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柚葉と影

 新町華凛が習っているダンス教室は、毎週、月水金の三日、夕方四時半から六時までレッスンをおこなっている。

 駅前の商店街に近い、年季の入った三階建てのビルは一階がコンビニで、二階と三階がカルチャー教室となっていた。ダンス教室の他、生け花、大正琴、英会話、ギター、将棋、日本舞踊、カラオケ、パソコン、ヨガ、俳句など、いろんな講座が入れ替わりでいくつかの部屋を共同で使っていて、専用の教室ではなかった。ダンス教室も、ジャズダンス、社交ダンス、フラダンス、そして、華凛が習っているヒップホップダンスと種類があって、同じレッスンルームを使用していても曜日によって教えている内容が違っていたりする。ちなみに運営は商工会議所だ。

 ヒップホップダンスの先生は、かつてプロのバックダンサーとして活動していた四十五歳の女性だった。壁の片側一面が鏡になったフローリングのレッスンルームでは、五歳から十五歳までの生徒がレッスンを受けていた。小中学生限定ではなかったけれども大人の受講者はおらず、その子供たちも高校に進学するまでには、まるでくしの歯が欠けていくように次々とやめていくので自然とこんな年齢構成になってしまっていた。レッスンが平日の四時半からというのも、生徒が中学生以下に集中してしまう原因なのかもしれない。高校生になるとその時刻までには帰れないし、社会人となると余計に難しい。

 華凛も中高一貫校に進学したら、ここをやめるつもりでいた。県立の中高一貫校に通ってでは、クラブ活動をしていなくても、家から遠くて帰るのが遅くなってしまう。ダンス教室には通いたくても通えないし、そもそも華凛はそれほどダンスが好きだというわけではない。漫然と続けているといった感じでいたから、小学校を卒業する来年の三月の春休みにおこなわれる、複数のダンス教室による合同発表会を最後に、ダンス教室も「卒業」することを先生にも伝えていた。ダンスで映えるからと背中まである髪も切ってしまおうかとも考えていたし。

「中高一貫校に進学したら、ダンス部に入部するの?」と先生には訊かれたが、そのときは「うーん」と言葉をにごした。

 トレパンと長袖Tシャツの練習スタイルで、華凛はほかの二十人の生徒といっしょに大きな鏡の前に立つ。先生が、昔から使っているという古いCDラジカセで音楽を鳴らし、

「ハイ、もう一度はじめから」

 と、声をはりあげる。

 せまってきたハロウィーン祭りと十一月の地域の文化祭に向けてのレッスンだ。振り付けも先生が決めている。動きがけっこう激しくて、全員がぴったり息を合わせた動きをするのが難しい。そのかわり迫力のあるダンスになっていた。

 一曲約五分間のダンスを最後まで踊り切ると息が上がってしまう。

 休憩をはさみながら動きをチェックする。一番動きの機敏なパートの中学生がセンターに立ち、動きのやや少ない両サイドは小学生高学年。さらにその外側にそれより年齢の低い子供たちが配置されている。それぞれが異なる動きで音楽に合わせるダンスは見ごたえがあった。

 ただ、個人個人のレベルは、姉の柚葉がいたときに比べると、そう高くないように華凛は感じていた。やはりそこには「好き」以上のセンスの有無が関係しているのだろう。

 柚葉はいわば別格だった。だからこそレベルの高い中高一貫校のクラブ活動へ進むことを決意した。ここの教室では、高いパフォーマンスを発揮できない、と言って。ダンスに対する本気度が違うのだ。

 音楽が終わる。

 みんなの動きがピタリと止まった。

「ハイ、オッケー! バッチリ!」

 手をたたいて、先生がおおげさにほめる。

 基本的に先生はほめる。ダンスは楽しんでやるもの、という考え方だった。それはそれで間違ってはいないだろう。元はプロなので、難しい振り付けをさせて、そこそこ見た目のいいダンスをやらせるから発表会では評判がいい。練習を重ねれば誰でもなんとかこなせそうな難しさなので、みんなどうにかついていけた。失敗しても怒らない。生徒をいい気分にさせて、ダンスを楽しく感じさせるのがうまかった。

