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異形は恋をする。  作者: 桃文化
第2章 夢みるサキュバスはいつか醒める夢を見続ける
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第18話 ゆめのサキュバス⑥

「兄ちゃん!」


 ドタドタという足音。いつもおとなしいというか年齢の割に落ち着いている夢乃にしては珍しい。少しだけ慌てた様子を見せていた。僕はいつものようにリビングのソファに腰かけており、テレビを流し見しながら漫画をぺらぺらと読んでいる。

 もちろん、一大事とあれば僕は漫画より妹を優先する男だ。兄だ。視線を妹に移す。


「どうした? 虫か?」


 この家には虫が出る。夏は窓を開けているし、その時点であきらめてはいるのだが、家蜘蛛のようなものや小さなムカデのようなものまで出てくる始末。ちなみにこの家で虫をまともに触れるのは父親だけ。すなわち僕も全く触れないのでもし虫であれば僕も逃げるだけしかできないわけだが。

 少しだけ妹と距離をとりつつ、僕は聞いた。


「違うよ! ここ、兄ちゃんの通ってた中学校だよね!」


 そう言って見せてきたのは新聞紙。うちでとっているものではあるが、僕も妹も新聞なんか読まないので記憶から抜け落ちていた。僕は妹の広げた新聞紙を手に取り、ゆっくりと見出しを読む。


『最先端!異形教室』


 僕はすでにこの新聞を丸めて捨てたい衝動に駆られたが、妹がこちらを見ているのでそれもできない。記事を見てみると単純なことだった。それぞれの学年に異形教室というものを作る、という内容。その教室内には異形しかおらず、人に迷惑をかけることなく、差別されることなく、日々を過ごせるというものだ。

 正直、浅い。

 なるほど、確かに異形とは関係のない大人が作ったにふさわしい内容になっている。

 まずは、この教室にいるというだけで差別の対象になるということ。そしてこの教室にいる者はすべて異形であるとまわりにバレてしまうこと。

 これは異形のための教室ではない。

 異形じゃない人間が、平和に過ごせるようにするためだけの教室だ。この教室があって恩恵を受けることができるのは『近づかないほうがいい人間に擬態した異形』がわかる人間側である。

 要するに自分たちが危険に晒されたくないから、異形を檻に閉じ込めました、ということなのだろう。その気持ちを否定するつもりはない。ただ、やり方が、あまりにも。


「新聞に載るなんてすごいね」


 妹は別にこの記事の内容どうこうではなく、単純に身内の通っていた中学校が新聞に載っていたということを僕に伝えたかったのだろう。知り合いがテレビに出ているとかそんな程度の理由で。

 そんな妹の好意を無駄にするものなんではあるし、僕はなんとか表情を崩さないように「へえ、なんだか気恥ずかしいな」なんて全く嘘でもない感想を呟いた。


「もう少ししたら夢乃もここに通うのかあ…インタビューとかされるかな」


 されるわけがなかった。

 大体今回だって異形に関することであるし、人間である夢乃にはあまり関係のないことだろう。インタビューもきっとこの中学校に通う異形や先生を中心に行われるはずだ。

 もしかしたら、人間側にもインタビューされるのかもしれない。異形が身近にいて、不安ではありませんか?なんてインタビューが。

 人間側が「怖いです」「不安です」「この異形教室は助かります」なんてきっと新聞に載るのは肯定的な意見。異形に対する反対的な意見だけだ。

 だからこそ、なおさら、夢乃は新聞に載らないだろうという確信がある。うちの妹はきっと僕と似たようなもので、インタビュアーの望むような答えを言うタイプの人間ではないからである。


『異形であることって、そんなに人と違うことなの?』


 少し前のことを思い出す。

 僕は、紛れもなく、妹のその言葉で勇気づけられた。


「お前はたぶん新聞には載らないと思う」

「な、なんで!? か、かわいくないから…?」

「そこは問題ない」


 かわいいから安心してほしい。いや、そもそも新聞なのだから顔なんて関係ないはずだし。


「夢乃がいい子だからだよ」


 まだまだ異形には謎が多い。だからどんな考えが正しいとか、どんな行動が偉いとかそういうものも今はまだわからない。異形が社会に溶け込むことは悪いことなのか、人間たちが身を守るために偉業を隔離するのは悪いことなのか。きっと、良い悪いで片付くような問題ではないのだ。

