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【短編】冴えない姉の婚約者を奪ってやった妹ですが、姉には姉で事情があったみたいです

勢いで書きました。

ラブラブ要素少なめです。

 

「あははっ!残念ね、アルヴィリナお姉さま!クローリオ様はお姉さまとの婚約を破棄して、わたくしと新たに婚約なさると宣言されましたわ!」


「っ……!」


 シュティーアは勝ち誇った。


 目の前にいる姉のアルヴィリナは、青ざめ、途方に暮れたようにしゃがみこんでいる。


 セーバー王国の伯爵であるエグゼル家には、ふたりの娘がいた。


 姉のアルヴィリナは20歳、妹のシュティーアは16歳。 


 ジオード侯爵家の次男、クローリオを婿入りさせ、アルヴィリナと共にエグゼル伯爵家を継がせる話がまとまったのは、もう10年も前のこと。


 それが破談に至ったのは、つい先ほどまでジオード侯爵家で開催されていた、侯爵のバースデーパーティーでの事だった。


 アルヴィリナだけ招待されていなかった会場で、クローリオは高々と宣言したという。


「クローリオ様は、ジオード侯爵様に自分から申し出たそうよ。いつもぼんやりしたアルヴィリナより、妹のわたくしの方が美人で、気立ても良くて、妻として最適だって!どうせエグゼル家の娘と結婚するなら、わたくしの方がいいって!」


 シュティーアは自慢げに黄金の巻き毛をかきあげた。


 大粒の葡萄のような美しい赤紫の瞳は、姉に対する侮蔑と嫌悪に染まっている。


(昔から気に入らなかったのよ、こんな女がわたくしの姉だなんて!)


 姉のアルヴィリナは、ありふれた茶色の髪に灰色の瞳の、凡庸な容姿の女だった。


 昔から勉強だけはできたが、それ以外はからっきしであり、お茶会に誘われても、挨拶以外ひとこともしゃべれないで帰ってくるような社交下手。


 対してシュティーアは、勉強は姉に及ばずとも、華やかな容姿と如才ない社交術で、学園の人気者。

 どこに出しても恥ずかしくない伯爵令嬢だと評判だった。


「ふふっ、やっぱり女は、わたくしのように愛嬌のある方が幸せになれるのですわ。お姉さまのように、勉強だけ出来たって、何にもならないんだわ!ねえ、今どんなお気持ち?何とかおっしゃったらいかが?お姉さま!」


 シュティーアはアルヴィリナを見下ろした。


 無様に床に手をついてしゃがみこんだ姉は、おどおどと辺りを見渡している。


 ――勉強はできるが、不器量で冴えない娘。


 パーティー帰りでドレス姿のシュティーアと比べ、自室でおとなしくしているよう両親から申し付けられたアルヴィリナは、まるで平民のようにみすぼらしい部屋着を着ていた。髪の毛もボサボサだ。


「…………ですの?」


 掻き消えそうな声が、アルヴィリナの口から漏れた。


「え?何ですか?聞こえないわ、もう少し大きな声で言ってくださる?」


 意地の悪そうな声でシュティーアが煽る。


 アルヴィリナはびくりと身を震わせて、言葉を続けた。


「……クローリオ様と、私の婚約破棄は、もう決まってしまったこと、ですの?お父様やお母様、ジオード侯爵も、承諾されていますの……?」


 シュティーアは鼻で笑った。


 この期に及んで、姉は見苦しく取りすがるつもりらしい。

 確かに婚約は10年に及んでおり、これまで何の問題もなかった。現場に居合わせていない姉が、信じられないのも無理はない。


「ええ、もちろんお父様もお母様も、ジオード侯爵もその場で賛同されましたわ。もうお姉さまはクローリオ様の婚約者でも、エグゼル家の後継者でもありません。ま、せいぜい婚活を頑張ってくださいましね、お姉さま」


