道程3 加速しろ!
えらく地味だ。
英雄と言われているくらいだから、軍隊引き連れて「ソイヤソイヤ」と敵軍にカチコミ、魔王軍の将軍でも殺すのかと思っていた。
「そんなに簡単にはいかないさ。魔王軍の砦には障壁があってね、一般の人間には空気自体が猛毒なのさ」
「お前は平気なのか?」
「なぜかね」
ワーズワースはひょいと両肩をあげる。
聖女はその障壁を突破できるとして、猫耳族はどうなのか。
ミナリはひょいひょいと岸壁をよじ登り索敵をしている。
「猫耳族や亜人たちは少なからず魔族との繋がりがあるからね。元を辿れば同種というわけさ」
「ふぅん。なるほどね。それよりお前ら遅いぞ。さっさと行ってサクッとやっちまうぞ」
「エドくんは元気だねぇ」
「すごいと思います」
ワーズワースとセラの息は荒い。
英雄様とか呼ばれても所詮は王族。足場の悪い登山道はあまり経験していないらしい。
俺といえば、その日のパン代を稼ぐのにも死に物狂いだったのだ。こいつらの荷物をまとめて背負っているが、正直なんてこたぁない。もっと過酷な仕事もやってきた。これくらいで根をあげるようには育っていない。
それよりも秒速で仕事を終わらせて、俺はヤりたいのだ!
1秒だって無駄にしちゃいられない。
「見えたで!」
俺より先を行くミナリが叫ぶ。
逆光になってよく見えないが、どうやら岸壁を登りきり遥か先を見ているようだ。
とりあえずどんなものか見てみよう。
そう思って遅れる二人を残してよじ登る。北の果てに近いこともあり極寒だ。雪よりも凍結の方が厄介で、とっかかりに指を引っ掛けても気をぬくと滑りそうになる。
しかし空はどこまでも青く澄み渡って心なしか気持ちがいい。生きてきたスラムが空気まで腐っているから余計にそう思う。
やっとこさ登り切る。なかなか骨が折れた。ワーズワースたちを見下ろすとかなり下の方でへばっている。仕方ないかもしれない。
「どや、見えるやろ?」
小さい背を伸ばして遠くを見るミナリに並ぶ。
彼女の視界の先に確かにそれが見えた。
砦というには禍々しい。まるで地獄への門扉だ。雲ひとつない蒼穹にポッカリと群青の瘴気が広がっている。
「あそこまで行くのか?」
「せやで。つーか近いねん。もっと離れてぇな。童貞が移る」
ミナリが下から睨みつけてくる。
「移るもんならな、世界中の男に厄災振りまいてやるわ。つうかさ、お前はもうヤってんの? ワーズワースと」
「はあッ!? んなことふつう乙女に聞く!?」
「聞く。なんなら詳細まで聞いちゃう」
そして臣民たちに告発するのだ。ワーズワースはとんだペド野郎だと。そして最終的に英雄は俺一人というわけだ。
「してへんわ! ウチまだ10歳やで。んなことできひんわ!」
顔を真っ赤にして怒る姿は、なかなか愛らしい。
「それならあと10年したら相手してやる」
「せんでええわ。童貞のくせに態度だけはデカイな。おかしなやつや」
慌てたり照れたり表情がコロコロ変わって面白い。
喋り方もどことなく親近感を覚える。スラムは地方からやってきた難民も多く方言も飛び交う。ミナリの方言は西方の方だろう。俺も少し近い。
見た目はセラが圧勝だが、話しているぶんにはミナリの方が落ち着く。
「さあって、仕事するかね」
「は? ここから下山して坑道を通るつもりやねんけど?」
「必要ない、たぶん」
砦はかなり遠く、小指ほどに見える距離だがなんとかなるだろう。
魔法を使えるようになってから怠惰に過ごしてきたわけじゃない。それなりに実験もしてきた。あれくらいの距離ならなんとかなるかもしれない。
「いやいやいや。直線距離で10キロは離れてんで。それに……」
「いいから黙ってろ」
視線を脳内に移す。同期しているとでもいうのだろうか。風景と魔法式が同時に視界に映る。
少しコツがいる。はじめは酔ったような感覚になったが、なんとか違和感は少なくなってきた。
視線を巡らせる。次々と魔法式がスクロールする。
目当ての魔法は初めて使った粒子崩壊だ。広範囲攻撃では一番使い勝手がいい。
見えた。視線でロックする。
『リビドーが足りません。補充してください』
無機質な声が脳内で警告する。
「ちっ」
俺は舌打ちしてセラの姿を探す。
まだまだ下の方でヨジヨジしている。さすがに米粒大の姿から妄想するのは非効率だ。
仕方ない。
「脱げ、ミナリ」
「はぁ?」
間抜けな顔で俺を見返す。瞳が大きく余計に幼く見える。
うーん。無理かもしれん。いや、妄想するのだ。ミナリの10年後を!
「とりあえず脱げ。いや、少し待てよ。真っ裸よりもチラリズムの方がいいかもしれん。谷間を見せろ。それでどうにかする」
「気でも狂ったんか!? いきなり何いうてんねん!」
「世界平和のためだ。谷間だ。谷間を見せろ!」
「皮肉かッ!? まだ無いわンなもん!」
きっちり首元まで覆われているのに胸元を抑える。
それをじっとりとした視線で舐め回す。
ちゃうねん。
魔法のためやねん。
ううむ。しかし、まぁこれはこれで。
脳内で10年ほど時を加速させる。かすかな膨らみがしだいにふくれてゆく。こんなことは非童貞には到底無理だろう。プロである俺だからなせる技だ。
『リビドーが補充されました。魔法式起動。粒子崩壊発動します』
「きた!」
俺は体内から溢れ出るリビドーを発動させた。
「うそ……やん」
疲労感で座り込む俺の隣でミナリが声を失っている。
視線の先では砦を中心に半径5キロ圏内の地形が変わっていた。
古い地層があらわになっている。
他には何も無い。
我ながら無茶苦茶だとは思う。
「これは……」
背後からワーズワースの息を飲む声が聞こえた。
セラは小さく悲鳴をあげた。
「とりあえず、な。一仕事は終えたぞ」
そう言うのが限界だった。
俺は冷たい岩肌に倒れ、意識を失った。
俺は早くに気付くべきだったのだ。許容される以上の力は、いずれ疎まれることに。