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ノック  作者: 和泉ユタカ
8/10

 

 ヤツらはいつも、ノックの音と共に訪れる。


 ドス黒い血を流し、(はらわた)を引きずりながら呻き声を上げるヤツ。蒼白い顔でぼんやりと虚空を見つめ、道の端にうずくまるヤツ。誰を探しているのか、長い髪を振り乱し、家々の窓をひとつひとつ覗いていくヤツ。

 道端で出会えば遠慮会釈なく纏わりついてくるヤツらだが、何故か生きた人間の住む家には勝手に入って来ない。よく分からないが、ヤツらにもヤツらなりのルールのようなものがあるのだろう。だからヤツらはノックする。ヤツらを視ることの出来る人間が扉を開けてくれるまで、いつまでも、辛抱強く、ノックし続ける。

 他人の眼にはヤツらの姿が映らないのだとまだ知らなかった幼い頃、このルールに気づいた私は、ノックの音を異様に恐れるようになった。血みどろの人がいるなどと言って外に出たがらず、家に引きこもる私を大人達は持て余した。そんな中、あいつだけは真剣に私の言葉に耳を傾け、何ひとつ疑うことなく、それどころか「クレハちゃんはやっぱりすごいね」などと言って眼を輝かせた。

「生きているひとにも死んでいるひとにも会えるなんて、すごいじゃん! 死んだおじいちゃんにも何度だって会えるし、ノブナガやウシワカマルやナポレオンにだって会えるんだよ! ナポレオン、かっこいいよね! 『ブルータス、おまえもか!』」

「……そのセリフとナポレオンは関係ないと思うけど」

「あれ? そうだっけ?」

 きゃはははは、と笑い転げるあいつに呆れ、しかしいつしかその笑顔に癒されている。あいつはいつ、どんな時も私の隣にいる。そして私を信じ、私の全てを受け入れてくれる。だから、玄関の血溜まりで滑って転ぼうが、他人に奇異な目で見られようが、世界はやっぱり私の味方で、不安なんてない。蒼が私の隣にいる限り、私に恐いものなんてない。


 だから、あの日からずっと、私はじっと耳を澄まし、ノックの音を待っている。

 でもあいつは現れない。

 私は、蒼に会えない。


     ❀


 てっきり泊まっていくものと思っていたのに、祖母はヤツが前夜に用意した料理を食べ終えると、他にも親戚巡りをする予定だからと言って帰っていった。

「クゥちゃんも忙しいやろうに、こないなご馳走つくって、家のこともきちんとしとって、たいしたもんや。おばあちゃん、ほんに安心したわ」

 ニコニコと無邪気な祖母の笑顔に居心地の悪さを味わいつつ、お土産にと用意しておいたカシミアのストールを渡す。

「まあ、こんなええもん(もろ)うて、もったいないわぁ。クゥちゃんは昔っから、ほんに綺麗な色を選ぶんがうまいやんなぁ。そやけど、これ、おばあちゃんにはちいと派手とちゃう?」

 頬を紅潮させた祖母の銀髪に、柔らかなラベンダー色はよく映えた。よく似合っていると褒めると、祖母は嬉しげに幾度も礼を言った。けれどもそんな祖母に、どうしても人形の礼を言うことが出来なかった。



 祖母を駅まで送って帰ってくると、律儀に台所で後片付けをしていたヤツはひどく居心地悪そうに目を逸らして頭を下げた。

「あの、なんか自分、出ていくタイミング逃しちゃって、クレハさんとおばあさんのせっかくの団欒を邪魔してしまったみたいで、申し訳ないというか……」

「別におばあちゃんにあんたの姿は視えてないし」

「いや、まぁそうっスけど……。まぁ、では、とりあえず自分はこれでお役御免というわけで……」

 頭を下げ、コソコソと玄関に向かおうとしたヤツに缶ビールを投げてやる。

「掃除の礼がまだでしょ。私も死霊をタダ働きさせるほどがめつくないし」

「うわ、投げたりしたら泡で飲めなくなっちゃうじゃないスか!」

 缶ビールを慌ててキャッチしたヤツは、少し迷ってからおずおずとリビングルームに戻ってきた。

「あんた、聞きたいことがあるんでしょ」

「いえ、そんな、クレハさんのプライバシーに土足で踏み込むような真似をするつもりはないというか……」

「土足も何も、下半身すら無い死霊の分際でストーカー行為に励んでたヤツが今更何言ってんの?」

「ス、ストーカーって人聞き悪いっスよ!」

 顔を赤らめて抗議するとヤツは泡立った缶ビールを一気に飲み干した。

「あの、じゃあ聞きますけど、ソウさんって誰ですか」

「双子の弟」

「……クレハさん、ひとりっ子じゃなかったんスね」

「蒼は二年前に交通事故で死んだ」

 ヤツは僅かに息を呑み、気まずそうに目を逸らせた。

 ヤツとふたり、無言で盃を交わしつつ、本棚の上に仲良く並べられた市松人形を見つめる。赤い着物と青い着物。長い髪と短い髪。着物の色と髪の長さは違えど、二体の人形はとてもよく似ている。