「この調子でやっていこう。本番までまだ日にちがあるから、もっとうまくなるよ!」

 先生は笑顔でそう言って、みんなを乗せる。乗せられて、楽しくなる。

 それでいいのだ。ここはカルチャー教室のひとつであり、プロの養成学校ではないのだから。ほかの教室、たとえばギターやカラオケも、あくまで趣味としてたしなむためのもので、楽しいことが第一なのだ。だから華凛も続けてこれた。

 ただ、入門講座としてはそれでいいが、高みを目指すとなると、もっと高度で厳しい道へと進む必要がある。そして柚葉は巣立っていった……。

「はい、今日はここまで! みんな気をつけて帰るのよ!」

 五時四十五分。レッスンが終了した。六時からは、ギターの教室がはじまるので、この部屋をあけなくてはならないのだ。

「ありがとうございました!」

 生徒たちは横一列に並んで、あいさつする。

 帰ろ、帰ろーと、生徒たちが出口から出ていく。

 華凛も外へ出た。

 ビルの外はすっかり暗くなっていた。

 小さな子供たちが、迎えにきていた母親と手をつないで帰っていく。

 華凛も自転車に乗り、家へと向かう。

 怪現象に遭遇するといやだな――と、月曜日のことを思い出した。関中たちが影と遭遇したあとも、ほかのクラスの生徒が見たとか見ないとか、もれ伝わってきていた。真偽のほどはわからないし、なかにはただの見間違いかもしれないけれど、ウワサが消えてなくなることはなかった。

 ハンドルに取りつけたLEDライトを灯し、わきめもふらず家へとペダルをふみこむ。

 不安を覚えながら、しかし今日は何事もなく五分ほどで家につく。明かりのついた家の窓が見えると、ふみこむペダルも軽く感じた。

 ハイツの階段下に柚葉の自転車がなかった。金曜日の今日、「中間試験が終わったから、友だちと遊んでから帰る」と言っていたのを思い出す――きっとカラオケにでも行っているのだろう。

(まだ帰ってないんだ……)

 中学にあがると、小学校にはない定期試験というのがあって、これで通知表の成績が決まり、クラス分けや、さらに高校からは進級や進路に影響するというのだから、姉が一生懸命になるのもわかったし、なんかたいへんだなーと、それを乗り切ったときの解放感も想像できつつ、来年からは華凜はそれを受けるのだと思うとなんだか気が重い。

(お姉ちゃんが怪現象にあわなきゃいいけど)

 華凛はちょっぴり心配した。

 大人が怪現象に遭遇した、という話は聞いたことがなかった。聞いたことがないだけで、実のところ遭遇しているのかもしれない。でも、大人は「きっと見間違い」だと思っているだけなのではないか。そもそも子供の前にだけ現れる、というのもおかしい。

(影ではなく幽霊だったら、たぶん大騒ぎになるのに……)

 それでも信じない人は、絶対に信じない。大人の頑迷さを、華凜は理解できなかった。

「ただいま」

 カギをあけて、玄関ドアを開く。

「おかえり」

 上がり口から見えるダイニングキッチンから母親の声がした。今日は夜勤が入っておらず、この時間にもう帰っていた。晩ごはんを作っているところをのぞきこもうとすると、

「お姉ちゃん、まだ帰らないのよ」

 母親は包丁を片手に振り向いた。

「電話してみた?」

「電話しても出なかったから、スマホにメッセージを送っておいたわ。あんまり遅くなると危ないのにね」

 その言葉に、華凛はどきりとする。

「うん……そうだね……」

「どうかしたの?」

 娘の様子に、どこかいつもと違うところを感じたのか、訊いてきた。

 いやべつに……と華凛は言いかけたが、

「ねぇママ……最近、不審者が出るってきいたことある?」

 たずねてみた。

「あのプリントの話? とにかく気をつけないとね」

「不審者って、どんななのかな?」

「怖い人はどこにでもいるから、気をつけるにこしたことはないわよ。ママが子供のころにも、そんな話があったし」

「そう……」

(やっぱり正体不明の怪現象とは思っていない)

 でも華凛は、影のことを話そうとはしなかった。言っても真面目に受け取ってもらえないだろうし、不審者のほうがよっぽど怖いというのが大人の認識なのだとわかっているから。

