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異形は恋をする。  作者: 桃文化
第2章 夢みるサキュバスはいつか醒める夢を見続ける
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第21話 ゆめのサキュバス⑨

 僕がなんとなく、なんとなく足を運んだのはさびれたデパートの屋上だった。

 人もいない。この時間はすでに放課後になっているだろうし、この時間帯でこの人の少なさは本当にそのまま潰れてしまいそうである。

 僕がここに来たのは夢乃との思い出の場所、のはずだからである。なぜか、記憶が曖昧になっていて。もう何を根拠にここに来たのかすでに忘れかけているぐらいだった。

 僕は、本当にここに来たことがあるのか、なんて思ってしまうほどに。

 そんなデパートの屋上にいたのは。

 翼と尾を生やした夢乃、もとい河上瑞穂だった。


「夢乃…」

「真実を知ってもまだその名前で呼んでくれるのね、兄ちゃん」

「お前は…河上瑞穂か…」

「大正解」


 サキュバスの異形、だと思い込んでいた普通の女の子。実際は夢乃人格がサキュバスだったというわけみたいだ。すなわち、憑依していたのは夢乃である。


「もっと動揺してるのかと思ったけど、なんか案外落ち着いてるね」

「怒涛の展開に理解が追いついてないんだよ。あと数時間したら大混乱する自信があるね」

「大丈夫、そんなに引っ張らないから」


 私は何もラスボスじゃないんだし、なんて言って河上瑞穂は笑った。

 展開は引っ張らないし、ここで物語は終わる。これ以上の引き延ばしはない。ここで決着を着ける。そう、言っているのである。

 僕は生唾を飲み込む。


「わかりやすいように言ってあげようか。このデパートの屋上のメリーゴーランド。あなたにとって懐かしいところでしょ?いえ、いいえ、違う。ただ懐かしいという記憶を植え付けられただけ。それでもあなたは、夢乃が好きだと、妹であると言える?」


 そう、すでに現実改変は解け始めている。

 夢乃は生命力を吸っていないため、エネルギーを使い続けることができない。エネルギーを必要とする現実改変はもはや継続することができない。

 僕の妹であるという現実を維持できない。

 実際僕の頭の中には夢乃が妹であるという現実とは別に、何か、他の何かがどんどん広がっていっているのだ。本来の現実が、僕に流れ込んできている。


「あなたは夢乃が人を殺しても、許してあげられるかな?」


 僕は。

 どう、なのだろう。

 夢乃が人を殺した。それ自体は悪いことだ。しかしそれは何も快楽殺人とかそういうわけではなく、夢乃が生きるためにやったことである。それを悪いと一方的に言えるのだろうか。


「許す…か。それは違う、河上瑞穂。許すか許さないかは僕が決めることじゃない。きっと殺された人の遺族が、この国の法律がそれを決めるんだと思う。まあ、サキュバスのやり方を立証できるような人間なんていないだろうが、それでも、だ」

「…」

「わかりやすいように言ってやる。許す許さないが問題なんじゃない。僕はいつだって何があったって夢乃の兄で、夢乃は妹なんだ。それは変わらない」

「なるほどね、現実が戻りつつある中でよくその回答が言えたわね。素直に驚いた」


 僕の頭の中ではすでに夢乃が妹であるという記憶より、他人であるという記憶の方が多くなっている。それでも、変わらないのだ。植え付けられた記憶であろうと、僕の妹でいた時期があるのであれば、それはきっと正真正銘妹で、家族なのである。

 むしろ嫌だと言っても僕の妹であり続けるからな、逃がさないぜ。


「実の妹より他人の妹の方がえっちに見えるものなんだぜ」

「なにそれ」


 この場面で滑るとは思わなかった。


「まあ、いいか。及第点ね。ほら、夢乃。あなたのお兄ちゃんはあなたを何があっても妹だと思ってるってさ。はやく適当な人間を見つけて生命力をもらいましょ。何も殺すまでもらう必要もないわけだし。みんなから少しずつ少量もらえばいいのよ」

『…ダメだよ』

「夢乃…そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。消えちゃうのよ。現実改変だけならわかるけど、あなたの存在が消えちゃうの」

『それでもダメ。少量でも数年分の寿命を吸うことになる。そうなったらその分その人が早く死んじゃう。そんなの夢乃が殺したのと一緒だ』

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。はっきり言うけど私はそこらへんの知らない人間が死ぬよりもあなたが消えてしまう方が嫌だ。だから…」

『でも、その人にもきっと家族がいる』


 夢乃の声はどういうわけか僕にも届いていた。

 姿は見えないけれど、どこかから声が。


『幸せな家族とは限らない。限らないけどきっと家族がいる。家族がいて、普通に生きてる。夢乃が生命力を吸っちゃったら、それを壊しちゃうことになる。瑞穂、夢乃はあなたがいて、兄ちゃんがいて本当に幸せだった。偽物かもしれないけど、それでも、とても、幸せだった。だから、そんな人の幸せを夢乃は壊せない。夢乃が壊すわけにはいかない』