「私と蒼ってさ、双子だけど、でも全然似てないんだよね」

 空になった私のグラスに、ヤツが黙って酒を注ぐ。

「男女の双子だけど半一卵性だから、遺伝子的には普通の姉弟よりも近いはずなんだけどね、でも全然似てない。顔がどうこうとか言う前に、もうニンゲンとしての中身を形作る何かが原子レベルで違う。赤の他人と血が繋がってるって言われた方がまだ納得出来るくらい似てない」

「……人形は似てますけどね。これ系の有名な人形師の作品って、ある程度本人に似せて作るもんなんじゃないんスか?」

「まあね。でも人形は肉体と同じで、ただの器だから」

 中身を失い、病院のベッドに横たわる(からだ)を想う。血の繋がりが顔貌を似せるものならば、きっと私は、死んで空っぽになった時、初めてあいつに似るのだろう。けれどもそれは人間としてではなく、時を待たずして土塊に還る器として。

「あいつはいつも子供みたいに無邪気で、もう馬鹿じゃないかと思うくらい人を疑うことを知らなくて……私とは正反対」

 幼い頃から、あいつは泣いている人を放っておくことが出来なかった。友達と喧嘩したのか、恋人と別れたのか、家族を失ったのか。泣いている人間を見れば、あいつはその理由を問うことなく、徒らに慰めを口にすることもなく、相手が泣き止むまで傍らに寄り添い、ぼんやりと空を眺めていた。

 そんなあいつを見て、猫のようだと思ったことがある。まるで猫のように、あいつは人の悲しみに無言で唯そっと寄り添う。

 そんなあいつは、老若男女を問わず全ての人に好かれた。あいつは誰も責めないから。あいつの隣は安心出来るから。あいつは優しいから。

 生きたニンゲンは蒼の周りに集い、死んだニンゲンは私に群がる。

「……あのう、失礼を承知で聞きますけど、亡くなられたなら、おばあさんの言ってた『ソウに会いにきてくれない』って、どういう意味っスか」

「さあね。よくわかんないけど、私以外の家族はみんな、蒼は生きてるって信じてるからじゃないの?」

 眠っているかのように静かに閉じられた瞼が、そこに薄く透ける血の色が、不意に脳裏を過る。

「遷延性意識障害。いわゆる植物状態ってやつ? ぎりぎり自発呼吸は残ってるけど、大脳の機能はほぼ完全に失われている。あんなの、生きているなんて言わない」


 絶対に認めない。

 あれが、あんなモノが蒼だとは、誰にも言わせはしない。


「高校生くらいのときだったかな。テレビで尊厳死の特集やっててさ、その時にもしも自分が植物状態とかになって、意識が戻らなくなったらどうしたいかって話になったことがあって」

 チューブに繋がれたまま、無理に何年も生かされたくはないと私が言うと、あいつは笑いながら首を横に振り、自分はどうでもいいと言った。


「僕の肉体が生きて此処にあることが誰かにとって大切なら、僕はたとえ二度と目覚めることが無くても、管に繋がれたまま永遠に生かされたって構わない。でももしも、僕の躰が形として残っていることが枷となって誰かの自由を奪うのなら、その時は死なせて欲しい」


 久々に飲み過ぎたのだろうか。蒼の台詞を思い出しつつ飲み干した酒が、舌にざらりとした苦味を残す。それに気付いたのか、ヤツが何気ない風を装って水の入ったコップを勧めてきた。それを手で押しのけ、グラスになみなみと酒を注ぐ。

「私と蒼は遅くに出来た子で、両親……特にうちの母親は蒼を溺愛していた。だからね、あの時、蒼が言ったあいつの(カラダ)が生きていることを必要する『誰か』って母親のことなわけ。もうすごいよ? 事故が起きた日から二年間、片時も離れずに看病してる。まるで壊れモノを扱うみたいに、それはそれは大切に」

「あのう……でもそれって普通なんじゃないっスか? かりにも実の息子さんなわけですし」

「あんたはあの光景を見たことないからね」

 何かに憑かれたように子守唄を口ずさみ、人形のように動かぬ息子の髪を梳く母親の横顔が瞼の裏を過る。

「ねぇ、生霊っているのかな?」

「は?」

「あんたみたいに(カラダ)を失くした死霊(ホームレス)じゃなくってさ、一応形だけは器が残ってる状態で、霊になれないのかな? どう?」

「さ、さあ……? どうと言われましても、自分、その辺のことは未経験なんで、ちょっとイマイチ詳しくなくて……」

「フン、役立たずめ」

 鼻を鳴らして酒を飲み干す。


 あの日、蒼の事故の報せを受けてからずっと、私はじっと耳を澄まし、ノックの音を待っている。

 でもあいつは現れない。

 私は、蒼に会えない。


 教えて欲しい。蒼の心は、自由を奪われ、生きた肉体に囚われたまま、身動きひとつ出来ぬままに、独り静かに朽ちてゆくのだろうか。

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