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11節 非常に良く喋る美少女、天才の食欲と凡人の憂鬱

11節 非常に良く喋る美少女、天才の食欲と凡人の憂鬱


 「ま、まあお、おお落ち着いて、ド、ドーナツでも召し上がったら…?」

 美しく輝く碧色の眼に涙をいっぱいに溜めた笑顔で、美少女はそう促す。

 計介は目の前のトレーに置かれた2つのドーナツに目をやったが、これ以上ないくらいの桃色の悪意に満ちた物体Xを進んで摂取する気にはなれなかった。

 色々な意味を込めて、ミルクシェイクのグラスをトレーの上に置くついでにグラスの底でドーナツを完膚なきまでに叩き潰して見せる。結構な音が鳴ったので、店内にいた客54名の内、13名が計介の方に視線を向けたが、そんなことで怯む計介ではなかった。計介の精神に深い傷を負わせたのは、どちらかといえば、グラスを握っていた右手を存分に濡らしてくれたミルクシェイクの方であった。人間は、自業自得が一番つらい。

 仕方がないので、一切濡れなかったことにして腕を組む。お気に入りのジャケットを一着失う代わりに、計介はこの世で最も大切なものを死守したのである。

 「目的は最初から俺か?」

 計介の問いに、美少女は頷いて応える。

 「だったら普通に連絡して来れば良かっただろ…」

 計介は従来の3倍の音量でため息をついて、右手で頭を掻いた。あ、濡れてるの忘れてた。あー、濡れてるの忘れてたなー。ジャケットに多少吸われてるけどまだ全然ベタベタしてるー。

 「だったら普通に連絡してくれば良かっただろ…」

 今更言い直したところでどうなるものでもなかったが、もしかしたら無かったことにできるかもしれないという一縷の望みに賭けてみるしかなかった。

 美少女は少し考えてから、トレーの上の紙ナプキンを手に取り、それにグラスの水を少し垂らして計介に差し出した。

 計介は黙ってそれを受け取り、サッと髪を拭うと、クシャッと丸めて後方に投げ捨てた。その紙ナプキンは後方のシートで初デートを楽しんでいたカップルの注文したパンケーキの上に着地したが、その後のカップルの動向は本編とは一切の関係がないのでここでは割愛させて頂く。

 「さて、色々と説明してもらおうか」

「ドライブしたい」

 美少女はそう言って立ち上がると、計介の返答を待たずにスタスタと歩いて行ってしまう。手にはテイクアウト用の紙箱が握られていた。

 計介は“やれやれ…”の精神で怒りを鎮めて立ち上がり、BMIを通じて送迎の指示を出してからトイレでゆっくりと手を洗い、レジで素早く会計をし、念のためもう一度トイレに行ってゆっくりと用を足してから店を出た頃には、店の前に横付けされた愛車の助手席には既に美少女がすっぽりと収まっていた。

 計介が運転席に乗り込むと、美少女は「新都心エリアを適当に回ってから北部に抜けて、そこから東部、湾岸エリアの順に」と言って紙箱を開け、ドーナツを食べ始めた。

 はっきり言って車の中でドーナツを食われるのは我慢ならなかったが、もしこぼしたらこいつ自身に掃除させようという所で折り合いをつけ、黙って発車した。

 走り始めてからも美少女は黙々とドーナツを頬張っていたが、途中で飲み物の存在に思い当たったらしい。しかしこれ以上のワガママは得策でないと判断したのか、鼻で溜息をつき、再びドーナツに齧りついた。視線、呼吸、表情。黙っているのに煩い奴だ、と計介は思った。

