第4話 ひまりサラマンダー④
異形と交わらない僕らが歩く平行線。その延長線にあるものはクレープ屋だった。
駅前にある小さな屋台。夕方というのもあり、明らかに学生と思わしき制服の人々がそこに集まっている。夕日というのは家に帰りたくなるような効果があると聞くが、今時はもしかしたらここからが学生の活動時間なのかもしれない。
屋台のまわりには簡易的なテーブルとイスがいくつも並べられている。お店は小さいものの、こうして敷地面積で見るとかなりの広さだ。お店の名前は聞いたことがないような、チェーン店ですらないようなものだが、ここらに住んでいる人間にとっては唯一のクレープ屋なのだった。
駅前ということもあり、かなり人通りが多い。帰宅ラッシュと被ってしまったみたいだ。はぐれないようにしっかりと五陵花を視界に入れながら進んでいく。五陵花はどうやらもうクレープしか見えないみたいだ。目を輝かせながらひたすらに歩いていく。
「あ、そういえば」
そんな五陵花がこちらへ振り返り小さな背丈で僕を見上げ、思いついたように言った。
「さっきのひと、綺麗だったね」
最初は何を言っているのか分からなかったが、なるほど恐らくこれは華彩の話なのだろう。今までたくさんの人とすれ違ってきたが、あそこまで印象に残る人間、というより異形は他にいなかった。
五陵花は食べ物を第一に考える様な女だ。もはやクレープのことしか頭にないと思っていたが、きちんとまわりを見ていたらしい。
「綺麗、かどうかはわからないだろ。顔が燃えているわけだし」
「うんとね、そういうのじゃなくて、なんか…きれいだなって感じ」
一生懸命表現しようとしているが、言葉にできないらしい。しかし、まあ、なんとなく言いたいことはわかるのだった。夕焼けと相まってあの光景はとても絵になっている。炎の色と、あの揺らめきと、夕焼けの色はもう2度と忘れられないだろう。
両親に可愛い、美人と言われて育てられてきた華彩。あながち間違っていないのかもしれない。なんだか認めるのが悔しくてあの時は肯定しなかったが、なんとなく、綺麗な顔をしているのだろうと思った。
「あ、クレープ!」
次の瞬間には五陵花が走り出していた。こいつ普段はのほほんとしているのに食べ物が絡むととんでもなく活発になるな…。今まで話していた内容を忘れたかのようにクレープのことのみに集中する五陵花。
僕もその後を追うように歩いていく。
クレープの屋台の前にメニューが立てられていた。五陵花は「絶対チョコバナナを食べるんだー」とすでに注文をしている。僕は優柔不断ということもあり、たくさんの種類があるとなかなか決められないのだが、一緒にクレープを食べに来たことを踏まえると五陵花と同時にクレープを受け取ることが好ましい。
慌ててイチゴチョコを選んだ。
屋台の中にいる気のよさそうなお兄さんが目の前でクレープを作っていく。小さいころお祭りの屋台にて目の前で作られていくリンゴあめ等のお菓子に目を奪われていたことを思い出した。
そう考えてみると、いまもなお、こうしてクレープが作られていくところをまじまじと見つめる五陵花はあの頃からちっとも変わっていない。
「はい、そこのカップルお待たせさん」
お兄さんがまたベタな勘違いをして僕らに出来立てのクレープを渡した。「ありがとうございます」と嬉しそうにクレープを受け取る五陵花。もう聞こえてすらいないらしい。一応、なんというか、否定した方がいいのだろうか。
そもそも身長差があるため、きょうだいに見られることはあれど、カップルとして見られることはとても少ない。それこそ学校のような限定的な空間ならまだしも、こうした外で、だ。いや、そもそも制服が同じだからきょうだいより確率が高いかもしれない、と思ったのだろうか。彼氏彼女の関係の方が。
「ああ、いや、ええと…」
否定しようとして、ここで否定することもまたなんだか気恥ずかしくて言葉に詰まる。毎日顔を合わせるわけでもなし。別にここで否定しなくてもいいか、と僕も自分のクレープを受け取ったところで、チャリンと掴みかけた小銭を落とす僕らと同じ制服の女の子がそこにいた。
髪を染めており、胸元を開けている目線に困るような制服の着方。スクールバッグにはじゃらじゃらとした大きなストラップがたくさん付けている。手元にはかわいらしい財布。まさに今時といったような風貌の女の子だ。まず僕みたいなやつには接点のない相手だった。
