エピローグ 恋するサラマンダー
目が覚めると蛇縄診療所にいた。
「やあ、目が覚めたかい?ごめんね、妹ちゃんじゃなくて。木南おばさんだよ。まあ、見た目はこんなだから許しておくれよ」
「えっと僕は…」
「倒れてたんだよ、屋上で」
そう言われて全てを思い出した。時計を見る。あれから数時間。すでに夕方になっており、夕日が、窓から僕の寝ているベッドに差し込んでいる。
小さな一室。病室だろうか。こんな部屋があるとは思わなかったが、僕は人間だからこの診療所でお世話になることなんてなかったわけだし、病室を知らなくても当然か。
木南さんは椅子にまたがってこちらを見る。
「よかったね。大したことなかったよ。次無茶したらぶん殴るけど」
「…」
物騒な医者から目を逸らす。
僕は手を動かしてみる。うん、問題ないみたいだ。体を起こして、ベッドから降りようとする。木南さんも特に止めず、手をひらひらと振っている。本当に治療は全て終わっているみたいだ。
僕は正直、自分の症状よりも気になる存在がいた。
華彩だ。
そう、僕の予定ではあの後蛇縄に告白してせめて炎の理由の1つである恋を終わらせようと、そう考えていたのであるが。
いや、どちらにせよ、もう関係はないのか。僕は場を整えただけで、その結果までどうのこうの言うべきではないのだろう。気にすることもないのだろう。
診察室を通って外へ出ようとすると、しかしその途中で見知った顔、いや、炎と出会った。
「…」
「遅い目覚めね」
やっぱりまだ燃えているのか…。
もしかしたら、なんて期待をしていたが無理だったらしい。とはいえ、蛇縄との恋はもう終わったのだろうし、後は華彩があの過去を許すことができるかどうか、なのだろう。
いや、待て。案外告白が成功して、それでこう…熱々な関係だから顔が燃えている、みたいな理由もありえるのか…?あのあとすぐ気を失ってしまったから結末がわからない…!
「ねえ、大海原くん、体調はどう?」
「え、あ、もう平気だけど」
「じゃあちょっといいかしら」
華彩に連れられて外に出る。
歩く道は見知った道。というより、数時間前まで通っていた道である。逆走といえばいいのか。なんといえばいいのか。そう、僕は華彩の家に向かっているのだった。
時間の止まった家。
華彩の過去が詰まった場所。
正直あの光景はあまり見たいものではない。人が壊れている事実というのはなかなかに心にくるものである。それがこうして、気の強そうな女であれば尚更。
しかし、そう考えていたものと、すでに部屋の中は違っていた。耐火シートはまだあるものの、すでに食卓にあがっていた御飯は片づけられており、仏壇も綺麗に掃除されていた。
小さいお椀が4つ。そこに少量の御飯をのせて仏壇に置いてあった。
「一緒にお線香、あげてほしいの」
僕は言われるがままに線香を手に取る。まずは華彩。火のついた蝋燭の炎に、静かに、線香を重ねる。手が、震えていた。きちんと事実を認識して数時間後、なのだ。恐らく僕が倒れている間に掃除をしたのだろうが、それでもまだ、受け入れられないのだろう。
荒治療なんて言葉で説明するのもおかしくはあるが、僕のやったことというのはかなり危険なことだった。無理矢理に過去を認めさせて、それで華彩が尚更壊れてしまうことだってありえた。
木南さんがもう何も言わないというのなら、華彩も大丈夫なのだろうけれど、あれだけひっかき回してまだ炎が消えていないことが申し訳なかった。
「なんて、考えているのであれば怒るわよ」
華彩は言う。
「言ったでしょ、もうあの時の私は限界だったの。だから炎のコントロールができなくなっていたわけだし。まあ、そもそもこんなに大きな過去、綺麗さっぱり忘れることなんてできるわけがなかったのよ。きっと、わざと狂ったように振る舞って、誰にも何も言われない世界を作り出していたのだと思う。私がこの部屋をあなたに見せたのも、きっと、あまり意識的なことではなかったからわからないけれど、私は狂っているから関わらないでね、なんて威嚇の意味もあったのだと思うわ」
線香から煙が立ち上る。
それを静かに、あげて、華彩は静かに目を閉じた。