 「ドライブが好きなのか?」

 交差点を左折しながら尋ねてみる。

 「車に乗ったのは初めてだ」

 美少女はドーナツを頬張りながら答える。

 「そもそも私は生まれてこのかた家から出たことがなかった。親父が過保護過ぎるんでな、私を表に出したり不用意に人に会わせることを嫌がった。だから学校に行ったこともない。当然の帰結として友だちもいない。とても年上の知り合いは何人かいるけどな。電車やバスに乗ったこともない。ドーナツは2日前に初めて食べた。それから毎日食ってる。めっちゃウマイ。私は今、猛烈に感動している。車にも初めて乗った。閉鎖空間、身体距離、室内装飾、景色、運転する異性の姿、それを横から覗くような感覚、うん、悪くないな。きっと相手が極めて好ましい相手ならタマラナイのだろうが、それはまあ置いておいて、時に計介、お前の外見が年齢に比べて大分年を取って見えるのは自覚しているのか?ああ、そうなんだな。それはたぶん外見だけじゃなくて中身もだから気をつけた方が良いと思うが、私としてはもっと突き抜けちゃった方が面白いと思ってプレゼントを用意してあるんだが、まあそれも置いておくとして、そもそも計介のことを知ったのはお前が人工アカシックレコードを開発してそれが政府にバレた時なんだが、そう4年前だな、それ以来私はずっとお前に興味を持ってたんだよ。だって私と同じこと考えてる人間が他にも居るなんてその時は思ってなかったしまだ私も12歳だったし子どもだったしなぁ。人工アカシックレコード、名前ダサイよなぁ誰が考えたんだっけ?鈴木のおじさんだっけ?あの人頭良いけど基本キモオタだからネーミングセンスないよなぁ、なんてことはどうでも良いんだが、当時私も理論的には可能だろうと思っていたしその気にさえなれば同じものを造れたんだが、何より驚いたのは実際に完成させたのがただの高校生で、しかも有り合せのジャンク品を組み合わせて造ったっていうのだから感心したよ。私にも造れるだろうと思ったのは私にはその環境があるからで、必要な材料も道具もほら、言えば全部手に入るからさ、出来ちゃうワケで、それを高校生が学校の空き教室で造っちゃったというのが面白かったなぁ。東都には面白い人間が何人かいるのだけれど、それでもお前ほど面白い人間は他にいないと思ったよ当時は。それから気の向くままに観察していたんだ。筋金入りのストーカー気質というやつだな。そしたらさらに驚いた。時宮計介という男には主体性のカケラもないじゃないかと、さらには野心も好奇心もないときてる。無気力人間のロイヤルストレートフラッシュじゃないかということが分かってな、私はますます興味が湧いたよお前という人間にさ。お前は人工アカシックレコードを造りたくて造ったんじゃなくてたまたま機械イジリをしていたら出来てしまっただけだ。けれども何の因果か国家反逆罪の容疑で政府に連行されてしまったねぇ行き着く先は死刑だ。が、司法取引という道が残されたのは政府がお前の発明品を喉から手が出る程に欲しがったからで、お前はいとも簡単に人工アカシックレコードを政府に明け渡した。そして死ぬまで政府の監視下に置かれなくてはならない身となった。しかしさらに運が良かったのは日比谷のおじさんがお前に興味を持って接触してきたことだよな。そしてお前は国家反逆罪の容疑者から一転、新生日本国における最高峰のスーパーエリート、アクセサになった。それでもお前は無気力だ。いわば旧暦のサラリーマンだ。極めて主人公的な波乱万丈の思春期を過ごしたのにも関わらず、己の置かれた状況に対して無関心を貫き、相手に問われるまま全てに“YES”と答えて今に至るんだな。おいおいどうした!国民のだれもが憧れ、尊敬し、転身を渇望する天下のアクセサだぞ?全然嬉しくなさそうだな、面白いなこいつ、というワケで、初めて見かけたあの日からずっと大好きでした!!!」

