第5話 ひまりサラマンダー⑤
華彩火鞠は異形である。
この世に数パーセントといない人間からうまれる突然変異体。異質な性質を持つ人間ではない何か。それを異形と呼んでいる。異形が発見された当初、医療業界はこれを何らかの病気に当てはめようとしていたのだが、原因から何まで何もわからず、どの病気にも当てはまらなかった。
わからないに決まっているのだ。だってこれは異形という病気なのだから。
すなわち、どれにも当てはまらないからこそ、新しく名付け、カテゴリーを作った、というわけである。
華彩が、そんな異形であるとわかったのは幼稚園の頃だという。本能的に知っていたのだろうか、華彩がおままごとで母親役をやった時に指から炎を噴出させ、まるで、指輪のように円形に炎が指に巻き付いたのである。なんのことはない、母親が指輪をつけている光景を見ていたため、指輪が彼女の母親としての象徴だった、ということなのだろう。
それを炎で作ったとなると、話はまた変わってきてしまう。
しかし、そんな華彩を両親は、家族は、変わらずに愛してくれたという。異形としての要素、すなわち炎の噴出が暴走しないように定期的に異形専門医を訪ねて診察をしてもらって、人間として生きていけるように炎のコントロールも少しずつ教えていった。
きっとここもまだ、異形であるとわかってもまだ、幸せだったのだろう。
いつも通りの生活が待っていると信じていたのだろう。
そんな家族の期待は華彩が中学生の頃に裏切られることになる。本当に、本当に脈絡もなく、顔から、頭から火が噴き出したのである。いつもはコントロールできていたのに。
華彩は異形であったため、皮膚はそれ専用の物、すなわち耐火用に作り替わっているので熱くはない。髪も燃えているが、耐火の髪の毛とまた、燃えてもすぐに再生する性質のため、燃え尽きるわけではない。
要するに生きていくうえで、華彩にとって何も問題がなかった。
痛くないし。
熱くない。
唯一問題あるとすればその噴出した炎を、頭や顔を覆っている炎を消す方法がわからないこと。
家族は無事でよかった、と言い続けたという。自分の子どもの頭が燃えていたらそれはもう驚くに決まっている。平気そうでよかった、とは誰も言わなかったが。
「そこからね、私の地獄が始まったのは」
地獄。
地獄と称される華彩の人生。
今までは異形を隠して生活できていた。炎をコントロールして、暴走しないように、また、人間として生活できるように。炎さえなければ異形は、華彩は人間に見えるのだから。
しかし、顔が、頭が燃えてしまえばもう誤魔化しようがない。布で頭を覆ってもその炎が布を焼く。マスクで顔を覆っても炎がマスクを焼く。
顔や頭を誤魔化すことができず、一切隠し事ができなくなった華彩はそれでも学校へ行くことを諦めなかったという。
これは、学校に行っておかなければ将来困るだとかそういう話ではない。ただ、単純に華彩の危機感が、それが全くもって足りなかったことの過ちだと話していた。
「休めばよかったのよ。義務教育だろうが、なんだろうが、休めばよかったの。私があのまま自分の炎に絶望して登校を諦めればまだ、よかった」
華彩は普通に登校したのだという。
そう、この炎は華彩にとって、生きることにとって、まるで問題はないのだ。見かけ以外は。痛くもなく、熱くもなく、視界も問題ない。食事はまあ、少し困るが、それでも摂取する方法はいくらでもある。むしろ炎を通して口に入れることでいつでもアツアツの食事を楽しむことが可能だという。
それをなぜか自慢げに話していたが、それはいい。
華彩は、だから、自分だとわからなかった。これが、炎が、どれほど異常なもので、それほど恐ろしいものなのかが、分からなかったのだ。
「当然でしょ。私の目は私を映さないし、炎が噴き出ても変わったことは食事に気を遣うようになっただけ。だから、私は甘く見てたの。私の炎を。私は、私が思っていた以上に異常だってことに気付かなかったのよ。だから」
だから。
頭が燃えていたとしても、みんなが今の私も受け入れてくれるに決まっていると思ってしまっていた。
中学校からの縁ではない。小学校からずっと同じだったのだ。
だから、炎ぐらいで消えるものだとは全く、これっぽっちも思っていなかったのだという。
「残酷よね。これがまだ熱くてたまらなかったら、目が炎に覆われて見えなかったら、炎が噴き出て誰かを傷つけていたなら、私はきっと自分の異常性を正確に理解して、学校に行かなかったのだと思うわ。でも、言ったでしょ。私はこの炎のコントロールができている。両親のおかげで、誰も傷つけることなく、学校に通う許可もおりていた。だから、私が、みんなに避けられるような異形だって思えなかった」
それが、過ち。
あとは、きっとサンプルの少なさだろう。異形の数は世界で見てもそこまで多くはない。だから尚更わからなかったのだとそう思う。
