不安のカタチ
書きかけが残っていて助かりました。
先生が教室を出て行ったあともアタシはぼんやりとみりあの席を見ていた。
だから、
「なに、昨日フったのに気にしてるの?」
と後ろから声をかけられた時、アタシは驚いて座ったまま体が浮いてしまった。
ガタガタガシャン
「あいてて……」
しこたま太ももを机の裏にぶつけてしまった。
だけど一限目前のざわめきのおかげで、アタシの奇行に気付いた人はほとんどいなかった。
「いきなり何を……」
アタシは振り返って声の主に文句を言う。
そこにいたのはぽっちゃりした男子。確か倉崎くんのオタク友達で百合好きな男子だ。
「昨日の放課後、上浜さんが君にフられたの木陰で見てた」
周りに聞こえないような、でもアタシにはちゃんと聞こえる声でぽっちゃり君はズバリ言い放った。
「……のぞき?」
「僕が放課後あの辺で本読んでるって君、知ってるだろ」
「あー、そうだったね。……誰かにしゃべった?」
もちろんそんな話は初耳だ。倉崎くんは教えてくれなかったが、倉崎くんは悪くない。それよりもウワサが広がってると困る……! そう心の中で焦っていると、
「いや? そんなリアル恋愛をしゃべる相手はいないからな」
助かった……。
「それよりも、だ」
悲しいことを言いつつ、ぽっちゃり君はずい!と顔を寄せてきた。近い近い。思わずアタシは引いてしまう。
「僕は百合好きとはいえ、上浜さんと四枝さん、二人のどちらかに告白されたら喜んで付き合ってしまうだろう。まあそんなことはないから言えるんだけど。で、どうして上浜さんをフったんだ? 本人に聞くくらいは良いだろう」
鼻息荒く早口でまくしたててきた。
「あー、えーと」
みりあをフった理由は単純だ。
アタシは倉崎くんではないから。
―――みりあが恋した相手は本来いないから。
でもこんな説明出来るわけない。
アタシが俯いて黙ってるとぽっちゃりくんは続けて
「一昨日も四枝さんが早退したあと、二人で楽しそうにお昼ご飯食べてたじゃないか。君の気持ちが分からない。やっぱり四枝さんのほうが好みなのか?」
「それはないよ」
早口でまくし立てる彼の問いにアタシは顔を上げてすぐに答えた。そして
「今週僕変な感じでしょ?」
そう言って平らな胸に手を当てる。
「まあ確かに。まるで人が変わったかのようだ」
ドンピシャなんだけど教えてあげない。顔にも出さない。
「こんなテンションの僕が受け入れたら、あとあと彼女に申し訳ないなって。……落ち着いたらその時また考えるよ」
「贅沢な奴め」
ホントにね。みりあを振るヤツなんて許せないし贅沢だ。
ここで五分前のチャイムが鳴った。
アタシたちは一限目の授業の準備のため会話を止め、鞄から教科書を取り出した。
「……とまあ、上浜さんと四枝さんは相思相愛だと思うわけだ」
「基本二人とも男子に興味ないからね」
「興味ないどころか、四枝さんは男子を敵視してるぞ」
「そりゃ彼らがからかうからでしょ」
「まあ、あのおっぱいは異次元だから気にしないのは無理だけども」
「……」
お昼休み。
アタシが一人で弁当箱を広げていると、倉崎くんのオタク友達、百合好きのぽっちゃりくんとハダカ小説のほっそりくんの二人がすすす、と音もなくやってきた。
そして一緒に弁当を囲む。
全く気にしてなかったが、普段はこの三人でお昼ご飯を食べているのだろう。
今週は火曜から昨日の木曜まで、ずっと倉崎くんやみりあという女子と一緒に食べていたから、彼らは遠慮していたようだ。
ぽっちゃりくんはみりあの告白の話をおくびにも出さない。
アタシは少し見直した。なのでアタシは胸の話をスルーしてあげている。異次元じゃない、現実なんだ。
「上浜さんは男子興味なさそうかな?」
話を振ってみる。
ちなみにアタシは男子を敵視しているわけじゃない。サルはヒトじゃないから敵だけど。その他の男子には興味がない。
極論、アタシを性的に見なければ問題ないのだ。
ぽっちゃり君はちらり、とアタシを見たけどそれだけだ。何も言わない。
「ないな。いつも四枝さんにべったりだよ」
「今週は珍しく君と話してたけど、いつも四枝さんを気にしているよね」
「四枝さんLOVEだよ。それがいい。リアルで百合はどうかと思ったけどあの二人なら許せる」
「二人とも可愛いもんね。こんなこと本人の目の前では言えないけど」
ほっそりくんごめん、ここに本人がいるんだ。……可愛い? アタシが? みりあは分かるけど、アタシは胸とかそういうところだけでは??
