第1話 ひまりサラマンダー①
僕は友達がいない。
少ない、とかそういうのではなく、いない。誰一人、友達呼べる人間がいない。高校生になって2年が経過した3年生の春。クラス替えで一喜一憂するクラスメイトを見ながら静かに窓の外を見ていた。
友達がいないとクラス替えも気楽でいい。誰も知らないから誰と一緒になってもどんな感情も浮かばない。「あーお前と一緒かよー」「そりゃこっちのセリフだってーの」「お、ここ野球部ラインじゃん、この縦列」「先生に目付けられてるだろうなここ」別にこのような喧噪を見てもなんとも思わない。
強がりとか、イキりとかそういうのではない。僕だってさすがに友達がいた方が楽しく過ごせるだろうな、あの人たちは楽しいんだろうなということはわかる。ただ、それがわかったからと言ってどうすればいいのだろう。
あのグループに入れてもらう?正気か?それはきっと弱さだ。動物がころんと腹を見せるように、私は弱いのであなたたちのグループに入れてくださいと言ってるようなものなのだ。
なんて、きっとこれも強がりなのだろうけど。
僕は静かに椅子を引いて誰にも気付かれないように教室の扉を開け、1人、廊下に出た。すでに昼休みに入っているからか、なかなか人が多い。でもこれなら1人でも目立たない。人の合間を縫ってひたひたと歩く。
目指す場所は図書室だ。
あそこはいい。なぜなら1人でいてもおかしくないから。むしろ図書室でつるむ人間の方が異端というあの空気がたまらなくいい。
結局は、友達が欲しいわけでもなく、1人が嫌なわけではなく、あの人は1人で可哀想、何か話しかけた方がいいかな、なんて思われることが嫌なのだ。
それを誤魔化すのにぴったりの場所。
ああ、はやく。はやくあの場所へ。
「どうしたの、うしくん」
女の子らしい甘い声が聞こえた気がした。慌てて振り返る。そこにいたのは可愛らしい女の子だった。見た目はギリギリ小学生でも通用するようなかわいらしい顔でありながら、背が低くどこかずんぐりむっくりとした印象を受ける体格。そこまで身長が高くない僕のことも軽く見上げている。ぽっちゃりしていてほんわかしている、どんな犯罪者もきっとこの空気を浴びれば更生するだろうと思わせるようなオーラ…。
「五陵花…」
五陵花色味。
所謂クラスメイトで、幼馴染、というやつになる、のかも、しれないが。友達としてはノーカンだと言っておこう。どこの世界に唯一の友人が女の幼馴染という男がいるというのだ。
「学校で僕に話しかけるな、と言ったはずだが。あとうしくんってのもやめろと言っているはずだが」
「うん?そだっけ?」
「そうだよ!何回も!ずっと!中学生の頃から!ほぼ毎日!」
マジで忘れてるのかこの女…。
僕より全然頭はいいはず…。わざとか…?いや、そういう計算みたいなことをできるような人間ではない。そんな器用な人間じゃない。なんでもかんでも笑顔で押し込んできたような女だ。それだけは断言できる。だとするとマジで忘れてるのかこれ…。
僕は何度も五陵花に学校で話しかけるな、と言っている。理由は単純。僕がクラスで、学校で浮いている存在だからだ。あいつは友達がいない。可哀想なやつ。絡みにくい。話しにくい。陰キャ。数々の陰口を制覇してきた。
そんな僕に話しかけてみろ。今度はこいつまで標的になるかもしれない。標的、というのは言い過ぎか。僕は決していじめにあっているわけではないのだから。
ただ、悪い噂は流れる可能性がある。
それこそこのクラス替え直後の大事な時期。最後の高校生生活の大事な時期。噂好きの高校生のことだ。正しかろうが正しくなかろうが面白そうなトピックがあればそれに食いつくに違いない。
「まあまあ」
「まあまあじゃなくてだな…お前も僕も高校生だからわかるだろ?こう…幼稚園とか小学生の時みたいにはいかないって。なんだって色恋沙汰にする連中だ、あんまりこう…僕に話しかけるとあれだぞ…なんというか…まわりから…ほら…五陵花さんってあの、陰気なやつと付き合ってるんでしょーみたいな噂話が…」
