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『疑惑の木霊』


 =


 今日も今日とて慌ただしい日常が緩やかに過ぎ行く。


 =


 カウンターに顎を乗せ、気の抜けた吐息を零す。

「暇ですねぇ……店長」

 入口あたりを眺めつつ、背後へ言葉を送る。

 色白の肌にスラっと伸びた細身の男性。店長、馬酔木(あせび)は布巾で白い皿を磨きながらその吐息に相槌を打つ。

「そうだね、二階堂にかいどう君」

「ずっとこうだと楽なんですけどねぇ……店長」

「それは嬉しくない冗談だね。売上がなければ君に与える給料がなくなるからね」

「えっ! それはダメです! 店長、わたし忙しいので呼び込みお願いします!」

「暇なんじゃなかったかな? それに……」

 馬酔木はそこで一息つき、溜めを作る。後に現れる『客』を見据えるように。

「私が呼ばなくても、すぐに求められるのだから」


 =


 赤煉瓦の壁紙に焦茶色の木の柱。足音がよく響く床と一段高い厨房。それらを仕切るカウンター。香ばしい珈琲の香りが漂い、薄暗い室内を照らすシーリングファンライトが閑散とした空気を循環させる。

 ここ、カフェ『Sympathiaシンパシア Lacrimaeラクリマエ』は繁華街の一角のビル一階にあり、店長の馬酔木とバイト店員の二階堂(にかいどう)(ほたる)のみの、物静かな一店である。

 繁華街とはいえ、既に寂れ始めて十数年。人通りも少なく、店に来る人は数少ない。

 だが、少ないからこそ、『客』は求め訪れる。


 =


 キイ、チリンと、扉が軋み、ドアベルが閑やかな空間に鳴り響く。

 同時に吹き込んだ秋風に乗って入ってきた紅葉を店の帽子に乗せて接客する。

「いらっしゃいませー。御一人ですか?」

 現れた『客』はゆっくり頷き、目線を上げてこう呟いた。

「五階へ……」

「あぁ! 少々お待ちくださいね。……店長、お客さんで――」

 文字通り影が薄く、見るからに怪しげな『客』の言葉に納得した二階堂は馬酔木を呼んだ。すると馬酔木はいつの間にやら二階堂の後ろにおり、驚く彼女を横目に『客』に対して一礼する。

「何か、お困りで?」

「貴公が……」

 馬酔木を目にした『客』は探し物を見つけたかのような表情をして感嘆する。

 その様子に馬酔木も質問を変える必要があると判断し、こう問い直す。

「『嘘つき屋』をお探しかな?」

 その問いに対する答えは、イエスだ。


 =


「ちょうどいい機会だ。二階堂君も練習が必要だろう。この客人の依頼を聞いてみなさい」

 カフェの厨房のさらに奥。扉を開けると、そこには洋風の装飾が施された螺旋階段が聳え立ち、真下から見るとその先が異常に細く見えるほど長く続いたものだった。

 昇り慣れた階段の中間あたりだろうか、沈黙を破った馬酔木はそんなことを言い出した。

 当然、これまでは助手の助手のような立場でやってきた二階堂は驚きと焦りを見せる。

「わたしですか!? 無理です! できません!」

「大丈夫だよ。君はこれまで私の仕事を見てきたろう? 自信を持ちなさい」

「でも……」

「じゃあ残念だけど、君は今日限りで……」

「ぐぬぬ…! わ、わかりました。やってみます……」

 二階堂は自分の首が危険に晒されたことを察知し、渋々受け入れた。

「助かるよ。ありがとうね」

 一方で卑怯な手を用いた馬酔木は悪びれた様子もなく、ただ感謝の言葉を述べるのみだった。


「その娘で大丈夫なのだろうか?」

 二人のやりとりを見ていた『客』は不安そうに問いかける。

「見るからにただの人間の娘。『たかが』とは云うが、『されど』とも云う。依頼を果たせるか、如何に」

「嘘に『たかが』も『されど』もありはしないよ。それに彼女は『あやかし』という存在には慣れてるさ。心配する必要はないとも」

 声質からして男性であろう『客』は一見人の姿をしているがその実、彼は一般的にいう『あやかし』という存在なのだ。

 こういった『あやかし』の来客は少なくなく、この店の客の大半は『あやかし』である。それにより、二階堂も驚くことなく接客できている。無論、ここで働き始めた当初は驚きや怯えを隠すことなど一切できていなかったが。


