第12話 ひまりサラマンダー⑫
私を愛してくれた。
可愛いと、言ってくれた。
私の大切な家族。
私が、異形だと判明したのは、炎が噴き出た時だったけれど、その時のことをあまり思い出すことはできない。身が焼かれているかのような感覚。
「大丈夫、大丈夫」と声をかけられていて、落ち着いた時には私は1人だったような気がする。
助かったと安堵した、その日。病院で目が覚めて、ふと、テレビを見た。つまらない番組ばかりで、チャンネルを変えていたら、ニュース番組でたまたま、そこで。
私の家族の名前が、流れて。
『異形化の余波で4人が死亡』
理解ができなかった。
次に慌てて新聞紙を確認した。ああ、異形化の余波、炎により、焼かれた家族。その中に私の家族の名前が…あったのか、なかったのかはよくわからなかった。
もう、家族の名前を思い出せない。だからわからなかった。わからなかったけれど、わからないということはきっと違うということだ。まだみんなは生きていて、私を見守ってくれて。その象徴としてこの新聞記事は部屋に飾っておこうと思った。
鏡を見るとまだ顔が燃えていた。頭が燃えていた。しかし、もう熱くない。平気だった。これはもうコントロールできているということなのだろう。ショックではあるが、これなら普通に生活できる。
みんなのおかげで、コントロールすることができたのだ。
「私は…」
誰のお葬式なんだろう。
なんで私が遺骨を持たなくちゃいけないのだろう。
なんで私の家に仏壇があって、なんで私がこの遺骨を持ち帰らなくちゃいけないのだろうか。気持ちが悪い。知らない人の葬儀なんて、なんで私が。私…私は。
私は。
私は何をしていたのだろうか。
「華彩」
僕が呼びかけても反応はない。
頭を、顔を抑えて、そしてそのまま炎が噴き出る。それが、僕に向けられて。一気に放たれる。炎の濁流。なんとか距離をとろうとするが、さすがに炎の波はどうすることもできない。
逃げ場がない。
屋上という閉鎖的な空間で、その屋上を全て覆い尽くすような炎の波。
というよりまず、これこの建物自体燃えて、大火事になるのでは…。
「ぐ…」
炎の波が僕を襲う。襲って、その熱で体を、溶かし、僕は死んで…なかった。炎に包まれてはいる、包まれてはいるが、熱くはない。ただの炎では、ない?どうやら建物にも被害はないみたいだ。さすがに診療所含め木南さんの家を全て燃やすわけにはいかないのだった。
金銭面での責任は全くとれないのだから。
僕は炎の波に押されてそのまま流されていく。反対側まで一気に押されてそのまま屋上の落下防止用の柵に思いっきりぶつかった。
ガン!という音と共に肺の中の空気を全て吐き出す。背中がじわじわと熱く、痛みを帯びていく。常に流れ続ける炎の波。立ち上がろうとしても、炎の勢いに押されて倒れ込んでしまう。
これでは前に進むことも困難だ。
華彩は、現実を見ないようにしているのだろうか。僕という存在を後ろへ追いやって、今のことを全てなかったことにしようとしているのだろうか。
そのための炎、なのだろうか。
炎が熱くないのは、僕が燃えないのは、僕という現実の象徴を燃やし尽くすためではなく、これ以上言葉を紡がせないように押し込めて、抑え込んで、今の一連の流れをなかったことにするつもりなのだ。
それは好都合。
もう僕は、いや、誰だって華彩の炎では死んでやらない。死ぬわけにはいかない。
手を動かそうとする。
それもできない。
まるで炎という大きな手で抑え込まれているようだった。
なんだ、華彩。お前の言う通り、お前はもうその炎をコントロールできているじゃないか。ただ闇雲に燃やし尽くすだけではなく、目的に合わせてきちんと使えているじゃないか。
「華彩!」
骨が軋む。
叫んだだけで激痛が走る。打ち付けた時にどこか怪我をしたのだろうか。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいお父さんお母さんおばあちゃんおじいちゃんごめんなさい」
華彩の顔の炎の意味は2通りあった。
1つは蛇縄への恋心。少しの照れでもぼふりと炎が噴き出るぐらいだ。好きな人を好きだと思い続けることで継続的に炎が噴き出続けていた。本人はどうやらどこかでこれ、炎が噴き出てくることは恋心が原因だと気付いていたみたいだが。
しかし、木南さんが言うにはこれだけで継続的に炎を出し続けることは難しいのだという。
