決意
アタシとおばあちゃんだけになった病室。
強い雨が窓ガラスを叩く音がやけに響く。
まだ18時にもなっていないというのに外は真っ暗。
「だけど今夜が本当にギリギリだね」
外を見ていたアタシに声をかけると、おばあちゃんはゆっくりとベッドに体を倒そうとする。アタシはすぐに近づくと、おばあちゃんの体に手を添えて横になる手伝いをした。
「今夜かあ……」
アタシはつぶやく。
今週は何もかもが急すぎる。
体が男の子と入れ替わって親友に告白されて。
でもそれも今夜で終わりだ。
「悔いがないようにね、圭織」
悔い。
おばあちゃんのその言葉はアタシの胸にトゲとなって刺さった。
「君は……」
アタシが病室から出ると、そこにお父さんがやってきた。そして声をかけて―――
「すみませんでした」
そんなお父さんの言葉を遮ってアタシは頭を下げる。
「僕が彼氏というのは嘘です、圭織さんなりのおばあさんへの励ましです。皆さんを驚かせてしまってすみませんでした」
このままアタシの家族にアタシの彼氏が倉崎くんだと思い込まれては、倉崎くんもたまったものではないだろう。
……そもそも倉崎くんにはバスの女の子がいるんだし。
「そうだったか……君にはすまないことをしたね」
あ、今明らかにほっとした。家族だから分かる。
いきなり現れた娘の彼氏とかいう男に警戒していたんだろう。
しかもその彼氏がお姉ちゃんのじゃなくまだ中学生のアタシの、だもんね。
「あの子は行動力が取り柄でな。周囲を巻き込まなければ可愛いものなんだが……、君の名前を聞いても?」
「倉崎です。倉崎悠介です」
……言いたいことはあったけど聞かれたことだけ答えた。
明日になれば元に戻ってなんでも言えるんだから。
「落ち着いたら君には改めてお礼させてほしい。君たちのおかげで母が目を覚ましてくれた。ありがとう」
「圭織さんのおかげですよ、それでは」
アタシはそう言ってもう一度頭を下げると、お父さんの横を通り過ぎてエレベーターに続く廊下を歩き出した。
「はー、おばあちゃんがそんなことをねぇ」
1階の待合室。
そこで落ち合ったお姉ちゃんにおばあちゃんとの話を小声でかいつまんで話した。
「彼はお父さんが私の車に乗せたみたい。お父さんたちは今夜は病院で私たちは家でお留守番」
「うん」
「だから今夜はあんたが家に来ても大丈夫ね。まあ彼のご両親への説明は考えないとだけど」
「うん」
「……元に戻れるみたいで良かったわね」
「うん」
「ねえ」
アタシが顔を上げると、お姉ちゃんがじとっとした視線をアタシにむけていた。
「どうしたのあんた」
「どうしたというか……」
アタシの曖昧な返事にお姉ちゃんの眉がぴくりと動く。
「え、あんたまさかこの期におよんでまだ男の体がいいとか戻りたくないとか思ってるんじゃ……」
「うーん……わかんない」
アタシが素直な気持ちを白状すると、お姉ちゃんはがっくりと肩を落として両手で頭を抱えた。
「自分がどうしたいのかわかんないのか……あんたバカだからねぇ」
何をいまさら。
そんなため息をついて、しみじみと言わないで。
それに男の体だけが目当てってわけじゃない。 ……そりゃまだサッカーとかしてみたかったし、この身体能力をもっともっと堪能したかったけれども、それだけじゃない。
「ここじゃなんだから車で話そうか、彼も交えて話そ」
また悩み込んだアタシを見て、お姉ちゃんはアタシの背中をぽんぽんと叩いて言った。
「僕は早く元に戻りたいよ」
アタシたちがお姉ちゃんの車に戻ると、すでに目を覚ましていた倉崎くんの答えは明確だった。
それでも顔は青いままだし、ぐったりした様子で後部座席に座ってストールをお腹にかけている。
すでに倉崎くんには、倉崎くんが女の子として男のアタシに抱かれなくてていいんだよ、はだかで抱き合うだけでいいんだよ、と伝えてある。
そう伝えた上での即答だった。
「四枝さんの体がイヤってわけじゃなくて、このままだと自分が誰だか分からなくなりそうで怖いんだ。僕も家に帰りたいし、四枝さんだって家族にちゃんと会いたいでしょ?」
「うん、そうだよね。でも今すぐ戻るとみりあが……」
「ああ……今のままだと僕は上浜さんを振ってる状態なんだね、でも四枝さんと上浜さんの仲は問題ないんじゃないかな? 元々僕と上浜さんはそこまで仲が良いわけじゃないんだから」
