8節 夕陽に照らされた髪は輪郭だけ茶色く透けて
8節 夕陽に照らされた髪は輪郭だけ茶色く透けて
次の日、私と結城君は生徒会長に呼び出された。
呼び出されたというと、何だか悪いことをしたみたいに聞こえるけれど、実のところは、“何でも係”という新規の役職をどう扱うべきか伊集院会長も困っているみたいだった。
当然だと思う。だって私も少なからず困っているのだから。肝心の結城君は全然困っていないみたいだけれど。
放課後になってから、結城君と連れ立って生徒会室を訪れる。
扉を開けると中に四谷君が居て、「会長なら生徒会長室に居りますぞ」と言って教室の角を指差した。見ると、確かに扉があって、扉の上には「生徒会長室」と書かれた表札のようなものが掛かっていた。
結城君は四谷君の横を通り過ぎる時に「ありがとう」と声を掛けてから、生徒会長室の扉を入っていく。そして少し遅れて私が入っていくまで、扉をおさえておいてくれた。そしてすれ違いざまにニコッと微笑むと、音をたてずに扉を閉めた。
「マ~ベラス!!!!」
大きな声に驚いて振り返ると、大きな机の向こうで伊集院会長が両手を上に上げて目を限界まで見開いていた。
不思議な部屋の造りだな、と思った。廊下から生徒会室に入って、一番奥の窓際右手を入ると生徒会長室。そして生徒会長室を入って右手の奥が会長の机。そこに座る伊集院会長の背後には壁を挟んで廊下があるはずなのだけれど、本来あるはずの出入口がないのだ。だからきっと、生徒会室に入ったことのない生徒は、その壁の向こうに生徒会長室があることに気が付かない。何か意味のある造りなのだろうか。
「君という人間が全て理解できた!完全に承知した!そう、君がただこの部屋へと入ってきただけでね!そしてそれは私の分析力が極めて優れているからではなく、君の振る舞いというものが極めて雄弁であるからに他ならない!マーベラス!結城マーベラス司君!」
「お時間を頂戴して恐縮です」
「逆だよ。こちらこそ呼びつける形になってしまって申し訳なかった。しかし何事にも手順というものがある。どんなに優れた職人であっても、手順無しに靴を完成させることはできない。君は靴が好きかね?」
「好きですが、靴が僕をどう思っているかは分かりません」
「しかし愛することだよ結城君。君が愛せば、靴も君を愛するようになる」
「肝に銘じます」
「我々は鞄がなくとも生きていける。しかし靴がなくては生きていけない」
「おっしゃる通りです」
「君は頭が良い。助かる。気を遣わなくて良い。過剰に振る舞う必要がない。皆が君や四谷君のようであったのならと思わざるを得ない。しかしそれは間違った考え方だ。そのような考え方は生徒会長として相応しくない。生徒会長として相応しくないと私は思うことができる。できてしまうのだ。だから私は生徒会長などをやらされている。伊集院照光は生徒会長になるために生まれてきた人間だと皆は言う。しかし本当は違う。私は最も生徒会長に縁遠い人間なのだ。遠ければ遠いほど、本質は同化していく。そしていつしか概念としての見分けがこれっぽちもつかなくなるのだ」
そう言って伊集院会長は、細く息を吐いた。いつ見ても生命力に満ち、輝くようなオーラを纏っているはずなのに、今は何だか疲れているように見えた。私には会長と結城君の会話の要点が掴めなかったけれど、会長が結城君を気に入ったのだろうということは分かった。そして会長は気に入った人間の前でしか、ため息さえつけないのだろうと思った。
「それで美園一花君は、結城君のサポート役として“何でも係”になることに異論はないんだね?」
「はい、がんばってみます」
「一応、風紀委員と兼任ということになるが、まあ問題ないだろう。13の役割を兼任している四谷君に比べれば何ということはない」
そんなに兼任していたんだと、四谷君の多忙ぶりに合点がいく。
「結城君、君は“何でも係”としてそんな四谷君の仕事を手伝うべきだと思うかね?」
「いいえ、思いません」
「どうして?」
「彼が手助けを必要としていないからです」
「美園君はどう思うかね?」