『まず、一目惚れとはいえ、ずっと同じ人のことを同じように好きでいられるのかな。これは彼女にも寄るから私がとやかく言うことではないけどね。もしかしたら当時、恋と自覚した当時よりも炎は小さくなっているのかもしれないし。ただまあ、結局はね、うしくん。異形っていうのは無意識じゃなくて意識的なものなんだよ』
『異形の暴走、なんて言われることもあるけれど、あれも異形化、正確には今までも異形だったわけだから異形化、というのも変な話だけど異形と自覚してから全てが恐ろしくなる、恐怖の象徴なんだ』
『何が言いたいかっていうと、いくら恋してるとはいえ、四六時中恋について考えているわけではないだろう?何かに集中している時、寝ている時、必ず恋以外のことを考えていることがあるはずだ。本人は気付いていないかもしれないけど。その時はね、炎が止まるはず。異形という異質な存在がいて、それこそ大量に人が死んだりしていないのはここらへんが関わってくるんだよね』
『意識しないと異形性は発揮されない。あいつを燃やす、あいつを焼く、そう思わないと発揮されない。それと同じように、恋の炎も恋を意識している時じゃなければ発揮されないんだ』
『君と彼女が出会ってどれぐらいかはわからないけれど、君は炎が消えたところを見たことがある?ないんだね。ないんであれば、余程彼女が恋愛脳なのか、それとも、別の要因があるのか』
『自分の顔を燃やし尽くさなければいけない、常に意識している何かがあるのか』
『それは君が考えなよ。いいや、それも違うか。彼女の専門医が考えるべきだ。私は、いま話を聞いて適当に話しているただのおばさんなんだからね。見た目がこんなのでも』
意識。
2つ目の要因。それは恐らく、家族を燃やしてしまったことへの罪の意識。ある種の処刑なんだと思う。自分の顔を炎で燃やし続けて、自分が燃やした家族への罪滅ぼし。
火あぶりの刑、だなんて笑えない冗談だけれど。
しかし、意識し続けているということは華彩も、どこかではすでにわかっているのだろう。自分がやってしまったことを。家族がすでに亡くなっていることを。
「華彩!! そろそろ現実を見るべきだ! お前が目を逸らし続けてもそのことが消えるわけじゃない!」
ぎしぎしと体悲鳴を上げる。
押さえつけられた体が、叫んでいる。
僕は、誰にでもいえる様な無責任な言葉を紡いでいく。当たり前だ、華彩に何があったかなんて出会ったばかりの僕が知りえるわけないのだから。
それでもこうして叫び続けるのは。
『私の炎を消してほしいの』
そう頼まれてしまったからだ。
きっと、華彩は、恋だけじゃなくて、これも、この事実も含めて僕に頼んでいたのだ。炎を消すとはすなわちそういうことなのだから。
恋だけではなくて、この過去も含めて。
「約束しちまったからな…!」
相談役として協力するって。
「私は…みんなを殺して…」
華彩の気持ちが、想いが、炎を通じて伝わってくる。離れているのに、華彩の声が、叫びが聞こえてくる。自分がやってしまったことに向き合うのが怖くて目を逸らし続けてきた。その期間が長くなればなるほどより目を背けたくなってしまう。もう2度と見なくてもいいように。
今、華彩は戦っているのだ、きっと。
現実を見なきゃいけない気持ちと、見たくない気持ちが、混ざり合って。
ふと、本当にふと、何かが頭に流れてくる。
炎を通したイメージ。
華彩の過去。
僕は目を逸らそうとして、やめた。
お前が僕に見せたいと思ってくれているのなら、見よう。部外者でも。相談役としてお前の力になりたいと思っているのだから。
『ううう…』
呻くような声が聞こえる。
華彩の声、だろうか。恐らく、まだ幼い感じがする。確か、炎が噴き出たのは中学生の初めあたりだったっけ。ならば、いまの華彩よりもだいぶ幼いのにも納得できる。
体から絶え間なく、炎が流れている。
放出されている。
顔だけではない。体全体から炎が止まらない。
熱い。痛い。苦しい。寒い。
このままでは華彩は、死んでしまうかもしれない。そう思った時だった。
『火鞠の体温は…?』
『下がっていくばかり…』
男と女の声がした。
華彩の両親だろうか。苦痛に歪む華彩の顔を見て、もう見ていられないとばかりに涙を流しながら立ちすくんでいる。男の手には携帯電話が。つながっている先は。
『体温が下がっているのは恐らく継続的に炎を放出しているからだそうだ。その結果、火鞠の体から熱という熱が失われている』
『このままじゃこの子は自分の炎より先に…』
体温低下で死んでしまう。