 とびきりの笑みを浮かべるシュティーアに、アルヴィリナは衝撃を受けたように目を見開いた。


 政略しかない婚約でも、クローリオは令嬢の憧れの的になるほど整った容姿をしていた。

 適齢期を過ぎつつある姉が、この先、彼以上の相手と結婚できる可能性はかなり低い。


 幸せな結婚も、伯爵家の後継者としての立場も根こそぎ奪われて、どれほど絶望を味わっているのだろうか。


 ぶるぶると全身を震わせている姉を満足そうに見下ろして、シュティーアは悦に入った。


 ……はずだった。



「全部、嘘ですわ」


 まだ現実を拒もうとする姉を、シュティーアはせせら笑う。


「まあお姉さま、ずいぶんものわかりがお悪いのですね。残念ながら嘘じゃありませんわ。あんなにお勉強ができても、こんな簡単なことも理解できないのかしら?」


「だから、それも嘘ですわ」


「は?」


 シュティーアは笑いを止めた。

 目の前の姉が、突然スンッと真顔になったからだ。


「私、頭よくないのです」


 ふーとため息をつきながら言うアルヴィリナは、先ほどまでの動揺が嘘のように落ち着いていた。


「……え?お姉さま、何を……?」


 今度は逆にシュティーアが動揺し始めた。

 姉の試験の成績は全生徒が見られる掲示板で開示されており、常に1位に名前がある彼女は、稀代の才女だと誉めやそされていたはず。


「偽装してました」


「ファッ?!」


 妹は思わず変な声を上げてしまった。

 姉はあくまでも真顔だった。


「もっと正確に言えば、学園の教師を3年間買収してました。ちょこっと脅迫もしてました。掲示板の順位さえ偽装してしまえば、誰も疑いませんでした」


「エッ……そ、ソウナンデスカ……?」


 なぜか受け答えが片言になったしまった。

 は?嘘?あんなに成績がいいとちやほやされてた姉の話が、みんな嘘だと?