 五階の一室へ辿り着いたところで小さな存在が三人を出迎えた。

「またか……好意的も結構。じゃが儂を放って置くだけでなく、こう荒々しく使うのは頂けんの。馬酔木よ」

 特徴的な声の主は馬酔木に対して問いかける。

「儂に貴様ほどの茶が淹れられるとでも思うとるのか」

「貴女になら任せられますよ。ヤナギさん。二階堂君よりはね」

「褒められとる気がせんの。それにその娘もそろそろ板についた頃ではないか」

「さぁ、どうでしょうか?」

「少しは褒めてくれたっていいじゃないですか……。それにヤナギさんよりは料理もできますし」

 嗤う馬酔木に剥れる二階堂だが、彼女以外の人間ならこの光景をこう受け流すことはできないだろう。

 人と、人の姿をした人ならざる者と、人の言葉を話す黒猫がいるのだから。


 三者の会話に割り込む形で『あやかし』が口を開く。

「貴女はもしや……。いや、まさか……」

「誤ってはおらぬ。貴様のことも聞き及んでおる。儂のことは気にせんでもよい」

 『あやかし』の興味深い反応はあったものの、二階堂には理解ができていない。今は初仕事への緊張と先程の馬酔木の言葉への不満が、異常に彼女のテンションを落としている最中だ。

 そんな彼女を横目でちらと見つつ、馬酔木は黒猫と『あやかし』の会話に口を挟む。

「積もる話もあるだろうけど、二階堂君も待ちきれない様子だ。どうかな、続きは扉の先で」

「そう言いつつ儂には下へ行けと言うのだろう。全く嫌な奴じゃな、貴様は」

「後で高級なヤツ、とっておきますよ」

「それで許されると思うてか。……まあよい。貴様は信じられるからの」

 好条件を出したことで断りにくい状況を作り出した馬酔木に黒猫はそう言い放って小さい体を階下へ走らせる。


 その姿を見下ろす形となった『あやかし』はこれまで持っていた疑を真に変換し、薄かった影を濃く見せた。

 それに気付いた二階堂が真っ白の霧になったそれに声をかける。

「あら、木霊さんでしたか」

 二階堂が見つめるのは一見ただの白い霧ではあるものの、歴としたとした妖怪として知られているが実際、妖怪として見るべきかは議論すべきなのだろう。と言うのも、木霊は読んで字の如く、木に宿る精霊であるからだ。

 最も、精霊を妖怪として扱うのであれば気にすることはないのだが。

 馬酔木はその木を守る精霊の大きさを見て見解を述べる。

「この大きさからして、この方は長年山を守っておられたようだね」

「裏山の?」

 二階堂の言う裏山とは、繁華街のすぐ横にある山のことで、街の端であるこの付近の人間にとっても馴染み深い山だ。

「そのようだけど……山を守るほどの木霊であるなら、ここに来る必要もないと思うんだけどね」

 木霊は馬酔木の疑問に答えるように静かにその場で空気の流れを作る。

「成程。確かに二階堂君では少し難しい依頼のようだ」

「……?」

 木霊の意図を読み取った馬酔木は少し困った様子でそう呟いた。


 =


 カフェ店内とは一転して、何か魔術的な効果でもありそうな装飾品や小道具が並ぶカラフルで色褪せた部屋。その中心に位置付く対面したソファで馬酔木、二階堂が木霊と机を挟んだ。

「取り敢えず、コーヒーでも……」

 緊張のとれない二階堂は時間を稼ぐが如く、震える手でコーヒーや洋菓子を用意する。

 しかし、その時間稼ぎは根底から意味を削ぎ取られることとなっていた。

「申し訳ないけど、二階堂君。今回はやはり私が依頼を受け持つよ」

「本当ですか!?」

「何故、嬉しそうにするのかな?」

 馬酔木の言葉に嬉々とする二階堂。彼女に呆れの苦笑いを送りながら馬酔木は喋ることのない木霊に語りかける。

「私はね。神様ではない。貴方の抱える罪の全てを取り払うなんて到底できやしないし、してやる義理もない。だが、一つなら手伝うことも厭わない。君の改心に称してね。それでもいいと言うのなら、少し考えてみようと思う。どうかな?」

