表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異形は恋をする。  作者: 桃文化
第2章 夢みるサキュバスはいつか醒める夢を見続ける
17/28

第14話 ゆめのサキュバス②

 夢なんてものはきっと刹那的なものだと思う。

 寝ている数時間の出来事。中には数分の睡眠時間で夢を見ることだってある。壮大な、人生をかけるようなそんな夢をたった数分間だけ。

 時間の流れがまるで違うかのように、現実世界と夢の世界では、大きく感覚が乖離しているように思えるのだ。

 ひどく刹那的な時間で、とても長い長い夢を見ている。

 その一時的なもので、数時間後には夢の内容さえ忘れているような。

 刹那的な夢。

 誰にもコントロールできない夢の結末を、ただ僕は見続けて、そして思わず願ってしまうのだ。

 どうか最後までいい夢でありますように、と。













「それは性欲活性化ホルモンが一時的に膨大に分泌された結果だろうね。恐らく、だけど。性欲活性化ホルモンの分泌により、性欲を我慢ができなくなり、思わず押し倒してしまったり、相手のことを舐めたりしてしまう。まだ小学生の夢乃ちゃんがそういう性知識がほとんどなくてよかったね。たぶん性欲の解消方法が裸、舐めるの2つだけだったからそれで済んだんだと思うよ。お互い貞操が守られて何より何よりだ」


 蛇縄診療所にその後すぐ向かった。親は今日も帰りが遅いとのことで五陵花に夢乃のことは任せている。さすがにあの状態で1人にはできない。しかしだからといってただ待っていることもできないのだった。

 明らかに異形な事態。

 明らかに唐突な変化。

 明らかに、人間ではない異質の者。

 夢乃のあれは確かに、異形のように見えた。

 だからこうして木南さんのところに来たわけなのだが「また?きみさっきまで別の異形のことで悩んでたよね?」なんて言いのけたのだった。

 僕だって困惑している。人間だと思っていた妹が、異形だったなんて。


「困惑、ねえ。まあ、それで済むのは君、すごいことだと思うよ。異形なんて、とんでもないなんて発狂しながら来る親だっているんだから。発狂したいのは本人だっつーのにね。その点、さすがというべきか、人間と異形を差別しない、なんて領域にいないもんね。人間と異形、わけたうえでどちらも正しいとする。相変わらずイカれた理論だと思うよ。私は大好き」

「それで」


 それで。

 本題に戻ろう。

 木南さんはこんな職業だからか話好きだ。放っておくといつまでも話し続ける。永遠に。ずっと。いつまでも。関係ない話にだって脱線する。だからこうして僕が話を元に戻さなくてはならないのだった。

 僕がいないときの木南さんは、どうしているのだろうか…。案外あの蛇縄が手伝って、話を元に戻しているのだろうか、とも考える。っと、僕も話が逸れていた。


「それで、僕の妹は…」

「異形だよ」


 木南さんは僕のことを随分と評価している。こんな人間は見たことがない、と。頭が燃えてる人間に協力する人間なんて普通いない、と。

 差別するしないではなく、それぞれを、人間と異形と、それぞれ認めている、なんて。そう評価して僕のことを気にいってくれているみたいだが。

 しかしこうして、妹が人間ではなく、異形と言われてしまうと少しばかり、面食らう。僕は思わず黙ってしまった。木南さんも「さすがにショックみたいだね」と呟いている。


「しかも、形態を見るに、サキュバスの異形だね」

「サキュバス…」


 確か、えっちな夢を見せる、んだっけ。雑な知識しかないけれど、夢の中に女の姿で現れて、それで性行為を求める、とかなんとか。その夢を見たものは精神状態の悪化や死の前兆なんて言われていたみたいだけど、思春期の男からしたらそんなの日常茶飯事である。

