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「あ、おかえりなさい! お仕事お疲れ様っス!」
塵ひとつ無く磨き上げられた廊下で、下半身をゴミ袋に包んだヤツが、待ち構えていたかのように飛び出してきて頭を下げる。
「いやあ、それにしても毎晩遅くまで大変っスねぇ。モミジさんって有名な外資系企業に勤めてるって聞きましたけど、過労死とかしないように少しは気をつけないと」
「余計なお世話。ってか、なんであんたが私の勤務先を知ってるのよ?」
「あ、別にストーカーとかじゃないっス! 御近所さんの噂でちょっと小耳に挟んだだけで、決してモミジさん宛の郵便物を見たとかでは……」
そうか。見たのか。無言でジロリと睨んでやると、ヤツは慌てて首をすくめ、しどろもどろに言い訳を始めた。
「いえ、本当に、あの、わざと見ようとしたとかそういう事じゃなくて、ほら、モミジさんって滅多に郵便受けを開けないじゃないっスか。で、溜まりすぎちゃって溢れ落ちた郵便物を偶然拾ったと言うか、ナンと言いますか、決して下心があったわけでは……」
「……クレハ」
「……は?」
「私の名前の読み方。モミジじゃなくて、『紅葉』って書いてクレハ」
「あ、はあ、ナルホド!」
ヤツは急に得心がいったようにポンと掌を打った。
「クレハさんですか! それはなんだかカッコ良くて、すごく似合いますね! 実はちょっと不思議だったんですよ。いくら親と自分の名前は選べないって言っても、モミジさんと言うのはちょっとあまりに可愛すぎてイメージに合わないのではないかなぁと……ウワッ! ウソですゴメンナサイッ! シ、塩はダメッ! 塩だけはカンベンしてくださいっ」
立派なイカの塩辛になれよと、逃げ惑うヤツのハミ出た臓物に惜しみなく塩を振ってやる。しかし玄関に常備してある塩を全て使い切ると、ヤツはまた性懲りもなく涙目のままにじり寄ってきた。
「あの、自分、死んで行くところもないですし、この先の予定もなくて、廊下の掃除とゴミ出しだけではなんかヒマを持て余しちゃって」
「それはストーカー行為の言い訳にはならない」
「ち、違いますよっ! 郵便物を見ちゃったのは本当に偶然で、ストーカーなんかじゃないっスよ!」
慌てて抗議するヤツの赤らんだ顔に、僅かに虚を衝かれた。血の気のないこいつらでも顔を赤らめたりするのか。
「そうじゃなくって、自分が言いたいのは、つまりですね……」
僅かに口籠ると、ヤツがチラリと上目遣いに私を見上げた。掃除の代償に酒でも寄越せと言うのかと思いきや、ヤツは予想外の提案を持ち出してきた。
「あの、もしよろしければ、クレハさんのお宅の片付けに伺いたいんスけど……」
「あんた馬鹿じゃないの? 誰がどこの馬の骨とも知れない死者なんか家に招き入れるって言うのよ?」
「いえ、でもですね、クレハさんって、もしかして掃除とか苦手なんじゃないかと思ったんですけど。郵便受けもスゴイことになってますけど、家の中だって、ドアの隙間からチラリと見たかぎり、とても若い女性の部屋とは思えないと言うか……」
「余計なお世話よッ」
思わず手にした傘を振り上げる。逃げ惑うヤツを追いかけて打ち据えてやろうかと思ったが、そんな姿を隣人に見られたら通報されるかも知れないと、必死に己を抑えた。やはりこんなヤツに情けは無用。ヤツ排除に向けて、今週末は特製の濃厚塩水でマンション中を消毒してやろう。
そう心に決めて家に入った時、バッグの中で携帯が鳴った。