「……」

 木霊は無言で答える。

 二階堂には聞こえないその返答に、馬酔木は先程の苦笑とは一転し何か楽しげな笑みを零した。

「当然、お代は高くつくよ」


 =


 昼下がり。「closedクローズド」の文字が書かれた看板がカフェの入口に掛けられ、人気の少ない店の中はより一層静かになった。

 店を後にした馬酔木、二階堂、木霊の三名は裏山への歩みを進めていた。

「この山は昔から人の出入りが少ない。それも何百年も前の話だ」

 山道、と言えないほど荒れた道を見て馬酔木が呟く。

「……? それって今回の依頼と関係ありますか?」

「そうだね。関係があるのは間違いない。けど、順番は逆のようだね」

「逆?」

 馬酔木の言葉に小首を傾げ、二階堂は疑問に落ちる。


 麓から見ればさほどの高さではないが、その傾斜角から、山の中腹までの道のりはかなりのものであった。

 馬酔木のペースに息を切らしてついてくる二階堂は既にダウン寸前ではあるが、そこに広がる光景を見て、息を飲んだ。

「こ、これは……!」

 上空写真でもあればよくわかるだろうか。視界に映る木々の中で、唯一異色を放つ一本が、季節感の全く異なる雰囲気を出しているのだ。

 二階堂はその状態を耳にしたことはあった。

「千年樹……!」


 紅葉で粧された木々の中に、青い葉、それも正真正銘の『青』の葉をつけた木がある。

 それは他と比べ高さもなく太さもない、色を除けばただの若い樹木であると言える。

 『千年樹』と呼ばれたそれは、千年生きた木には到底見えないものだった。

 二階堂はその名前に補足する。

「この木は十年かけて一年分の成長をするのんびり屋さんの木です。っていう噂です。実際は……」

「紅葉、これはイロハモミジという種でね、周りのものは大体百年ほどのものなんだけど……。十年かけて一年分」

「それで千年くらい生きていたってことですか?」

「どうだろうね。高さは少し下回るし、同時期に芽生えたというのはありえないだろうから、もう少し若いかもしれないね」

 人の手が加えられていないことと大きさから推定された樹齢は通常のイロハモミジが百年。青い葉のイロハモミジは千年ほど。

「今回の依頼はこれが一番の問題になるね」

 二階堂にもおおよその見当はついていたが、やはりそういうことなのだろう。

 木霊は空中で漂うのみではあるが、そこに慌ただしさを感じる。

「それでどんな問題があるんですか?」


「そうだね。ここからが嘘のお話だ」


 =


「始めにつかれた嘘がこの山の千年の記録を狂わせた」

 馬酔木は千年の歴史を口にする。


「この山は極普通の山で、人々は動物や植物を求めて度々入り込んだ。その頃も豊かな山だったんだろう。麓の村はよく栄えたようだ」


「ところが、どうやらそれが人間の罪なんだろう。乱獲が増える一方でね。山は生態系を維持することができなくなっていった」


「そんな頃、一人の男が性懲りもなくやってきた。だが、その男は獣を狩るでもなく、植物を採るでもなく、ただただ気付いた。このままじゃ不味いってね」


「男は村の人間に伝えようとしたんだけど、あらゆる資源の元であるこの山を諦める人は誰一人いなかったんだ」


「それでもそのままじゃいけないと思ったんだろうね。彼は一つの嘘をついた。千年樹という嘘をね」


 そこまで言ったところで二階堂が反応する。

「千年樹に何かされるとかですか? 例えば呪いみたいな」

「近いけど根本的なところが違うね。そもそも千年樹なんてものは存在しなかったんだよ」

「えっ?」

 二階堂の驚きに応えるべく馬酔木は説明を続ける。


「最初、男はただ山に人を寄せ付けないように危険な獣がいる、とだけ言っていた。しかし、気を付ければ良いと考え自粛する者はいなかった。結果、山の衰退は進んでしまう」


「しかもその危険な獣らしき姿を見たものは出てこなかった。当然さ、それは嘘だったんだから」


「だけど男は諦められなかった。十分に栄えた村だ。程度を考えて山との共存を考えられれば、それだけで良かった」

「それでも村人が賛同してくれなかったのは何か理由があるんですかね」

「今から約千年前。どんな時代だったかわかるかい?」

「千年前……。平安時代くらいでしたっけ?」

「そうだね。平安時代の、ちょうど藤原道長が出家した頃だ」

「その影響で?」

「いや、その年に起きた藤原家による賊討伐の影響だよ。『刀伊の入寇』と言ってね、海賊が押し寄せた事件があったんだ」


「撤退した賊はこの山の麓にあった村に辿り着いて生活するようになった。山が豊かだから安定した生活はすぐに手に入った。それで落ち着けば良かったんだけどね。男が止めるには理由が足りなかったらしい」


