潔い喫茶店。
喫茶店『gram』
営業時間は平日(8:30〜18:30)のみ。
メニューは珈琲(ホット/アイス)とパンケーキのみ。
ある意味、シンプルで潔い営業スタイル。
俺の叔父貴の店だ。
看板メニューの二つはマジで美味い‼︎
逆にこれ以外、上手に作れない店主。
味オンチなのか?
……他の軽食を前に作ってもらったんだが、とても食えたもんじゃなかった。
うっ……思い出したら、なんか気分悪い。
だいたいさぁ、B.L.Tサンドが生臭いってどういうこと?
そこまで客席は多くない、小ぢんまりとした叔父貴の趣味の延長線上なお店。
けして繁盛させることを目的としていない店舗だからか、ゆったりとした時間が流れ、居心地良くて本当に落ち着く。
地元の常連さんが、のんびりと珈琲を楽しむ憩いの場となりつつある。
◇
ジャァァァァッ……キュッキュッ! バサッ!
「ふぅ……」
先程、猫と水溜りの洗礼を受けた俺は一旦、部屋に戻って、シャワーを浴び、着替えて心を立て直す。
低層マンションの一階が喫茶店で、その最上階ワンフロアが叔父貴の家だ。
そこに俺は居候させてもらっていて、一部屋を間借りしている。
このマンション自体、叔父貴の所有する不動産の一つだ。
引っ掻かれた傷口に拭き残しだった水滴が触れて、ヒリヒリと沁みた。
「痛ぇ……」
そっと頬を抑えながら窓の外を見遣ると、丁度のタイミングで高架線上を走るオレンジ色の下り電車が見えた。
……電車なんて、もう何年乗ってないんだろう。
駅なんてピクトさんの巣窟、恐ろしすぎ! 想像しただけで身震いを起こす。
ぐぅぅぅぅぅっ……
「あっ……」
腹の虫が重低音で鳴き、空腹を知らせる。
「……そういや、朝から何も食べてなかったな」
早目の時間帯なら人通りも少ないと思い、勇気を振り絞って一歩外に出た……なのに、目的地の遥か手前で逃げ帰っちまった……ははっ、本当に情けねぇな、俺。
「はぁ……叔父貴のパンケーキ食わしてもらって……仕切り直そう」
深く溜息を吐き出しながら玄関を施錠し、さっき上がってきたエレベーターに再び乗り込んだ。
◇
カランコロンッ!
木製の扉を開けると、上部に取り付けられているベルが澄んだ音色を鳴らし俺を出迎えてくれた。
この時間はまだ営業時間外、他のお客さんは誰もいない。
カウンターテーブルに腰掛け、壁側を向いて作業している叔父貴の背中に声を掛ける。
「叔父貴……お腹空いたぁ〜〜!」
「『主人』と呼べ。まったく……ほらよ!」
コト……コトンッ!
「おぉ〜〜!」
目の前に並べられた焼きたてのパンケーキとホット珈琲。
立ち昇る良い香りが鼻を擽り、空っぽの腹がさらにぎゅうっと刺激された。
この人は、すべてお見通しだ。
エスパーなんじゃないか? と疑いたくなる瞬間が多々ある。
それくらい、叔父貴は読みがいい。
「いっただきま……」
「っつうか、アイツが恨めしそうに見てるぞ?」
「ん?」
俺の食前の挨拶を遮り、叔父貴が出入り口の方向をすっと指差す。
差し示す先は非常口マーク……店の扉上にある、避難口誘導灯だ。
白い出口へと駆け込む、背景と同色な緑のピクトグラム。
『ここが出口だよ』って教えてくれる。
いつもお仕事ご苦労様。
だが、今はお決まりの駆け出しポーズは取らずに、こちらを正座してじぃっと俺を見ている。
……目はないがな。
………………
「……はぁ、分かったよ!」
ぱちん!
俺が右の指を鳴らすと、非常口くんは緑の画面から嬉しそうに抜け出した。
そう……『抜け出す』のだ。
非常口くんはぴょーーんと勢いよく誘導灯の中きら飛び降り、地面に着地!