お湯で温めても意味はなく、布団をかけても燃え尽きる。すでにその家には華彩による炎で燃えていた。本来であれば華彩を連れて外に出る必要があるが、これでは移動させることもままならない。
ならば。
父親は決断した。
倒れた華彩の隣に横たわり、そっと華彩を抱きしめたのだ。人肌による温めと仮にこの建物が崩壊したとしてもそこから自分が盾になる決意を胸に。
『ぐっ…』
だがそれは炎を抱きしめるのと等しい行為だ。
父親の体はずぶずぶと燃え始め、赤く、赤く、腫れていく。しかし、離れなかった。救急車、いや、専門医の助けが来るまで華彩を生かすために。
それを見て母親がとった行動はシンプルだった。
ひたすらにそれを見ていること。華彩が苦しみ、父親が燃えていく様を見ていくこと。そして父親が事切れた時に自分が今度は抱きしめるために。
華彩を助けるために。
自分の愛した者たちが苦しむのをひたすらに見ていること。
母親の目からは涙が溢れて、止まらなかった。それでも目をこすることなく、ひたすらにその様子を見ていく。
『大丈夫、大丈夫だ、火鞠』
父親はそう呼びかける。
この子の成長を見ることができないのは素直に悲しい。もう一緒にいられないことも、悲しい。だが、この行為は、実に父親らしくて誇らしかった。
自分が娘を守れるのであれば。
それに勝るものなどなく。
親として、胸をはれる。
だから、だからどうか。このことを責めないでくれ火鞠。胸をはらせてくれ。お前を守れたと。だから強く、強く生きてくれ。可愛い可愛い愛娘。
「…」
僕は目を開ける。
今の一部始終は、華彩の、記憶だろうか。なるほど、確かにお前は家族に愛されていたみたいだな。僕如きの言葉はきっと届かない。だからこそ、今のはありがたい。
僕のうすっぺらな言葉が補強されていく。
誰にでもいえる様な言葉で、お前を救えるかもしれない。
「華彩!! お前が異形と成った日のことを思い出せ!! お前の親は!! 家族は!! 何を考えてお前を助けたと思ってる!! お前はそれからも目を背けるつもりか!!」
まるで見てきたようなことを言う。
部外者が。
他人が。
いいや、確かに見たのだ。お前の記憶を。僕はその記憶に縋るしかないのである。見た光景を信じて、話すしかないのだ。
きっと赤の他人だからこそ、言いやすいこともある。
「あ…あ…私が、私が私が…」
殺したことには変わりないのだから。
そう言ったような気がした。
親が華彩のことを愛していたのも、華彩のことを恨んでいないことも、きっと華彩は知っている。知っているうえで目を逸らし続けていた。
感情や気持ちではない。
事実として、家族を殺したのは華彩の炎なのだから。
「許せない、許せない、許せない、許せない」
だから、許せない。
自分のことが。ずっと許せないのだった。そして自らの体を、燃やし続け、まるで処刑のように、自ら幸せになってはいけないのだと日常から遠ざかって。
きっとこれは過去を認めさせるだとか、現実を見るだとかそういう話ではないのだろう。
家族を殺した自分を自分が許せるかどうか、なのだ、きっと。
ああ、そうか。
やっぱり、そうだった。僕は何もわかっていなかった。華彩は僕のことを相談役として認めてくれていたみたいだけど、僕は何もわかっていなかったのだ。こいつのことを。
何回そう思えばよいのだろう。
それぐらい思い知らされる。
異形であることの辛さを。
人間である僕は、何ができるのだろう。
「あなたも…」
華彩が、言葉を発した。
何かにずっと許しを乞うていた、それでいて自分で許さずに、ただ炎を放出する華彩が。
「あなたも逃げなさい…相談は、もう終わりよ…」
そう身勝手に宣言するのだった。きっと抑えのきかない気持ちと過去、そして自分への想いでめちゃくちゃになっているだろう中、僕を心配してそう言うのだ。
苦しそうに炎を抑えているのか、顔はわからないけれど僕の方に向かっていた炎の濁流の勢いは少し弱まっているようだった。
今なら体が動く。
叩きつけられた衝撃は、痛みはまだ消えていないけれど、それでもまだ動ける。僕は一歩、一歩とまた近づいていく。華彩の元へ。
「何を…しているの…」
「らしくないな。お前なら僕がどうなったっていいから自分を助けろなんて言いそうだと思っていたが」
「ふざけているんじゃないの…また私は、炎が…」
あなたを燃やしてしまう。
また、私は人を殺してしまう。