「実際の海賊なんて心が荒れてるものだよ。だから復讐のために力を蓄え続けようとした。村が大きくなればそれだけ戦力が増加するからね」


「それでも諦められない男はさらに嘘をついた。今度はさっきみたいな軽い嘘じゃない。人が死んでるって、そう言ったんだ」

「そんな……死んでるなんて」

「普通に考えればすぐに嘘だとわかる。けど嘘を限りなく現実に近くすることはその時代でもできた。簡単な話だ」

 馬酔木は青い葉の木の根本を見つめ、憂いの視線を送る。

 二階堂もそれにつられて同箇所を見つめるが、彼女には何があるのかわからない。


「彼が、人を殺して捨てたんだよ」


「どうしてそんなこと、と思うだろうけど、彼らは元から悪人だ。人を殺すことには慣れていただろう。最初に確認しに来た人物を何かしらの方法で殺し、いかにも獣に喰い荒らされたかのように見せた」


「けどね。彼らは殺すことにも慣れていたけど、誰かが死ぬことにも慣れていた。……それだけじゃ止まる理由にはならなかったってことだね」


「男が二人目を殺した時、彼はまた別の死因を作り出していた。それは殺されていた、という状況には見えない、死んでいた、という状況。これは予め村で毒薬でも仕込んでたんだろう。目標が山に入ったのを追って、衰弱したところにさらに毒薬を飲ませた、という方法が考えられる」


「時代が時代だった。毒で殺した後に口元を多少処理するだけでまるでただ倒れているだけのように見える。それを見た他者も流石に驚いていただろうさ」


「そして男はここに来て一つミスを犯した」

「人が死んだからみんなその男の人を信じたんじゃないんですか?」

「信じた、というより、そうかもしれない、という可能性に気付いただけだよ。だから男はその可能性を確信に変えようとしたんだろう」


「それからも似たような死因、あるいは最初と同じように獣に殺されたような、そんな死者が増えていった。けど誰もその重なる死の理由を知らない。当然、山に入ったから死んだのかもしれない、と考える者もいた。けど明確なものがなかった」


「そこで男は山に入ってはいけない理由を作り出した。それが青いイロハモミジ――」

「千年樹……」

 馬酔木の言葉を、先読みした二階堂が紡ぎさらなる疑問を口にする。

「でも千年樹は元々なかったって店長が言ったじゃないですか」

 馬酔木はそれに首肯し、さらなる深みを語り出す。

「二階堂君。今の時代の、私たちからして、呪いとはどういうイメージで捉えられていると思う?」

「ううん……非科学的でありえないって思う人が多いんじゃないんですか」

「そうだね。科学が発展しほとんどの事象が科学で証明できる。しかし、魔術的な事柄は科学での証明ができていない。実際、歴史にはそういったものは多くあるけど、現代でそれを再現できた試しはないし、再現できる時点でそれはトリックがある、つまり科学であると言える。だけど私たちは科学を超えたものを見てきたろう?」

「あ! あやかし、ですね!」

 馬酔木の言葉に納得いった二階堂はさらに気付きを得る。

「もしかして、その男の人は死因をあやかしのせいにしたってことですか? ……どうしてそんな酷い嘘を」

 半年。あやかしという存在を知ってそれだけの月日が流れ、それなりの数を目にしてきた。

 一般に恐れられるものとは異なる。悩んだり、悲しんだり、怒ったり、喜んだり。姿は異型だが、心は人間と同じようにある。

 二階堂は少しだけ親近感のあるそのあやかしの存在を利用したことに憤りを感じた。


「男はあやかしに取り憑かれて青くなったモミジが山に入った人間を何らかの方法で呪い殺していると言ってしまったんだ。そうすればそれを探す者も、山に入ろうとするものもいなくなるはず。そう思って」


「だけど嘘はいずれ()()()()()()だ。短期間での成長が他の村にまで伝わっていたために村に訪れる旅人が増えた。その中には山道を通ってきた者もいてね。村人は疑問に思うのさ」


「試しに集団で山を散策することになって呪いの正体を探し出したんだ。当然、存在しないものだから何日探しても見つからなかった。それに散策した人間は誰一人として欠けていない」


「不思議に思った村人は第一人者である男に意識を向ける。呪いに関するあらゆる発見もその男だ。だけど男はそれを否定しなかった。彼だけは、山を守ろうとするある種の優しさが残っていた人間だからね。手段とはいえ見知った顔を殺してしまった罪悪感からだろう。それまでの嘘を全て白状した。――その熱意を他の者が感じとってくていれば、今頃私たちがここにいることはなかったんだろうけど」

