第16話 ゆめのサキュバス④
学校をサボった。
サボって夢乃の通っている小学校に来ていた。場所はグラウンド。確かこの時間は夢乃が外で短距離走を行うとかって言っていたはず…。そしてまさにその通り、夢乃たちのクラスがグラウンドに次々と集まってきた。その中であのガキ、佐野とやらも見つけつつ、夢乃の姿を見つけた。手を振りたくなる。お兄ちゃんが見ててやるからな…安心して走れ。
僕はちなみにどこにいるかというとグラウンドの片隅にある木々が生い茂る場所。その中に紛れ、隠れて夢乃の様子を見ているところだった。
手元にはスナイパーライフルが1つ。中にはもちろん弾は入っておらず、入っているのは性欲抑制剤。
まあ、どちらにせよ見つかれば警察に逮捕されるだろうな、という自覚はあった。小学校、侵入、ライフル、性欲抑制剤。これ弁明できるものが1つもない。
そんな犯罪スレスレ、いや、最悪犯罪行為に手を染めているのも別に僕が小学生に興味のある変態だからではない。夢乃の様子を見に来たのだ。
サキュバスの異形。
いつまた再発動するかわからない異形性。
羽が生え、尾が生えてしまえば、夢乃は淫乱サキュバスになってしまう。そんなこと、学校で起こってしまえば色々と終わりである。
目が覚めた夢乃の様子はいつもと変わりなかったが、しかし朝食中ににゅるりと尾が生えたのだ。なんとか生えきる前に性欲抑制剤を飲ませたからよかったものの、それが僕の目の届かないところで行われてしまえば終わりだ。だからこそ、ここにいる。
僕はスナイパーライフルを構えた。望遠鏡で夢乃の様子を見る。言った傍から尾のようなものがうっすら生えてきている。心を落ち着かせ、引き金を引く。無音で飛ぶ薬。それが夢乃にぱちんとヒットした。よし、木南さんに借りたものだったから不安だったが僕のようなエイム力でも十分狙える。
薬がヒットした夢乃は「ん?」と不思議な顔をしながらも何事もなかったかのように準備運動に戻った。
「よし、これで妹の性欲は抑えられた」
「なにやってんの…?」
まず、ここで僕に誤算があったことを伝えておこう。僕がいるのはグラウンドの隅。すなわち敷地の端である。もちろん学校のまわりには道路があるため、僕の真後ろは人通りのある道路であった。そして、その道路とグラウンドを隔てるものがフェンスしかないため、外からは割と丸見えであるのだった。
だから、声をかけられた時終わったと思った。
ああ、さよなら夢乃。お前の性欲、もう守ってやれないや…両手を挙げてお手上げポーズ。僕は声の主の方を向いた。
そこにいたのは。
「あ、仙道」
「…」
仙道結。
僕のクラスメイトだった。
「なんだ、仙道か。いやあ、そうとは知らず勝手に逮捕されるかと思ったよ」
「返答次第によってはまだその予感を大事にしたほうがいいと思うケド…」
まあまあと仙道をなだめる。
僕は仙道に対して説明することにした。こんなことをしている理由、尋常ならざる理由があるのだ。ああ、でも確か仙道は異形を毛嫌いしているのだったっけ。だとしたら妹が異形であることは言わない方がいいか。要点だけ伝えよう。
「誤解だ、仙道。僕はただ妹の性欲の様子を見ていたんだ」
「それ誤解何も解けてない」
あれ?