 そう言ってドーナツにガブリと齧り付き、麻生瞳は爛々と輝く眼で計介を見つめた。

 計介はイラッときたので右折時に思い切りアクセルを踏み込んで後輪を滑らせる。

 瞳は満面の笑みのまま助手席の窓に後頭部をぶつけ、その衝撃で鼻水を噴射した。

 「なにすんだこのタコ!!!人がせっかく告ってやったのによぉー!!!」

「長いんだよ話が。あと年上をお前呼ばわりするんじゃねえよ。殺すぞタコ」

「じゃあ、計ちゃん♡って呼んで良、あ、嘘ゴメン、そんな目で見ないで」

 車は新都心を一周し、北部に入った。学校や住宅街がメインの落ち着いた雰囲気のある緑豊かなエリアである。計介の母校もこのエリアにあった。

 母校を横目に見ながら、計介は当時のことを再び回想していた。

 「ひとつ訂正するとすれば、俺が造ったのは人工アカシックレコードそのものじゃなく、そのひとつ手前の段階にある試作品のようなものだったってことだ」

「そんなことは分かってるよ。私を誰だと思ってるんだ。おま…、いや計介クンがイジっていたのはあれは運動部かどこかから貰ってきた記録装置だろ?当時は最新の機種だったはずだが」

「ダンス部から」

「そうかダンス部か。そういった使い方もあるんだなぁ要するにあれだな、振付をした人間の動きを記録して、それを2Dでも3Dでも再生できるようにすることはもちろんのこと、いっちょやっちまえばBMIを通じて動きを脳に直接ぶちこんで身体に再現させることができる装置なワケだが、そこまでは既製品では難しいからちょいちょいイジる必要があるはずだがおま…計介クンはそれをやろうとしていたワケか、なるほどな、目の付け所がスパイラルエッヂじゃないか。さすがに私が見込んだ男だ!だから最新機種を好きにイジれたんだな、何て言って口説いたんだ?振付を身体に自動コピーできたら良いと思わんかとか何とか言って騙したんか?あん?」

「不具合を起こしていたんだよ、再生映像にノイズが入る」

「計介クンにならそれくらいの小細工は可能だろう?え?どうだ。吐いちまえよぉ~。自分で小細工して不具合を起こさせて自分で修理を名乗り出たんじゃないのかぁ~!?」

「さあな」

「ほーらやっぱりそうじゃん!私に嘘つこうたってそうはいかないぜ!いや、正確には嘘ではないな、不具合が出たのは真実なワケだから、計介クンは特定の事実を述べなかっただけだな、むむ、さては古典好きか?ニーチェか?」

「カントだ」

「知ったこっちゃないね!承認欲求とやらが外的に存在した時代の学問に興味はないよ」

 瞳は次から次へとドーナツを頬張りながら話し続ける。

 小柄な身体のどこにそんなに物が入る余地があるのかと不思議に思ったが、“甘い物は別腹”という古典の一節を思い出し、今になって妙に納得した。

 「とにかくだ、計介クンは記録装置をちょちょいとイジって再現精度をより正確なものにした上で、対象の人物の過去の行動記録をデータ化したものをドカーン!とくっつけることで記録の“先”まで再現しようとしたワケだな?しかしそのためには当該の記録装置やスマホでは事足りなかったんで“自分の頭”にブッ刺したってワケだ!ヤバイ!興奮してきた!それでこそ計介クン!目の付け所がアイスピックエマージェンシーだぜ!こればっかりは並の研究者にはできない発想だよ並の研究者の脳の容量では確実にショートしてしまうからなぁ!でも計介クンの脳はちょっと特別だったし計介クンはそれを理解していたから自分にならできるという所にすぐ辿りついたんだ一直線に!いや、一直線という表現では足りないな、隣の席に移るように、的な?感じか?合ってる?」

「合ってる」

「計介クンの頭の良さ、それはつまり脳ミソを空っぽにしてデータにとって極めて都合の良い“通り道”になれる能力なワケだが、それに関しては私のそれとは全く属性の異なる天才性であると言って良いと思うな!私の場合は超天才的に最初から全部が“分かる”種類の天才性だが、計介クンは“空っぽ”に成れるというタイプの天才性だ。だから計介クンはデータとの相性が頗る良い。データは計介クンの脳ミソをガンガン駆け回る。そこには障害が何もない。透明な脳ミソだ。だからすごく走りやすい。だから膨大なデータを物凄いスピードで処理できる。一瞬だ、一瞬ですべては完了する。コンピュータを超えた男だ。そんな人間、他には“まだ”いない!私もやってみようかな?できると思う?」