 そう言い残したところで二階堂がそっと手を挙げ声をかける。

「……店長。わたし薄々感じてたんですけど、今この千年樹があるっていうことは、それも嘘のせいってことですよね……?」

 二階堂も馬酔木と出会ってから短くない。彼の話の運び方。その特徴を今の会話にも見出した彼女は結論を推測する。

「店長みたいに()()()()()現実をいじっちゃうヤツですか? つまり、男の人がついてきた嘘が現実になってしまった、ていう」

「意図したかどうかは置いといて、男が言った嘘が現実のものになった、というのは正解だね」


「ただ、問題は何故、嘘が実現したのか」

 馬酔木は先程の二階堂の言葉の意味を解きながら、男のその後を解説し始めた。

「私と同じように、ではないが、男の言葉が現実になったのは彼の強い意志がそうさせたからだ。そしてその強い意志が芽生えたきっかけが、彼の死だった」

「死んでから意思が強くなったんですか?」

「そう。でもただ死んだだけでは言霊は操れない。その死に方、いや、言うなら、殺され方が彼の言葉の霊力を異常なほど高めた」

「もしかして……」

「誰もわかってはくれなかった。男が全てを白状し、それほどの覚悟を見せたにも拘わらず、誰一人として彼の意を酌む者はいなかったんだ。その結果、村人は彼を囲い殴り、刺し、焼いて殺した。そしてその死体をある木に縛り付けた。その木こそが、今も伝わる千年樹の正体だ」

「つまり、男の人の意思がその木に宿ることで嘘が現実になったってことですね」

「実際、現実になったのはそれだけだけどね」

「?」

「そうじゃなければ私たちは今頃呪われ、いや、殺されている頃だろうさ」

「なんか店長のせいでそういうことに慣れてきた自分がいます……」

 本当なら話の途中で逃げ出していたかもしれない情報だが、今の二階堂はどうも鈍くなってきているようだ。

 そんな愚痴を零しながら、過去の状況を想像し辺りを見渡す。

 樹木が何百年と生きるように、千年樹もまた、長い年月を見てきたのだろう。

 今は寂れてしまったこの繁華街の最盛期でもこの山に入る者は少なく、やはりそれもこの残酷な死の直前につかれた一つの嘘が原因だったのかもしれない。

 報われたのか、そうでないのか、正すための嘘をついた男に、二階堂は複雑な思いを抱いた。

「今こうして見ると、やっぱりこの山はすごく豊かな山だと思います。わたしたちがこの山を見ることができるのはその男の人のお陰なのかもしれませんね」

「君は彼を嫌悪しないんだね」

「……複雑ではあります。やり方は酷かったし。でも、元々悪い人だったその人が自然を守ろうとしたのはギャップがあってカッコイイと思います」

「やはり、この依頼は君に任せても良かったのかもしれない」

 そう呟く馬酔木に「何か言いました?」と反応するも、彼の返事はない。

「千年樹が生まれたことによって人々は彼の言葉を信じ始める。そして山に入るものはいなくなった。この話に結論をつけるのならこうだろう」

「なんかやっぱり酷いお話です。……あれ?」

 ことの全容を知った二階堂はある疑問に辿り着く。

 何故自分たちはここに来たのか。その理由に。

「木霊さんの依頼ってなんだったんですか?」

「……ここまで話せば勘の悪い君でもわかると思ったんだけど、まぁ仕方ない」

 むっとする二階堂に呆れを示しつつ、その問いを解く。

「じゃあ、始めるとしよう」


「新たな嘘の追加を」


 =


「この木霊は、流石に君もわかっていると思うが、千年樹に宿るものだよ」

「ま、まぁ? 流れ的にそうですよね? し、知ってましたわよ?」

「そしてその木霊の元となるのが例の男だ。死霊になるはずだったの魂が木霊と共有されている。つまり、この木霊はその男本人だということだね」

「えっ!? わたしすごい恥ずかしいこと本人の前で言ってたんですか!? 早く言ってくださいよ!」

「やっぱりわかっていなかったんだね……」

 馬酔木はまたしても呆れの溜め息を零し、どうどう、と二階堂を宥める。

 一方、それまでただ漂うのみだった木霊がその動きさえ止めた。

 それを見た二階堂はふっ、とその木霊の意志を感じる。

「後悔してるんですね」

「――」

「けど、それ以外方法がなかったから……」

 男は木霊としてこの山の中で千年もの間、見守っていた。霊体となってその年月を長いと感じることはなかったが、違う方法があったのではないかと、自分の行為を疑ってきたのだ。