結果は予想通り。
誰も気味悪がって近づかなかった、というわけだ。
「いじめられてはいなかった。いえ、いじめられそうになったことはあったわ。今まで仲が良かった人たちが一斉に私に牙をむけたの。それでもいじめられなかった。私が燃やしたから」
コントロールがうまいということ。
それは強みだ。
的確に相手の制服の一部を燃やし、外傷がないようにコントロール。結果的には制服が燃えただけではあるが、そして傷つける気は全くなかったわけではあるが、相手はそれをどう捉えるだろうか。
それこそ、その気になればいつでも燃やせると、そう思ったのではないか。
「あの子たちの敗因は、私がサラマンダーの異形だった、ということね。サラマンダー、というのも結局は顔が燃え続けていることによって名付けられたものだから、後付けなのだけれど。炎という攻撃性のある異形であったことが、私の勝因」
こいつは誰と戦っていたのだろうか。そもそもそれは勝負なのだろうか。
「私の場合、異形であることを隠していた、というのも悪かった点ね。みんなに隠し事をしていた、とマイナスに捉えられてしまった。プラスからのマイナスってわけね。印象最悪。それが加速させていたのかもしれないわね」
華彩は今、昔話をしている。自分にとっては傷口を抉るような話なのだろうが、平然と声のトーンも平坦に、話している。しかし、僕は、こいつがどういう顔でこの話をしているのかはわからないのだった。
炎で。
燃えているから。
さも嬉しそうに話しているように聞こえるが、今まで友人だった者たちから攻撃される気分はどうだったのだろう。今まで友人だった者たちを攻撃する気分はどうだったのだろう。
決して簡単な感情ではないはずだ。
嬉しいとか、悲しいとか、そういうものではなく。
何もかもをごちゃごちゃに混ぜたようなマーブル色。
普通ではない異形色。
「ああ、そういえば私のこの髪型も頭の位置がわかりやすいから、選んでいたのだったわ」
決してこんなファンシーな髪型が趣味ってわけではないのよ、と付け加えた。
ファンシーというほどファンシーではないと思うのだが。ツインテール。かなり髪の毛は長いのか2つに結んだ髪の毛が腰のあたりまできていた。
確かに、これを結ばずに普通にロングストレートな髪型としていれば炎で燃えているシルエットだけだとどこが顔で頭なのかわかりにくいのかもしれない。
「というわけなので、私を脳内お花畑女だと思わないことね」
「誰もそんなことは思っていないが…」
脳内お花畑というよりは頭大火事というのがしっくりくる。
いや、待て。話が逸れている。こいつの脳内やらファンシーやら髪型は今、どうでもいい。言ってしまえば本筋の話も僕からしたらそこまで関心のあるものではないのだが。
それでも、彼女の境遇は、なんだか、無視、できないような何かを…。僕の過去が思い起こされる。ああ、そっくりだ。彼女の境遇は『彼女』にそっくりなのだ。
「それでそんな中、分け隔てなく接してくれた男に惚れた、という流れか?」
無理矢理流れを修正する。
それに気付いたのか華彩も特に文句もなく、「そうね」と呟いた。
「違うわ。三流恋愛作家の書くシナリオかしら、それは」
「…」
ひどい言い様だった。
全然面白いと思うのだが、王道で。
「そもそも、好きだったのよ。それが恋心だとは当時気付かなかったけど、小学校の頃から恐らく好きだったのだと思う」
基本的にここらへんの小学校の生徒は同じ中学校にみんな進学する。もちろん、私立に通う場合等例外はあるが、どうやら華彩とその男子生徒はそのまま同じ中学校に進学したということらしい。
なるほど。
きっかけは違えど、結局分け隔てなく接してくれた、というわけなのだろうな。少女漫画のように甘い展開であり、それが他人の話だと思うととてつもなく興味が削がれてしまうのだが。
そいつがいいやつでよかったな、と伝える。
「だから違うわ、と言ったでしょう。彼は私の顔を見て、まず、最初に逃げ出したわ。そして小学生の頃のように、楽しそうに私に笑いかけることは二度となかった。遊ぶことはもちろん、話しかけられることもなくなった。彼は私を見て、『化け物』だって言ったの」
昨日の、仙道の言葉を思い出す。
『あんなの、化け物じゃん』
少ししか話していないが、明るくて元気のいい、僕だっていいやつだとわかる仙道が異形を化け物と評したのはなかなかにショックではあった。
様々な異形がいる中、人間世界に適した異形だっている。それでも、異形は異形だ。人間とは違っていて、普通ではない。それを気持ち悪いと思う人間だって当然いる。それを悪いことだと断じることは決してできない。責めることだってできない。万人に受け入れろというのはまたエゴである。
それでも、彼女たちは生きているのだ。
そしてこれからも生きていかなくてはならない。