見間違いかもしれないが、こちらを見て唖然としているように見える。落ちた小銭を拾おうともしない。同じ学校の生徒、ということもあるし、小銭ぐらい拾ってやろう。
「落としましたよ」
敬語なのが悲しいところである。少なくとも僕は高校3年生であるし、この学校では最上級生というわけなのだが。彼女はギャルっぽい見た目と裏腹に大人びた印象のない、なんだかまだあどけなさの残る顔で精いっぱい背伸びをしているように見える。しかし、念には念を。最近はどうやら年齢を重ねた子供、所謂ロリババアが流行しているようであるし、彼女もこの見た目で年上の可能性は…ないだろうな。
「あ…あ…あんた…」
はやく受け取ってほしいところなのだが、なかなか小銭を受け取らない。僕は五陵花とクレープを食べなければならないのだ。今でこそ僕が着席するまで我慢できている五陵花が次の瞬間にはクレープに食いつき、その次の瞬間には食べ終わっていてもおかしくはない。
こちらをちらちらと見て「まだかな」と言った様子で待つ五陵花を待たせるわけにはいかない。
持った小銭をそのギャルの開いた財布に入れてやった。軽く会釈をして五陵花の元に。
「ま、待って!」
小銭落としギャルがこちらを見ていた。
こちらを震えた指で指さしている。人を指さすな、ということすらもはや忘れているであろうぐらい動揺しているようだった。そして、次の瞬間にはこう言い出すのだ。
「あんたといろちゃんって付き合ってるの!?」
まずは謝るとしよう。どうやらこの子は僕の知り合いのようだった。
僕は人の顔と名前を覚えることがとても苦手だ。そもそも関わりがない。移動教室でも次にどこの教室に行けばいいのか誰からも教えてもらえないし、具合が悪くて保健室にいっても僕を心配する人間なんていない。ただでさえ、今のクラスになったのは数日前なのだ。だからこのクラス替えをしたばかりの時期に覚えていないのはしょうがないことでもあるのだが。
僕はいい加減、高校3年生にもなり、大人になる時期なのだ。子どものようにわーわー言葉を並べたところで結局相手には届かない。忘れていた事実だけを見るとしよう。数日でクラスメイトの名前を覚えろ、だんなてなかなかに理不尽であるが、世の中は理不尽に塗れていると聞く。ここで言い訳をすることは簡単だが、それをぐっと飲み込んで謝罪をしよう。あなたのことは覚えていませんでした、すみません、と。清々しく、しかし男を失わない。誠意のあるかっこいい謝罪を。
「あたしあんたと3年間クラス一緒なんだけど」
「すみませんでした!」
土下座。
なりふり構わず土下座した。
さすがにこれはもう僕が悪い。今年もいれて3年間一緒だとは。僕が100%悪い。
「いやあ、申し訳ない。まあ、でもこの時期だし、クラス替えで新しく一緒になったものだと思ってしまった。ほら、僕らってあまり交流がなかったわけだし、覚えていなくても無理はないのかな、なんて。あ、でも忘れていたことを悪いと思っていないわけじゃないよ。申し訳ないけど、ただこうまで接点がないのであればそれは少し考慮してくれもいいのかなって。謝るけどね。謝るけど、しょうがないのかな、という部分も少なからずあるとは思うんだよね」
言い訳だらけだった。
理不尽とはまさに僕のことで、理不尽に塗れているのは世の中ではなく、僕だった。
「まあ、いいケド」
対応が大人だった。
何もかもに敗北してさすがに黙り込んでしまう。ただでさえ気まずい空間が、もっと気まずく、より地獄のような様相を…。
なんとか、なんとか間を繋がなくては、という気分になってしまう。
しかし、そう考えているのは僕だけのようで、相手はまた先ほどと同じ質問を繰り返す。
「あんたといろちゃんって付き合ってるの?」
また、色恋沙汰か。
いろちゃんというのはきっと五陵花色味のことで、あんたというのは僕のことだというのはさすがに分かった。そして盛大に勘違いしていることも。
これが一番恐れていたこと。こうしてクラスメイトに見られて、僕と五陵花の関係を誤解される。それが一番怖かったのだ。見られてしまったものはしょうがない、と切り替えることは僕にはとても難しくて。とりあえず、五陵花は無関係であることを伝えなければという思いが僕を満たしていたのだ。