なぜこんな説明をしているのだろうか。それこそ僕がこいつのことを意識しているみたいでとても嫌なのだが…。しかし何度説明してもわからないのならば直接的に言うしかないだろう。
正直、こいつなら僕と話しても何も問題ない、むしろあの可哀想なやつにも話しかけるいい人…となる可能性もあるだろう。だが、それは何回目までだ。毎日毎日僕に話しかけていたらさすがにおかしいと思い出す人間もいるだろう。
だから懇切丁寧に伝えなければいけない。
「そしたらお前にも迷惑がな…」
「付き合ってる?」
「そこからなのか…?ほら、恋人同士ってやつだよ…」
説明しているこっちが照れてくる。
これでようやくわかってくれるだろう。こんな自分を貶める様なことはあまり言いたくなかった…。褒美にこいつ顔を赤らめてかああ~みたいな背景音と共に照れてくれると目の保養になる。
「あ、それはないよ~」
死ぬほどフラットだった。
「私とうしくんってどっちかっていうときょうだいみたいじゃない?」
「ああ、僕が兄「私がお姉ちゃんで」」
「…」
にへらと笑う五陵花。どう考えても見た目は僕の方が兄、だと思う。期待しておいてなんだが、こいつのそういった面、恋愛面での照れた顔とか見たことないな、そういえば。感情が死んでる…わけないか。
まあ、この笑顔でも十分に目の保養になってはいる、見慣れた笑顔だが、それでもだ。特に言い返すわけでもなく、軽くため息をついてくるりと五陵花に背を向ける。
「あ、そういえば…どこに行くの?」
「それを聞きに来たのか…別に図書館に行くだけだよ。受験生としてはおかしい行動じゃないだろ」
「そうなんだ、よかった~どこか具合悪くて保健室行くのかと思っちゃったよ」
「…」
本当にそれを聞きにここまで、ね。
五陵花は僕と違って友人が多い。それこそ男女問わず、だ。そりゃ同性の友達の方が多いだろうが、男からも親しみやすいと思われており、一部には熱狂的なファンもいるほどだ。
きっと、ここに来る前まで、友人と楽しく話していたに違いない。そしてそんな話が盛り上がろうが盛り上がらなかろうが、それを断ち切って、僕のためだけにここに来た。心配で。僕のことが。
五陵花は人の評判とかを気にするタイプの人間じゃない。誇張なしで悪口なんか一度も言ったことがないだろう。分け隔てなく接するその姿はほんとうに聖人君子のような…。
でも僕にはわかる。そんなことを繰り返しているのはよくないと。僕が教室から抜け出すたびにこんなことを繰り返していては…僕だけじゃない、五陵花にまで何かよくない噂が及ぶかもしれない。
僕は、それだけは、何が合っても、もう絶対にそれだけは許容できない。
「あ」
そんな可愛らしい言葉と共にきゅるる~と五陵花のお腹が鳴る。お昼ごはんを食べたばかり、そんな時間帯にも関わらず、だ。
「あはは、またお腹減っちゃった」
「…」
無邪気に笑う五陵花。
僕はそんな五陵花に、うまく笑顔で返せなかった。にへら。何度やってもだめだ。ああ、僕には無理だ。僕は五陵化に対してうまく笑えない。
「五陵花、もう一度言う。学校で僕に話しかけるな」
「え、でもうしくん」
「そのうしくんってのもダメだ。これからは苗字で呼べ。あと、もう僕を追ってくるな。僕は大丈夫だから。ほら、受験生だからな。忙しいんだ。お前も勉強しないといけないぜ」
すたすたと歩いて図書室の扉を開ける。
これでいい、僕は今の内容を告げる時、絶対に五陵花の顔を見ないようにしている。初めて中学生の頃にそれを伝えた時の顔を今も忘れられないからだ。笑顔の塊のような彼女が、泣きそうな顔をしているのを。もう、それは、それだけは見たくないと思っていたはずなのに。
情けないことに、それは今も同じで、わざと彼女の顔を見ないようにして、そして静かに図書室に入り、扉を閉める。
扉を閉める直前に五陵花が小さく呟いた。
「私、うしくんよりテストの点数高いよ」
そこじゃない。
〇
さて、と。
図書館の中に入ってしばらく進む。僕がよく読む小説コーナーへと行くためだ。なぜこんな新学期初日に勉強をしなければならない。あとは午後から一時間ホームルームを行えば帰れるのだ。