「たぶん」

「できないに決まっているだろ!私を誰だと思っているんだ!最初から全部分かるとさっき言ったでしょ!できないって分かっててちょっと聞いてみたの!聞いてみただけ!女の子なの!!!」

 窓を少しだけ開ける。

 東部下町エリアへ通じる道路は川をひとつ越える。

 計介は川が好きだった。

 眺めている間、頭を空っぽにしてリラックスすることができたから。

 海は嫌いだ。

 だって塩辛いから。

 「とはいえそんな計介クンの頭脳をもってしても未来の完全再現には至らなかった。良い所が73%程度の再現率だったろうと思うが、それを100%に限りなく近づけるためにはやっぱり全人類の行動記録をベースにブチ込むしかないよなぁ!そうだよな、ライブラリだよなやっぱり。気付いてしまったらやらずにはおれんのが我々のような人間なワケで、分かるぞその気持ちは!もしかしたらグレーなんじゃないかというのは自己の勝手な希望的観測にしか過ぎず、実際は真っ黒も真っ黒、ブラックホールブラックよ。でも止められないよなぁ、やればやれるんだもんなー。でもそんな計介クンのことをジャンヌはずーっと見ていた。そりゃあそうだよここは東都、完全なる監視システムによって秩序の保たれた都市。計介クンのことだって、担任の先生のことだって、用務員のおじさんのことだって、お隣の奥さんのことだってジャンヌはいつでもどこでも晴れの日も雨の日も吹雪の日でもちゃーんと見ている。悪いことはできないし“やろう”とも思えない。可能性の内はジャンヌも寛大だが、動機に成り得た時点でもうお縄だ。計介クンはあの時、ライブラリの情報を全部ブッコ抜くことができたしやろうかなと考えてしまったね?そして気付いた時にはブタ箱にブチ込まれていたってワケだ、世紀の大発明を携えてな!あの時の女警部とは今でも仲良さそうだな?」

「仲良かないよ別に」

「ああいうのが好きなのか?美人なお姉さんみたいなのが?私もああいう感じにしようかな?言ってくれたらいつでもやるぞ。スイッチひとつでいつでも変身可能だ」

 それについてはある程度予期していた。

 瞳の外見はジャンヌに酷似し過ぎている。

 金髪、碧眼、薄い唇。

 赤いワンピースからすらりと伸びる四肢は陶磁器のように白い。

 ひとつ違うのは、瞳は16歳らしい幼さを残した容姿であるのに対して、ジャンヌは20代後半といった感じの色気を漂わせている点である。あと服装。

 瞳の能力を鑑みれば、おそらく彼女の容姿は造られたものであろうと予想される。それが誰に対しても一定の容姿を認識させる程度のものなのか、見る人間によって容姿が変化する程の技術であるのかは現在の所不明ではあるのだが。しかしあのようなダンジョンを触覚まで完全に認識させる程のスキルをもった彼女のことだ。計介なんかでは計り知れないような方法でもってその容姿は美しく創造されているのであろう。

 「今のままで構わない」

「それは気に入っているのか投げやりなのかどっちだ」

「気に入ってるよ」

「おーっと!こういう時どんな顔したら良いのか分からないことが最初から分かっていた私だったー!」

「ひとつ質問」

「およ?」

「薄手のワンピース一枚で寒くないのか?」

「いや、実際はウニクロの極薄あったかダウン(秋用)を着てるから大丈夫」

「そうか」

 早く帰りたい。

 「計介クンが捕まって…」

 まだ続くのかこれ。

 車は東部下町エリアに入っていく。

 つい先日、野良猫騒動のあったエリアである。

 「鈴木のおじさんと一緒に初めて試作品をライブラリに接続した時のこと覚えているか?実はあの時こっそり私も参加していたんだよ、男に化けて。覚えてないか?鈴木の助手の佐藤ですって名乗ったんだが?」

