道程9
俺は目当ての魔法式を発動する。
魔法使いの時には見当たらなかった術式だ。
『魔法式『踏空』を発動します』
今までのようにリビドーを要求されない。むしろ邪念が入ると不発に終わるようだ。
術式発動の直後、ミナリは感嘆の声をあげた。
「ほんま飛んでるやん。なんでもありやな」
ミナリの言葉通り、この術式は飛行の魔術式だ。未だ存在を確認されていない最古の魔術のひとつでもある。
賢者へと生まれ変わった俺は、脳に流れ込んできた情報を全て得ることができるようになった。
古代魔法の歴史と、それに伴う古代文明の盛衰。そして賢者へとなるための条件もそのひとつだ。
賢者になるためには賢者タイムに至る必要がある。それは奇跡的な力を持つ魔法使いが、リビドーを全て捨ててしまった時に訪れる時間のことだ。
一般的に男性は、出すものを出してしまうと、まるで聖職者のような気持ちに陥る。通常ではそれはいっときの現象だ。
しかし三十年という莫大な時間を妄想だけに費やし、宇宙よりも高くなった理想が打ち砕かれた時、次のステップへと移行する賢者タイムが発生する。
「つまりそんな時になんかしたらええんか」
ミナリが目を細めながら見上げる。
「えらいアバウトだが、そんな感じだ。リビドーの代わりにな、真のゴニョゴニョに目覚めたらいいんだ」
「あ? なんて?」
「ゴニョゴニョだ」
「何言ってんのか分からへんて」
イライラしたのか、ミナリは手頃な石を見つけて投げつけてくる。
「だから! 真の愛に目覚めたらッ!」
俺の言葉にミナリはニマリと笑う。
「はぁぁん!? 何やて。聞こえへんねん。もう一度言うてや」
「てめっ! 言っとくけどな、俺の愛はアレやアレ。全人類に降り注ぐ無償の愛的な?」
「聞こえへんなァァッ!」ミナリは耳に手を当てて怒鳴り返してくる。
地上と空中で一悶着終えると俺はゆっくりと着地する。
その俺の服の裾をミナリはちょこんと掴んだ。
「ほんで、何て?」
まるで子猫のように瞳を潤ませながら上目遣いで俺を見上げる。
「……その手には乗らんぞ」
「ちっ」
舌打ちしながらそっぽを向く。
まるで声をかけてくれと言わんばかりに背中が語っているが、俺はそれどころではないのだ。
確認したかった二つの術式は成功した。
誰も殺さず、それでもワーズワースの本性の暴露と同時に、魔族の捕虜を解放しなければならない。それが俺がこれから歩む贖罪の第一歩だ。
「行くんか?」
「ああ」
背中を向けたままミナリが問いかけてくる。
「ウチに出来ることはないん?」
どことなく寂しそうに聞こえるのは、自意識過剰というものだろうか。それともそう期待しているからなのだろうか。
しかし俺たち二人を探している追っ手の気配をビンビン感じる。魔力による索敵に反応があるのだ。きっとミナリも気づいているはずだろう。彼女ならそれを逆手にとって逃げることもできるかもしれない。
「ないな。足手まといだから逃げてくれ」
素っ気なくいう俺へミナリが振り向く。
泣くかと思っていたが、そうではなかった。
「半分本当で、半分嘘やな」
困ったような、それでいて嬉しそうな笑顔だった。
俺はひたいに手をやる。
そうだった。こいつに嘘は通じない。
「心配してくれるんはわかってんで。でもな、世界最強の賢者様の側にいるのがな、いっちゃん安全やねん」
ミナリは小さな手を差し出す。
本当に小さくて、でも傷だらけの手。
そんな手が俺を救ってくれたのだ。
三十年待ち続けた救いの手が、まさかこんなにも小さいとは。
「どうなっても知らんからな」
俺のやろうとしている道は険しい。
それでも……と思う。
俺は目の前に差し出された手を握った。
10話で完結したかったので、今回は短めでした
ちゃうよ?
手抜きとかちゃうよ。