「ごはんができるまで、もうちょっと待ってね」

 母親はキッチンに向きなおる。細かく刻まれたキャベツがボウルに盛られていた。今夜のメニューはキャベツたっぷりのお好み焼きだ。

 華凛は自分の部屋へと入った。

 五帖半のフローリング。六花の部屋より狭いがぜいたくはいえない。看護師として一生懸命働いている母親を見ていると、ハイツ暮らしで個室までもらって、じゅうぶんすぎると思える。

 父親がいないのは華凛だけではない。クラスにも片親の生徒はなんにんもいる。自分だけがとくべつ不幸だとは思わない。

 行方不明になって、もう六年だった。華凛にとって、うっすらと記憶があるだけの父親にいつか会えるという気はしなかった。もう死んでしまっているかも、とは思うものの、口に出して言うことはなかった。母親も柚葉も、いつか再会できると信じているのを知っているから。

 華凛は机の前にすわり、ほっと息をつく。ふと、机の上に出しっぱなしにしていたスケッチブックに目がとまる。

 中には、かきかけのマンガが最初の二ページだけ。

 半分ほどかいた、と六花には言ったが、実はまだかきはじめたばかりだった。

 絵をかくのは好きだし、六花にも見せたことがあった。できるよ、と言われると、すごくうれしかった。でも話を考えて絵におとしこむというのは、やってみると意外と難しかった。

 気軽な気持ちで、短いのをかきあげて六花に見せたときの達成感は経験したことのないほどで、すごく高揚した。

 だから二作目も、と意気ごんで挑戦してはいるが、途中で止まってしまっていた。一作目は勢いにまかせてかききったが、二作目はもっと欲がでて本格的なものをと考えると、とたんにえんぴつが止まった。けれども六花のかいたものを見ると、再びやる気がむくむくと頭をもたげてきていた。

 スケッチブックを開き、えんぴつを持って続きをかこうと思案する。

 しかしえんぴつを指先で動かしているうちに、またも頭の中に怪現象のことが浮かんできた。考えてもしかたのないことなのに、わからないものに対する怖さは強く意識に上がってきてしまう。ドアを開けたすぐそこに「影」がいたりするんじゃないかって。

 マンガが進まない。

「華凛、ごはんできたから、食べにきなさい」

 そこへ、母親の声がかかった。

「はーい」

 中断して、机を離れる。

 ダイニングキッチンに入ったが、柚葉がいない。

「あれ? お姉ちゃんは?」

「まだ帰ってないのよ」

 時計を見上げると、もうすぐ七時。ダイニングテーブルにはホットプレートが置かれていて、二枚のお好み焼きの上でけずり節がおどっていた。

(もしや、怪現象に遭遇した?)

 華凛はすぐにそんなことを思ってしまう。

「電話は?」

「出ないのよ。でもスマホのメッセージに返信が入ったから、たぶんもうすぐ帰ってくるよ」

 そこへ、玄関ドアのカギがはずされる音。

「ただいま」

 柚葉がダイニングキッチンに現れた。

「遅かったわね」

「ごめん。つい友だちともりあがっちゃって、それより、さっきそこで……」

 柚葉はなにかを言いかけて、口ごもった。

「早く手を洗って、ごはん食べなさい」

「うん……」

 母親に言われて洗面所に行った。水の流れる音。

 華凛は、姉がなにを言いかけたのだろうと思った。

『さっきそこで……』

 そこから先を言わなかったのは、たぶん、言うのをためらうようなことだったから。

 それはつまり――。

「いただきます」

 いすをひいてダイニングテーブルにつき、お皿に移されたお好み焼きに箸をのばす柚葉に、思い切って訊いてみた。

「ねぇ、お姉ちゃん、さっき、『影』を見たの?」

 華凛の左横で、お好み焼きを切り分けようとした柚葉の手が止まった。

「なにを言ってるの?」

 でも明らかに動揺しているのがわかった。

「影よ。学校でウワサになってる。クラスの男子も、六花ちゃんも見たって言ってた。黒い人型の影が目の前に現れたって」

「なんの話?」

 母親がホットプレートにお好み焼きの生地を広げながら、二人の会話に加わろうとした。

「見てないの?」

 華凛は確かめるように重ねて訊いた。

 柚葉は黙ったまましばらく口をつぐんでいたが、やっと言った。

「あれは……お父さんに似ていた……」

(えっ……?)