そんな彼女たちに優しくしたいと思う気持ちもまた、間違ってはいないのだろう。僕は話の続きを促すようにこう言った。
「それでその炎を消して、以前みたいに戻りたい、というわけか」
「それもまた、違うわね」
華彩は言い切る。
「私が顔の炎を消したからといって異形であることが変わるわけではない。目立たなくはなるけどそれでも私は人間じゃないの。その関係を元に戻すことなんてできないわ。やってみなきゃわからないと思う?やってみなくても分かるのよ。そういうものなの、異形っていうのは」
僕は異形ではない。
ただの人間だ。18年生きていれば、異形だとした場合何らかの兆候がある。僕は今まで生きてきてそんな兆候少しもなかった。
基本的にいつ発現するのかわからない異形ではあるものの、成人後まで何もなければそいつは人間だという1つの指標がある。発現するのが遅くても、そいつは生まれた時から異形なのだから、まず、20年もまともに生きることができるわけない、と。そういうことなのだろう。
だから異形の気持ちはわからない。
こうして身近で話していてもそれは理解者ではなく、話し相手なだけで、僕が人間であることには何も変わらないのだ。
異形にしかわからない何かがあるのだろうとそう思うことにした。
「そんな難しい話じゃないのだけれど。そもそもあなたを基準にして物事を考えないでほしいというところね。あなたは異形の相談相手に適しているけれど、人間としての参考にはならないの。だって、私を見て逃げ出すどころか心配する人間なんて、普通の人間じゃないわ」
だからあなたが感じていることを、他の人も同様に感じるだなんてずうずうしいことは考えないことね、と冷たく言い放った。
「あなたに協力してほしいことはこの炎を消すこと。そして私の目的はその相手に告白して好きになってもらうことではない。付き合うだとかそういうことが目的なんじゃなくて、私は、私の恋を終わらせたいの。ここで綺麗さっぱりね」
「…」
それは、とても残酷なことだと思った。
僕はてっきり、炎を消して告白してめでたしめでたしといくものだと思っていたのだ。彼女がその男子生徒と付き合って終わりだとばかり思っていたのである。しかし、それは夢のまた夢で。僕が甘くみていた、ということになるのだ。彼女ら異形の抱えているものを甘く見ていた。
そして僕はどこまでも人間であるから、目指す終着点がハッピーエンドであるように、と考えてしまう。
違った。
破滅を目指して進んでいくつもりなのだ、華彩は。
「また心無い言葉を浴びせられるかもしれない。何を言われるかわからない。それが怖くてたまらない。けれど、このままにしておくことなんて、できない。ただの我が儘。私が我慢できないからこの気持ちを告げたい。それだけのこと。今の顔だとそもそも話を聞いてもらうことも難しいと思うから」
だから消したかった。
きっぱりとフラれるために、彼女はその炎を消そうとしているのだった。華彩はそもそも今の顔だと話を聞いてもらうことも難しいとそう言った。
きっと理由はそれだけではなくて、今の異形である象徴、燃える顔ではなく、きちんと元の自分の顔で区切りをつけたいとそう願っているのだ。
そして彼女はそんな相手のことをまだ、好きなのだろうと思う。
ひどい言葉を言われても嫌いにはなれなかったのか。
「前も聞いたんだが、なぜ僕を相談相手に?そもそもなんとなく、性格からしてお前は1人でなんとかしそうな感じもするのだが」
こんなある意味恥ずかしい話を他人にするような人ではないと思った。
1人で解決法を見つけて、1人で破滅する。
そういう人間なのだろうと思ったが。
「前も言わなかったかしら?消去法よ。それと、あなたは異形に慣れていそうな気がしたから。私にとっては長年連れ添ってきた友人より、見ず知らずの異形を怖がらない人間の方がとてもとても貴重なの」
「…」
でもそれは答えになっていない。
僕の1人でなんとかしそうな感じ、という答えにはならない。誰であろうと、こういうことを相談するようなタイプには見えないが。
いや、これも憶測に過ぎない。僕と華彩はそれこそ昨日初めて会ったばかりなのだ。
「そうね…」
華彩は小さく呟く。
今もめらめらと顔の炎は燃えており、消えそうな気配は一切ない。これで普通に呼吸ができていることが不思議でしょうがないが、こいつの話によると生きる上での変化は見た目以外ほとんどない、と言っていたし…。
再び、華彩が口を開いた。
「そうね、私もただの高校生だった、ということかしら。強がっていても、大人びてみえても、私だけでは異形という事実を支えきれなかったのだと思う。こう見えても、内面は普通の人間なの」
悲しい過去を話していても、変わらなかった声のトーンが少しだけ変わったような気がした。
寂しそうに、悲しそうに、華彩はそう言ったのだった。
宜しくお願いします。