 何回死ねばいいのだという話だ。

 色々と誤解されているのかなんなのか、単純にえっちな悪魔みたいな存在であるというように描かれることも多い、みたいだが、僕としてはもうどちらでもいい。

 えっちであれば、どちらでもいいのだ。


「いや、君の性癖は知らないけれど。さてはまだ混乱してるな?自分の妹がサキュバスになって、混乱しているんでしょ。まあ、でも、それこそ異形でしか説明ができないと思うけどね。異形でなければ、君の妹がただ急に発情して兄に手を出そうとした、という結論になる」

「…」


 確かに。

 あれで異形ではありません、なんて言われたら僕はどう接すればいい。そういう想いを抱えたまま生活していたんだね、なんて生温かい目でしか見ることができない。

 木南さんは直接見たわけではないので全て推測、なんて最初に言っていたけれど、あの尻尾も、翼も、本当に生きているようだった。作り物とは思えない。

 それに。

 舐められた時のあの快感。

 あれは、普通ではない。それこそ、死にそうだったのだ。


「わかりやすく、単純に、汗を舐めていたのかもしれないね。男の成分を摂取するために。きっと夢乃ちゃんは自分ではどうすることもできない性欲をなんとかするために行動していたのだから」


 サキュバスの異形。

 それは単純に性欲が増す、ということなのだろうか。華彩のような見かけの変化は…あったな…。あの悪魔のような尾に、羽。どう見ても作り物ではないし、尾については伸びて僕を拘束したのだから。

 誤魔化せないだろう。

 いや、夢乃の場合、問題なのは見た目ではないのか。増した性欲を、どうするのか、という部分が問題である。

 性欲が増した、とだけ聞けばただの思春期だという一言で片づけられそうなものではあるが、そんな簡単な問題ではなかった。


「そうだ、君はさっき死にそうになったと言ったよね。まだ君にしか被害が出ていないみたいだけど、『死にそうになった』のならそれは攻撃性があるということになる」


 攻撃性があるのなら。

 その異形は自分の異形をコントロールできるまで施設に入ることになるのだ。人間から離れて、異形として生活することになる。電話等はできるのかもしれない。いや、もしかしたらそれすらもできない可能性があるのか。

 どちらにせよ、しばらく会うことはできないだろう。場合によってはもう、永遠に、会えない可能性だってある。

 華彩…。

 僕は、まだその事実から回復しきっていなかった。


「まあ、私はどちらでもいいと思うよ。私は医者であって警察とかではないし。正直、誰が死のうが関係ないと思ってるから。でも、これだけは覚えておいた方がいいかもしれないね。もし、夢乃ちゃんが自分の異形で人を殺してしまったとき、果たして夢乃ちゃんはどうなってしまうのか」

「…」


 結局は、そういう話なのだろう。

 まだ小学生だから、なんて、理由は通用しない。それは僕の考えなのであって、世の中の、そして夢乃のことを考えるとどれが一番いい選択肢だなんて、わかりやすいほどにわかっている。


「とりあえず、性欲活性化ホルモンの分泌を抑える薬を出しておくよ。まだ人体に関係している異形性でよかったね。ん…いや…」


 そこまで話して木南さんは何かにひっかかったのか怪訝そうな顔をする。


「いやね、その通りでなんかひっかかるんだ。それが何なのかはわからないけど、性欲を増す異形…うーん、まあいいや」


 いいわけないだろヤブ医者。


「大丈夫大丈夫、この薬は平気だから。みんな使ってるよ」


 勧め方がジャンキーだった。

 しかし、と木南さんは僕を見る。


「なんだ、案外押しに弱いんだね。てっきり思わずえっちなことをしちゃうのかと思ったよ」

「いや、妹だよ?」


 常識人の顔をして妹の胸を揉んだことはもう忘れていた。

 都合のいい頭なのである。


「男の子なんてそんなものなのかもしれないね。例えば、そうだな。私がいきなり君におっぱい吸ってみる?って言ったらどうする?」

「吸います」

「気持ちが悪い」


 感想ではなくて今の問いの意味を教えてくれ。


「なんというか、今日はうしくん日和という感じなのかな」


 いきなり立ち上がって病室の方に向かっていく。なんだかやいのやいの言い合いながらもゆっくりと病室から木南さんが出てきた。何かを連れて。木南さんもその見た目とおりかなり小柄ではあるのだが、それと同じぐらい、いや、少し大きいか。なんだかふんわりとしたシルエット。しかし、一切木南さんの後ろから出てこないため、誰なのかが僕にはわからない。