「この髪の毛も嘘です」


「ヴェッ?!」


 アルヴィリナが自分のボサボサ髪を勢いよく引っ張ると、すぽーんと勢いよく抜けた。

 令嬢らしからぬ悲鳴を上げるシュティーアの目の前には、短めの黒髪をピンで留めた姉がいた。


「この眼も嘘です」


「ヴァ?!」


 言うや否や、眼球を人差し指でグリッと押す姉。

 目ン玉エグるの?!と一瞬竦みあがった妹だったが、丸くて薄い色ガラスが両目からすぽぽーんと飛んだだけだった。


「ええー?!な、な、なぁぁ??」


 ……もはやその女は、シュティーアの知る姉ではなかった。

 あちこち跳ねた黒髪に、真っ赤な灼眼。

 気圧されるほどの強い視線が、こちらを見ている。


「おっ、おっ、おねえさま……?」


 ハクハクと口を動かしながら、シュティーアはやっとそれだけ音にできた。


 腰を抜かしかけながら後退る妹に、アルヴィリナはずいっと歩み寄る。


「いいえ、シュティーア」


 抑揚のない声でつぶやくと、アルヴィリナは両手をドレスの胸元に突っ込んだ。


「ふぁ?!」


 すぽぽーんと姉が取り出したのは、やたらと中身が詰め込まれた、丸いベージュの胸パッド。


「姉というのも嘘です!」


「ビャアアア!!!」


 ぺたーんとした姉のドレスの胸元を見て、シュティーアの思考回路は、情報過多によりパンクした。



 ◇◇◇◇◁



「……ウーン……偽乳にせちち……特盛胸パッド……男の娘……ハッ?!」


「あ、目が覚めた?シュティーア」


 がばりと身を起こしたシュティーアの横で、アルヴィリナが椅子にちょこんと座っていた。


「あっ!お、おね……おにいさま……?」


「それも嘘。あんたには兄も姉もいない。オラはクーガ地方の孤児だ」


「血縁関係者ですらなかった?!」


 シュティーアの動きに合わせて、ギシリとベッドが音を立てる。


 その時シュティーアは、自分は今、仕立ての悪い簡素なベッドに、服を着たまま寝かされていた事を知った。


「え?ここ、どこ?」


 キョロキョロと周りを見回す。

 簡素で日当たりの悪そうな、狭い室内が目に映った。


「ここはオラの部屋だよ。あんた、さっきいきなり倒れたんだ。侍女を呼ぼうと思ったけど、オラさっき変装解いちまってたからな。人目につかんよう、ここに運んだんだ」


 ニカリと笑うその顔は、確かに姉と同じだった。

 髪も目の色も笑い方も違うけれど。


「改めて自己紹介しよう。オラはゼット。孤児院出身なんで姓はねえ。あんたが6歳の頃から、アルヴィリナとしてこの家に入った」


 それまで取り繕っていた口調を崩して、アルヴィリナ――ゼットは語った。

 服は簡素なドレスのままだが、落ち窪んだ胸はそのままだ。


 シュティーアは動きの鈍っている頭で、必死に過去を思い出す。


 ……確かにシュティーアが6歳くらいの頃、両親が「今まで離れて暮らしてたお前のお姉さんだよ」と連れてきたのが、アルヴィリナとの始まりの記憶だ。


 ある日突然現れた姉、それも、もっさりしてて地味で陰気なアルヴィリナに、シュティーアがキレ散らかしたのを覚えている。


「なんでわたしのおねえさまが、こんなにぶさいくなの?!こんなのいらない!いますぐきれいなのととりかえてきてよ!」


 ……出会いからして、最悪だったようだ。


「あん時、オラは5歳だった。あんたのことは、おっかねえ女だと思ったよ」


(兄でも姉でもなかった、むしろ年下おとうとだった……!)


 積み重なる真実に、シュティーアの思考回路がミシリと軋む音がする。


「クーガ地方の子供は成長が早えんだ。あと、天恵ギフトとして魔法が使える奴もたまに生まれる」


 シュティーアはハッと顔を上げた。


 そう、セーバー王国の貴族は、魔法が使える。

 エグゼル家は、光と風の魔法素質を持っているとされていた。


 風はともかく光は珍しい魔法で、高位貴族たちは光魔法の素質を持った子女を、己の血族に取り入れたいという願望があるらしい。


 だからこそ、格下の伯爵家であっても、侯爵家の婿入り先に選ばれたわけだが。


「な……なんで?なんであんたみたいなぶさい……いや、平民の孤児が、わたくしの姉のふりをしていたの?く、クローリオ様と婚約までして……」


 少しはものを考える力が戻ってきたシュティーアは、ゼットに問う。


 するとゼットは、たいへんにしょっぱい顔をして、こう答えた。


「そもそもの話をするとな。伯爵さまがフカシたんだよ、国王さまがいるパーティーで。うちには光魔法が使える娘がいる!ってな」


「ウェッ?!」


 エグゼル家には2人の娘しかいなかった。

 いや、正確にはひとり娘のシュティーアしか。


「わ、わたくし、風魔法しか使えないわよ?ていうか、エグゼル家は光と風が使えるって言っても、光魔法の使い手なんて、ここ100年くらい出てないじゃない!?」


 邸宅の図書室に、厳重に保管されている家系図。


 年に一度、新年を迎える日に家族全員で目を通す習慣があったが、名前の横に記される魔法属性マークはほとんどが風。


 光マークは、ずっと前の代に、ひとつふたつ付いているだけだったのを記憶している。


「そうなんだよ。なんか辺境のアルギト男爵家に、光魔法持ちの女児が生まれたとかで、張り合っちゃったらしくてな。ウチの方が爵位高いし歴史あるし、娘には光魔法の素質がありますぅ〜てフいて、後に引けなくなったんだとさ」


「ハァ?!バカじゃないの、下手したら虚偽罪に問われるじゃない!」


 シュティーアは思わず暴言を吐いてしまった。


 確かにエグゼル家の当主である父親は、見栄っ張りで考え無しのところがあった。

 ……しかし、国王陛下の前でそんな嘘をつくとは、貴族として迂闊すぎる。


「オラも伯爵さまはヘタ打ったと思うで。そんで、たまたま奥さまが慰問に通ってた孤児院に、光魔法がちょっこし使えるオラがいたから、問答無用で『養女』にしたワケだ」


 ゼットは小馬鹿にしたように、フンと鼻で笑い飛ばした。


『愛人に産ませた子だ。ついこないだ母親が死に、引き取ってみたら、光魔法の素質があることが判明した』


 ―――対外的には、そういうふうに説明していたらしい。


 ちょうど伯爵夫人の遠縁の子爵令嬢が病死したので、親族を金で買収し、その令嬢の子供だと口裏を合わせるよう指示までしたとか。


「いや、ホントにバカでしょ!お母さまの親戚まで巻き込んで……ていうかお母さまもよく承諾したわね?」


「まあ仕方なかったとこもあるっちゃある。そのパーティーで、ジオード侯爵に次男を婿入りさせるよう言われて、うっかり承諾しちゃったらしいから」


「バカー!はいバカー!バカ・オブ・ザ・バカー!」


 シュティーアは愕然とした。父親のアホさ加減に。

 だが、同時に気づいてしまう。自分も間違いなく、その父親の血を引いていることを。


「……オラは明らかに、クーガ地方民の髪と目の色だったからなあ、大変だった。無難な茶髪のヅラ被って、最初は目の色がわかんねえように瓶底眼鏡かけて。ドレスはまあ、孤児院に寄附された古着がスカートしかないときは着てたから、あんま抵抗なかったな」