くるん、くるん、しゅたっ!
とっとこ、とっとこ……
そのまま俺のテーブルの上まで移動し、パンケーキの皿の横でちょこんと正座をした。
……これは、『ちょっと寄越せ!』な無言の圧力。
………………
「はい、はい。どうぞ」
「‼︎」
そして毎回、俺は彼からの圧力に屈し、パンケーキの一部をお裾分けするのだった。
◇
俺の隣で、パンケーキをむしゃむしゃっと頬張っている非常口くん。
全身から喜びが溢れている。
だが……口が無いのにどうやって食べているのか、いつも凄く不思議だ。
どこの空間に消えてくの?
「ん? お腹いっぱいかい?」
「!」
すっかり満足したのか、お腹さすりながらカウンターの上でゴロゴロし始めた。
………………
何度見ても、非現実的すぎる光景。
誰かに知られたら……マジでヤバいな、うん。
写真でも撮らちまった日にゃSNSであっという間に拡散しちまう。
今みたいに営業時間外か、お客さんのいない時じゃないと、あの空間からは絶対に出してやれない。
前世が元ピクトの俺は、フリーズ&自動アプデする代わりに、彼らピクト達と繋がれるのだ。
そして、彼らをピクト空間から現実空間に自由に召喚できる……それが俺の特殊能力だ。
他にも出来ることはあるが、それはまた今度。
叔父貴が珈琲を飲みながら、羨ましそうに呟く。
「いいなぁ……俺も一つくらい、轢斗みたいなおもしろ能力が欲しいよ」
「……」
金儲けチート能力を最大限発動してる人に言われたく無い台詞だな。
だいたい、俺の苦労を知っててそれを言うんだから、本当に変わっているよ。
叔父貴にとっては『面白いこそ正義』なのだ。
何事も楽しんだもん勝ち、か。
そんな考え方が出来たら……俺はこんな風に悩まなくなるのかな? わかんないけど……。
「もう食べ終わったな? よし! じゃあ、ここからは『社長』と呼べ」
「え?」
そう言うと、叔父貴は急に後ろの棚から中折れ帽子と大きめなサングラスを取り出し、装着する。
何事も形から入るのがお好きなのよね。
………………
「あ、そうか! 今日は土曜日だったか」
「なんだ、気づいてなかったのか?」
「あぁ、うん」
それにしても、春休みとかの長期休みになると、どうも曜日感覚が狂って……いや、嘘です。
俺は中学時代ずっと引きこもっていたから、365日×3年間全部お休みだった。
曜日感覚なんてエブリデイ狂いっぱなし。
叔父貴のお陰で、ギリギリ社会との繋がりが断ち切られないで済んだだけだ。
コポコポコポコポ……
空いたカップに注がれていくブラウンの液体をぼんやりと見つめていると、社長が静かに口を開いた。
「依頼は飼い犬探しだ、ほれ」
そう言ってスマホを片手で素早く操作し、画面を俺に向けてくる。
「マシュマロちゃん、三歳。オスのポメラニアン。常連の澤奈井さん家の子だ」
「ふぅん……なんだ、また迷い猫の依頼かと思った」
画面いっぱいに写っていたのは、可愛らしい純白のフワフワした子犬。
ひりつく頬を摩りながら、俺はさっきの野良猫を思い出した。
子犬かと思ったら、成犬か……犬も人間も、見た目だけじゃ判断なんて出来ないな。
この喫茶店は週末二日間は探偵事務所へと変わる。
『週末探偵事務所』……なぁんてカッコいいこと言ってるが、叔父貴……じゃなくって社長の趣味程度のお仕事内容だ。
人探し、ペット探し、浮気調査……ってのが主な依頼ってところか?
ここのところは猫探しの案件が多かった。
地道な調査が実を結ぶお仕事。
殺人事件に出くわすこともないし、華麗な推理を披露する機会はゼロだ。
『喫茶店の時は主人、探偵の時は社長と呼べ!』と言われてる……何事も雰囲気を大事にする叔父貴。
俺もなるべくは従うようにしている……が、ついつい忘れて『叔父貴』って呼んじまう。
すると、物凄く哀しそうな顔をするので……ちょいちょい面倒くさい。
依頼内容の大概は喫茶店のお客さんの愚痴や悩み相談からの発展だ。
お節介からの事件解決……まぁ事件と呼ぶには少々、烏滸がましいかな?