 小さな木南さんからはみ出ている部分を見るに金髪の長い髪、そして赤色のアクセントがある可愛らしいふんわりとしたドレス。印象としては小さなお姫様、だった。

 …。

 嫌な予感がした。


「恥ずかしがって出てこないからさ、連れてきちゃった」

「は、恥ずかしがってなんかない!」


 木南さんの言葉に反応する女の子。

 その声を聞いた瞬間に全てを理解した。過去の記憶を思い出す。僕が華彩を救えるだなんて勘違いしたのは別に何の根拠もなかったわけではない。

 過去に、誰かを助けた経験があったからこそ、そんな大きな言葉を吐けたのだ。結果的にただの驕りでしかなかったけれど、しかし、確かに僕が救えた何かがあるのは事実なのである。

 その1人。

 あれは確か高校1年生の時であったか。

 女の子が観念して木南さんの後ろから出てくる。やっぱり、お姫様のようで、そして。


「は、ハロー、ダーリン。ひ、久しぶり~…」

「う、梅子…」

「その名前で呼ばないでって言ってるでしょ!!」


 可愛らしい少女の声。常盤梅子(ときわうめこ)。正式には常盤・スカーレット・梅子だったか。本人は梅子という名前が気に入らないみたいでスカーレットと呼べ、なんて言われたものであったが。

 まるで外国人のような見た目ではあるが生粋の日本人、なのでスカーレットなんて呼んだ日にはまわりからどんな目で見られるかわからないのだった。

 ごっこ遊びか何かだと思われる。

 確か、今は中学3年生だったっけ。


「というかなんでそんな引きつった笑い方なのよ、私が来てあげたというのに」

「お前だって嫌そうだったじゃないか…」


 なかなかにうまく言い表せない関係である僕と梅子。

 要するに梅子の主治医は木南さんなのである。僕が高校1年生の時、梅子が中学1年生の時に木南さんの手伝いで色々と苦労したわけではあるのだが…。

 久しぶりの再会であるのに、いや、久しぶりの再会であるからこそ、どこかぎこちないのであった。


「というか、そもそもそのダーリンとかいうのをやめろ」

「なぜ? 嬉しいでしょう? ダーリン。私にはあなたしかいないの、好き好きダーリンちゅー」


 ガッ。

 割と本気で殴った。


「い、痛い! 痛いじゃない頭が!」


 女だからってセクハラ罪にあたらないと思うなよ。

 僕は冷徹に冷静に対処する。女性でも、全裸になれば逮捕されるのだ。極端すぎる例ではあるが。というか中学3年生相手にこの距離感は僕が逮捕されてしまう。

 とはいえ。

 強くは否定できない。

 こいつのあり方を。

 こいつも諦めているという点では華彩とよく似ているか。

 そう、常盤・スカーレット・梅子は異形だ。ここ、蛇縄診療所を利用していることからもわかる通り、異形なのだ。

 そして異形故に、人と関わることを諦めているお嬢様、なのである。だからこそ異形と知っても何も変わらなかった僕しか、その…所謂…恋仲になる相手はいないと思い込んでいる。

 そもそも中学3年生でそんな追い込まれた考え方をするなと言いたいところではあるが、人間である僕にはなかなか強くは言えないのだった。

 所詮当事者ではないのだから。

 僕は人間なのに未来永劫1人で生きるつもりでいるぞ、と話したら哀れみの目で見られたことを今も忘れていない。

 梅子はお嬢様、みたいだし、具体的にどういうお家柄なのかはわからないけれど、もしかしたら結婚して子を産むみたいな人生が普通で、当たり前で、それ以外は許されないのかもしれない。