「覚えてない」

「でも参加していたんだ、鈴木のおじさんとは仲良しだから私は。お願ぁ~い!って言えばOKなんだ。言い方が大事でな?お願いー!じゃダメなんだ。お願ぁ~い!が正解なんだよ。何となく分かるだろう?さてその後のことは良く良く分かっているよ一緒に居たんだからな。ライブラリとの同期のお陰で人工アカシックレコードは完成し、我々は人間の未来の行動可能性を100%予測することができるようになった。しかしながら時間の経過に伴ってそのパーセンテージは低下していくことが分かったというかそんなの当たり前だよな?そこで計介クンの脳ミソだったらどこまで行けるかってんで実験した結果、60秒先までは100%の再現率があることが分かった。これは発見だったな、やってみくちゃ分からなかった。が問題はその後で、10名のアクセサを被験者に設定して同じ実験を行った結果、最も成績の良かった者でも19秒先までしか100%の再現率を保てなった。しかも極めて高いレベルの集中力が要求される上に、消耗も激しかった。残念ながら廃人同然になってしまったアクセサもいた。これは困った。いや、もちろん素晴らしい発明品なことに間違いはないのだけれども、人工アカシックレコードは計介クンの脳ミソがあって初めてそれなりに機能する代物であったワケだ。だから計介クンにはその時に造った“オリジナル”がそのまま贈呈され、他のアクセサには鈴木のおじさんが組み上げたブリッジを噛ませた改良品が配布されたワケだな。それでも秒数を伸ばすことはできなかったが、脳への負担はかなり軽減することができた。もちろん私がブリッジを組めば千年先まで見通せるようになるがそんな良い物をそこいらのアクセサ程度に配布するんじゃ面白くもないし正直面倒だ。私は気に入った人間にしか贈り物はしない主義なんだよ昔からな。そんなワケで今日は計介クンにプレゼントを持ってきたって話はさっきしたな?でも結構ファンキーな代物だから贈呈は後にして、とりあえず概要を説明しようと思うんだが」

「聞きたくないね」

「そういった意見もあるが、おっとちょっと待てよ、計介クンのマンションの前にもう警察が来てるんでそれで試運転と洒落込もうじゃないか」

 そう言って瞳はどういう方法だか全く不明な方法で計介のBMIにしか反応しないはずの車を無理やり自動走行モードに変更すると、計介の顔を両手で挟んで自身の方を向かせた。

 「瞳ちゃんのぉ~、“目ヂカラ”はつどーう!!!」

 謎の掛け声と共に瞳の両眼が真っ赤に光る。

 その光を見た瞬間、膨大なデータが視神経を通じて計介の脳内に雪崩れ込んで来るような感覚があった。

 極めて複雑なプログラム一式的な何かがブチ込まれたようでもあった。

 それは計介の容量をもってしても眩暈を覚えるレベルの灼熱のデータ量であった。

 しかしそれは良質な激辛料理のように、カッと来てサーッと引いていった。

 ただのデータではないという直感だけが鮮明に知覚された。

 16年分の監視カメラの映像をただただ受信した時とは明らかに感覚が違う。ブラックアウトもしない。

 にしては、何かが変わった風でもなかった。

 のに、車はいつの間にか湾岸エリアを走っていた。

 時間にすれば、“目ヂカラ”とやらが発動してからおおよそ20分が経過していたらしい。

 ふと助手席を見れば、瞳はニヤニヤしながらドーナツを齧り、「ひぃー、ふー、みー、きす、みー、ふぉろ、みー」などと呟いている。

 「などなどなど…、よし計介クン、停車した瞬間に飛び出して人工アカシックレコードを起動したまえ。しかしこれまでのようにただ無言で起動するんじゃダメだ!私と出逢ってしまったからには計介クンにはこの世界の主人公然とした態度で生活してもらわねば困る!この私がだ!そこでだ、これから人工アカシックレコードを起動する際には必ず少年漫画っぽく技名を叫ぶことを許可するッ!!」

