輩がむくりと起き上がり、キョロキョロと周囲を見回す。
ぼんやりした様子、頭はまだ寝惚けていそうだな。
身体が意識を手放していた時間はごく短いが、先輩としての人格が引っ込んで、丸一日以上は経過している。
そして、彼女が周りを見回し、視線はある人に固定された。
徐に、視線の先の彼は口を開く。
「久しぶりだな、屋嘉」
「……あっ……えっと……えっ……はっ! さ、澤奈井先輩? どうして?」
いつもの半閉じの瞳が全開!
目の前に本物が現れたことで、彼女の中に隠されていた森羅さんの記憶が蘇ってきたのか⁉︎
それにしても『澤奈井先輩』か……普段は名字呼びしていたんだな。
『森羅さんを知ってるか?』と俺達が尋ねた時、しっくりいってなかったのはその為か。
「俺のせいだな。……悪かった」
彼が屋嘉先輩に向かって深々と頭を下げた。
予想外の行動だったのか、彼女は驚き飛び上がる!
「えっ? えっ? えぇっ⁇」
「卒業式の前日……俺が言ったんだよな……『俺達が卒業しても、お前なら大丈夫だ。後は頼んだ』って……すまん」
「せ、先輩……自分の方こそ……すみませんでした……」
屋嘉先輩が申し訳なさそうに、項垂れた。
それは何に対しての謝罪か。
「な、何で?」
美風が不思議そうに二人を交互に見比べる。
まぁ、当然の反応だな。
あの日……事件なんて、何も起きていなかったのだ。
森羅さんは屋嘉先輩を攻撃する言葉をけして選んではいない。むしろ、その逆。
だけど、彼女は……酷く酷く傷ついてしまったんだ。
自分の心のバランスが崩れ、イマさんと交代する程に……。
誰も悪くない。
悪意も悪気も悪行もそこには存在しなかった。
強いて言うなら……間が悪かった……のかな?
不安を抱えた人間に、ポジティブワードは時として地雷だ。
言葉を発した側にそのつもりが無くても、全てをネガティブに受け止める。
『卒業』は心細さを煽り、『信頼』はプレッシャーとして重くのし掛かる。
たった一人部活を託され、誰にも不安を吐露できないのは……相当苦しかったんじゃないかな?
「……全ては……自分の弱さのせい……です」
屋嘉先輩がぽろぽろと静かに涙を流しながら、こちらにそっと振り向く。
「ごめんね……」
「何も悪いことしてないのに……謝らんで下さいよ」
「未来ちゃんのスマホ……一番身近で応援してくれてたサポーターさんからビデオメッセージが入っているよ!」
「……?」
美風の言葉に先輩が首を傾げる。
イマさんは、屋嘉先輩と交代する直前、美風の提案に乗っていた。
先輩の『調べ物』に答えが出ることを祈ろう。
「そうそう……探し物、たぶん『これ』は合ってますよね?」
既に、イマさんが見つけてくれていた、小さな立方体のプレゼントを彼女の掌にそっと乗せた。
「あ……これ……」
「『何を探しているか探して欲しい』……俺が考えた、屋嘉先輩の探していたものって、たぶん……森羅さんへの『送り損ねた感謝の気持ち』だったんじゃないですかね?」
貴女を絶望から救い出してくれた恩人に、誠意を込めて送りたかったのに、封じ込めて、言えなかった……お別れの言葉と卒業祝い。