叔父貴は……俺とは真反対の人種。
陽キャな人誑しで、コミュニケーションお化けだ。
『人の数だけ面白い事がある!』とかなんとか。
わざわざ面倒事に自ら首を突っ込んでいくのは、どうにも理解出来ない。
永遠に分かり合えないんだろうな。
……でもまぁ、そんな人のお陰で俺はここで暮らせているんだが。
ほら……いつの間にか、非常口くんは叔父貴と楽しそうに遊んでいる。
「それ飲み終わったら、通学路の下見とマシュマロちゃん捜索に行こうぜ!」
「えっ? あ、うん……」
ノリノリの社長と、その肩の上で一緒に出掛ける気満々の非常口くん。
………………
頼むから、しっかり隠れててくれよ〜〜‼︎
◇
がしっ!
喫茶店のドアを出てすぐ、俺は叔父貴の左腕にがっしりとしがみつく。
「ふぅ……すまんな、轢斗。俺にBLの趣味はない。そして、歩きにくい」
「お、俺もそっちの気はねぇーーよ‼︎」
やや半泣きになりながら、声を荒げる。
……俺だって、好きでこうしてるわけじゃねぇんだよ。
心配そうな非常口くんが、叔父貴のジャケット胸ポケットから顔を覗かせている。
うぅっ……優しいなぁ。
自分の領域から一歩踏み出した街中は、俺にとっては戦場……生きるか死ぬか。
大袈裟じゃないんだよ、これ。マジで。
情け無い話だが……本当に俺は……外が怖いんだよぉぉぉぉぉ‼︎
ここは都会でもすごい田舎でも無い、中途半端で住みやすい土地。
駅も近いし、大型ショッピングモールもある。
スーパー、ドラッグストア、コンビニ、スポーツジムも徒歩圏内。小学校や中学校もここから近い。
つまり、ご親切に設置された標識がそこら辺に散らばっている。
公共施設やサービス事業、人にわかりやすく説明するのがピクトグラムの役割。
ピクト達は皆、仕事熱心。
そう……俺にとっては罠だらけのダンジョンと同じ!
そして、外出時に注意が必要なのは、何も標識系ピクトだけではない。
転倒系や頭打ち系も警戒しなくてはならない。
工事現場や掃除中とか、不定期に設置される奴らの看板は、下を向く俺の目に入るような位置にあることがほとんど。
あまりそう多くは無いが、時々、落下系や挟まり系も出現する。
それに遭遇してしまうと、俺は命の危機に瀕するのだ!
実際、小学生の時に、落下系ピクトとの遭遇により、大怪我を負って入院したことがある。
マジで死ぬかと思ったわ……っつうかよく生きてたよ、俺。
さっ!
「ん?」
突然、俺の両目を叔父貴の大きな手が覆い、すっぽりと目隠し状態。
「まぁ……ちょっと、通り過ぎようか」
「……ありがと」
叔父貴に促されるままに足を前へと進める。
面白いことが好きな彼は、人が怪我する笑えない状況をそっと避けてくれる。
なんだかんだで、めちゃめちゃ面倒見が良い。
……何系のピクト看板がここにいたかは、マジで怖くて聞けないや。
数メートル進み、危険ポイントを通り過ぎたのだろうか、目隠しは終わり。
「轢斗はさぁ……高校入ったら、まずやらなきゃいけないことがあるなぁ……」
叔父貴が俺の左肩をポンと叩いた。
「わかってるよ、校内ピクトの全アプデだろ?」
「んーー、それも大事だけど……もっと大事なこと」
「え? ……何? 他になんかあるか? 学食の場所の確認か?」
「絶対的に信用できる友人を作ること」
「え?」
………………
はい。
コミュ障の俺には超ハードル高え提案がきたよ、コレ。
そんなのマジ、無理だろ〜〜‼︎
俺は心の中で大きく嘆いたのだった。