「でもっ! でも…じゃあ、どうするのよ…あなたが消えたら私は1人になっちゃう…遊ぶこともできない…私を幸せにしてくれるって言ってたじゃない…」

『うん…ごめんね、でも瑞穂は強いからきっと大丈夫』

「大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないよバカ…」


 瑞穂は泣き崩れていた。

 きっとあれが最終手段だったんだろう。瑞穂のために生きてほしい。あなたが消えたら私は1人になるし、遊ぶこともできない。そんな自己中心的な言葉をわざと発して、夢乃が断りにくいように、選びにくいように、そうしたつもりだったのに。

 それでも、ダメだった。

 夢乃は、このままでは消えてしまう。


「夢乃…」

「なに?兄ちゃん」


 河上瑞穂が泣いた後に憑依したからだろうか。夢乃の顔は笑っているように見えたが、その目からは涙が溢れて止まらない。

 なんとなく、もう時間がないんだな、と気付いた。


「僕の生命力を吸え」

「ぜったいやだ」


 口を指で横にひっぱり「いー」と生意気な顔をする夢乃。

 でもそれはきっと強がりだ。

 自分が消えてしまう恐怖への強がり。恐ろしくないわけがない。大人びているとはいえ、まだ小学生なのだ。子供なのだ。死ぬんじゃない、存在の消滅がどういうものなのか。怖くないわけがない。


「言っておくが、僕は1人じゃ何もできないぞ。学校行って帰ったら夢乃の笑顔を見ないと動けないし、夢乃に起こしてもらえないと起きられない。ダメ兄貴なんだ…。お前がいないと何もできない情けない兄なんだよ…だから…僕の寿命を吸ってくれ…頼む…お願いだ…」

「兄ちゃんが殊勝な感じなの、珍しいかも」


 ふふ、と夢乃は笑う。


「でも、ダメ。これはね、兄ちゃんに会う前の夢乃が決めたことで、ずっと、ずっと守っていこうと誓ったことなんだ。初めてわけもわからないまま人を死なせてしまったときに想った、そんな誓いなんだよ」

「夢乃…」

「兄ちゃんに前、夢乃が妹でよかった?って聞いたことあったよね」


 あった。

 確か僕はよかったと即答したはずである。


「夢乃はね、兄ちゃんの妹であることがとても苦しかったよ…どんなに頑張っても夢乃は妹だから兄ちゃんの1番になれない…ほんとに苦しかった。何度も何度も別の立ち位置に替わろうと思った。それこそ彼女になってしまえばどれほど楽かって思ってた…でも、夢乃は兄ちゃんの妹というこの位置が大好きだった。夢乃は他人だけど、本当の妹じゃないけど、兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなって思った」

「お前はもう本物だよ…!」

「ありがとう、でも本当は気持ち悪いものなんだよ。知らない人がいきなり妹になってるんだからさ。もっと、警戒しないと…心配だよ…兄ちゃん…夢乃がいなくなっても変な人にひっかからないようにね…」


 涙が、止まらなかった。

 僕も、夢乃も、止まらなかった。

 なんでこんな別れの挨拶みたいになってるんだ。なんで夢乃は消えなきゃならないんだ。


「なあ、夢乃。キスしようぜ」

「…兄ちゃんのえっち。でも、優しいね。キスしたらそのまま生命力を吸っちゃうからダメだよ」


 ダメ、だった。

 あとは僕に何ができる。無理矢理唇を奪えばいいのか。でも、でも、そうして夢乃は喜んでくれるのか。それでこの先を生きることができても夢乃は幸せなのか。

 わからない。

 僕にはもうわからなかった。


「夢乃、兄ちゃんのことが好きだったんだ」

「僕も、好きだ…夢乃…」

「でもそれは夢乃の好きとは違う、そうでしょ?」

「…」

「やっぱりフラれちゃった…。夢乃、あなたの妹でいることが本当に辛かった。妹でいることが辛くて辛くて、でも妹でいたかったから、尚更辛かった」


 夢乃は両手を胸にあて、深呼吸をする。

 ほんとは手を握ってほしい。抱きしめてほしい。キスを、してほしい。でもそれらはもう叶わない。極限状態のサキュバスではそれらが全て生命力を吸うトリガーになってしまうからだ。

 それらのこと全てを夢乃は押し込める。

 出さないように、出さないように。

 でも、それにも限度があった。


「嫌だよ…夢乃だって…消えるのは嫌だ…ただ死ぬんじゃなくて存在を忘れられて消えていくってどんな感覚なの…もう誰にも残らないってどんな感じなの…夢乃はいなかったことになるの…夢乃は…」

「忘れないよ」


 僕は、弱い人間だ。

 ヒーローになれると、異形を救えるだなんて思っていた勘違い男だ。

 それでも妹の前では強く、強くあらなければいけない。


「忘れない、僕は絶対に」

「ほんとに…? 夢乃のこと忘れない…?」

「当たり前だろ? こんなに可愛い妹がいたことを忘れるわけない。僕はこう見えても妹属性持ってるんだ。ヒロインより主人公の妹に萌えるんだぜ」


 夢乃は涙でぐちゃぐちゃの顔を笑顔に変える。


「ふふ、なにそれ。でもそれなら安心だ。兄ちゃんが覚えてくれてるなら、安心。兄ちゃん、夢乃は兄ちゃんの妹でいることが辛かったけど…それ以上に幸せでした。大好きです」


 そう言って僕に可愛く、照れくさそうに投げキッスをして、そして。

 この世から夢乃の存在が、消えた。























よろしくお願いします。

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