もう中学生の頃に何度も言ったセリフをなぞるように口を動かす。
「付き合ってない。僕と五陵花はたまたまさっきここで会ったんだ」
「あ、そうなんだ」
「…」
あっさり納得されるとそれはそれであれなのだが。
というか本当に納得してるのか?今の説明で?あのとってつけたような言葉で?すでにギャルは「あ~焦って超損した」と呟いている。マジか。本当に今ので信じたのかこのギャル。
「もともとあんたといろちゃんが付き合ってるとは思ってないし。さっきクレープ屋のお兄さんが言った言葉を否定しなかったから驚いただけだし」
ギャルも先ほど落とした小銭をお兄さんに渡し、クレープを受け取る。
「そうだ、あと、あたしはギャルって名前じゃなくて結って名前があるかんね。仙道結。覚えなよ、大海原」
「だから誰なんだそれは」
どいつもこいつも僕の名前を覚える気がないな。
ギャルもとい仙道の話を聞くと、なるほどどうやら五陵花の友達だったみたいだ。いろちゃんというニックネーム呼びからなんとなくわかっていたが。仙道と並んで歩いていく。目指すはもちろん五陵花のところ、なのだが…。
僕がここにいるのはまずくないだろうか。それこそ、五陵花と付き合っていないことがわかったとしても仲良くしていることがバレてしまえばそれが『何か』のトリガーになってしまうことだってあるはずだ。
「いや、なんで帰るの。もともとあんたといろちゃんが一緒にいたんじゃん。あたしのが居づらいってば、あんたが帰ったら」
とがっちりホールドされているのだった。
横を向いて僕に聞こえないように「いろちゃん、なんかあんたといる時楽しそうだし…」と呟いていた。全部聞こえている。そもそも五陵花は誰に対してもこんな感じじゃないか?
「うるさい」
へそを曲げてしまった。
小さくため息を吐く。どうしてこんなことになったのだろう。つい数日前まで誰とも関わりがなかったはずなのに、こうして初対面の人間と知り合う機会が多くなっていた。厳密に言えば仙道は初対面じゃないか…。こちらをジロリと睨んだ。
五陵花の前に着くと「あ!むすびちゃんだ」にへらと笑う。「いろちゃ~ん」と言いながら横にすり寄る仙道。完全に仙道がメロメロだった。ああ、一瞬でわかる。こいつは五陵花に対してマイナスなことは一切しない、と。きっと普段から2人ともこういうやり取りをしているのだろう、と。ここ最近友人になったのではなくて、昔から友人なのだろう、と。
僕はその2人のテーブルを挟んで向かい側の席に座った。
クレープをすでに半分食べていた五陵花に対し、餌付けをするように自分の買ったクレープを差し出していた。お互いにお互いのクレープを食べさせ合う、という光景をまざまざと見せつけられる。
飲み物の回し飲みができないタイプの人間である僕はそれを羨ましいとは思わなかったが、なんとなく蚊帳の外感が気になった。というよりこれは嫉妬の1つなのかもしれなかった。学校では関わるなと言っておいて、こうして僕以外と仲良くしている五陵花を見ると、なんか、こう…僕が一番仲が良いと言いたくなるというか。それを言ってどうなるというわけでもないが。
それを感じ取ったのか、仙道がこちらを見る。
「ねえ、大海原。あんたっていろちゃんの得意科目知ってる?」
この僕に五陵花クイズとは随分となめられたものだ。
「幼馴染ってどう書くか知ってるか?幼い頃から馴染みがあるって書いて幼馴染なんだよ。僕に分からないことなど何もない。答えは国語だ」
「はんっ、やっぱあんたはそこまでのようね。答えは社会」
そういって2人とも五陵花を見る。
五陵花はクリームを口のまわりにつけたまま「ん」と首を傾げる。そして「社会」と呟き、またクレープを食べることに集中し始めた。
な…社会だと…。いや、まさか…。高校になると勉強の内容が極端に変わる。数学は微積分等、国語も現代文と古文にわかれ、社会も歴史、地理、現代社会、世界史等に分かれる。
僕の知識は所詮小学校の時まで。中学の時にはすでに距離をとろうとしていたのであやふやなのだ。しまった、これは相手に有利な問題だ…。
「卑怯だぞ!正々堂々勝負しろ!」
「親友ってどう書くか知ってる?親しい友って書くのよ」
に、憎たらしい!