 ゼットは遠い目をしながら語った。

 そこには、10年に渡り性別も身分も偽って生きてきた、少年の苦労が垣間見えた。


 突然の養子縁組。エグゼル伯爵令嬢として生きることを強いられ、同性の婚約者まであてがわれたのだ。


 ……いくら婚約者といえども、婚前は慎みを持って接する事がならいである。

 交流だって、向かい合った席でお茶を飲んだり、時節の挨拶やプレゼントをやり取りする程度だ。

 成長期前なら、男だとバレることはなかろうが……。


「えろいことされたり、えろいこと言われたりすることはなかったな。単にオラのみてくれが悪かったせいかもしれんが、サカられるよりマシだ。最近は背ェ伸びたから猫背にしてたし、声変わりがバレんよう、会ってもほとんど黙っとった」


 あまりにもあからさまな物言いに、シュティーアの頬に朱が登った。


「ちょっと!淑女の前でなんてこと言うのよ!た、たしなみってものはないの?!」


「お、わりいわりい。すっかり化けの皮がすっ飛んじまった。こっちが素なんだわ、オラ」


 謝りながらも、カラカラとゼットは朗らかに笑う。


 ――ああ、だからか、とシュティーアは思った。

 脳裏にクローリオの言葉が蘇る。


『アルヴィリナは僕といても、話を聞いてるんだかいないんだか、ボンヤリとして相槌すらろくに打たない。光魔法の使い手と思って我慢してきたが、そろそろ限界だ。同じ血を分けた姉妹なら、妹も光魔法の素養を持っているだろう?美しくて気立てのいいシュティーア嬢の方が、エグゼル家当主となる僕に相応しい。そうは思いませんか?父上!』


 クローリオ・ジオードは、10年かけて、この婚約に音を上げた。

 知らされていなかったとはいえ、相手は同性だ。

 何かしら違和感を感じていたのだろう。むしろ10年もよく保ったと褒めたい。

 結婚式を目前に控えて、積もり積もった鬱憤が爆発したようだ。


 父親のジオード侯爵も、息子の『地味で冴えない婚約者』に、10年かけて辟易していた。


 光魔法と言ったって、指先に小さな明かりを灯すだけしかできないのでは、役に立たない。


 ちまたで噂の男爵令嬢は、夜を昼に変えるほどの光を放ち、光を浴びた病人は病が癒え、怪我は治り、植物はひと回り大きく育つという。


 その力の強さゆえ、男爵令嬢は王家に保護され、手の届かない存在となってしまったらしい。


 そんな話を聞いた後では、アルヴィリナ・エグゼルという令嬢は、あらゆる点でビミョーに思えてしまった。


 髪も瞳の色も地味で、容姿も美しくない。背ばかり伸びて、体はひょろひょろ。

 頭はいいらしいが、社交の場で活かせないなら、宝の持ち腐れというものだ。


 息子もすっかり愛想をつかして、最近は、妹のシュティーアとばかり親交を深めているとか。


 年末には結婚式を控えている。

 招待状はまだ出していない。

 決断するなら、今しかなかった。


『我が息子の言うとおりだな。栄光あるジオード家の嫡子の横に立つのは、シュティーア嬢のような華やかな令嬢であるべきだろう。どうかな、エグゼル伯爵?アルヴィリナ嬢と我が息子との婚約は、シュティーア嬢に譲っては?』


 ……かくてジオード侯爵は、悩んだ末、令嬢本人より、その血筋に光明を見出す方針に切り替えた。


『はい!喜んで!いいな、シュティーア?』


『もちろんですわ、お父様!!』


 そんな流れで、アルヴィリナ・エグゼルとグローリオ・ジオードの婚約は破棄され、新たにシュティーア・エグゼルとの婚約が結ばれたのだった。



「……あー!!それにしても、良かった良かった!あんたとジオード侯爵令息の話がまとまれば、オラはようやくお役御免だ!これで自由だ!!ヤッター!!」


 ゼットは突然大声で叫ぶと、両手を天に突き上げた。

 晴れやかな笑顔が弾ける。


「び、びっくりしたじゃない、急に大きな声出さないでよ!」


 シュティーアの抗議もどこ吹く風、ゼットはニヤニヤとした笑みを絶やさない。


「しかたねーだろ、こちとら10年もこのくだらねー茶番に付き合わされてたんだぞ⁈あああ肩凝ったあ、もうこんなビラビラも着なくていいし、さっぱりわからん勉強するために学校行かんでいいんだ!天国!」


