第13話 ゆめのサキュバス①
家に帰ると玄関で全裸の妹にマウントをとられていた。
どういう状況なのかまるでわからないが、僕も同様にわかっていなかった。頭が混乱したままで頬を駆け抜ける快感にただ身を委ねている。
妹である夢乃はまるで悪魔のような黒い羽と矢印のような尾を生やし、こちらを楽しそうに見ている。夢乃がぺろりと自分の唇を舐めた。いつからこんな蠱惑的な子に育ってしまったのだろう。
お団子頭はいつものように、しかし、見た目以外はまるで夢乃ではないみたいだった。これではまるで、まるで。もしかして、いや、あの羽と尾が本物であるならば。
異形。
1つの可能性に思い当たった。
こんな短期間によくもまあ、ここまで異形関連のことが起こると驚いているが、それどころではない。
がっしりと足でホールドされているため、この体勢から動けないのだ。そしてさきほどのセリフ。えっち…?えっちとは一体…?
「くっ…! 夢乃…僕をどうするつもりだ!」
「ふふ…聞こえなかった?」
「わからない! わからないぞ! 夢乃! 具体的にえっちとはどういうものなのかを言ってくれないと僕はわからない!」
「え、そ、それは…」
「なんだ! えっちとはなんなのだ! 具体的に言え!」
そう、僕はわからない。決して夢乃の口から下品な言葉を聞きたいとかではなく、説明されなければわからないのだ。えっち、なんて大きな範囲をカバーする言葉では夢乃が何をしたいのかがわからない。
兄として、妹の期待に応えるためにも、きちんと聞かなくてはならない。
ああ、悲しい。
こんな兄としての気持ちも、傍から見ると通報されてしまうレベルなのがとても悲しい。
「えっと、〇○○を〇〇〇にいれてそのあと〇〇〇を」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!やっぱり夢乃の口からそんな言葉聞きたくないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
完全に馬鹿2人だった。
この状況を見ても誰も助けてくれなさそうである。
一体なんの異形なのかはわからないが、しかし先ほどの快感。あれを継続的にやられてしまえば本当の意味で昇天してしまう。ふざけているように見えるが割と命の危機なのだ。
そもそも、キスをされただけであの有様なのだ。もし、夢乃の望むことがこれ以上のことなのであれば、夢乃のお願い事をきくと同時に僕は死ぬ。
…。
一瞬そんな快感と引き換えであれば死んでもいいのでは、と考えてしまいそうになった。そもそも、そもそも。妹とそういう行為に及ぶことは許されないのである。僕は心を強くもった。
まずはこのマウントをなんとか、体勢を変えなくては。
「はっ!」
妹の胸を思いっきり揉む。
ふにっという軟らかい感触。まだまだ小さいように見えて、やはり体は少しずつ女へと近づいていたということなのだろうか。少し見ぬ間に成長しているようだった。
本来であればもう少しその感触を確かめたいところであったが、今はこういう状況であるため、なかなかそうもいかない。
そう、何も僕は妹の胸を触りたかったわけではないのだ。いきなり胸を揉まれた驚きにより、力が緩まった瞬間、僕はこの体勢から抜け出そうという作戦なのである。
やましい気持ちは一切ないのだ。
僕は兄なのだから妹に対するえっちな気持ちは0と言ってもいい。
万が一数パーセントでもえっちな気持ちがあればそれは兄ではない。ただの変質者である。兄として、僕はここで夢乃にはっきりと伝える必要がある。お前でえっちな気持ちにはならない、と。
「んっ…」
「…」
罪悪感がすごい。
「あっ…」
「…」
「に、兄ちゃん…んっ…」
「…はっ!」
しまった。抜け出すのを忘れていた。
とんでもない作戦である。こちらが胸を揉むことに夢中にさせるため、あえて艶めかしい声を出すとは。なるほどやはり小学生といえど、僕の妹。侮れないというわけか。
そんなことを漠然と、いまだにこの状況についていけない頭で考えていると足だけでホールドするのは不安と感じたのか矢印のような尾が僕の体に巻き付き、そのままがっしりと捉える。
…。
状況が悪化した。
「兄ちゃんはそのままじっとしていればいいの」
ぺろり。
と。
今度はキスされたほうとは逆の頬を舐められる。
「あひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい死ぬうううううううううううううううううううううううううううううううう!!!??」
先ほどとは比べ物にならないぐらいの快感が僕の頬を襲った。
のたうちまわるようにゴロゴロゴロゴロと床を転がる。しかし一向にこの尾による拘束はとけそうになかった。ふざけているように見えるが、割と本当に、命の危機なのである。
妹に舐められて気持ちよすぎて死ぬなんて死因絶対にごめんだ。それは生まれ変わったとしてもその罪を背負っていかなければならないほどの業である。
夢乃はちろちろと舌を動かしている。くっ…なんて女だ…少し前までお風呂に入る前に着替えを覗くだけでも照れていたぐらいなのに…嫌がらせにトイレに入ってる時にドアを思いっきり開けた時も照れていた…それなのにどうしてこんなに…。こんなに変わってしまったのだろう。
僕が少し見ていない間に。
僕が、炎を見ている間に。
「兄ちゃん…気持ちよさそう…」
ふわふわと、そう口にする。
またペロリと舌を出し、そして僕を舐めようとする。
今はギリギリ下校時間。もう学校も終わっているだろう。こんな形で頼りたくはなかったが。本当に。だって僕だけはそれに頼るわけにはいかないのだから。
しかし、声が届いているものだと信じて、僕は叫ぶ。
「五陵花ぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
少しだけ時間が経って。舌が届く直前のことだった。
がちゃりとドアの開く音がした。
普通ノックとかインターホンとか押さない?と思いつつも、その相手がとても、とても見知った顔であることを確認して僕は笑った。
五陵花色味。
僕の幼馴染にして、まるで漫画のように僕の家の隣に住んでいる女の子。
「うしくんだいじょうぶ?」
「死ぬ一歩手前」
「ん、わかった」
とてとてと歩き、夢乃の近くに寄る。
夢乃をそのまま僕から引き離した。引き離したというより抱っこをしてそのまま後ろに運んだ形になるのだが。夢乃は何が起こっているのかわからない顔をしている。驚いているからかそのまま特に抵抗もせず、運ばれていった。恐らく僕と五陵花の連携プレイのすごさに驚いているのだろう。
「に、兄ちゃん…最後の最後に女の子に、しかも小さい色味さんに頼るの…?あんなに学校では僕に話しかけないでくれとか言っておきながら…?」
うるさかった。お前後で覚えとけよエロ妹。
そしてその動きに合わせて尻尾に掴まれている僕もずるずると引きずられる。
「五陵花、尻尾をほどいてくれ」
「ん」
しゃがんで僕を掴んでいる尻尾をほどこうとしたとき、しゅんっと掴まれている感覚が、尻尾と共に消える。ドタンという重い音。夢乃が倒れていた。
尻尾は消え、あの黒い羽も消えている。
僕は妹に駆け寄る。おでこを触ってみるが、熱はないみたいだ。先ほどみたいな火照りも何もない。まるで、さっきの一件が夢だったみたいに、綺麗に消えてしまっていた。
「なんだったんだ…」
「うしくん、とりあえず服」
「あ、ああそうだな」
僕は脱げかけていた自分の服を正す。
「そうじゃなくて夢乃ちゃん」
「…」
その通りであった。
僕の服が脱げかけていることなんてどうでもよくて問題はこの妹が全裸であることであったのだった。
急いで2階にかけあがり、妹の部屋にずけずけと入り込む。箪笥をあけて妹の下着を物色した。あんなことがあった後だ、さっきのことを夢乃がどう思っているのかわからないが、しかし、もし、起きた夢乃がさっきのことを覚えていたら…いや、それならまだいい。もし、起きた夢乃があの悪魔のような夢乃であったのなら…。こんなパンツ一枚では夢乃の貞操は…。
そう、僕が恐れていること。
それは僕以外の前であの姿になることだった。とんだ痴女。もし同学年の男の子にあんなことをやってしまったら…逮捕されるのは全裸になった妹か、全裸を見た同学年の男子か、それともその男子の記憶を消そうと鉄パイプでそいつの頭を殴る僕か…考えただけでも恐ろしい。
「だ、ダメだ…もっと防御力の高いパンツを…! もっともっと…! 強いパンツを…!」
気持ちはさながら強さを求める少年漫画の主人公。
できれば貞操帯みたいなものがあればよかったのだが、さすがに一般家庭にそんなものはなかったし、あったらあったで僕はこの家から逃げる必要性さえあったわけだからこれはこれでいいだろう。