倉崎くんは自分とみりあとの関係がぎくしゃくするのは飲み込んでくれるのだろう。
「ええとね」
「好きだった男と仲が良い圭織、振られたみりあちゃん、少しはぎくしゃくするかもだけどあんたとみりあちゃんの絆はそんなものじゃ壊れないでしょ」
アタシとみりあが深い付き合いなのを知ってるお姉ちゃんはそう言う。
二人の言ってることはわかる。
ただ。
この入れ替わりの間に芽生えたみりあへの気持ち。
倉崎くんの体のときは告白を受け入れるわけにはいかなかった。
だってこの体はアタシのものじゃない。
この体で告白を受け入れたら、みりあと付き合うのは倉崎くんだ。
アタシはみりあが好き。
これは間違いないんだけど、お姉ちゃんや倉崎くんが考えているのとはたぶん違うと思う。
でもこれが男女間の『好き』とどう違うのか、バカなアタシには説明出来る自信がない。
でも、それでも、何か言わなきゃいけない。
言わなきゃアタシの気持ちは誰にも伝わらない。
あの日アタシに勇気を振り絞って告白してくれたみりあのように。
アタシはバカだからただひたすらに一歩一歩進んでいくしかないのだ。
拍手喝采されるような華麗なプレイじゃない、ただの体当たり。
「お姉ちゃん、倉崎くん、アタシしたいことがあるの」
覚悟を決めたアタシの言葉に何かを察したお姉ちゃんと倉崎くんが黙って顔を見合わせる。
「そのしたいことであんたが体を元に戻すことに納得できるんなら、聞かないわけにはいかないじゃない」
はあ、とわざとらしくため息をついてお姉ちゃんがアタシの頭を乱暴に撫でる。
「僕の体で変なことしなければいいよ」
倉崎くんが釘を刺してくるが、たぶん、きっと、大丈夫。
そしてアタシはしたいことを2人に告げる。
「強情というかなんというか」
車を発進させたお姉ちゃんが首をひねりながら言う。
「そうかもしれない。倉崎くんの姿したアタシにはみりあは会ってくれないかもしれない」
「でも会わなきゃいけない」
「僕は少し恥ずかしいけど反対しないよ。四枝さんと上浜さんの仲を取り持つことに少しでもお役に立てれば」
倉崎くんはそう言うと大きなため息を着いた後、後部座席で横になった。
その痛みからももうすぐ解放するからね。
「じゃあお姉ちゃんお願い」
どれくらい経っただろう。
アタシはすでに車の中で、自分の携帯を使ってみりあにメールを打っていた。
倉崎くんの帰宅が遅いことについては、お姉ちゃんが彼のご両親に説明していた。
なんて説明したかって?
『うちの祖母を元気づけるために倉崎くんが妹の彼氏を演じてくれまして。……はい、はい。無事目を覚ましてくれましたので、倉崎くんにはぜひご馳走したいとうちの両親が。はい』
『最近仲良くなってて、何か力になれないかと思って……、え? ちゃんとした話はまた家に帰ってから話すから、まずは落ち着いて!?』
……一難去ってまた一難。
今度は倉崎くんのご両親に誤解されてしまった。
これも元に戻ったらアタシがしっかり説明しないと。
倉崎くんには何故か『これ以上話をややこしくしなくていいよ!』と言われたけど。でもアタシが責任取らないとだよね。
そして今。
アタシは久々の我が家に倉崎くんの姿で帰ってきていた。
居間のソファには倉崎くんが車の中と同じ姿で横になっている。
アタシはその横に座り、黙って彼のお腹をさすっている。
「もうすぐ元に戻ってその痛みから解放するからね、ありがとうね」
「僕これから女の子には優しくできそうだよ」
青い顔をしながら倉崎くんが言う。
女の子の辛さを体感している男の子。
これはもしかしなくてもめちゃくちゃモテるのではないだろうか。
雨が窓を打ち付ける音が響くだけの、静かな時間が過ぎていく。
「!」
アタシは雨音の中でかすかなブレーキ音を聞いた。
お姉ちゃんが帰ってきた。
アタシの心臓が急にドキドキしだす。これはアタシが決めたこと。元に戻ってからじゃ遅い、今しなきゃいけないこと。
と、アタシの手に小さな手が置かれる。
「いよいよなんだね。頑張って、四枝さん」
「ありがとう倉崎くん。うん、頑張る」
玄関に近付く気配は二人分。
お姉ちゃんは無事連れてきてくれたらしい。
そして玄関のドアが開かれる。
「ただいまー……って何事!?」
「倉崎くん……!?」
お姉ちゃんとみりあ、二人が息を飲む様子が見なくてもわかった。
だって……。
アタシと倉崎くんは二人並んで玄関に正座していたのだから。