 だから妹の考えが、異形も人間も変わらないという妹の考えが合っているだとか間違っているだとかそういうことを言うことはできない。

 できないからただ、僕は褒めようと思う。兄だから精いっぱいたくさん甘やかしてやるのだ。


「夢乃ははやく中学生になりたいのか?」

「うん、それはもう」


 ふうん。

 僕にはあまりそういう気持ちはわからないが、世間一般から見てやはり進学なんてものは大きなイベントで楽しみなものなのだろうか。

 環境ががらりと変わる恐怖。中学生はまだ、ほとんどの面子が変わらないとはいえ、それでも知らない人と顔を合わせることになるだろう。そこに馴染むまで、どれほどまでに長い時間が必要なのだろうか。

 そう考えるだけで億劫になるものだとばかり思っていたが。


「夢乃は友達がいるからなあ」

「兄ちゃんにも1人はいるでしょ?」

「いないよ」

「…」


 会話が終わった…。


「あ、そうだ。友達とはまた別の話かもしれないんだが、僕の話をちゃんと聞いてくれる人がいてだな。実は部屋の壁に色々話しかけているんだ。ほら、愚痴とかって途中で『それはお前が悪いだろ』って茶々入れられたら萎えるだろ?しかし、壁は何も言わない。何も言わずに受け止めてくれる。だから平気だったんだ、僕は」

「…」


 会話が始まらなかった。


「でも、確か兄ちゃんの高校、梔子さんいたよね」

「蛇縄か…」


 あれはなんというか友達とも言いにくい何かなのだが。

 しかし、その微妙な機微を小学生に理解しろというほうが無理なのであって、一度友達になったらずっと友達なんてことを信じている小学生の夢を壊すのも忍びない。


「相容れなかったんだよ。僕と蛇縄は。別に最初だって近所だったから成り行きで仲良くなったみたいな形だったし、もともと友達なんかじゃなかったのかもしれない」

「うーん、よくわかんないけど」


 夢乃は少しだけ唸って、そしてこう言うのだった。


「出会いって、とても特別なことだと思うの。一期一会なんて言葉があるように、とっても特別な何かで、出会うだけでそれは特別な関係なんだって」

「夢乃…?」


 一瞬。

 まるで、夢乃じゃないような、夢乃のような。


「夢乃はそう思いたい、夢乃と兄ちゃんが出会ったように」

「いや、それは…」


 兄妹なのだから、また蛇縄とは別の話だろうと言いたかった。

 それでもそれを伝えることはひどく野暮なように思えて。


「まあ、そうかもな」


 僕は肯定するのだった。

 結局は、僕が妹に甘いという事実で終わってしまいそうな話である。


「あ、でも夢乃がはやく中学生になりたいのは兄ちゃんに追いつきたいからだよ」

「追いつく?」

「うん、兄ちゃんと同じところにいたい」


 それは年齢的な話だろうか。そうなのだとしたらもう永遠に叶わないことになってしまう。そしてそれを理解していない夢乃ではないだろう。

 ということは社会的な地位の話か…?


「もうとっくに夢乃のほうが上だと思うんだが…」

「?」


 かわいらしく小首をかしげる夢乃。

 ということは社会的地位というのも違うのか。


「にぶちんの兄ちゃんにはわからないかもね」


 そう笑う夢乃は兄のひいき目なしにとてつもなく可愛かった。







「あ」

「あ」


 夢乃を追いかけて数分後。なんとなく人の多いところに行ってみようと思い、街のほうに出てきていた。とはいえ、所詮はなんちゃって都会。人が多いと言ってもうんざりするほどではない。一度本物の都会というものを味わってみたことがあるが、3秒ぐらいで人に酔い、吐いたことがある僕が言うのだから間違いない。これはうんざりするほどではないのだ。