 推測でしかない、が。


「それで、お前は『どの』梅子なんだ?」

「失礼ね、私は私よ。1人だけ。いつもの、私よ」


 てっきり蛇縄診療所にいるものだからまた何か異形関連で悩んでいるものだとばかり考えていた。

 僕が解決した、なんて救った、なんて大仰に言ってはいるものの、一時的なものでしかない。異形とは簡単な病気ではないのだ。完治しない。永遠に今後付き合っていくべきものであり、一度異形性が治まっても、次にまたその異形性がどうなるのか、なんてことはわからない。

 誰にもわからないのだ。

 そう考えると夢乃のあれも今後ずっと付き合っていかなくてはならないものだと考えると、重い。僕はいい、僕はいいが夢乃がどう思うか。


「まあまあ、そんな邪険に扱うものじゃないよ。自分を慕ってくれる女の子なんていくらいてもいいだろう? 特に君は喜びそうなものだけど」


 単純に、単純にだ。

 梅子は別に僕が好きなわけではない。ただ、僕以外の人間のことを諦めているだけなのだ。そんな中この状態を僕が享受できるわけがない。それに、まだ長いこの先こいつに好きな人ができる可能性だってある。

 だったら、色々な諸々はそいつにしてやればいい。

 僕にしたことが、後々響くことだってあるだろうし。それこそ年頃の娘になんとなく、でその慕いというスキンシップを受け止めてしまうことなんてできないのである。

 だから、少し強めでも、僕は拒否しているのだった。

 妹の胸は揉むが、僕もいろいろと考えているということである。

 女子中学生に好かれて喜ばない男はいない?常識ぶってるんじゃない?性欲が皆無?なんとでも言うと言い。僧侶。僕は今、僧侶になるのだ。こいつの前では煩悩を捨ててやろう。なんと揶揄されても僕は決して梅子のことを好きにならない。


「ん? そうなのかな。だって今日だって梅子ちゃん、君に会いに来たみたいだよ。わざわざ」

「だー! 言わないでって言ったのに!!」


 わちゃわちゃと手を振る梅子に笑う木南さん。久々に見る光景であるが、最初から何も変わっていないな、この人たちは。

 しかし、しかししかし。

 梅子はどうやら、なに?ええと、僕に?会いに来た、と言っていたのだったっけ?いや、僕としてはどうでもいいのだが。高校生が、中学生相手に期待することなんて何もないわけだし。大人として、中学生に対して別段どうも思ったことはない。

 だが、もし、もし、梅子が僕に少しでも好意があって、それでわざわざこうして会いに来てくれたというのであれば、まあ、やぶさかでもない。満更でもない。

 その好意を受け止めてやってもいい。

 全くマセたガキだ。本来であればそう一蹴してもいいような事態ではあるが、僕も鬼ではない。鬼ではないし、僧侶でもない。男子高校生なのだった。

 まあ、まずは軽いスキンシップからいくとしよう。ここで距離を詰め間違えるととんでもないことになるのは僕でも知っている。いや、クラスで孤立している僕だからこそ知っている。