 ゼットはガバっとドレスをたくしあげ、一気に脱ぎ捨てた。


「キャアッ!?ハレンチな!!」


 思わず顔を手で覆ってしまうシュティーア。


「大丈夫大丈夫、下にちゃんと着てっからよ」


「え?」


 シュティーアが恐る恐るゼットを見ると、彼はドレスの下に男物の庶民服を着ていた。

 ついでとばかりに可愛らしいハイヒールを脱ぎ捨て、ありふれた革靴に履き替える。


「ああ、落ち着いた。やっぱこうじゃねえとな!」


 頭をバリバリと掻いて、髪を留めていたピンをボロボロと落とすと、完全に『アルヴィリナ・エグゼル』という令嬢は消え失せた。


 そこにいるのは、黒髪に赤い目の、エキゾチックな少年。


 シュティーアは一瞬、息を呑んだ。

 その風貌に(あら?ちょっとカッコいいかも?)と思ってしまったのだ。

 慌てて頭を振り、雑念を吹き飛ばす。


「……ドレスの下にそんな服着てるんだもの。だから野暮ったい体型だったのよ、みっともない!」


 チラチラとゼットを盗み見ながら、シュティーアはツンケンした口調で言った。


「いいんだよ、これで。万が一にも好意を持たれちゃまずかったからな。向こうから『アルヴィリナ』との婚約を破棄してもらわんと、格下の伯爵家が断るわけにもいかんかったし。それにしても、思ったより坊っちゃんが粘ったのは計算外だったわ……!」


 もうちょい早く自由になれると思ったんだけどなあ?と、ゼットは愚痴る。


 それから、「今だから言うけどな」と前置きして、彼は計画の全容を語りだした。


 ――婚約破棄だけを狙うなら、『アルヴィリナ』は、おバカでぶさいくで無作法な令嬢になれば良かった。

 とっとと愛想を尽かされるよう、動くのは簡単だ。


 だが、伯爵家にも体面というものがある。

 あまりにあまりな令嬢を出してしまうと、エグゼル家の評判も下がってしまう。


 そこで伯爵が目指したのは、『自分なら婚約破棄を言い出したくなる』ような、“出来は悪くないが残念な令嬢”だった。


 まず、貴族の間では、頭の良い女を小賢しいと嫌う傾向があるので、成績を偽装し、トップに立たせる。


 容姿は、下の上くらいにしておく。

 髪の色も目の色も、平民によくある茶と灰色で、貴族としてはあまり好ましくない色合いにする。


 服装やアクセサリーもイマイチあか抜けない、ひと昔前のデザインにする。


 ……そうして、伯爵や夫人と協力して、モサい令嬢を演出してきたのだ。


「え……わたくしは何も知らされてなかったわ?!」


 シュティーアは愕然とした。

 一人娘の自分だけハブになっていたことに、少なからず衝撃を受ける。


「あんたにはあんたの役目があったんだ。だから、全部片付くまでは、バラさんようにしておけって言われたさ。……伯爵様は、自分の戯言で生まれたこの良縁を、なんとか逃さない方法を考えたんだ」


「え、わたくしの役目?」


 キョトンとしたシュティーアに、ゼットがニヤリとワルい笑顔を向け、言った。


「名付けて、『出来の悪い姉を先に出し、出来のいい妹を後から出して印象操作して、最終的には良縁獲得ゲットしちゃおうぜ!』作戦だ!」


「いやそれまんまじゃないの、少しはひねりなさいよ!?」


 作戦名長えよ!と突っ込むシュティーアだった。


「まあまあ、この作戦が大成功したおかげで、伯爵さまのウソが表沙汰にならんかった!オラは自由の身になった!あんたは侯爵家を後見にした伯爵夫人になれた!いいことづくめじゃねえか、文句ねぇだろ?」