五陵花にああは言ったものの、さすがにあと一年あれば受験なんて問題ないだろう。たぶん。
春休みに入る前まで読んでいた小説の続巻に目を向ける。内容は…よし、まだ思い出せる。この分なら今まで読んでいた巻数の再読は必要ないだろう。まとめて借りるのも手だが、新学期早々鞄が重くなるのも嫌だ。本を手に取って近くの机に座る。とりあえず昼休みギリギリまでここで読んでいこう。
ペラリ、ペラリ。
紙のめくれる音が聞こえる。
電子書籍やらが進んでいる中ではあるが、やはり静かな空間で本のページをめくるというのはなかなかに替えがたいものだと思う。
そんな電子書籍VS紙論に口を出せるほどの読書家というわけではない。しかし、頭の中で好き勝手考える分には問題ないように思える。
例えば教室にテロリストが攻めてくる空想とか、好きなあの子の裸を想像する、だとか。頭の中に仕舞っておけばそれは罪じゃない。
ぺらり、ぺらり。
時間を忘れて没入していく。
まるで小説の中の登場人物になっているような…。そんな気分になっていく。読んでいる本の内容は簡単だ。可愛らしい女の子と一緒に主人公が旅をするお話。ファンタジー小説で魔法や剣を駆使して戦っていく。ああ、これはいい。女の子が笑っていて、主人公も笑っていて、苦戦しても鍛錬して勝っていく。女の子が危ないシーンでは主人公がそれを庇っていた。
…。
これがいいんだ。
ぺらり、ぺらり。ぱち。
ふと、少しだけ、時計を見るために本から目を離したところで、ページをめくる以外の音が聞こえてくることに気付いた。
ぺらり。ぺらり。ぱち。ぱち。
何かが弾けてるような音。なんとなく、たき火を思い出した。小さいころ、小学生のときに家族みんなで行ったバーベキューの炭の中で火が弾けるような、そんな音。
火…?
人の気配がして時計からそちらへと目を向ける。
「…」
「…」
女の子、と目があった。
女の子、と断定できたのは制服がスカートだったからだ。この高校は制服がブレザーで、制服が可愛くて入学したいという女の子もいるほどだ。いるほどだ、が。今、そんなことはどうでもよかった。
その女の子の顔が燃えていた。
本当にそのまんま、燃えていたのだ。顔の様子は見えない…というか火で顔が見えない。見えたとしてもこれ、もう中身骸骨になってるのでは…?燃えきってしまうのでは…?
かろうじてその炎の形からこの女の子がツインテールであることがわかった。そんなことわかってもどうしようもない。
「驚かないのね」
「驚いてはいる…その…水、いるか?」
鞄から水の入ったペットボトルを取り出す。
「いらないわ、そんな水じゃ私の炎は消せないもの」
すごくかっこいいセリフだったと思う、これが炎の能力者だとしたら。ただ、この女は自分が燃えているため、なんだか強がりにしか聞こえなかった。もう手遅れだからいいよ、と。まあ、もう手遅れだろうな…。驚きつつも冷静でいられるのはなんだか現実味がないから、だと思う。夢を見ているのではないか。それとも僕の空想か?確かに頭の中で何を考えてもいい、とは言ったが、頭が燃えてる女を考えるような精神状態ではない。
「保健室、行くか?」
「私の炎で枕をダメにするわけにはいかないわ」
「プール、とか…?」
「私の水着が見たいってこと…?」
なんでそうなる。
女の子の頭がボッと強くまた燃えた。照れた…のか…?
「しょ、初対面なのに何いきなり言ってるのよ…!」
初対面なのになぜこの女は燃えてるのだろう。
なぜか日常的な会話がひどく浮いているように思える。
「ま、まあ、いいわ…。さて、二択よ。私の話を聞くか、燃えるか選びなさい」
脳みそまで燃え尽きたらしい。
静かに手をあわせて合掌する。次生まれてくるときは火災に気を付けるんだぞ。
「なめてるのかしら」
「それはそっくりそのままお前に返したい」
ああ、と女の子は合点がいったように「説明がまだだったわね」と呟いた。
「私はサラマンダーの異形、といえばわかるかしら。あなたに手伝ってほしいことがあるの」
よろしくお願いします。