 あるいは、豊かさを取り戻した山と人間の共存が果たされることになるのであれば、本当の意味を見出せるのではないか。

「君はここ数年、どこを見ていたんだい?」

 唐突にそんなことを質問する馬酔木。

 木霊はその意図がわからないながらもとりあえず答える。

「そうか。それじゃ知らないと思うけど、この山の麓に野苺があったのを私もつい最近知ってね。一つ頂戴したんだがとても美味だったよ」

 やはり理解できない状況に木霊は混乱するが、同時に不思議にも感じられた。

「それ、わたしも食べました。店長がいくつか摘んで店に持ってきてたんで。甘くてとってもジューシーな果汁が溢れましたよ。わたしの新ケーキを考えてる最中です」

「一度それを試食してみたんだけどね。普通の苺よりよく合う。色合いも真っ赤ではない所が見栄えいい」

「でも近くの果物屋さんに買いに行こうとするとあんまり売ってないんです。それでついこの山にあることを言っちゃって」

 てへ、と舌を出す二階堂には申し訳なさを感じない。

「だけどそのおかげで麓に野苺を求めて来る人が増えていてね。もうじきこの辺りまで探しに来るかもしれない。そうすれば他のよく育った山菜を見つけるだろうね」

「店長、情報が古いですよー。果物屋さんには野苺も並んでましたし、スーパーではこの山で採れたっていう蕨が売ってたんです」

「そうなのかい? なら他にもそういうことはあるかもしれないね」

 木霊は疑問に思う。

 依頼を受けたにも関わらずこうも他人事のように客観的で、しかしそこに達観、楽観も兼ね備えているような気がする。

「心配しなくてもいいさ。今の人間は君たちの頃のようにあるだけとろうとは考えないよ」

 馬酔木はかつての木霊、男たちのミスが再来するという可能性を否定した。それは木霊にとって不安の種であり、後悔の原点であった。

「きっとこの山の豊かさは欠けない。君が望む本当の共存が果たされることだろう」

「――」

「ほら。どこかで子供たちが遊んでいるようだ」

 微かに聞こえた声に耳を澄ませる。

 楽しそうな声が聞こえる。


 ――そうか。既に、そういう時代なのか。


「君の役目だ。見守ってあげなさい」

「――」

 少し強く、木々の間を縫った風が地面に敷かれた紅葉を巻き上げた。


 =


「わたし、店長みたいにできる気がしないんですけど」

 掌に紅葉を乗せた二階堂が前向きな溜め息を零しながらそんなことを言った。

 整った山道を下り、夕日に照らされた店の前まで帰ってきた頃だ。

「そうかな。今回君は上手いこと進められた気がするけど。私が知らない情報を出すところは特にね。現実味が帯びられた。報酬ものだよ」

「ほぁ……店長が褒めることってあるんですね」

「減給だね」

「嘘です! 店長はいいですね! 何かが!」

「君は本当に正直だ」

 その言葉に、二階堂は下を向く。

「やっぱこの仕事向いてないです、よね?」

 薄々自認していたが、二階堂は嘘をつくのが苦手だ。簡単なものでさえつこうと思って、考えなければできない。

 嘘つき屋さんとしての役割には不向きな性格だ。

「嘘はいずれ()()()()()()だ。だから、君が必要なんだ」

「よく、わからないです」

「今はそれでいい」

「……そうですね。なるようになりますよね」


 =


「遅いわ!」

 出迎えた存在はその矮躯からは想像もできないほどの声量で叱責した。

「ごめんなさい、ヤナギさん」

「いつもいつも扱いが雑じゃと言うておろう。少しは儂を見ぃ!」

 黒猫ヤナギはその怒りを打つけんと馬酔木の絝を引っ掻き回す。

 その馬酔木はヤナギの首元を摘み上げ、顔の前まで持ってくる。

「すみませんね。でも今日はホラ。高級なヤツありますから」

「足りぬわ!」

「と、言うと思いまして、これも」

 罵声の度に追加品を出す馬酔木はまるでからかっているかのように楽しそうに笑う。

 最終的にはヤナギも落ち着きを戻すが、これはほぼ毎回起きる出来事で、二階堂にとっては日常に紛れてしまったものである。


「はあ。なんか今日も平和ですね」


 =


 今日も今日とて慌ただしい日常が緩やかに過ぎて行った。


 =



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