 終わりよければすべてよし、とばかりに、ゼットは愉快げに胸を張った。


 しかし、シュティーアの顔色はどんどん曇ってゆく。


「……え?どうした、あんた。まさか、実は婚約したくなかったとか?」


 ゼットが心配そうに聞くと、シュティーアは首を力なく横に振り、ボソボソと答えた。


「つまり、アレね。わたくしは、自分の力で、冴えない姉から婚約者を奪ってやった気でいたけど、……ジオード侯爵家とお父様には、ちゃんと策略があったってことね……」


 シュティーアはしょぼくれてしまった。

 己の美貌と気立ての良さのおかげで、選ばれたわけではなかった。

 それぞれの家に思惑があり、シュティーアはそれに乗っかっただけだ。

 そう考えると、先ほどまでの勝ち誇っていた気持ちが、みるみるしぼんでいく。


「いやいや、落ち込むこたぁねえって!この作戦はな、あんたが美人でしっかりした令嬢だったから成功したんだ!じゃなきゃ、エラいお貴族サマの心が動くワケがねえ!」


 急に勢いのなくなったシュティーアに、ゼットは身振り手振りを付けて言い募った。


「ていうかあんた、令嬢のクセにやたら反骨精神に溢れてたからな。オラが勉強が出来るって聞いたら、あんたはなんとか見返そうと勉強頑張ったろ?学園の入試だって、10位以内に入ってたって聞いたぜ?」


「……っ、そうだけど、でも……」


 お姉様みたいに1位にはなれなかった……と続けようとして、思い出した。偽装だったんだった。


「あんたは努力家で、勤勉だった。急に出来たモッサい姉に負けてたまるかって、腐らずに踏ん張った。たいしたもんだと思うぜ?愛人の子相手に、見下すだけでなく、真っ向勝負仕掛けるなんてよ」


 そうだ、シュティーアは、ひとつでもこんな姉に劣ることに耐えられず、全力で立ち向かった。


 勉強以外のこと。マナーや社交術、ダンスに芸術にと、たゆまぬ努力で淑女を目指したのだ。


「そういうあんただったからこそ、侯爵サマもあんたを選んだんだ。そりゃオラや伯爵さまも全力でモッサい令嬢演出して、愛想尽かされての円満婚約解消狙ったけどよ。全部、あんたがいい女だったから成り立ったんだ。そこは自信を持ってくれよ」


「い、いい女、なんて……」


 あまりに直接的な発言をされて、シュティーアは言葉に詰まった。


 今までも、社交辞令としての美辞麗句は耳にしてきたが、こんな至近距離で面と向かい、真っ直ぐに言われたのは初めてだった。


 赤い瞳が、真摯に自分を見つめている。


 ……こうして見ると、ゼットの顔立ち自体は、そう悪いものではない。

 目の色を誤魔化す色ガラスが辛くて、ずっと目つきが悪くなっていたのだろう。

 本来の姿に戻った彼には、その色がとてもよく似合った。


「……ま、まあ、褒め言葉は素直に受け止めておくわ。……ありがとう」


 シュティーアは目を逸らしながら、礼を口にした。

 胸のあたりをギュッと抑える。


(なっ……何なのわたくし、どうして胸が高鳴るの?)


 ドッドッドッと跳ねる心音に、シュティーアは戸惑った。

 こんなこと、クローリオの前でもなったことないのに。


 シュティーアの調子が戻ったのを見て、ゼットはニカッと笑った。


「よっし、いつもどおりになったな。あんたはずっと強気でガンガン来てたからなあ、急にショゲられると心配になるぜ」


 その言葉に、これまで同じ家で過ごしてきた『アルヴィリナ』の姿が重なった。

 姉妹としての親愛の情なんて抱いたことはないが、シュティーアが熱を出して寝込んだりしたとき、こっそりアルヴィリナがやってきたことがある。


『だいじょうぶ?しんぱいで……』


 そう言う姉は相変わらずモサくて不格好だった。

 おでこを冷やす水を替えに行っていた侍女が部屋に戻るなり、叱りつけながら追い出されていたが、姉の声音には、確かにシュティーアに対する気遣いがこもっていた。

 枕元に、小さなスミレの花の花びらが落ちていたことを思い出す。お見舞いに持ってきてくれたのだろう。


(……なんで今頃、こんなことを思い出すのかしら……)


