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『ハインリッヒ軍曹』

作者: 游月 昭

『ハインリッヒ軍曹』



 小学生時代、私が恋していながら胸中を打ち明けることのなかった女の子がどんな顔をしていたのかを確かめるため、滅多に入る事のない書斎の隅にあるアルバムを取ることがあって、まず女の子の顔を見つけるのだが、好きだった理由を探そうとページをめくっていると、ある少年との写真に必ず目が停まる。それは林間学校での一コマ。少年・猛は低い塀にまたがっていて、私は柱に寄りかかり、片膝を立てて彼と話している。そこに〈女子〉達の声がかかる。

「アキラくーん!タケシくーん!」

 普段、女子達から声がかかることがない二人は驚いて黄色い声の方に顔を向けた。その時の一コマである。生徒に人気の若い男性教師が面白い場面を撮ろうと回っていたのだ。その後、教師と女子達は大笑いをして盛り上がる。

「アキラくんカッコいいー!」

 私は猛と顔を見合わせながら苦笑い。私が好きだった貴代子ちゃんも皆に混じっていた。二人の写真は組の名場面としていくつか教室に貼られたが、思えば二人はいつも一緒に行動していて、 彼が私以外の子と連んでいるところを見た記憶が無い。私が転入する以前、クラスメートに虐められていたのではないかと思われる。彼がクラスメートにからかわれた時、彼は嫌そうな顔をしただけで何も言い返さなかったことを私は不思議に思った。しかし、私といる時は何故かリーダーシップをとった。


「援護にメッサーシュミットを呼んだけ、アキラも零戦を出すように無線で要請して。」

 二人の遊び場は専ら学校帰りの川沿いのあぜ道。コウモリ傘を銃に見立てていつも敵を探しながら帰った。猛はナチスドイツのファンで、ナチスの戦機をよく知っていた。私が無線機に見立てたランドセルを下ろしながら、

