倉崎くんの憂鬱
「圭織は早退したよ」
着替えて教室に戻ったアタシにみりあは申し訳なさそうにそう告げた。
「そうなんだ」
「うん」
プールのことを深刻に考えすぎて本当に体調崩しちゃったのか……。
倉崎くんちょっと情けないぞ?
「圭織いないけどお昼一緒してもいい?」
「もちろん!」
うちの学校はプールのあとお昼休みになっている。
みりあからのお誘いにアタシは暗くならないよう出来るだけ笑顔で応える。
「……ッ!!」
みりあがまたおかしな反応をする。
人と会話する時は笑顔で、それが何かおかしいのだろうか?
ははーん。
「こっちで食べようよ」
普段食べているアタシの机ではなく、今アタシが座っている倉崎くんの机へ、みりあにおいでおいでをする。
「な、なんなんだよー!」
みりあが顔を赤くしながらもアタシの向かい側に座る。
みりあ照れてやんの!!!!
男の笑顔にコロッと騙されてるみりあ可愛すぎる!!!
あんまりいじめるとみりあは怖いのでほどほどにしておこう。
「倉崎くんもホント変わったね?」
お弁当を広げながらみりあが口をとがらせる。
「圭織もおかしいし、倉崎くんもおかしいし、2人とも何か……」
竹輪を加えたままみりあが口ごもる。
アタシも口の中にご飯が入っているので黙って続きを促す。
しばらく無言で2人見つめ合う。あ、みりあが先に目を逸らした。
竹輪を食べ終えたみりあが意を決したように言う。
「2人もしかしてつ、付き合ってる!?」
「ない」
みりあの上擦った言葉にアタシは即座にノーを突きつける。
男女でそういうことにすぐ結びつけるのは本当にどうかと思う。
まあ、入れ替わりと思われないだけマシなんだけど。
「そうかそうか。倉崎くんは圭織に興味ないの?」
みりあが口をモグモグさせながら聞いてくる。
お行儀悪い!けど可愛いなぁ。
アタシに興味ねぇ…。
見た目の話はさすがにセクハラだろう。
アタシ自身倉崎くんに興味がなかったし、入れ替わる前も挨拶程度の会話しかしていない。
向こうもアタシに、外見以外には興味はなかっただろう。
「特に。最近四枝さんが大変そうだから手伝ってるだけだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「本当?」
「ホント」
みりあの追求に頷くアタシ。
こういう時のみりあはとことん追求してくるので流すのが吉だ。
「そっかぁ。そっかそっか」
「?」
「んーん、倉崎くんには関係ないよー」
よく分からないけどみりあが上機嫌だ。
みりあが上機嫌だとアタシも嬉しい。
結局お昼を食べ終わったあともみりあと雑談をしていた。
「倉崎さ、女子と話せるようになったんだね」
お昼休みが終わる間際、みりあが席を立ったすぐあとにプールの時とは違うほっそりとしたオタクくんが話しかけてきた。
「女子とは恥ずかしくて話できないって前言ってたけど、上浜さんと四枝さんと話できるなら問題ないね」
あー。
普段の倉崎くんのアタシに話しかける態度を見るに、彼は純情可憐な男の子だもんなぁ。
マンガやアニメの女の子の方が好きなんだろうか?
「話しかけられると話せるみたい」
「受け身だなぁ」
「まああまり僕から話しかけないから気にしないで」
「気にする? 何を?」
おや? プールの彼はなんかアタシとみりあのジャマをするなとか言ってたけど、目の前の彼は違うのだろうか?
「さっき四枝さんと上浜さんの間に入るなとかなんとか言われてさ」
アタシの言葉を聞いて合点が言ったように彼は頷く。
「アイツは百合好きって知ってるだろ? その間に挟まる男がジャマで仕方ないんだよ。まあホントに挟まる男がいるなんて僕たちも全然思ってなかったから、アイツもそれ言えて良かったんじゃないか? まあ気にしなくていいよ」
ほ、ほう?