 熱が下がってからも、ふたりの関係が改善することもなく、いつもどおりの反目し合う日常が続いたけど。


「あ、あんたになんか、心配されるいわれはないわ!そ、それよりこれからどうするつもりなの?姉のフリをやめて、次は丁稚奉公でもする気?」


 シュティーアが、内心の動揺を押し隠しながら強気に言い放つと、ゼットはガタッと音を立てて、椅子から立ち上がった。


「な、何よ、怒ったの?」


 ビクつくシュティーアの前で、ゼットはベッドに乗り上げ、彼女に迫る。


「キャア!何してんのよ!……って、え?」


 襲われる?!と勘違いしたシュティーアが抗議の声を上げたが、尻つぼみになった。


 ゼットはベッドの向こうの外窓から、街道の方を見ていただけだったからだ。


「……馬車がこっちに向かってる。伯爵さまが帰ってくるな。あんたから伯爵さまに、オラは約束通り姿を消したって伝えといてくれ」


「は?」


 俊敏な動きで、備え付けのクローゼットの中から鞄を取り出し、古びた外套を羽織るゼット。


「え?ちょ、どういうことよ、うちから出てく気?」


 慌ててシュティーアが問うた。


「報酬はな、先払いで貰ってあるんだ。オラはこの金で、生まれ故郷のクーガに行くって決めてた。父ちゃんも母ちゃんももういないけど、あそこで暮らしていくんだ、ちょっとした商売とかしながらな!」


 フンスと鼻息荒くゼットは言い放つ。

 何故かシュティーアは衝撃を受けた。


「え、ちょ、ちょっと待ちなさいよ。ニセモノだろうと、あんたはエグゼル家の令嬢なのよ?!急に姿を消したら、騒ぎになるじゃない!」


 どうしてゼットを引き留めるようなことを口走っているのか、シュティーアに理由はわからなかった。


 嫌っていた姉。目障りだった姉。

 いつもいつも、この屋敷から消えてくれと願っていたはず。なのに。


「大丈夫だぁ。伯爵さまは、オラが婚約破棄されたら、『アルヴィリナ』はソッコーで国外れの修道院に送ったことにするって言ってたから。こんなしょぼい光魔法しか使えないモッサ令嬢でも、嫁に欲しいていうお偉いさんが沸く前に逃げんと!」


 カラカラと笑うゼットは、シュティーアの焦りなど気付かず、どこまでも陽気だった。


 ガチャリと窓が開け放たれ、ひらりとゼットが窓から外に出る。


 部屋は屋根裏部屋だったが、窓枠の下にはロープが垂れ下がっていた。


「え、そこから出るの?ていうか、もう行ってしまうの?!」


 窓から吹き込む風に煽られ、シュティーアが怯んでいる隙に、ゼットはさっさと行動していく。


「もうこの家に『アルヴィリナ』って令嬢は必要ねえ。後はあんたと伯爵さまでうまくやってくれ!達者で暮らせよ!じゃな!」


 それだけ言い残すと、ゼットの姿は窓から見えなくなった。


「あ、ちょっと待ってよ!」


 追い縋ろうとベッドから飛び降りたシュティーアだったが、夕闇迫る辺りは暗く、よく見えない。


「嘘でしょ……こんな、急に……」


 シュティーアはへなへなと床に座り込む。


 あまりにも衝撃的な事が起きて、思考が追い付かない。

 まるで夢か何かだったように思えても、振り向けば『アルヴィリナ』の質素なドレスと靴が乱雑に落ちている。

 間違いなく現実だという、証拠のように。


(わたくし、同じ邸に10年一緒に暮らしていて、お姉様がどの部屋にいるかなんてことも知らなかった……)


 生活臭のする部屋の様子から、ゼットが『アルヴィリナ』として長くここで暮らしていたことを察した。


 ―――彼は何を考えながら、10年過ごしたのだろう。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、呆けていると。


「わりぃわりぃ!忘れてたことあったわ!」


「ヒャアアア?!」


 いきなりゼットが窓から顔をぴょこんと出した。

 シュティーアは悲鳴を上げた。


「な、あ、あんた、もう行ったんじゃなかったの?!」


 さっきのときめきとは明らかに違う胸の動悸を抑えながら叫ぶと、ゼットは「これな!」と言いながら何かをピッと指で飛ばした。


 ひらり、とシュティーアが目の前に落ちた紙を拾うと、それは小さな押し花がされた栞だった。


「いつか忘れたけどな、あんたが熱出した時に、見舞いで持ってった花な。キレイだったから、押し花にしたんだわ。そのまま渡しそびれてた。せっかくだからやるよ」


 シュティーアは、先ほど思い出した記憶を反芻する。

 あのときのスミレだ。


「……どうして?わたくし、あんたに辛く当たってたじゃない。お見舞いなんて……」


 震える声でシュティーアが問うと、ゼットはニカッと笑う。


「オラにとってあんたは、そんなに悪い『妹』じゃなかった。最初はおっかねえ女だと思ってたよ?でも、あんたは根は真っ直ぐな奴だってすぐわかったからな。イヤミは言うけどイジメもしなかったし。騙してるのがバレるとヤバいから、距離置いてたけど」