「絶対に嫌だ!!」

「異論は認めんッ!!殴りたければ殴れ!!好きなだけ殴ると良い!!しかし私が痛みにさえ真実の愛を見出せるだけの質量を持った人間であることを忘れるなッ!!」

「“プレゼント”とやらの起動トリガーが音声認証になっているんだろどうせ!汚えぞ!!」

「ちなみに今から1分以内に技名を叫ばなければ計介クン、キミは死ぬ!!」

「嫌だ!!」

「叫べ!!そして生きろ!!技名は、“括目せよ、これなるが深遠なる叡智の先に見出した勇気という名のたった一輪の花”だッ!!!」

「絶対に嫌だぁぁぁぁああああああああ!!!」

 車は計介のマンションの敷地内に250km/hで侵入し、頭を左にして滑るように急停車する。まだ停まり切らぬ内に瞳が指をパチンと鳴らすと、運転席のドアが勢い良く開く。

 計介は「あぁ~…もう嫌ぁ…」と言いながら頭から車外へと飛び降り、くるりと受け身を取ってシュタッと立ち上がる。アクションだけは一丁前であった。

 マンションの前には警察の人間だと思われる男が5名。

 訂正。

 内1名は顔見知りの女性警部であった。

 「時宮ぁ!!お前はいつかやると思ってたぜ馬鹿野郎ぉぉぉおおおお!!!!」

 柴咲警部の勝ち誇った顔が向日葵のように咲き誇っている。

 「確保ぉぉぉおおおお!!!!」

「今だ計介クン!!」

 背中で瞳の声を受け、計介は目を閉じて実家の自室を思い浮かべた。

 そう、ここには僕しかいない。

 誰も見ていない。

 見られていない。

 僕はそう、部屋にたった一人。

 家族は出掛けている。

 ここは、僕の部屋。

 僕は14歳。

 どこにでもいる普通の中学2年生。

 でもある日ひょんなことから謎の力に目覚めてしまって、

 世界の平和を脅かす魔王の軍勢と戦わなくちゃならなくなったんだ!

 僕は、そう、選ばれし…、勇者…、深遠なる…、時の支配者!!!!

 「って思えるかぁぁぁあああい!!!!」

 計介は腕時計のスイッチを押しながら叫ぶ。

 「ああああああああ括目せよこれなるが深遠なる叡智の先に見出した勇気という名のたった一輪の花あああああああああ!!!!!!」

 そして世界が静止する。

 人工アカシックレコードは従来通りにきちんと起動したようである。

 しかし、計介の脳内に、謎の通信音がこだましたかと思えば、瞳の声が流れ込んできた。

 「(えー、てすてす。こちら瞳ちゃん。戦士計介、聞こえますか?聞こえていたら両腕で自分の体を抱きしめて“美しきかな人生”と囁いて下さい)」

「(聞こえてるよ。どういうことだ?どうしてこの環境で通話ができる?)」

「(簡単なこってすよ。計介クンと私の脳ミソを特製瞳ちゃん回線で繋げて、計介クンと同じだけのスピードで知覚情報を処理すれば良いだけってワケですよ)」

「(お手上げだ。何が“私には無理”だよ。まだまだ余裕そうじゃねえか)」

「(いえいえ、これでも結構頑張ってんですよ?47ある脳の内、13まで使ってんですからこっちは)」

「(いや全然分からねえよ)」

 こいつ電話だと敬語になるタイプだ、と計介は思った。

 「(いや聞こえてますから。脳ミソ繋がってんですから今)」

「(で、これが“プレゼント”って訳か?あんま役に立ちそうにねえなぁ)」

「(ちょいちょい!見くびってもらっちゃ困りますよ!こんなのオマケみたいなもんですから!いや、オマケどころか陰毛みたいなもんですよ!)」

「(はい、イエローカード。3枚目で退場させるからな)」

「(大丈夫です。まだ生えてません)」

「(いや、お前もう16だろ?俺なんか16の頃にはもう今と…)」

「(計介クンの人工アカシックレコードは対象の行動可能性を100%の確率で予測できるという特性をもった代物でありますが、それは計介クン自身の圧倒的な情報処理能力があって初めて成り立つ代物な訳です。その速度があまりにも早すぎるために、計介クンの内的時間と一般的な外的時間の間にズレが生じるってワケですね。だから計介クンの視点から見れば世界は静止したように見えているはずですが、実際には世界が静止したワケではなくてほんの一瞬の間に計介クンの中では思考を含めた膨大なデータが処理されているだけに過ぎないのです。だから相手からすれば何てことはない、いつもと変わらぬ時間の流れの中で、ただただ計介クンに圧倒されるワケです。そりゃあそうですよね、計介クンには相手の行動が予測できているワケですし、何度も繰り返し見た映像の中には計介クン自身の動きも含まれてんですから、その通りに動けば予測された通りの未来へ辿り着くのは当然のこと。しかしですよ?それでも困っちゃうことがありましたよねぇ?私の創ったダンジョンの中で)」