「分かった。タケシ。」

 と答えると、

「バカ!俺は今ナチスドイツ軍のハインリッヒ軍曹なんばい。間違えるなっちゃ!」

 と、なりきって吠える。

「了解!ハインリッヒ軍曹!」

 私が大声で敬礼すると、

「シッ!静かに。大声を出すな、アキラ。シャーマン戦車に気づかれたら俺たち木っ端微塵ばい。アキラ、人が死んだの見たことあるか?昨日テレビでやりよったばい。」

 彼は時代考証にしくじった。

「は?テレビ?ハインリッヒ軍曹、今は第二次世界大戦中ですが?」

 私が指摘すると、

「バカ、今は良いんよ。ここだけの話やん、もう。昨日見た?」

 と言い訳。

「ああ、白黒の残酷なやつやろ?」

「そう。早く戦争を終わらせないかんっちゃが。」

「いや、でも、あれ、」

 私は、ナチスによるアウシュビッツの映像だったことを言いかけたが、彼の機嫌を損ねまいとして口を閉じた。

「なん?早く終わって欲しくないん?」

「あ、いや、早く、」

 私が言い終わる前に猛が突然倒れる。

「伏せろ!アキラ、シャーマンが来とう。」

 私も草むらに倒れ込み猛が見ている方向をにらむ。

「弱いくせにアリみたいに沢山出てくる戦車やね。よし、タイガー戦車を要請しちゃる。」

 彼は自分のランドセルを下ろし、中から物差しを出してランドセルに刺した。

「こちらハインリッヒ軍曹、本部どうぞ。こちら、ハインリッヒ、ああ、だめやん、故障しとう。」

「俺の貸そか?」

 と私が言う。

「バカ、日本軍とナチスの無線機はレベルが違う。日本軍の無線機とか使いよったらすぐに解読されるっちゃ。エニグマとか知らんの?」

「知らんけど。」

 と答えている間にまた彼は伏せる。

「やばい、歩兵に見つかった。アキラ、俺は向こうの壁に走るけ援護して。俺が向こうに着いたら今度は俺がアキラを援護するけ。」

「援護っち、なん?」

 私が訊くと、

「援護も知らんと?えっと、あのう、銃を撃てば良いちゃが。」

 私は少し考えて理解する。

「ああ、撃ったら敵が隠れるけ、その間に走って行くんやね、ああ、分かった分かった。」

「おお、アキラも一人前になったやん。じゃ、行くばい。」

 すかさず私はコウモリ傘を構えて撃ち始める。そして猛が中腰で走り去る。私が向こうの草むらに生える木に向けて「ダダダ、」と言い続けていると、木の枝から鳥が飛び立った。

「あ、」

 鳥に当たる筈もないが銃を撃つのをやめた。鳥が飛んで行く方を眺めていると、猛が叫ぶのが聞こえた。

「ああ、やられた。脚を撃たれた。」

 猛が壁の辺りで膝を抱えている。私が彼の方に走り出すと、

「バカ、待て待てっちゃ。」

 と言っても聞かない私を見て、猛は銃を構え敵に向かって撃ち始めた。そして私が壁に着くなり彼は口を尖らせて言った。

「ちゃんと援護しっちゃ、撃たれたやん。」

 猛は半ズボンから生えた細長い脚を体に引き寄せ、膝の大きなカサブタを私に見せた。

「これどうしたん?」

 カサブタの一つや二つは子供の勲章のようなものだが、猛の膝のカサブタはかなり大きかった。彼はそれを薬指で優しく撫でながら静かに言った。

「撃たれた。」

 彼はまだ口を尖らせていた。

「ごめんね。援護、途中でやめて。」

 私が猛の顔を見ながら言うと、彼はまだ俯いたままで言った。

「良いよ。もう。」

 しばらく二人はそのままでいた。草が風にそよぐ音、水が流れる音、通り過ぎる鳥の声、そして二人の息遣いを聞いた。

「帰ろう。」

「うん。」

 猛が立ち上がって、私もそれに続いた。

「また明日ね。」

「うん、またね。」

 そして二人はそれぞれの家路についた。


 それからもこれまで通りの日々が続き、私達は中学校へと上がる。入学後はクラスが違うこともあり、猛とは数ヶ月会うことがなかった。そして夏休みに入って間もなく、猛を含めた同じクラスの男子数名が失踪する事件が起こった。警察は同じクラスの生徒達に事情を聴いて回り、私の家へもやって来た。

「アキラ君、タケシ君が居なくなったのは知ってるよね。」

 体の大きな私服警官に緊張して、私は俯いたままで力無く問いに答えた。

「あ、はい。」

「じゃあ、どうして居なくなったか分かる?」

「いえ、分かりません。」

「そうか。今、どこにいるんだろうねぇ。タケシ君はどこに行ったと思う?」

「え?いや、分かりません。」

「中学生になってから、アキラ君はタケシ君と遊んだ?」

「いいえ、遊んでないです。」

「でも、小学生の時は仲が良かったよね?」

 そう訊かれて、突然強い哀しみが込み上がり、私は激しくしゃくりあげながら声を上げて泣きだした。いつまでも涙が止まらなかった。


 その時、自分がどうなったのかよく覚えていない。気持ちが落ち着いて気づくと、私は二階の自分の部屋のベッドに横になっていて、辺りは暗くなり、数時間は経っているようだった。一階に下りると、母が優しく微笑んだので小声で尋ねた。

「警察の人は?」

「ああ、もう帰ったよ。あんたは、なんも心配せんで良いんよ。警察の人がちゃんと探してくれるけんね。」

「うん。お父さんは?」

「あと一時間くらいで帰って来るよ。」

 私は胸のわだかまりを母にどうにかして欲しくて、話し始めた。

「お母さん、誰にも言わんでね。絶対よ。」

「うん、良いよ。話してんね。」

 私と母は食卓の椅子に隣り合わせで腰掛けた。

「なんも言わんで聞いてね。あのね、また、援護、出来んかった。僕が援護しとったら、もしかしたらタケシは帰って来とったかも知れん。でも、もしかしたら僕もおらんくなっとったかも知れん。もう分からん。」