 優しく、まずは僕に会いに来たという理由でも聞いてやるとしよう。

 やれやれ、全く、どうしてこう僕は女の子に好かれてしまうのだろうか。


「梅子」

「な、なによ…名前で呼ぶのはやめてって言ってるでしょ…」

「キスをしよう」


 ものすごい勢いでビンタをされた。


「な、なにしようとしてるのよ!」

「いや、キスだが…」

「どういう思考ならそういうことになるのよ!」


 最初はお前の方から求めてきた癖に…。


「じ、自分でするのとされるのは…ち、違うから…」

「じゃあ、しろよ」

「え…」

「僕にキスをしろ」

「う…」


 お互い見つめ合う。

 傍から見ればいい雰囲気、だなんて思われるかもしれないがやっていることはセクハラだった。


「う、う…うわーーーーーーん!! 木南ちゃーーーーーーん!!」


 泣かれた。


「よしよし。怖かったね、この距離の詰め方が下手くそな陰キャは私が成敗しておくから」


 散々な言われ様だった。


「というかなんでまず恋仲?普通に君のことを友人として、会いに来たなんて選択肢はなかったわけ?」

「…」


 ごもっともだった。

 ダーリンと呼ばれようが、先ほど自分でも自戒していたように、別にこいつは僕のことを好きなわけではないのであった。

 悲しいことに僕も煩悩まみれの、僧侶とはかけ離れた遊び人なのである。

 木南さんはため息をつきながら僕の方を見る。また言葉の刃で僕を斬りつけるつもりかと思っていたが、予想は外れ、また夢乃のことに戻っているようだった。


「ま、今度夢乃ちゃんを連れてきなさい。診てあげるから」


 泣きついた梅子を優しく撫でながらこちらを見る木南さん。

 見た目が小学生ではあるのだが、こういう時は年相応に見えてしまう。しまうってまるで悪いことかのように言ってしまったが。


「あれ? ダーリンその手に持ってるの何?」


 落ち着いたのか唐突に梅子が僕の手を、左手を指さした。

 手?

 僕も自分の手を見る。そこにあったのは、というより握られていたのは。


「あ」


 夢乃のキャラパンツだった。

 木南さんも気になったのか僕の左手を見る。


「ん?あまりよく見えないけど…なんだいそれ?」

「ハンカチです」


 まずかった。

 今の話の流れで夢乃のパンツを握っていましたなんてことになったら、それこそ、最悪木南さんとも梅子とも関係が終わってしまう。梅子は正直どうでもいいが、木南さんはこれからもいろいろとお世話になるつもりだった厚顔無恥な僕である。

 ここで関係を崩したくはない。というか、いい兄みたいな形で相談していて実は妹のパンツ握ってましたってどういうことなのだ。意味不明さの渋滞が起こってしまう。


「随分可愛らしいハンカチを持つのね、ダーリン」

「ああ、妹が勝手に買ってきてね。まあ、可愛い妹から渡されたハンカチなのだから、兄として使わないわけにもいくまい」

「へー、ダーリンも案外人の心があるのね…ふーん…兄妹か、いいなあ…」


 僕は妹のパンツを持つ兄など御免だ。


「でもそのハンカチ、なんか穴あいてない?」


 木南さんが余計なことに気付く。

 普段はまるで僕のことに興味なんて示さないのになんでこんな時だけぐいぐいくるのだ。もう忘れてくれ。僕のハンカチのことなんかどうでもいいだろう。


「ああ、えっと、最近の流行りなんだ」

「流行り?ハンカチだったら布面積がある方がいいような気もするけど。ほら、拭きにくそうだし」

「…」


 もうよくないか?

 なぜここまで僕のハンカチに執着するのだろう、この人たち。


「いや、これ実はマスクにもなるんだ。ほら、こうして被ると…、ちょっと息苦しいけど穴から目が出てまわりが見える。そして鼻と口を覆うことができるから花粉症対策の必需品なんだ」

「…」

「…」


 まさかおふざけとか一切なしに変態仮面になるとは思わなかった。

 さすがの2人も引いている。引いているというより気付き始めている。これがハンカチではないだろうことに。さすがにマスクは無理があった。

 妹のパンツを被る変態仮面がここにいた。


「え、それ…パンツ…」

「おっと、面白いことを言うな、梅子。どうやらスカーレット家というのはパンツを頭に被る習慣があるらしい。お前はこうしてパンツを頭に被るのか?僕は被らない。お前が日常的に被っているというのなら僕は変態という言葉を甘んじて受けよう。しかし、そんなことをする人間はいない。僕もだ。これはパンツではなくてハンカチなんだよ。さて、梅子。お前はパンツを被るんだな?」

「う…か、被るわけないでしょ! じゃあ、ほんとにハンカチなんだ…」


 よし!

 こいつは弱い!

