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モツ鍋が食べたい。
そう言って食材の入ったビニール袋を流しの横に置くと、ヤツは掃除の手を止め、ギョッとした顔で私と袋を見比べた。
「モツ鍋……スか?」
「料理得意なんでしょ? 作ってよ」
「え、それは構わないっスけど。あ、やっぱり寒い時は鍋物が旨いっスよね」
「と言うか、あんた見てたら、なんか歯応えのいいモツが食べたくなった」
「あ、そう……ですか」
ははは、と引き攣った笑いを浮かべつつ、ヤツがビニール袋の中身を確認する。
「お、新鮮でイイ肉っスね! これなら粗塩でちょっと揉んで、酒はあるし、と」
いそいそと下拵えにかかるヤツを横目に、日本酒を開ける。
「飲むなら熱燗にしましょうか?」
徳利を温めようとしたヤツに向かって首を横に振り、蒼い硝子のお猪口を透明な酒で満たす。私は余程のことが無い限り、日本酒はキンキンに冷えた辛口が好きだ。真冬でもコタツに入って冷酒を飲む。
「冬にヒーターの前に陣取ってアイスクリーム食べる女子高生みたいっスね」
振り返ったヤツが笑う。トントンと包丁が軽やかな音を立てる。料理が得意というのはあながち嘘ではなかったらしい。引っ越してから二年間、ろくに使われることのなかったキッチンに、温かく懐かしい匂いが満ち始める。鍋がグツグツと煮立ってくると、ヤツは当然の如く二つの皿に中身を取り分け、そのひとつに箸をつけた。
「モツがモツ食べてる」
「……勘弁してくださいよ」
「それさ、どうなるの?」
「はい?」
「だからさ、あんたの胃に入った酒とか食べ物って、その千切れた腸から半分消化された状態で出てくるの?」
「いや、消化されるってことはないんじゃないっスか? 自分、すでに死んでますし、栄養素を消化吸収する必要とか感じないんで。でも酒を飲んだ時だけは、なんかこう五臓六腑に染み渡るって感じがするんスよねー」
どう見ても五臓六腑のうちの幾つかが欠落していると思われる腹を撫でつつ、ヤツが嬉しげに目を細める。若い身空で器無しになったニンゲンが、こんなにのんびりと呑気でいいのだろうか。しかし、摂取された物質の行方が気になるから腹に巻いたビニール袋を開けて見せろと迫ると、ヤツは必死になって抵抗した。
「いいじゃん、それっくらい。減るもんでもあるまいし」と言ってもヤツは納得しない。
「イヤですよ! 他人のハラワタを覗こうだなんて、クレハさんには乙女の恥じらいってモノはないんスか?!」
「我が人生に於いて死霊如き相手に恥じらう必要性は全く感じない」
「うわ、死霊とかいうと、なんかすっげー禍々しくてイヤな感じっスね」
「だってあんた、どうせ線路で身投げかなんかでしょ。じゃないと、この平和な日本でそんな風に身体が半分に千切れたりしないわよ。そして理由が何であれ、自殺したニンゲンの霊が良いモノであるわけがない」
「いや、駅のホームから落ちたのは確かですけど、でも自殺した記憶とか無いんスけどね、自分」
「ショックで忘れてるんじゃないの」
「でもですね、生前の記憶にあんまり嫌なこととかなくて。普通の家庭に育って、普通の大学出て、仕事も人間関係も悪くなかったような気がするんですけど」
「それ、単に都合の悪い事は忘れて、記憶を塗り替えてるだけじゃないの?」
「……クレハさんって容赦ないっスよね」
溜息と共にヤツが私のグラスに酒を注ぐ。
「あの、ひとつ聞いてもいいっスか」
ヤツがちらりと上目遣いに私を見た。
「……あんなに嫌がってたのに、なんで俺を家に入れてくれたんスか?」
「別に入れたくて入れたわけじゃない」
舌打ちしつつ、冷えたお猪口を傾ける。
「土曜日に田舎から祖母が訪ねてくるって電話があってさ。孫娘がゴミ屋敷に住んでるなんて知って、心臓発作でも起こされたら大変でしょ」
「なるほどー。じゃあ自分、責任重大っスね」
下半身のゴミ袋をカサカサと鳴らして、ヤツが笑った。生きていれば私と同年代と言ったところか。しかし笑うと目尻が下がって、あどけない少年のような顔になる。
そんなヤツを横目で睨みつつ、私はふんと鼻を鳴らして酒を煽った。