 私の目に涙が滲み出てきたのを見て母は言った。

「ああん、良いんよ、もう良いんよ。アキラのせいじゃないから心配しなさんな。」

 母は私の頭を引き寄せた。

 それから私は事件についてそれ以上誰にも話すことはなかった。しかし、私は警察に嘘をついていた。猛がいなくなる前日、猛は私に会いに来ていたのだ。


 夏休みが始まり、早起きをする必要がなくなった私は暑さに耐えながらベッドの上に転がっていた。午前十一時を過ぎた頃にチャイムが鳴ったが、母は丁度買い物に出かけていて家には私一人だったので、私は急いでジャージを穿いて玄関まで下りた。

「はーい。」

 見ると玄関の網戸の向こうに猛が立っていた。

「おお、タケシ!久しぶりやん。」

「よう、アキラ。」

 少々元気がないように感じたが、久しぶりで恥ずかしがっているのだとも思えた。

「どうしたん、中、入り。」

「あ、いや、そこの公園にでも行かん?」

 猛が何か話したい事があるようなので、私は言う通りにカラフルなビーチサンダルを履いて玄関を出た。

「背が伸びたんやない?」

 猛は長身で華奢。更に色白に黒縁眼鏡ということもあって、弱々しい印象を与える子だった。

「もう伸びんでもいいのに。俺、生まれ変わったらアキラになるけ、アキラはキヨコちゃんになりぃ。で、大人になったら一緒に住も。」

 猛の顔がほころんだ。

「なんそれ、結婚するっちゅうことやないん。」

 私はちょっと嫌そうな顔を見せて笑いながら続けた。

「タケシもキヨコちゃん好きなん?」

 猛は少し真顔になって私の顔を見た。

「は?アキラもキヨちゃんが好きなん?げー、敵同士やん。」

 猛が仰け反る。

「なあん、三人で住んだらいいやん。」

 私がそう言うなり、猛は吐く真似をする。

「うえーっ!気持ち悪。」

「なん言よん、さっき俺と結婚するっち言いよったくせ。」

「誰がお前と結婚するか。俺はキヨちゃんと結婚するんちゃ。」

 猛がそう言って大声で笑いだしたので、私もつられて大声で笑った。笑いが一息つくと、猛は微笑んで言う。

「またアキラと一緒のクラスやったら良かったのに。」

「そうやね。」

 公園に着くと二人はブランコに腰掛けた。しばらく前後に揺れながら黙っていたが、猛はブランコを降りると、私の横に立って言った。

「俺、ナチスのファンやめる。ナチスは酷い奴らや。やけ、俺ナチスをやっつけるけ。この事は誰にも言わんでね。」

「うん。タイガー戦車で行くと?」

 私が冗談半分で言うと猛も冗談半分で答える。

「んー、パンサーの方が良いかもしれん。」

 そして二人は笑いだし、またブランコを漕ぎだした。猛は板の上に立ち、激しくブランコを漕ぎ続ける。そして私も同じように激しく漕ぎ始めて言った。

「タケシ、これ出来る?」

 私はそう言ってブランコの手を離した。そして鉄柵を飛び越え、地面に下りてすぐ転がった。

「なんしよん。バーカ。」

 猛はブランコのスピードを緩めながら言った。

「痛ってー。」

 私は膝を擦りむいた。猛は笑った後、ブランコから降りて、

「じゃあ、俺、帰るけ。」

 と言ったので私は拍子抜けして言った。

「え?タケシ飛ばんの?」

「俺が飛べる訳ないやん。バイバイ。」

「ああ、またね。今度俺が遊び行くけ。」

 私はそう言って彼の背中を見送った。


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