憎たらしいが、この姿が数分前までの僕と同じであることは怒りから全て忘れ去っていた。都合のいい頭で助かった、というところか。
「ならば僕からもクイズを出すとしよう。五陵花はお風呂に入るとどこから洗うと思う?」
「きしょ…」
蔑まれるというのはこういうことなのだろう。
しかし、僕はすでに勝ちしか見えていなかった。勝利に貪欲な姿。僕はすでに人間ではなく、獣なのだった。何と言われようが勝てばいい。結果が全てなのだ。
「きしょ、が答えでいいのか?ん?きしょ、とはどこの部位なのだろうな」
「くっ…憎たらしい…!」
獣というよりは小学生である。
公共の場で自分の体を洗う場所について語られている本人はまだクレープに夢中だった。
「う、腕!」
「苦し紛れに答えたな、僕の答えは足の先、だ」
五陵花を見る2人。五陵花は相変わらず食べっぱなしだったが(何個目だ?というかいつ買った?)またもや視線を感じて顔を上げる。「ん」と言った後「足の指」と答えた。
「はーーーーーーーーっはっはっはっは!!!!!!!!!!恥ずかしいなあ仙道!腕という当たってる確率の高い部位を言って間違えるのは恥ずかしいなあ!!!!!!」
どう見ても恥ずかしいのはこの程度で高笑いしている僕なのだったが、生憎と自分の目は自分を映さないという構造なのでわからなかった。
「くっ…めっちゃきしょい…というかなんでそんなこと知ってるわけ!?」
「小学生まで一緒に風呂に入ってたからな」
「うう…気持ち悪い…誇らしそうにしてるのが気持ち悪い…」
清々しい気分だった。人間を失ってでも手に入れた勝利というのはここまで気持ちのいいものだったのか。なぜか僕のクレープまで五陵花に食われていたがもはやそんなことはどうでもいい。
よくよく考えれば仙道と同点ではあるのだが、僕の方が問題レベルが高い。さすがの仙道もわかっているのかとても悔しがっている。
「あたしがいろちゃんの幼馴染だったらなあ」
ふと、仙道が呟いた言葉に。
僕は思わず。
「あ、ああ…」
思わず、肯定しそうになっていた。
こんな明るくて、僕なんかにも話しかけてくれるような人間が幼馴染であったのなら、きっときっとどんなによかっただろう。僕は思わず脳内で考えてしまっていた。今まで五陵花と一緒にいた人間が、仙道結という人間だとしたら。ああ、それはとても。
僕が言葉に詰まっているとクリームだらけの手で僕の手を静かに五陵花が握った。
「私の幼馴染はうしくんだけだよ」
「ご、りょう、か…」
クリームだらけの顔で言うものだからあまり締まらなかったのだが、それでも、僕がそのセリフでどれだけ救われただろうか。そしてどれだけさらに自己嫌悪に陥っただろうか、数えたくもなかった。
首を傾げる仙道。何かを聞かれる前に「クリームぐらい拭け」と五陵花にティッシュを渡す。そろそろ帰ろうか、なんて考えた時だった。
駅前で催し物が始まった。
異形。
異形だ。
手が羽になっているハーピィの異形。モデルような体型で美しい顔立ち。ゲリラライブのようなものだろうか。その異形が空を飛んだ。とても異質な光景だった。楽しそうに空を浮いている。まわりの観客もそれを見て、盛り上がっていた。
ハーピィの異形はその美しさから差別の対象にはならないことが多い。だからああしてまるで自分から見せびらかすように異形の異形たる所以を見せつけているのだ。それでお金を稼げるのだからそれはもう立派な職業と言えるのだろう。
ネットに上がっている動画もかなりの再生数を稼いでおり、動画投稿者として生計を立てている異形もいるぐらいだ。
「やっぱすごいな」
生で見たのは初めてだが、こうして間近で見るとやはり迫力が違う。人みたいな異形が飛んでいるというのはそれだけで圧巻の光景である。
こういうの、なんとなく仙道が好きそうだな、なんて思って僕は仙道の方を見た。
「…」
いつもの、いや、いつものなんて覚えていなかった僕が言うのも失礼であるが、先ほどまでの仙道とは雰囲気が違った。ハーピィの異形を見て、眉間にしわをよせ、睨むように見ていた。
「あたし、異形が嫌い」
ぽつり、と呟いた。
「まるで人間のように生きているのが嫌い。まるで異形のように生きているのが嫌い。人に紛れて過ごしているのが嫌い。気持ち悪くて嫌い。ありえない。人間からあんなものが生まれる意味がわからない。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。人間と同じように歩いているのが、嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。気持ち悪くてしょうがない。あんなのを見て、喜んでいる人間が、盛り上がっている人間がいるのが理解できない」
口調も、変わっていた。
僕はその変化に言葉を失う。
「あんなの」
ぎりっと仙道は歯噛みした。
そして、言い切るのだった。
「あんなの、化け物じゃん」
よろしくお願いします。