学年のアイドルと地味な私と
私、矢代文乃にとって、あの学年のアイドルたる真木カレンは遠い存在なのだろう。
全く以て手の届かない、星のような彼女は眩しすぎる。私には真似出来ない様な事が容易くできてしまうカレンは、とても同じ人間であるとは思えなかった。
誰にでも優しく、誰からも好かれて。
そんなカレンは今日もまた多くの学友に囲まれて談笑していた。
朝の一幕、ホームルームが始まるちょっと前。
私はそんなカレンを横目で伺いながら、一人黙々と読書に耽るのであった。
クラスにおける私の評価は、たぶんこうだ。
「え? 誰? ごめんね」
そんな事を、言われても仕方がない位には他者との関わりを拒絶しているのが私だ。実際に言われた訳ではないけれども、多分こう言われるだろう。
対してカレンは、もう説明の必要が無い位に人気だ。
見た目も良ければ勉強も運動も出来て、何より性格が良い。
カースト上位のグループ、下位のグループであろうとも等しく接しているのだから。私が思うに、カレンの頭のねじは少しトンでいるのだ。
いや、少しでは無い。多分、元からそんなねじ穴は無かったのだ。
普通、人間は選り好みする。あれが好き、これが嫌い。あの人はいい人、あれは駄目な人。そうやっていろんな事を二極化させて生きていく。
そうしないと、溢れてパンクしてしまうから。何も等しく扱っていれば、次第にひずみが生じて、ぎりぎりの所で保っていた均衡は一瞬で崩壊する。
でも、カレンはそうならない。
持って生まれた何かが違ったのか、カレンにとってその均衡はなんでも無い様な事柄なのだった。
だから、そんな中で徹底的にカレンに話しかけられていない私は、ある意味特別なんろう。
そう、誰とでも等しく接すると言ったが、真実はそうじゃない。
カレンは、学校では私以外の人とだけ等しく接するのだ。クラスの中じゃ、私だけカレンと会話したことが無い。
私は、彼女の例外なのだ。
「真木さん、悪いけどプリント配っておいてね」
担任の増住先生がそう言って、カレンにプリントの束を手渡した。
普通は、面倒くさがって嫌な表情を浮かべてもおかしくない状況。しかし、カレンはそんな表情一つ浮かべる事無く、にこりとほほ笑んだ。
「はい、先生」
そう、なんでもなく答えてプリントを配ろうとする。
するとどうだろう。数人の女子がカレンの周りに集まって、手伝おうとしている。
「カレン、手伝うよ」
「ほんとう? ありがとう、とっても助かるよ」
そのやり取りを、私は一人黙って冷めた目で眺めていた。
あんなの、馴れ合いだ。何も知らないくせに。
「カレンさん、この問題なんだけど……」
「どれどれ? あ、これはね――」
「真木さん、付き合ってください!」
「っえ。あ、その。ごめんなさい!」
「真木、放課後暇か?」
「カレン、今度の日曜あそびいこーよ」
「カレンちゃん、お菓子食べるぅ?」
カレン、カレン、カレン。
誰もかれもが馬鹿の一つ覚えの様にカレンをちやほやしている。
「あのっ。カレンちゃん今日の放課後暇? ぇ、駅前のデザート屋さん今日オープン何だけど……」
一人の女子が、少し気弱そうな、でも可愛らしい女子。何かを決意したような瞳と、彼女の友人らしき人たちが遠くから見守る様にしている様子が、私の視界に映った。
私は思わず立ち上がってしまう。
ぎい、と椅子の脚が床を鳴らす。その音に、周囲は全く気にも止めない様だった。
そう、私は影。
ここに居ても居なくても同じなんだから。
立ち上がった理由は、よくよく考えてみればしょうもない事で、誰にも話す気にもなれない様な稚拙な物だった。
私は教室をでて廊下を静かに歩く。
談笑する者、走ってはいけない廊下を走る者。
くだらない、ありふれた日常。
それを尻目に私は人気の無い屋上へと通じる階段の踊り場へとやって来ていた。