どう思うかと尋ねられても、私には分からなかった。そういえば四谷君って、好きであんなにたくさんの仕事をしているのかな?それとも進学や就職のため?改めて考えてみると、私は四谷君のことを何にも知らなかった。
「私には良く分からないので、四谷君に話を聞いてみてから、また考えます」
そう答えるしかなかった。しかし会長は「それで良い」と言った。
「君たち2人は良いパートナーになれる。“何でも係”は新設の役職なのだから、何をするのかも何ができるのかも君たち2人で決めていけば良い。係とはいえ活動はクラス内に限定されないだろう。そういった意味では委員会活動に近いが、組織が体系化されている訳ではないからやはり委員会ではない。委員会でない以上、活動費を含め予算は一切出ない。その代わりに自由だ。“やらねばならぬ”仕事は無い。いつやっても良いし、いつまでもやらなくたって良い。君たちにできる範囲で好きにやると良い。何か質問は?」
「ひとつだけ」と結城君が言った。
「この学園が生徒に役割を与える理由は何ですか?」
結城君の問いに対して、会長は「そうだ、君はそれに気が付く人間だ」と言って微笑む。
しばらく待ってもそれ以上の言葉は続かなかったので、私たちはお礼を言って会長室を後にする。
でも扉を開けて生徒会長室を出ると、目の前には2-10の教室が広がっていた。慌てて振り返っても、そこには廊下があるだけで、会長室は消えている。
「僕たちが思っているよりも、生徒会長って重要なポストみたいだね」と結城君が言った。「セキュリティーは万全って訳だ。彼、会長特権とやらで授業には出ていないらしいよ。だから彼のクラス、3-10に行っても彼には会えない。かと言って生徒会室に行っても、会長室の入口は普段あそこにはないんだろうね。考えてみると、四谷君って…」
「待って!どうして2-10の教室に出るの?私たち、さっきまでクラブハウスに居たのに」
混乱した頭のままで何とか絞り出した私の質問に、結城君は何てことはない風な顏で、でも少しだけゆっくりとした口調で答えてくれる。
「色々な可能性が考えられるよ。例えば僕たちが勘違いしていただけで、最初からこの教室の前の廊下で会長と立ち話をしていただけかもしれない。あるいは、会長室の扉にはワープ装置みたいなものがついているのかもしれない。もしくは先ほどまでの会長とのやり取りは、すべて僕らの頭の中で起きていたことなのかもしれない。でもラッキーだな。手間が省けた」
結城君は「でしょ?」という顔をしてから窓際まで歩いて、私の席に窓を背にして座った。それは、「今後の方針だけでも決めてから帰ろうか」という座り方だった。私は代わりに、列から後ろにひとつだけ不自然にはみ出した結城君の席に座った。
「私が一番後ろの席が好きだったって、知ってたの?」と尋ねると、結城君は「せめて放課後くらいはね」と言って少し困ったように笑った。結城君の困った顔を見るのは初めてだった。
「結城君って変。ワープしても驚かないし、係を押しつけられても困らないのに」
「そう?結構驚いたつもりだったんだけど」
「嘘だ。嘘つきの顔してる」
「そう?」
「ううん、嘘つきの顔なんて本当は知らない」
「本当のホントは知ってるって顔してる」
「もう!何の話?これ」
私が始めたのだけれど。
その後、これからどうするかを話し合った。
結論として、もし“何でも係”が無償で何でもお手伝いします、と言ったら何をして欲しいかを、まずはクラス内でアンケート調査してみようということになった。
山縣先生に連絡してみたら、「面倒くさいから全部四谷に任せる」とのことだったので、四谷君に連絡して実施の許可だけもらい、後は全て自分たちでやることにした。とは言っても、やることなんてタブレットでアンケートを作ってクラスメイトにメッセージを送信するだけだった。
それでも結局、教室を出る頃には夕暮れ空が無遠慮に顔をのぞかせていた。
夕陽に照らされた結城君の黒い髪は、輪郭だけ茶色く透けて見えた。
「綺麗な髪」って私が言ったら、結城君はいよいよ呆れた顔をした。