 まだ中学生だけあって色々とやりやすい。


「いや、ハンカチも頭に被らないだろう」

「…」


 手ごわい見た目小学生がいた。


「そもそも、形状が普通にパンツだし、それ妹ちゃんのパンツでしょ」


 名探偵がここにいた。

 しかし、名探偵を前にしても犯人は簡単に罪を認めるわけにはいかないのである。


「証拠がない。これがパンツである証拠が」

「逆にハンカチである証拠もない」

「…」

「ここから帰るときさ…それ、被ったまま帰りなよ」


 え?

 木南さんの言葉が理解できなかった。


「いや、だからそれがハンカチで、マスクにもなるっていうのならそれ付けたままでも帰れるでしょ?そうしたら信じてあげる。通報だけはしないであげる」


 通報一歩手前だったの?


「まあ、当然つけて帰れる。そもそも花粉症のためのマスクだからな、外でつけなくては意味がない」


 適当に診療所出た時に外せばいいだろう。

 幸い下校時間を過ぎたこの時間帯であれば人も少ないはずだ。誰かに見られる前に外せばいい。木南さんはこの診療所の医者、もとい専門家であるし、さすがに留守にはできないだろう。営業時間だってまだあるのだから。

 一緒についてきて、マスクを外さないかどうかを確認し続けるなんてことはないわけだ。


「梅子ちゃん、そこの変態についていってやってくれ」

「なぜ!?」


 わざわざ人を使ってまでこの話に執着する!?


「いや、そもそも、梅子ちゃんは君に会いに来たって言ったろ? 君の家に泊まりに来たんだよ、というよりそうするしかなかった、という感じだけど」

「え、ええ…その…」


 この中学生また家出したのか…。

 言いにくそうにしている梅子の姿を見て一瞬で察する。僕にはわからない世界ではあるが、本当にこの世には週末にダンスパーティーを開くような家があるということだ。

 お金持ちの家といえば聞こえがいいが、その分色々としがらみがあるのだろう。昔、いや、初めて出会った頃も家出をして…それで…。

 パンツを被って昔を懐かしむのもどうかと思うが。


「確かに定期健診の日ではあったんだ。本来は私がこの子の家に行くつもりだったんだ。訪問診察ね。でも、この子から診療所で健診を受けたいって言われたもので、こうして診察していたわけなんだけど、帰りたくないって言い出して」

「僕の家より木南さんの家の方が安全だろう」

「私の家が安全?正気かい?」


 そういって上を指さす木南さん。

 そうだった。ここは異形嫌い蛇縄梔子も住んでいるのだった。いや、それこそ異形であればすぐに手を出すような人間ではないが、それでも、不安というか、なんというか。そもそもあいつなんでこんな異形ばっか来るような診療所に住んでいるんだ。

 恐らく単純に1人暮らしするような金がないというわけなのだろうが、高校を卒業したら間違いなく、ここから出ていくだろうな。

 さて、これで僕は詰んだわけだ。

 僕のこのパンツを確認してほしくないから僕の家に泊められないというわけにもいかない。本来であれば家に帰れというべきなのだろうが、前も一度泊めたことがあったし。

 それに人手は多い方が助かる。僕は常に夢乃を見ていなければならないし、五陵花がこの後自分の家に戻れるのであれば僕以外に人が欲しいところである。


「まあ、いいか」


 いいわけなかったが、今の僕に妹より優先するものなど何もなかった。夢乃のためならば中学生誘拐未遂だってしてみせよう。これ本当に大丈夫だよね?家に泊めたことが犯罪とかじゃないよね?友人だよね、僕たち?

 前門の通報、後門の警察。

 どちらにせよ逮捕されるのであれば少しでも生産的な方がいい。とても惨めだった。妹のパンツを被りながら歩くというのは。

 そして、その様子を梅子に見られながら「ほんとに便利そうね、お鼻とお口を覆って」と無邪気に言われるという拷問めいた時間が続き、僕はとうとう泣いた。

 人目も気にせず、泣いた。というか、見られたら終わりなので人目のないところを歩いて、泣いた。

 泣きながら、中学生を連れ、家に戻るのであった。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