道程8 ウチらセックスしてんで
俺の中で何かが弾けた。
全身を限りなく透明に近い金色のオーラが包み込む。
それはとてもあたたかく、指先まで痺れるような快感だった。
『賢者モード移行完了。完全治癒を発動します』
対象の時計の針を、任意の位置まで巻き戻す魔法式。
魔法使い時には理解できなかった魔法式が、まるであらかじめ記憶に組み込まれたように理解できる。
途方も無い量の魔法式が脳内を駆け巡る。魔法使いの時には見当たらなかった治癒魔法式も当たり前のように出現する。
しかし戸惑いはない。視界を動かさなくとも最適な魔法式が目の前に現れるのだ。
俺は全身のオーラを右手に集め、ミナリに触れた。
時が加速する。逆回転に。
起点はまだ傷を負っていなかった時間軸だ。
金色のオーラは俺の手から離れ、ミナリの全身を包む。
事象変化は刹那だった。
恐ろしくあっけないほど傷は塞がり、俺の顔に飛び散った血液も、布に染み込んだ赤いシミもなくなる。全てが元どおりとなる。
「んっ」
ミナリが小さく声をあげた。
「もう、大丈夫だから」
呆然として瞬きを繰り返すミナリに俺は伝える。
「なんて顔してんねん」
俺の頬を伝う涙を指で拭きながらミナリは笑った。
「どんな顔してる?」
「んーとな、子供?」
「なんだよそれ」
近距離で顔を見られるのが恥ずかしくなり、俺は覆いかぶさっていた体勢から起き上がろうと腕を突っ張る。
「ええから、そのままで」
そう言うとミナリは俺の首に腕を回した。
不思議なことに触れられても吐き気も嫌悪感もない。でもそれは多分……
「あんがと。また、助けられたんやね」
「それは、そのな、持ちつ持たれつってやつで……別に誰でもそうした……かも」
「うそやん。心臓バクバクいってんで」
ミナリは俺の胸に耳を当てる。
「ウチのこと好きになったん?」
「いや、そう言うのとはちがう」
「今度は嘘ちゃうな。ムカつく」
そういうのとはちがう。俺はまた女性に触れられたら、きっと嘔吐する。想像しただけで肌が粟立つ。そう簡単にトラウマは解消などできない。
「分かってるて。まだウチはお子さまやしな。つまりまだ女が怖いんか?」
「……。」
見透かされていて恥ずかしい。
「別にセックスがしたかったわけじゃないんだ。俺はただ、ただ、たった一人に愛されたかっただけなのかも……しれない。でもそれは叶わない願望で……」
ミナリは黙って心臓のあたりに触れる。ジンとあたたかい。
「ずっと怖かったんやね」
そうかもしれない。
俺はセックスしたいとか言いながら、心の底で恐怖していた。
触れると拒絶される。きっとそうだ。どこかでそう思い込んでいた。
スラムで親の顔も知らず、狡っからく生きているだけの自分を愛してくれる人などいない。
生まれた時から神は全てを差別している。スラムで生きる者、生まれ落ちた瞬間に生き絶える者、そしてワーズワースのように全てを持つ者。
俺の肌に蛆が這えば叩き殺す。普通の人間から見れば俺なんて蛆みたいなものだ。
「怖かったんやね」
俺はコクリとうなずいた。
拒絶されるのが怖かった。だから一人で生きてきた。
「うちも怖い?」
「そんなことはない。でもそれは……」
「ええねん」、とミナリは言った。そして「今はそれで」と付け加える。
ミナリの腕に力が入った。
俺は突っ張っていた手を下ろし、ミナリに身体を重ねる。
「やっと辿り着いた」
「ん?」
「なんでもない」
ミナリは俺の胸に顔をうずめる。
吐息が服を湿らせてあたたかい。それは驚くほど俺の心を震わせた。まるで脳の最深部まで痺れるような感覚だ。
「なあ」
「うん?」
「ウチら今セックスしてんで」
「何を」
俺は笑いそうになった。それを見てミナリは頬を膨らませる。耳まで真っ赤だ。
「ちゃうねん。別にああいう行為がセックスなわけじゃないねん」
言い訳するように聞こえた。
「違うのか?」
入れたり出したり、吸ったり揉んだりがセックスじゃないのか。
「ちゃうな。身体とかどうでもええねん。心がつながったらセックスやねん。せやからな、」
戸惑う俺の頬に、ミナリの唇がかすめる。
「これはセックスやねんな」
そう言うとミナリは悪戯っぽく笑った。
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