百合って言葉は聞いたことがある。女の子同士の恋愛だっけか。
男の子同士のBLって言葉も聞いたことがあるぞ。でもアタシの知識ではマンガとかアニメで使う言葉だとばかり思ってたんだけどな。
…アタシとみりあが? 笑わせてくれる。
友情と恋愛が区別出来ないからダメなんだ。そう言ってあげたかったけど、夢を壊すのはやめておいた。あのサル共と違ってこの人たちは自分たちだけで楽しんでいるんだから。
「それも含めて気をつけるよ」
だからアタシはそう言って前を指さした。
次の授業の先生が教卓に着いて腕時計を見ている。もうすぐ授業が始まる。
「楽しい学校生活を過ごそうな」
そう言って彼は自分の席に戻っていった。
悪くない友達だな。
アタシは教科書とノートを取り出しながらそう思った。
『体調はどう?』
放課後。
アタシは校門を出てすぐSNSで倉崎くんにメッセージを入れた。
家に帰って寝ているかもしれないので、すぐにメッセージは返ってこないだろうと期待せずスマホをポケットにしまい、バス停に向かう。
今日はどうだったろう。
朝は不思議な女の子と二日連続で出会った。明日も会う気がする。
サル共は大人しかった。次からんできたらまずキックだな。
倉崎くんのオタク友達は、悪い奴らじゃないと思う。ただ心構えがない肌色は勘弁してほしい。
倉崎くんはダウンしてしまった。男の子は繊細だ。…アタシの体も繊細だった。
男になってからのプールは楽しかった。力強くてジャマな肉もなくて速かった。
みりあは可愛い。
そういえば、この体でみりあとあんまり親密になると倉崎くんにみりあを取られてしまうことになるかもしれない。
それは許せないかなぁ。
交友関係の狭いアタシにとってみりあは貴重な親友だし。
難しいなぁ。
そもそもいつまでこの入れ替わりは続くんだろう……。
帰りのバスではあの女の子と出会うことはなかった。
『居場所がない』
家に帰り着いてスマホを取り出してみると、倉崎くんからのメッセージを受信していた。
『アタシの部屋じゃダメ?』
『ここは僕の部屋じゃないし、家に帰りたい』
これは……ホームシック!?
入れ替わってまだ二日目。
ちょっと早くない? ……いや、小学校の頃倶楽部で二泊三日の合宿に行った時、一日目の夜にホームシックになって泣いてた子もいるから、そういうものなのかもしれない。
アタシは全然そんな気持ちになったことがないけど、そうなる子がいることは分かっているつもり。
倉崎くんは男の割に入れ替わってからメソメソしているけど、アタシが男っぽいように彼は女っぽいだけだろう。
まあ気持ちが不安定になっているのは本当だと思うけど。
どうしたらいい?
どうしたら……。
『こっちに遊びに来る?』
こっちというのは倉崎くんの家だ。彼の本当の家だ。
それなら彼も元気になるだろう。
……アタシが倉崎くんの家におじゃますることになるので、あとあと周囲の声が面倒だけど背に腹は変えられない。
『動けない』
が倉崎くんから返ってきた返信はシンプルなものだった。
そりゃそうか。
体調不良で早退しているんだから動けるわけないか。
『お母さんいない?』
『お婆さんの病院に出掛けてる』
ここに連れてこれそうなお母さんの所在を聞いてみたけど、今日もお見舞いらしい。
もう一週間ずっとじゃなかろうか。
『おばあちゃんの具合聞いてる?』
つい聞いてしまう。
倉崎くんも心配だけどおばあちゃんだって心配だ。
本当なら明後日にはアタシもお見舞いに行く予定だった。
『おばさんからあんまり良い話は聞かないね』
心配が的中してしまう。
今すぐ会いに行きたい。
会っておばあちゃんを元気づけてあげたい。
でも今のアタシは倉崎くんだから、四枝圭織さんの祖母のお見舞いに行く口実なんてない。
同じように今の倉崎くんはアタシだから、倉崎悠介くんの家に行くのは容易ではない。
『僕たちこれからどうなるんだろう』
倉崎くんからのメッセージが悲しく感じる。
アタシにも分からないから返信出来ない。
『どうしたら元に戻れるんだろう』
これもアタシには分からない。
ただ……これなら……もしかしたら…
『あのね』
文字を打つアタシの指がかすかに震える。
『関係ないかもなんだけど』
あの夜見た流れ星。
それにかけたアタシの願い。
『実は』
倉崎くんからの返信はない。
アタシは長い文章を打ち始めた。
アタシの書き込む文字だけが画面を埋めていく。
言葉にすればほんの少し、だけど書いている間はとても長い時間が過ぎているようで。
『……その翌日に、アタシたちは入れ替わってた』
最後まで書き終わって、でも送信をタップ出来ない。
普段の倉崎くんなら一笑に付すだろう話を、追い込まれている状態で聞いた時彼はどうするのか。
倉崎くんからは何もない。
実は、の書き込みから彼はじっとアタシの言葉を待っている。
……。
ええい!
アタシが弱気になってどうする!
こういう時は男が頼りにならないと!
送信を押す。
あっという間にアタシの書いた文章が倉崎くんに共有される。
既読の表示はすぐに付いた。
すぐに返信は来ない。
その間アタシはスマホの画面をじっと見つめていた。
じりじりとした時間が流れる。
部屋の壁掛け時計の秒針の音でさえ大きく聞こえる。