 しかし、あくまで人混みだけの話であり、僕は今まさにうんざりするような状況に追い込まれていた。とある本屋の前を通った時、本屋の中から見知った顔が。


「蛇縄…」


 蛇縄梔子。ぼさぼさの髪の毛に整った顔立ち。そして高い背丈というある意味、男から反感を買うような選ばれた人間。

 微妙な距離感。こちらとしては協力してもらったというのもあるが、結局失敗した部分だってある。やはり、殊勝な態度であいさつをする気にはならなかった。


「ほう、本屋で買い物とはいいご身分だな」

「君の家では買い物は許されてないのかい?」


 殊勝じゃない態度をとろうとして何かを間違っていた。

 頭をフル回転させる。


「あ、ほら、この時間。まだ学校だろ」


 仙道もそうだが、うちの学校は大丈夫なのだろうか、こんなにサボる人間がいて。仙道も仙道でなぜサボっていたのかよくわからなかったし。


「そのセリフはそのままそっちにお返しするよ。僕は正式に休みをとってここにいる」

「まるで僕が正式に休みをとらずサボっているような言い方だな」

「違うのかい?」

「違わない」


 蛇縄が露骨に嫌そうな顔をした。まあ、蛇縄じゃなくても嫌な顔をするだろう、こんなに意味のない会話をされてしまえば。僕の場合は嫌がらせの意味もあるので、その顔が見れただけでもよしとしよう。

 なんとなく、協力したあたりからなあなあな関係になっていそうな、そんな感じが出ていたからもっとはっきりとこいつとは距離をとらないといけない。

 そんなことを考えていた矢先のことだった。


「ああ、そうだ。華彩さんは元気?」

「お前…」

「いや、すまない。別に変な意味じゃないんだ。だって、君は気にしないのだろう?誰が異形であろうと、いつも通りなのだろう?例え、〇〇が異形だったとしても」

「蛇縄」


 僕は僕の気持ちを抑えきれそうになかった。言ってもいいことと悪いことがある。ツカツカと蛇縄の目の前まで歩き、そして。

 そしてにへらと笑っていた蛇縄の顔が、真剣味を帯びたものになる。


「ああ、そうだ。そうだよ。僕があの時抱いていた気持ちは、『それ』だ」

「…」

「なあなあの関係。安心して。僕がうしくん、君とそんな関係になることはない。今後ずっとね」


 それは今、僕のほうでも思った。

 こいつとは、あの時のことがなかったとしても、きっといつかこうなっていたのだろうと、思う。


「君のご両親は立派なのに、どうして君はそうなのだろうね。異形専門家なんてものをやってるうちの姉の何倍も立派だ。もっと君も1人息子として…」


 ふと。

 気になった。その言い方に。間違っている、わけではない?息子は僕1人なのだから、当たり前だし当然だ。当然に決まっているはずなのに。

 それだと、まるで、僕の両親に子供が1人しかいないみたいな、そんな言い方じゃないか。手が、震える。確認、するか?何を?僕は何を確認するつもりなんだ。何を。何もおかしくなんてない、はず、なのに。何を恐れているんだ、僕は。


「僕がしっかりしなくても妹がなんとかするさ」


 なんて、僕は。

 何かを確かめるようにそう言った。








「君は…物語の読みすぎかい?君に、妹なんていないだろう?」







 ああ。まさに一番聞きたくなかった答えだ。


「蛇縄…ふざけるのもいい加減に…」

「それはこちらのセリフだって。まず、そもそも僕が君と一緒にいて、君の妹のことに言及したことがあったかい?一度でも、僕が君の妹に」

「あるだろ…一緒に遊んだことだって…」


 あったか?本当に?

 五稜花と、蛇縄と三人で遊んだことは今でも覚えている。だが、そこに、僕の妹が混ざって遊んでいた記憶は、ない?いや、思い出せないだけだ。すぐには思い出せないだけ。きっと時間さえあれば、ゆっくり考えることのできる時間さえあれば。

 また、前のような事態か?あれは梅子が泊まりにきたときのこと。僕は妹のことが記憶から抜け落ちていた。あの後すぐに元に戻ったから特に気にしてはいなかった。それこそサキュバスの異形に攻撃された後遺症みたいなものだとばかり思っていた。

 また、今もその症状に…?


「これがサキュバスの異形に取りつかれた人間の末路…」


 もし、もしも。

 夢を見せるサキュバスの異形に取り憑かれた人間が、夢のように消えてしまうような、そんな症状があったのだとしたら。このままでは、妹の存在が、消えてしまう…?