なるほど、華彩の異常なまでの異形への慣れはこのあたりからきていたのかもしれない。自分は人間ではなく、それとは別の生き物であるという考えは、人を殺してしまった、化け物であるという意識からきていたのかもしれない。
ああ、なら、やっぱり。
僕はお前の炎では死んでやれない。
今も襲い続けている炎の中を歩いていく。本当は走りたいぐらいだが、それは痛みが許してくれない。炎は徐々に強まって、熱さを増していく。
このままでは今度こそ本当に、僕は燃えて、死んでしまうかもしれない。
「あなたまで…あなたまで死んだら私…」
「死なないさ、ここまで炎をうけて生きてるんだぜ、僕」
そもそも炎が熱くなかったからという理由なのだが。
それでも華彩の炎を受けて生きているというのは嘘ではない。
「近づかないで…それ以上近づいたら…殺すわよ」
「嫌だね」
「なに…あなたも私に私を許せというの…病院の先生みたいに…何も! 何も…わかってないのに…当事者じゃないあなたが…!」
「いいや」
僕は華彩の目の前に立って、そう言った。
「それは正しいよ。お前が考えることなんだ、それは」
驕っていた。
僕なら救えると。助けられると。
僕が今回したかったことは、できない。もう、僕の声は届かない。だから、それでも、ただただ、あの現実をしっかりと認識してほしい。
認識しなければ、目を逸らし続けていれば許す許さないも考えることができないだろうし。認識して、許すか許さないかは自分で決めるといい。
なんて、これは僕も逃げみたいなものである。結局僕には、華彩の炎を消すことなんてできなかったのだから。まさか、こんな過去が根付いていたなんて思わなかった。
ああ、でもそうだな。
これは伝えておこう。
僕にはこれしか言えないけれど。
「僕はお前を許すよ。こうして炎を叩きつけられても、お前を許す」
お前がお前を許すかどうかはお前の勝手だが、お前を僕が許すかどうかは僕の勝手である。有無なんて言わせない。
だって、僕は案外お前のことが好きなんだ。
友達なんて、いらないと思っていたけれどお前と色々やってた数日は本当に、なんだか、恥ずかしくて言いにくいけれど、楽しかったんだ。
でもごめん、華彩。
ここまでひっかきまわして、僕にはやっぱり、お前を救うことなんてできなかったよ。
だから、僕の役割はここまでだ。
何もできないなんてのは癪だから、せめて、1つの理由を、炎を燃やし続けているもう1つの理由ぐらいはここで解消していくといい。
あとは頼んだぜ、と小さく呟いて僕は、その場で、ゆっくりと、倒れた。
「相変わらず、バカだね、君は」
屋上に入ってきた人物をその時、倒れる直前に僕は見た。
僕が最初にメールを打っていた相手。正直、かなりの博打だったけれど、メールアドレスが変わっていないことと、学校をサボってここに来てくれることに賭けて、正解だったみたいだ。
蛇縄梔子。
華彩の初恋相手。
炎のもう1つの要因。
その男が屋上に来ていた。
〇
「僕は君のそういうところ含めて苦手だったんだよ、もう聞こえてるかはわからないけどね」
「蛇縄、くん」
「炎の放出が止まったみたいだね。それでもまだ顔は見えないけど。覚えてるよ、華彩さん。君のことは覚えている」
「なんで…」
「なんでここに来たのかっていうと、そうだね。うしくんのメールを見たのと、この家、いや、この診療所が僕の家だからかな。蛇縄診療所。その感じ、説明を受けていないみたいだね。下のあの医者は僕の年の離れた姉なんだ、蛇縄木南。まあ、ああいう見た目だから姉とか年齢とかよくわからないだろうけど」
「…」
「それで、うしくんに頼まれていたんだ。華彩さん、君の話を1つだけ、聞いてやってくれって。見返りはまあ、そのうち請求するとして、それで僕に何か言いたいことはあるかい?」
「…彼を、助けてあげて」
「…即答か、了解。それでいいんだね」
「…ええ。彼は、私の大切な友達なの」
「…そうだね。全く、熱くないからって異形の炎をその身で受け続けるだなんてバカのやることだ。倒れるに決まっている。異形性と感情の波を受け続けて、無事でいられるわけがないじゃないか。こうして距離をとった後も君に振り回されているような気がしてならないよ。安心して、下に姉貴がいるし、なんとでもなるよ。それより、問題は君の方だと思うけどね」
「わかってる…異形の暴走…私は結局自分の異形性を全くコントロールできていなかった。施設だろうとどこへでも入るわ。ただ、1つだけ、我が儘を」
よろしくお願いします。