僕は色気も何もない可愛らしいキャラもののパンツを片手に握って1階に降りる。
「待たせた、五陵花」
僕が1階に降りるとすでに夢乃は布団で寝ていた。恐らく五陵花が敷いたのだろう。昔、五陵花が泊まりに来たときはこの布団を隣に並べ一緒に寝ていたものだったが、今はさすがにそんな気恥ずかしいことはできない。もう使われなくなった布団である。
しかし綺麗な状態で埃も一通りはらったのか、夢乃は不快感なんてなさそうに眠っている。
というかもう服も着ていた。五陵花が着せたのだろう。
「遅い」
「…」
別にふざけていたわけでは全くないのだが、パンツ選びに時間をかけていたという事実が僕の中に罪悪感を生む。何も言い返せなかった。
「しかも下着だけ。服は?」
「…」
僕の人権が消えた瞬間だった。
僕がキャラもののパンツを持って項垂れていると五陵花が今度は僕に近づいてくる。ち、近い。本当に昔から距離感が変わらないというか、こいつは今でも小学生の時のように僕と、接することができると思っているのだ。
お互いにすでに思春期に入っているはずなのだが、そんなこともおかまいなしに五陵花はずい、と顔を僕に近づける。自慢ではないが、僕は人の目を見ることが苦手なのだ。目をすぐに逸らしてしまう。汗もかく。慣れた五陵花でもこのようになってしまう。かいた汗をキャラもののパンツで拭く。
「ごりょう、か?」
「うしくんはだいじょうぶ?」
ああ、なるほど。
もとはと言えば僕がこいつの助けを求めたのである。しかも死ぬ一歩手前だなんて。僕の心配をするのも、こいつにとっては当たり前のことだった。
「ああ、僕は大丈夫。五陵花、ありがとう。お前のおかげで助かった」
「ん、よかった」
にっこりと五陵花が笑う。
何よりも見たかった光景であった。僕は思わず、昔の癖で五陵花の頭を撫でてしまう。こうすると五陵花は気持ちよさそうにするので、昔は2人で頭を撫で合ったものだったが。
しかし、身長のせいかあの時からこいつは全く、何も変わっていないように思える。それは変わっていない五陵花が変なのか、変わってしまった僕が変なのか、わからない。
でも、いま、この瞬間が幸せなら、それでいいと、僕は思うのだった。
「ん」
今度は私の番とばかりに五陵花が手を伸ばす。
い、いや。
「そ、それはいい。さすがに恥ずかしい」
見た目が小学生の女の子に頭を撫でられるなんて、そんなのご近所さんに顔向けできない。顔向けできないという点でおいては先ほど妹の胸を揉んだり、妹の下着を物色している方が強いとは思うのだがもうそんなことを考えている余裕はなかったわけだし。
僕はひたすらに拒否をする。しかし五陵花も譲らない。案外頑固なやつなのである。
「うしくん、また1人で頑張ってたでしょ」
「え、あ、妹とのえっちを我慢したこと?」
台無しとはこのことだった。
「そうじゃなくて、あの燃えてる人」
「ああ、華彩のことか」
ちょうどさっきだった。
華彩の悩み事を聞いて、そして思わぬ方向に進みながらもなんとか、無事とは言い難い結末を迎えたのだった。未だに後悔をしている。未だに、というより、さっきのことであるから、後悔している。僕が、余計なことをしなければ、華彩は施設に入らなくてもよかったのだろうか、と。
我慢して、我慢して、みんなと生活することを選び続けてきた華彩に対し、僕は、自分の力を驕って、なんでもできると思って、救えるなんて勘違いして。
何が、ありがとうだ。何が勇者だ。僕は、きっとお前にとっての魔王なのだ。お前を地獄に突き落とす、魔王なのである。
ふと、頭に何かの感触を覚える。
手が、あった。
五陵花の手だった。
「隙あり」
そう言って笑う。
もう随分と身長さがあるからか、お互い座っていても五陵花は僕の頭を撫でにくそうに、震えながら、ゆさゆさと僕の頭を撫でているのだった。
「…」
「だいじょうぶ。うしくんはえらいよ」
何も聞かずによしよし、と言いながら僕の頭を撫でるのだった。
僕は唇を噛みながら、泣かないように、静かに頭を下げた。五陵花が撫でやすいように。これは、五陵花のため、などではきっとなく、もっと撫でてほしいだなんて恥ずかしい願いを持った、僕のため。
相変わらず、僕は中途半端で、五陵花はいつだって、僕のことを。
少しだけ、ほんの少しだけ、救われたような、そんな気がした。
ヨロシクオネガイシマス。