私のお気に入りの場所。
静かで、ひんやりとしていて、誰も来ないこの場所。
「はぁ」
思わずため息。
くだらない事で、少し熱くなってしまった。
かつん、と。階段から足音。
人が来ないこの場所へやって来るのは、私が期待した通りの人物だった。
「文乃、もうやめようよ」
そう言って現れたのは、他でもないカレンその人だった。
整った顔に、綺麗な瞳。髪は流れるようで艶やかだ。
「学校では、話しかけないでって、言わなかったかな?」
「っそ、それはそうだけど」
私が言う言葉に、身を震わせるカレン。
ああ、本当に可愛いカレン。
「カレン、何で此処へ来たの?」
「だって文乃が心配で。急に立ち上がって教室から出て行っちゃうし……」
ああ、あの学年のアイドルたる真木カレンが、私の前では形無しだ。あの気丈とした振る舞いも、等しく振りかけられる優しさも。
カレンの一切合財が、この瞬間だけは全部私の物になるのだ。
「おいで」
そう一言告げるだけで、私の膝の上に乗って来るカレン。至近距離で、向かい合う。お互いの呼吸が感じられるほどの接近戦。
「文乃ぉ。もうやだよぉ」
瞳に涙を浮かべながら嘆願するカレン。
「学校でも、人前でもこうして居たいよぉ」
ぎゅうと、カレンの腕が腰に回され、顔が胸に押し付けられる。
「どうして? 幼馴染なのになんで人前で会話しちゃいけないの」
ぐずぐずと泣きながら言うカレン。
私は、そんなカレンの頭を撫でながら悦に浸る。ああ、かわいい。可愛すぎてもっと苛めたくなってしまう。
「カレン。私たちの事は秘密なの。誰にも、教えたくないの」
「なんでよ、文乃ぉ」
「だって、こんなカレンを独り占めにしたいんだもの」
そう言うと、カレンはぱあっと笑みを浮かべてもっと強く抱き着いてきた。
「文乃は、私が好きすぎるよ」
「カレンこそ、こんな無茶苦茶に付き合って。悦んでる」
私の言葉に、顔を朱くするカレン。
見つめ合う私とカレン。
「ちゅー、して」
「学校では、無しだって言わなかった?」
「我慢、できないよぅ」
「ふふ、しょうがないな」
口づけを交わす。
もう何度目になるか判らない位に繰り返してきた行為。
ついばむようなそれから、だんだんと激しく舌を絡め合う。
脳が沸騰しそうになる。カレンの匂いが、身体を火照らせる。お互いに、無意識のうちに服をはだけさせる。
もう、止められない。
数分、十数分。
時間も忘れて二人だけの世界を堪能して、やがて校内に下校の時間を知らせるチャイムが鳴り響いた。
離れる二人。唾液が掛け橋の様につながっている。
蕩けた顔をしているカレン。
いつも、キスした後はこうなってしまうのだ。
火照りも静まって来て、お互いに乱れた服を整えていると、カレンが鋭い一言を放ってきた。
「文乃。嫉妬したでしょ」
「は?」
「放課後、駅前のデザート屋に誘われたの見てたでしょ」
図星だった。
ずくんと、槍の様に突き刺さる言葉。私は、恐れていた。ずっと独り占めにしてきたカレンの本当を、他の誰かに取られてしまうのでは無いのだろうかと。
「だいじょうぶだよ、文乃」
カレンが笑う。
「絶対に、文乃を一人になんてしないから」
そう笑ったカレンは、やはり他の誰にも見せない表情なのだった。
私は、思わず抱き着いてしまう。
「やっぱり、大好きだ」
「うん、私も大好きだよ」
真木カレン。学年のアイドル的存在の彼女は、誰にでも等しく接する。どんなグループの者であっても、友人になれる。
カレンは人気者で、私は不人気者。と言うか誰とも関わらないだけなのだけれど。
私たち二人は、陽と陰。光と影。表と裏。
お互いが、お互いを必要としていた。相反する二つの存在は、でもお互いが存在しなければ成り立たない様な儚いものだ。
私にとってカレンは特別で、カレンにとっても私は特別だ。