アタシは心に浮かんだ疑問をそれとなく聞いてみる。すると、
「いや、僕は四枝さん凛々しくて良いと思う。まっすぐな性格だ。スポーツも万能だし。胸も大きいし。顔も良いよね、頭は良くないけど」
上げて落とすな。
「スタイルが良いのは当然として、明るいよね。元気で明るくて可愛いと思う。他の女子たちと違って周囲のこと気にしてない感じ」
気にしてますけど? どれだけイヤな視線がこないかどうか、見られないよう気にしてますけど??
「倉崎はどう思うのさ?」
当然自分にも回ってきた。自画自賛するのか? それはさすがに辛い。だから、
「僕にも元気良く挨拶してくれるからいい子だよね」
無難な言葉を口にする。
「いい子、とか。本人に聞かれたら怖いぞ」
怖くないです。
まあ確かに他の男子に『いい子』って言われたらなめられた感じするけど。
あれ、怖いのかな、アタシ?
でもそうか、他の人からはアタシたちこう見られてるのか。
みりあは確かにアタシにべったりだ。
他に仲がよい女子もあまり知らない。まあそれはアタシもそうなんだけど。
女子はつるむ。
とにかくつるむ。
アタシはそれが苦手で他の女子たちとは距離を取っている。別にケンカしているわけでもない。とにかくオンナノコオンナノコしてるのが苦手だ。
みりあもそうだ。そうだと思う。
それでも可愛いんだけど。
……みりあは今頃どうしているんだろうか。
泣いてないといいけど。
五現目は体育。
晴れていたらプールだったんだけど、さすがにこの土砂降りでは無理。
急遽体育館に移動。女子も一緒に移動してきたけど、もちろん合同で体育をするわけじゃない。
「今日はドッジボールをする!」
暑苦しい男の体育教師がそう告げる。
少しザワザワするが、「3チームに分かれろ!」という声に、以前から決まっていたようで男子たちはゆるゆると分かれていく。
え、アタシどのチームだろう?
「倉崎こっち」
スマートなオタク友達君が肩を叩いて教えてくれたので、アタシも移動する。Bチームらしい。
体育館を2つに分けて、講堂側が男子、反対側が女子といういつも通りのエリア分けがされる。
女子も2チームに分かれてドッジボールのようだ。
壁際に座り込む子はそれなりにいる。
「まずAチームとBチームで試合をする」
その声にCチームの男子たちは壁際に移動する。
嫌な視線を感じた。
もちろん性的ないやらしい視線じゃない。アタシを勝手に怨む、一部の女子が送るような、汚い視線。
Cチームのサルたちだった。
もちろん彼らも好き勝手に同じチームになれるわけではないだろうが、ほとんどのサルはCチームにいて、1人だけAチームにいた。
Aチームのサルは1人ではそこまでバカになれないようで、周りの男子と同じように屈伸したり足を伸ばしたりしている。
アタシの存在には気づいているだろうが特に敵意を感じない。
なんだかねー。
「プレイ!」
じゃんけんで勝ったのは相手チームだ。
アタシたちはさっといつでも逃げられるように体勢を整える。
ボールを持った男子が目標も定めず思いっきり投げてきた。
アタシに当たるコースじゃないし、手は届かない。おそらく外野へのパス。
「うわっ!」
と、そんなボールが内野の男子の誰かに当たったらしい。
幸いボールはまだ空中。一番近いのはアタシ。
キャッチ出来れば彼はセーフだ。
「くっ」
スレスレのところをスライディングでキャッチする。
「やるじゃん!」
「ナイス!」
味方の喜色を帯びた声を受けて立ち上がる。
反撃開始。
今度はこちらの番だ!
