習作「御挨拶」
警察官として何十年か働いた。年をとったせいか、身体には随分がたが出始めている。今日もまた年を感じる出来事がある。しかしそれはとても喜ばしいことだ。
私には愛する娘がいる。大学を卒業し、何年か一人暮らしをしている。その娘が、今日彼氏を連れてくるというのだ。話を聞く限りは頼れる男であるが、非常に不安である。話に聞いている通りの青年であるとよいのだが。私の年代だと、挨拶に来た男などまず殴るなどという奴もいる。しかしそのようなことを行なって娘に嫌われたらどうするというのか……。
やきもきしながらソファーに座っていると、玄関のチャイムが鳴る。妻は落ち着いた様子で出迎えに行く。こんな時でも母というのは強いものだな、私はそう落ち着いてはいられない。この時が来るのはわかっていたが、なんとも不思議な気分だ。
リビングで落ち着いたいる風を装って待っていると、妻と娘の次に、体格のいい青年が入って来た。
一目で見てなにか違和感を感じる。初対面のはずだが、そうではないような不思議な感覚を覚える。まあいい。娘とその彼氏がテーブルの向かいに座る。最近の若者にしては珍しく、よく鍛えているようだ。野球かなにかやっているのだろうか。
「□□と申します。本日はお忙しいところ、お時間を作っていたありがとうございます。」
といって手土産を渡してくる。重さからして饅頭か何かだろうか。
妻の自己紹介が終わり、私の番となる。はやる気持ちを抑え、少ない言葉で名前と職業を告げる。すると、青年の表情が明らかに強張る。
「あれ、教えてなかったっけ。お父さん警察官なんだよ。」
少し浮ついた声で相槌をうつ青年。娘は伝えていなかったのか。確かに挨拶に行った先の親が警察官と突然わかれば、多少硬くなったりするものだろう。同情してやらんでもない。しかし何故だろうか、かなり落ち着きがなくなり、目線も散るようになっている。まるで補導にあった不良学生のようだ、昔警察の世話になるようなことでもしたのか。そんなことを考えながら彼の目を見ていると不意にあることを思い出した。
私がまだ交番勤務だったころ、近くで事件があった。後妻による家庭内暴力であった。当時その家族には2人の子供がおり、兄は妹を守るため母親を縛り付け警察に助けを求めたというものであった。
警察の調べでも家庭内暴力は明らかであった。しかし当時は少年少女による暴力事件が多発していた時代であり、裁判所は少年を過剰防衛として処分した。この事件は同世代の息子を持つ先輩方も多かったため、少し話題になったのだ。
私の表情の変化を読み取ったのか、青年がじっとこちらを見て声をかけて来た。
「2人でお話しできませんか」
私は妻と娘を下がらせた。娘は心配そうな顔をしているが青年が穏やかになだめていた。
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2人だけになっても、暫く沈黙が続いた。それでも青年は目をそらすことなく私を見つめている……いや、睨みつけているといっても良いのか。
「君は確か◆◆事件の加害者だった少年だな。……君は警察が嫌いか」
すると、青年は少し目を見開いて答えた。
「いいえ、とんでもありません。警察の方々にはとても感謝しています。単なる少年の暴力事件として扱うのではなく、丁寧に操作をしていただいたこと。そして、妹を保護していただいて、その後の生活もサポートしてくれたこと……他にも、警察の方々には親切にしていただきました」
青年は誤魔化しを言っているようではなかった。
「〇〇さんのお父さん。おっしゃるとおり、私は傷害罪で1年間、少年院に入っていました。私は妹を守るためとはいえ、母親代わりの人に対して強く暴力をふるいました。」
実刑判決を受けたことを除けば、妹思いで自立心のある男なのだろう。しかし、娘やいずれ生まれる孫に対してなにか影響があるかもしれないと考えてしまう。青年に、過去の行いの影響についてどう考えているのか聞いてみた。青年は、さらに顔を強張らせながら話した。
「私は……〇〇さんに非常に助けられています。過去の罪について話した時も、落ち着いて受け止めていただきました。ーーーー私は、〇〇さんに恩を返したいのです。どんなことがあっても〇〇さんをお守りいたします。」
私は、愛娘のことがなによりも大切だ。そしてこの男は確かにどんなことがあっても娘を守ってくれるだろう。しかし娘よ、なんて人を選んだのだ。
顔をしかめて考え込んでいると、青年は椅子を降り、床に膝をつけて何かを伝えようとした。
私はとっさに青年の身体を抑え、こう告げた。
「君が娘を大切にしてくれるのはよくわかった。……私にも少し時間がほしい。そして、君には自身の幸せも考えてほしい」
青年は深く頷いたのだ。
これから、男たちは『幸せ』について悩みぬくことになる。きっとそれはハッピーエンドに向かっていくだろう。