 僕はふらふらと歩きだす。蛇縄が何かを言っているような気がするが、聞こえない。そんなことをしている場合ではない。甘かった。話し合いでなんとかできると思っていた。でも、無理だった。もうなんとしてでも、力尽くでも、追い出さないと。


『いや、それはないと思うよ』


 携帯から流れる声。

 蛇縄木南。そういえばさっき小学校で僕は通話を切っていなかったかもしれない。それで今のことが木南さんに伝わっていた。


「木南さん、急がないと」

『うん、だからそれはないよ。言ったろ?夢を見せる異形だって。とり憑いた人間を消す?そんな力はないよ、サキュバスの異形には』

「そんなの」


 そんなのわからないじゃないか。

 だってまだ異形はわからないことだらけで、不確かで、僕らが知らない能力とか症状があってもおかしくないじゃないか。

 どちらにせよ、悠長にしている時間なんてないんだ。


「と、とにかく追わないといけないのでこれで」

『待ちなよ。私はね、また間違えていた。私がわかるのは異形のことだけでまさかこんな人間みたいな気持ちが絡んでいるとは思わなかったんだよ。人間のことはわからない。それこそ人間専門家にでも聞いてくれ。私は異形専門家なのだから』

「木南さん、話ならあとでいくらでも…」

『やってほしいことがあるんだ、君に』


 木南さんはそういうととある異形生活院の名前を僕に伝えた。それを携帯で検索しろというのだ。夢乃を探すためには木南さんの力も必要。僕は渋々いうことを聞いた。調べて、脱走者リストを眺める。確か華彩が入った生活院だったっけ。やっぱりこの生活が嫌になり、脱走する人もいるのだな、なんて思っていたが、ある1つの写真が目にとまる。

 …これは。


「夢乃…?」


 夢乃と瓜2つの女の子。

 いや、少しだけ幼い。小学校中学年、3年前の夢乃がちょうどこんな感じだったような。少し詳しく見てみるとこの写真がこのリストに載ったのは3年前。嫌なほどに時期が一致している。脱走したのは3年前、ということなのだろうか。

 名前は河上瑞穂(かわかみみずほ)


『基本、脱走なんてできないんだ。もちろん人の目があるし、命に関わるような異形だったらそれこそ大騒ぎ。この監視社会ともいえる現代で3年間も逃げることなんてできない。まあ、死んでたりしたら別だけどね、物騒だけど』

「何が言いたい…」

『いや、それこそ実体がない異形なんて逃げるに適してるな、なんて思ってね』


 それがなんだと言うのだ。

 夢乃は関係がない。この瓜2つの少女と、何も関係がないじゃないか。


『私はね、この子が夢乃ちゃんだと言ってるんだ』

「…夢乃はずっと、産まれた時からずっと僕らと過ごしてきた。そもそも生活院に入る理由なんてないし、入ったことだってない」

『だから夢を見せる異形だって言ったろ?夢を見てるんだ。うしくん、君は妹がいるという夢を見せられているんだよ』

「そんなの…」

『信じられるわけがない、か。ねえ、うしくん。サキュバスちゃんって確か一人称が私、だったよね。夢乃ちゃんが夢乃。そして、君のことを兄ちゃんと呼ぶ。君が最初にサキュバスに襲われたとき、夢乃ちゃんはなんて言っていた?』


——————「兄ちゃんは夢乃のことすき?」


 いや、そんなわけがない。だってそうなると、答えは1つしかなくなるじゃないか。それだけは否定しなければいけない。けれど、その材料がない。否定できるだけの材料が。

 がむしゃらに否定すればいい、そんな気持ちが起こらないのは、僕は心のどこかですでに解答に至っているから…?それで納得してしまったから…?


『なぜ、取り憑かれた夢乃ちゃんの記憶がみんなから消えることになる?』

「それは…」


 実体がないなら、普通消えるのはサキュバスの異形のほうで、とり憑かれた人間が消える理由がわからない。サキュバスと同化するから?いや、違う。だってサキュバスは夢を見せる異形なんだ。

 夢を見せるだけで、なぜ実体のある人間が消えることになる。同化なんて起こるはずがない。異形と、人間は、別物なのだから。







『単純だよ。私たちは間違えていた。サキュバスの異形は、夢乃ちゃんだ。夢乃ちゃんがこの写真の子、河上瑞穂に取り憑いているんだよ』







 僕は。

 僕は。

 僕は。

 僕は一体、何をしているのだろう。

 











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