 それからスッと真顔になって、彼は言った。


「シュティーア。あなたなら、きっといい伯爵夫人になれるわ。わたしが保証する。10年もあなたを見てきたわたしが言うんだもの、信用してね?」


 ……それは、『アルヴィリナ』としての言葉だった。


 あまり話すことはなかったが、確かに記憶にある姉の声だと、シュティーアは思う。

 あと、だいぶ声変わりが進んで来てたようで、ここ最近は本当に頑張って女声出してたんだな、と地声を聞いて思った。


「……大きなお世話よ。あんたになんか保証されなくたって、わたくしは立派な伯爵夫人になってみせるわ。あんたはそれを、指をくわえて眺めているといいわ……!」


 つられて滑り出た言葉は、いつもの憎まれ口。


 ゼットは笑って、「その調子だぁ!」と言った。


「じゃあな、今度こそサヨナラだ!気ィ張りすぎて離縁されんなよ!?」


「あんたこそ、商売とやらに失敗して無一文になっても、うちを頼らないでよね!?帰ってきても追い返してやるから!」


 ああおっかねえ女だあ、とゲラゲラ笑いながら、ゼットは再び姿を消した。


 しばらくしてから遠くで「10年世話になった!あばよ!」と声がして、それきりだった。


「……ほんとに、行ってしまったのね……」


 力が抜けたようにベッドに座り込んだシュティーアは、窓の外を見ながら、2度と姿を見せることのないであろう、姉だった年下の少年に思いを馳せる。


 手には、スミレの栞があった。



 ◇◇◇◇◁



 その後すぐ、父親が帰ってきた。

 シュティーアがゼットに聞いたことを話すと、「そうか……」と感慨深げに呟いた父親を、きっちり締め上げた。

 結果的にはうまく行ったものの、発端はコイツのいい振りこきである。


 母親に「何故一人娘のわたくしにこのことを黙っていたのか」と問えば、こんな茶番はとっとと破綻すると思っていたが、思いの外長くかかってしまい、伝えるタイミングを逃したと言い訳した。


 この母親は父親に逆らわないタイプで、今後も似たようなことをやらかす可能性があるので、シュティーアは実の母といえど、頭から信用することはやめようと心に誓った。


 結局のところ、偽物の姉の件は、シュティーアを疑い深くしただけだったが、ジオード侯爵令息の婿入りは恙無く済み、年末には華やかな結婚式が執り行われた。


 学園は入学した年に退学することになったが、式の日程が押し迫っていたので、仕方なかったと思う。


 姉の光魔法を惜しんだ貴族から、いくらか問い合わせがあったが、傷物になったので国外れの修道院に送ったと答えると、それ以上問われることはなかった。


 指先に小さな光を灯すだけの力だったことは周知の事実だったし、学園や茶会でのモサい様子も知り、わざわざ修道院から呼び戻す手間を考え、諦めたのかもしれない。


 シュティーアは宣言通り、立派な伯爵夫人になった。


 彼女は夫によく仕え、エグゼル家を盛り立てた。


 彼女の個人的な庭には、様々な品種のスミレが咲き誇っていたという。


 彼女が品種改良したスミレの中には、『アルヴィリナ』と名付けられた、赤に近い紫の花弁のものがあり、クーガ地方のとある商会が広めて、長くセーバー国民に愛された。


 ちなみに、花言葉は『あの日のときめきは恋だったかもしれないし恋じゃなかったかもしれない』という、一部から「長えよ!」と突っ込まれるものだったとか。



 《完》

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最初から引き付けられるんですが、最後の花言葉の落ちが上手でより読後感が良かったです。面白かったです。
[一言] 妹とゼットの新たな関係で生活見たかったけど ゼットは産まれ故郷で仕事成功して 元気に暮らしているんですよね。 お話面白かったです。
[一言] 勢いがあって好き!
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