「お父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃん…ごめんなさい…今まで、ごめんなさい。みんなの死を…愛を見なかったことにしてごめんなさい…私も…みんなのことが大好きでした…」
泣いていた、と思う。
炎を出しながら、泣いていた、と。
僕も線香を持って炎に重ねる。煙が立ち上るのを見て、炎から離した。そして華彩と同様に線香をあげる。目を閉じて、思い出すは炎から流れてきた記憶。
きっとあの記憶は、妄想でもなんでもなく、本当に過去の記憶、なのだと思った。
「私ね、今度施設に入るの」
「は!?」
思わず大きな声を出してしまう。
施設とは要するに危険性の高い異形を収容する場所であり、もちろん生活は保証されているし、勉強だって受けることはできる。
しかし、それは人間の、この世界から離れることを意味していた。社会から離れて、異形として生きていく、それを表しているのである。
しかし、華彩は誰も傷つけてなんて…。そう言って思い出す。僕の手の火傷あと、そして先ほどまで倒れていた理由。異形の暴走。
「華彩…僕のせいで」
「それ以上は言わなくていい。これで2回目だけどあなたのせいなんかじゃないわ。そもそもあのままでは私はコントロールできずに誰かを、人を殺していたのだと思う。私は今まで私に罰を与えるつもりで自分の顔を燃やしていた…みたいなの。でも、あなたのおかげで少しだけ私を許してみようって思えた。その分異形性が他人に向く可能性がある、それが理由よ。別に悪いことなんて1つもないでしょ?」
だから。
「最後に、我が儘をきいてもらってあなたと一緒に線香をこうしてあげれているけれど、もうそれもここでおしまい。私は荷造りをして今この部屋から出ていくの」
木南さんから説明のあったとおり、異形性が自分に向いている、つまり、自分が許せなくて燃やし続けていたということであれば他人を燃やすようなことはまずないらしい。
ということは、自分を許してしまえば、その分、炎は他人に向く可能性がある、ということだ。それでは華彩は自分を許したらみんなと一緒にいられないということに他ならない。そんな、そんなことって。
「あなたが気にすることじゃないわ」
「…気にするさ…僕は…」
「気にするのは…相談役だから?」
それはもう言い訳だ。
きっと、僕は。
「…いや、違うよ。きっと友達として、だ」
華彩が笑った、ような気がした。
「しようがないわね、大海原くんは。確かあなたは勇者が魔王を倒してめでたしめでたしのハッピーエンドが好きなんだったっけ」
「よく…覚えてたな」
最初の図書室。
あそこで顔が燃えている女と初めて出会った。思えば、少し前のことなのに、かなり遠くまで来てしまったみたいだ。
「これも一種のハッピーエンドなの。私からしたらね。あ、そうだ。ねえ大海原くん。あなたの本当の名前を教えてほしいの」
「まるで意図的に僕が隠していたみたいな言い方だが、お前が勝手に間違っていただけだからな」
特にもったいぶらずに伝える。華彩はなるほど、なんて言っていたけれど何がなるほどなのかはよくわからなかった。
「いえ、だからうしくん、なんて呼ばれていたのねって」
「それもやめてほしいんだがな」
華彩が立ち上がる。
もう、時間みたいだ。
「華彩」
「もう何も受け付けないわよ」
「…」
僕がとやかく言う問題ではない、とは思いつつも、本当にいいのか?と聞いてしまいそうになる。いいわけがないのだ。だって華彩は、自分が孤独でもいいから、みんなと同じように過ごしていたいなんて思っていたわけなのだから。
この決断が辛くないわけがないのだ。
僕は無言で玄関に向かう。ドアを開けようとして、「ねえ」と呼び止められた。
「線香あげてくれてありがとう」
「いや、別に…」
僕は振り返る。
「それと、助けてくれてありがとう。私の勇者くん」
一瞬、ほんの一瞬だけ。炎が、消えていた。
ああ、やっぱり、悔しいくらい可愛い顔をしていたのだった。
第1章 恋するサラマンダーは自分の尾を燃やし続ける END
よろしくお願いします。