 思ってもみない柚葉の言葉に、華凛は声を失う。父親の記憶がほとんどない華凛にたいし、五歳上の姉・柚葉には九歳までの思い出があった。

 六年前、新町家がこの町に引っ越す前、山里の村に住んでいたときに父親が行方不明になった。以来、生死もわからずいまに至っている。

 そのときのことを華凛はよく覚えていない。ダムに沈んでしまった村にあった神社の秋祭りに行ったのがかすかに記憶に残っているぐらいだ。

「お父さんがどうしたの?」

 母親が食いつくように訊いてきた。

 柚葉は観念したようにひとつ大きく息をつき、小さく切り割ったお好み焼きを飲み込むと、「うん……あのね」と話しはじめた。


 三日間にわたる中間試験が終わって、来週からクラブ活動がはじまるとなれば、試験の終わった直後の今日の午後は貴重な時間で、羽目をはずして学校帰りにみんなで遊びに行こうというのは自然な流れだった。

 県立の中高一貫校の生徒は県内のあちこちから通学している。だから友だちと集まって遊びに行こうとすると、どうしても家から遠い場所になってしまう。

 それでつい遅くなってしまったけれども、それでも五時半には解散し、六時半には家の最寄り駅についていた。

 あとは駅から自転車に乗って帰るだけだった。もうすっかり日が暮れてしまっていたが、それほど遅い時間というわけでもない。人通りもそこそこあり、あまり危険な時間帯でもなかった。せいぜいクルマに気をつければいいといった気持ちでいた。

 ところが、駅から自転車を走らせていたとき、よく知った帰り道であるはずなのに、どこか馴染みのない気がするのだった。久しぶりに通ったような感じで、そんな感覚が不思議だった。

 気がつくと、周囲に誰もいなくなっていた。それはとくに珍しいことではない。たまたま人通りが途絶えるのはよくあった。だから柚葉も、いつもならそれほど気にはしない。けれどもいまは、まるで異世界にでもまぎれこんでしまったかのように思えて。

 奇妙な雰囲気に内心首をかしげながら、それでも柚葉は気のせいだろうと自転車のペダルをふみ続けた。

 すると、街灯で見えているはずの前方の景色が、突然、真っ暗闇におおわれた。さすがに危険を感じてブレーキをかけた。キーッという音をたてて自転車が停止する。

 柚葉は停電かなと思った。停電のせいで、街灯も家々からもれる明かりも消えたのだ、と。停電など、リアルに経験したことはなかったし、実際に起きるとは思えなかったが、それ以外になにがあるのか考えつかない。

 が、停電なんかではなかった。

 次の瞬間、すごく大きな気配を背後に感じて振り返る。と、そこには闇よりも暗い影が大きく立ち上がっていたのである。暗すぎて目に見えるわけではないのに、確かにそこにいることが感じられた。

 柚葉は息を飲み込んだ。しかしなぜか恐怖は感じなかった。

 正体のわからない謎の存在に、人間は普通、恐怖を感じる。なにをしてくるかわからないから、どんな危害を加えられるかと、本能が命を守るようはたらきかけるのだ。

 だがいま目の前に立ちふさがるように現れた「影」には、なにかをしかけてくるような凶暴さではなくて、むしろ柚葉を見守るような温かさが感じられた。

「誰なの?」

 だから怖がることなく、柚葉は「影」に意思を伝えようと話しかけることができた。

 影が答えるとは思えない。思えないけれども、話しかけずにはいられなかった。

 それにたいし、なにも答えない影。言葉では答えることができないのか、影からは声は聞こえない。それでもなにかを伝えようとしているように、影は柚葉の前から消えたりはしなかった。

「なに? なにか言いたいことがあるの?」

 柚葉はさらにたずねた。答えてくれるのを待った。

 影はどこか覚えのある気配を漂わせているような気がした。なつかしい感情がこみあげてくる。

「お父さんなの?」

 思わずそう言ってしまった。すると影はなにも答えることなく、すっと消えてしまった。

 気がつくと、自転車にまたがったまま道端に立ち止まっていた。すぐ横を、ライトを光らせたクルマが通りすぎていった。いつの間にか街灯の灯りが見えるようになっていた。よそよそしく感じていた周囲も、いつもの景色に戻っていた。

(いまのは、なんだったの……?)