アタシは取りにくい低い高さのボールを投げる。
相手は慌てて逃げたけど、無情にも残っていた足にボールが当たる。
「おけおけ!」
「くるぞー!」
中学男子の力はすごかった。
女子だとどうしても迫力にかけてしまう。
倉崎くんの体はすごかった。
ボールもラクラクキャッチ出来たし、投げる力もすごかった。
ただ後半、やっぱり足腰の鍛え方が足りないのか、アタシも逃げ切れず当てられてしまった。
試合は惜しくも負けてしまったけど、みんなとても楽しそうだった。
「倉崎やるなぁ!」
「あはは……」
気持ちいい汗をかきながら同時に冷や汗も流れてる感覚に陥る。
また1つ、倉崎くんの知らない『倉崎伝説』を作ってしまった……。
思い通りに動く体があるとどうにも鬱屈した気持ちも考えなきゃいけないことも忘れて暴れてしまう。
「次、BチームとCチームで試合するぞ」
筋肉熱血教師が今し方試合が終わったばかりのBチームを次の試合にかりたてる。
「たんまー!」
「早いわー」
男子たちの声をうけて「ちっ」と舌打ちをする筋肉。
今のうち。
「水飲んできまーす」
そう言って幾人かの男子とともに体育館の外に設置されている水道に向かう。
外は相変わらずの土砂降り。
タオルを首にかけ蛇口から流れる水を横から口に流し込む。そして後ろに立つ男子に場所を譲る。
「倉崎、お前さ」
後ろにいたのはAチームにいたサルだった。
「何?」
「いや……」
何か言い掛けたまま彼はまず水分補給を始めた。
まあ声かけられなければすぐに中に戻っていただろうし。
アタシは黙ってタオルで顔の汗を拭き取る。
「悪ぃ、待たせたな」
「別に。何?」
「お前変わったな」
「それだけ?」
周囲に人はいない。そろそろ戻らないと。彼は次休みだがアタシは試合があるんだ。
「四枝みたいだ」
一瞬。
アタシの感覚は止まった。
「なんでまたそんな」
「なんでだろうな、四枝と倉崎が同時におかしくなったからかな」
「おかしいなんてひどいな」
内面とは裏腹にアタシの声は落ち着いている。
「ま、俺もバカな考えだとは思う。倉崎ぃ?」
「なに?」
「俺とお前は同じ幼稚園からの腐れ縁だからな。今はこうでも、まるで知らない他人を見るような目つき、少しは傷つくんだぜ」
何も言えなかった。この言葉が本当かどうかも分からなかったし、本当だとどこかで思ってしまったから。
彼はそれだけ言うと中に戻っていった。
アタシは土砂降りの雨の音がするここで動くことが出来なかった。
アタシは体育教師に怒鳴られて中へ戻った。
「おいおい遅いじゃないか、倉崎」
「正々堂々勝負しようぜ」
Cチームのサルたちが口々にはやしたてる。
……アタシにとってこいつらはサルでも、倉崎くんにとっては同性のクラスメイトなんだ。
今はこうでも子どもの頃は違った関係だったのかもしれない。
アタシと近所のお兄さんのように。
アタシとお兄さんの関係は壊れてしまったけど、倉崎くんと彼らは。
分からない。
壊していいのか?
アタシの心とみりあはすでに壊れた。みりあは知らないだろうけど。
倉崎くんの心はアタシの体に耐えられない。
アタシの体はアタシしか扱えない。他の誰かだと迷惑がかかる。
同じように倉崎くんの体は、人生は倉崎くんのものだ。
『倉崎伝説』なんて作ってる場合じゃない。
「やってやったぜ!」
「気が晴れた!」
Cチームの面々がアタシを見ながら勝ち誇る。
「倉崎大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫……てて」
アタシはそう言って顔を押さえながら立ち上がる。
最後まで残ったアタシは前後左右から集中放火で狙われ、動き回りまくって足が止まったところを顔面にボールをぶつけられていた。
「負けちゃったね、ごめん」
「いや倉崎のせいじゃないから」
「俺たちが内野に戻れなかったからな」
アタシたちは次の試合のためにコートから出て壁際で観戦体制に入る。
これで良かったのかな。
別に手は抜いていない。
ただ目立つ行動を控えて避けることに徹しただけ。
倉崎くんだって避けるくらいはさすがにするだろう……するよね?
「ほら倉崎、女子だよ」
ほっそりくんの指さす先にはハーフパンツ姿の女子たちがキャッキャと緩やかにドッジボールをしていた。
「目の保養だよねぇ」
「普段男女別々だからな、今のうちに目に焼き付けとかないと」
どうやらBチームの面々はすっかりふぬけになっていた。
アタシが女のまま、アタシに向けてくるいやらしい視線はガンとして受け付けなかったが、今のアタシは男だ。彼らを止める権利はない。
あそこにみりあがいなかっただけでも良かったと思おう。
アタシは女子の方は見るともなしに、ただ上の空で土砂降りの雨の音を聞いていた。