 そう、確かにあった。

 ゴーレム戦である。

 “出来ないことは、やっぱり出来ない”が鉄則の人工アカシックレコードで加速できるのは思考のみ。

 身体はあくまでも生身の自分である訳なので、どうしても未来予測は自身の身体能力に依存せざるを得ない。

 ゴーレム戦がもし現実の世界であったのならば、計介は重傷を負っていたであろう。仮想世界であったから今こうして無事に生きているのである。

 「(そんなあなたに朗報デス!なんと瞳ちゃん、計介クン専用の“加速装置”を造っちゃいましたー!パチパチパチヒュ~ヒュ~ウ!!)」

「(おいちょっと待て。今何てった?加速装置っつったか?無理だろ常識的に考えて)」

「(いや、どの面下げて常識振りかざしてんですか。計介クンだって充分常識外れなことしてんでしょうが。例えば今)」

 例えば今、良い言葉だ。

 何かこう、何て言うかさ、爽やかな、そう爽やかな香りを纏っているよね。

 「(はいはい、一度しか言いませんから耳の穴かっぽじって良く聞いて下さいよ~?これまで計介クンの中には計介クンの身体能力に基づいた行動可能性しか候補として挙がって来ませんでしだが、これからは計介クンの身体能力、ゲームでいう所の主に“素早さ”が101%~999%の場合の行動可能性が選択肢として現れますから、好きなの選んじゃって下せえ!!パワーはごめんなさい、ほとんど変化しませんのであしからず)」

「(いや、速度999%で動いたら全身バラバラになって死ぬだろ)」

「(違う違う、違うんですよ。ああ!!もう面倒くさいんでさっさとMAX%選んでサクッと倒しちゃって下さいヨ!!!!)

 いや全く腑に落ちないのだが、計介自身もさっさと終わらせて帰ってシャワーを浴びたかったので従うことにする。

 もうどうにでもなれの精神だ。

 素早さ999%の世界には選択肢がほぼ無限に存在し、そのどれもが計介の圧勝を予言していた。しかも1分先まで予測する必要もない。全ての未来が6秒以内に完結しているのだ。

 計介はもう面倒なので最も早く、実に1.89秒で終わる選択肢を選び、二度だけ映像を眺めてから全てを理解した。

 何となく「(リミッター解除)」と呟いてから、スタスタと歩きはじめる。

 警察連中は止まったままだ。

 計介は先ほどまで自分が立っていた位置を見つめたままの4人の延髄を順番にチョップしていき、最後に柴咲の目の前に立った。

 「(さあ計介クン!最後のキメ台詞をプリーズ!!)」

 最後まで喧しい奴だったな。

 計介はため息をついてから、

 「SAYO-NARA」

 と呟いて左手の指をパチンと鳴らした。

 画面全体がガシャーン!と割れるようなカッコイイエフェクトが入ったような気もするが、恐らくそんな気がしただけであろうと思う。

 時間の流れが元に戻り、4人の警官がほぼ同時に崩れ落ちる。

 柴咲は事態が飲み込めないようで、目の前にいる計介を見つめながら、パチクリとまばたきをしたまま固まっている。

 少し離れたALEXUSの助手席で美少女が絶望にも似た悲鳴を上げる。

 「センス!!!!!!!!」

 計介は柴咲の肩に手を置き、二度首を振ってからマンションに入っていった。

 何度首を振っても取り戻せない物がある。

 それを計介は永遠に失ってしまったのだ。

 そう、例えば、今。


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