首を傾げる。
説明が悪かったのかもしれない。今度こそ。
「説明しなおそう。僕は妹の性欲が膨れ上がる瞬間がわかるんだ。その瞬間に性欲が爆発しないように抑えてあげる必要があってだな…この銃で打つとすーっと性欲が抜ける、それで僕は妹の性欲を常に注視する必要があるんだよ」
「…」
仙道が虚空を見つめていた。
まだ説明が足りないのか。
「仙道、よく聞け。僕は妹の性欲が膨れ上がる瞬間をこうして小学校のグラウンドで待つ。それが僕の生活の一部になっているんだ。そして膨れ上がった性欲、一番膨れ上がりそうな瞬間にこの銃でクスリをキメる。そうすることで妹の性欲が抑えられるんだ。だから僕が学校をサボってこうして妹の性欲を確認しているというわけであってだな」
「…」
仙道が白目をむいていた。
女の子がしていい顔ではなかった。
「仙道、お前真面目に聞いてるか?最初から説明すると、妹が昨日僕を押し倒すぐらい性欲が暴走してしまってな…尾…じゃなくて縄で緊縛されてしまった時はもう終わりだと思ったし頬を舐められた時はこの快感に身を委ねてもいいなんて思ってしまったことも事実ではあるが、このままではいけないと持ち直した。しかし性欲というのは人間の中で切っても切れないものなのでどうしても再度性欲が暴走してしまうことがあるわけだ。僕はその瞬間を待つ狩人…息を殺し、誰にも気付かれず、妹を狙う狩人なんだ。正直僕のエイム力というのかな、こういう的当てって得意じゃないんだけど、木南さん…ええと見た目が小学生のおばさんがいてそのロリおばさんがこのスナイパーライフルを貸してくれたんだ。これがなんか扱いやすくて当たる当たる、クスリをキメるのにちょうどいいったらない。だからここに性欲抑制剤を詰めてこうして妹を狙って…むっ! また性欲爆破の兆候が!せいやッ!!!!!!!!!!!!!! …よし、これでしばらく大丈夫だろう。さっきの一発は当たり所が悪くてあまり効かなかったんだろうな。手持ちの弾数がなくなる前にクスリの売人から買うとするか…この快感、やめられなくなりそうだ…ああ、すまん仙道。それでな」
仙道が泡を吹いて倒れていた。
「せ、仙道ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
駆け寄ろうとするがフェンスが邪魔で駆け寄れない。
なんてことだ。これではさしずめロミオとジュリエット。彦星と織姫だ。こんな、こんなフェンス一枚で僕は仙道を助けられないなんて。
「仙道! 大丈夫か! くそ…まだ説明の途中だというのに…ああ、そうだ妹の性欲が増したっていうのは別に妹がもともとえっちだったからとかじゃなくてだな…」
「もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!! わかったから!!! もうわかったから黙って!!! 頭が割れそうになるからこれ以上は!!!!!」
こんな必死な仙道は初めて見たな…。それほどまでにショックだったのだろう。僕のこの妹を想う献身的な心が、よい意味で。
「と・い・う・か! なに? まず、あたしに何か一言ないの?」
「え? お久しぶり…?」
「違う! 違うでしょ! もっとあるでしょ! あんたあたしに何したか覚えてないわけ?」
い、いろいろあり過ぎてもう覚えていない…なんて言ったら殺されてしまいそうな気迫だった。
華彩のことがあってすぐに夢乃のことがあったため、色々と記憶が曖昧になっているところがあるのだ。もうその前後が鮮明に思い出せない…。
しかし僕はそこで諦める様な男ではなかった。思い出したのである。
そう、確か僕はキスをしようとしたのだ。そしてびんたをされた。そのことについて仙道は起こっているのだろう。…たぶん。あれ、なんかの記憶と混ざってそうだ、が。ふと思い出すあの赤い人。スカーレット中学生。記憶が混濁している。
「あれだろ、キスだろ」
「あ、あんたどさくさに紛れてあたしにちゅ…き、キスしたの!?」
「してねえよ!」
いや、したの!?
してないの!? もうわからなかった。真実は1つだけじゃないのかもしれない。
「そうじゃなくて! あ、あたしの…、む、胸を揉んだでしょ…?」
涙目になりながらこちらを見る仙道。
胸?