 あっけにとられてたたずんでいた柚葉は、しかし考えてもわかるわけもなく、不思議な感覚を味わいつつもペダルにかけた足をふみこんだ。



 お父さん……。

 その言葉は、新町母子(おやこ)にとって大きく重かった。

 六年前、新町一家は、この町からやや離れた里山の田んぼの広がる村に住んでいた。

 父親は県の役場の出張所に勤め、母親と、九歳で小学四年生の姉・柚葉、五歳で幼稚園に通う妹・華凛、そして祖父母との六人暮らしであった。

 いなかの村で、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、高齢化率も高い過疎の村だった。

 そこにダムが建設されることになった。ダムの計画は昭和時代からあったという。反対意見が多くていったん中止になって時が流れた。しかし近年、地球温暖化の影響なのか、頻繁に降るようになった大雨によって、いくつもの川が合流した下流域では何度も洪水がおきて、治水対策として上流の何本かの河川にダムをかける計画が復活したのだった。

 今回は反対運動は起きなかった。このままでは村は高齢化と過疎化で未来さきがないし、国からもじゅうぶんな保証をするという約束もとりつけられたからであった。

 建設のために多くの労働者がやってきて村は活気づいた。が、それは一時的なもので、ダムが完成すると村はダム湖の底に沈む。

 村ごと移転することが決まっていた。ダム湖に沈まない標高の高い場所に、新しい村落が造られた。

 本来なら新町家もそこへ移住するはずだった。古い家から新築の家へ。家族みんなもそのつもりでいた。

 ところが、六年前のその日――。

 秋祭りの日だった。山里に昔からあったその神社も、村といっしょにダム湖の底に沈むため移転することになっていて、古い神社でおこなわれる秋祭りも今年で最後になるということで、たいそうにぎやかに祭りがもよおされた。そんなときに、祭りに参加していた父親がいなくなってしまった。

 神隠し、という言葉もあるが、まさにその通りで、忽然と消えてしまったのだ。

 警察も村の消防団も総出で捜索した。が、遺体も所持品も見つからなかった。死んだのではなく、行方不明。感情の行き場がなかった。早く帰ってきてという願いもむなしく、一週間後に捜索は打ち切られた。

 働き手を失った新町家は、母親が働くしかなかった。母親は看護師の資格を持っていたが、それが生かせるような病院が近くにはなく、新たに作られた村ではなく、大きな病院のある遠く離れた町に引っ越しせざるをえなくなった。華凛が小学校に上がる前に、勤める病院が決まって転居すると、すでに移転する村に作られた新居には、年金暮らしの祖父母だけが住むことになった。

 そうして、父親が生死不明のまま六年がたったのだった。



 柚葉が話し終えると、少し思い空気がダイニングキッチンに漂った。

 母親は、柚葉の頭を優しく抱きかかえた。

「お父さんがいなくて、寂しい思いをさせちゃって、ごめんなさいね」

「ママのせいじゃない……」

 力なく柚葉はこたえた。母親に余計な気づかいをさせてしまったことが、かえってつらかった。

 きっと母親は、柚葉の寂しさが、そんな幻を見せたのだと思ったようだ。でもそれは当然だといえた。大人はこれまでになかったものは信じない。

 でも怪現象の正体はそういうのじゃない、と華凛は思う。六花や、クラスの男の子も見たと言った。でも、じゃあ、なんなの? と問われると、答えられない。

 母親は単なる自然現象だと思いたいらしい。そこに父親の姿が重なってしまったのは、柚葉の気持ちが生み出した幻にすぎない、と――。

「とにかく、夜は気をつけるのよ。へんな事件にまきこまれたら、たいへんだから」

 涙をエプロンでふいて、母親は言った。

「うん、それはわかってるよ」

 柚葉は焼きあがったばかりの二枚目のお好み焼きに箸をつける。

 気をとり直した母親はホットプレートに次の生地を流しこんだ。じゅう、という音がたつ。

「華凛もよ」

「はーい」

 怪現象を実際に見た柚葉でさえも、はっきりと正体がつかめなかった。実体のない影しか見ていないのだ。そうなると、実際に体験しても、あとで考えると「やっぱりなんかの見間違いかな」などと思ってしまうのもうなずけた。六花がそうだったように。

 でも、ただの見間違いがこんなに多くウワサになるほど起きるのも不自然だった。

 お好み焼きを味わいながら、華凛はどこか割り切れない思いをいだくのだった。


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