「なぜ僕がお前の胸を揉む必要がある」
「あたしが聞きたいのよ…」
またしても膨れ上がる怒気。
ああ、まずい。直感でそう分かる。しかし、その怒気が僕に向けられることも、解放されることもなかった。というのも、それどころではなくなったからだ。
悲鳴が聞こえる。
夢乃のクラスからだ。
僕は振り返り、望遠鏡を覗いた。
「夢乃…」
はっきりと、翼と尾が発現している。
黒いそれは白い体操服によく映えていた。本物そっくりに動く羽と尾を見て、クラスメイトが悲鳴を上げたのだ。一番近くであれを見た僕だからわかる、羽と尾がついていて可愛いね、なんて感想では終わらないのだ。異形。異質であるという雰囲気。それは、恐怖に似た感情だった。
人というものは基本的に異形に慣れていない。だからこそああして、間近で見た時は、いつもと違った…。要するに映像だけで見たことがある熊が実際に現れたら、逃げるだろう。叫ぶだろう。泣くだろう。異形を見た衝撃はそれに似ている。
「まずい!」
夢乃には異形のことを伝えたくなかった。だから僕が見守るという条件付きでこうして普通に通学させたのが間違いだったのか。ここでけが人が出たら、僕の責任だ。僕はライフルを構えて引き金を引いた。パチンという音と共に薬が射出される。薬はそのまま夢乃に向かい、そして…夢乃の手で握りつぶされた。
ふらりとよろめいた夢乃はこちらを見た、ような気が、して。あの感じは、前とはまた違う。確実に、邪魔をするな、と敵視するような目。余計なことをするな、と言いたげな。
「仙道、逃げろ!」
風圧。
目の前を、車が、いや、それ以上の速さで何かが通った気がして、目を開けると、目の前には翼で浮いている夢乃が、いた。あの距離を一瞬で飛んできたのか。
「な、なによ…大海原の妹…?」
仙道が後ろで言葉を失っている。
それはそうだろう。人が浮くだなんて、それこそ、人ではありえない光景だ。
「兄ちゃん、どうして『私』の邪魔をするの?」
「夢乃…」
その邪魔が何を指しているのかはわからないが、しかし、1つだけわかることがあった。今、サキュバスの状態である夢乃は、いつもの夢乃とは違う。別人みたいな、いや、本当に別の人のような…。
とにかく、とにかく。この状態の夢乃は危険だ。あの時、体験した僕だからこそわかる。少しでも、性を満たすようなことをされれば、きっと僕は死ぬ。
あまりの気持ちよさにそのまま昇天してしまうのだ。真面目に。いたって真面目に。
「僕が夢乃の邪魔? まさか。僕は常にお前のことを考えて生きてきたんだぜ」
「はあ…なるほどね。『この子』がこうなるわけだわ」
この子、というのは、誰のことなのだろう。
いや、それよりも、こうして、夢乃の姿で僕と話しているお前は、いったい、誰なんだ。
「私は夢乃よ。あなたが一番わかっているんでしょ?」
「わからないな、僕はお前が夢乃とは思えないんだが」
それこそ、まるで別人格のようで。
少なくとも、僕の知っている夢乃などではなかった。
「じゃあ、知らなかったんでしょ? あなたが私を知らなかった、それだけのことじゃない?」
夢乃は僕を見る。
いつもの、やさしい、僕に懐いているような、愛らしい目ではなく、本当に心の底から僕を嫌ってるような、軽蔑しているような、そんな目で。
僕を見る。
「よく、私のことを考えて生きている、なんて言えるわね。もし、本当に考えているのだとしたら、こういう結末にはならないはずよ」
「こういう…結末…?」
僕はまだ、このサキュバスに纏わる話は始まったばかりなのだとそう思っていた。これから先、どうやって生きていこうか。なるべくなら人間と同じように生活してほしいなんて思いながら、夢物語を語りながら、その段階だと思っていたのだ。
しかし、目の前のサキュバスは違うという。
もう物語は終わっていて、始まってなどいなくて。すでに決まってしまっていると、そういったのだ。
「どういう…」
聞こうとして、不意に携帯が鳴る。着信だ。
「出てもいいわよ。別にその間にあなたを食べちゃおうなんて思ってないから安心して」
嘘っぽい笑顔でそういうサキュバス。
僕は目線を外さず、ゆっくりと携帯を取り出した。番号には覚えがある。画面をタッチして電話に出た。
聞こえてくるのは聞きなれた、もう随分長く聞いている声。
『あ、つながった!もうてっきり逮捕されたものだと思っていたよ』
蛇縄木南。
蛇縄梔子の年の離れた姉にして、蛇縄診療所の異形専門医。
「ええ、まあ…ただちょっと逮捕よりもやっかいなことになっちゃって…」
『大方、目の前にサキュバスがいるとかかな』
エスパーなのだろうか。
それとも遠く離れたところで僕を見てるとか。
『まあ、ちょうどよかった。君の生死はどうでもいいんだけど、しかし死ぬ前に少しでも私の話を聞いてほしい。私の過ちを訂正させてほしい』
僕の生死はどうでもいい、という部分は非常に納得がいかないが、状況が状況のため、黙り込むしかない。これはある意味こちらの反論を防ぐような、パワハラめいた何かじゃなかろうか。
『私のような天才にも過ちがあるとわかって安心しているのかい?』
「いいからはやく言え」
こっちは少しでもサキュバス様の機嫌を損ねたら死ぬかもしれないんだぞ。
『少し、少しだけ訂正したいことがあってね。いや、私もどうかしてたよ。こんな大切なことを忘れていたなんて…忘れていたというよりかは、忘れさせられていたのかもしれないけど…君に説明したサキュバスの異形の特徴あれは間違いなんだ』
「間違い?」
確かめちゃくちゃ性欲が高くなる、とかだったっけ?説明されたことは。それで抑制剤をくれたんだろうけど…。確かにあの時、なんだか腑に落ちないような、そんなことを言っていたっけ、このロリおばさんは。
『君は、異形の世界二大理論って知ってる?』
唐突に始まる異形の授業に僕は少しだけ面食らう。
しかし、この人が話をするということは今、説明に必要なことなのだろう。たぶん。いや、これこの人が話したいだけかな…。
「えっと…突然変異説」
なんらかの異常、病気から細胞に異常が起こり、人間とは別の何かが生まれるという説、だった気がする。勉強したのはかなり前なので知識が曖昧になっている。
要するにこちらはあくまで元が人間で、その人間が突然変異で異形になるという説だ。
確か…提唱者はアリソン・スカーレット。
「あとは…基本異形説」
突然変異などではなく、異形という人間とは別の存在がいるという説だ。人間が異形に変わるのではなく、異形は最初から異形であるという説である。
提唱者は仙道小道。
この2つが今最も有力な説と考えられており、賛同者もきれいに二分しているような状況だ。
『正解。じゃあ、一番支持、賛同者の少ない説って知ってる?』
知っているわけがない。
それこそ両手の指じゃ足りないぐらい説はあるのだ。そのたくさんの中から一番支持率の低い説だなんて、歴史の授業で、まったく有名じゃない武士の名前を問われるようなものだ。
木南さんは僕を異形オタクか何かだと思っているのだろうか。
『いや、知らないだろうと思って聞いた』
おい。
『まあまあ落ち着いて。一番支持率が低いのはね、隣国説』
本当に聞いたことのない説だった。
『うん、突拍子もないよ。隣国って要するに別世界ってことなんだから。このいま私たちがいる世界とは、別にある世界。近くにあるだけで認識することのできないとなりの世界。異形はそこの住人で、そこからはみ出た異形がこの世界に迷い込んだ、という説さ』
「それはまた…」
とんでもない説である。
見えない世界、認識できない世界があって、異形はそこからあぶれた者たち、ということになるのだろうか。そもそも異形は生まれたときから異形だなんて言われることが多いけれど、異世界からはみ出した異形がお母さんのおなかの中に入り込むということ…?
ますますわからない。
『提唱者は齋ケ原汐。こいつ自身も学会からのはみ出し者、なんて言われてる。だからこんな説を考え出した、ともね』
それはそうだろう。
大人になっても、まだ異能を信じていたり、かめはめ破が撃てると思っている人間が、浮かないわけがない。それこそ、孤立してしまうにきまっている。
それぐらい突拍子もないことだった。
異世界?
認識できない世界?
『でもね。でも、サキュバスの場合はその説が一番当てはまるんだ。サキュバスは性欲の増す異形なんかじゃない。夢を見せる、異形なんだ。夢を見せて、精を搾り取る。そんな異形なんだよ』
なるほど。
いや、しかし、たとえそうだとしてなぜ隣国説が当てはまるのだろうか。それこそ、基本異形説が一番当てはまるようなものじゃないか。夢を意図的に見せるだなんて、人間のできる技ではない。
突拍子もない隣国説より納得できるが。
『2つの説はね、あくまで異形という存在が、そこにいる、ということを基盤としているんだ。目に見えて、そこにある。そこにいる。それこそ人間と似た姿でね。ただ、サキュバスの異形は少しだけ違う。サキュバスの異形は、夢そのものなんだ。存在はなく、見ることができない。そこにいるようでいない。そんな異形なんだよ。何が性欲の増す異形だ。全く私が間違えるなんて悪い夢でも見ているみたいだ』
それ、は。
それは、なんとも言いにくい。存在しない異形。そんなの、創作の中での話みたいじゃないか。
『存在しない。存在できない。だからサキュバスの異形は人にとり憑く。何かを抑えつけている人間にとり憑いて、それを開放させる。ああ、だからね。その性欲抑制剤、逆効果なんだ。抑えつければ抑えつけるほどに悪化する。より欲望が発現する。なあ、そうだろ』
そこにいる、夢乃ちゃんにとり憑いたサキュバスの異形ちゃん?
よろしくお願いします。




