3
物心がついた頃から、ヤツらが視えた。病気、事故、自殺に他殺。様々な理由で肉体という器を失くし、ぼんやりとした中身のカケラのようなモノが残ってしまったヤツら。それが心や魂と呼ばれるモノなのか、此の世への未練なのか、それとも神やら仏やらと呼ばれる誰かのちょっとした手違いによるシステムバグ的な現象なのか、私には解らない。まぁそんな事はどうでもいい。解ってもどうせ私には何も出来ないし、ヤツらの存在が私にとって目障りだという事実に変わりはないのだから。
そう、ヤツらは目障りだ。
死に方によって死後の姿が大体決まるらしく、事故なんかで肉体を大きく破損したヤツらは大抵が血みどろで、手足が無かったり臓物を引きずっていたりして、ひどく見苦しい。昨夜マンションに出没したヤツなんかがいい例だ。
反対に、病死なんかでちょっと顔色が悪いくらいのヤツらは普通の人間と見分けがつきにくく、紛らわしくて迷惑だ。道端でぐったりとうずくまっている爺さん(死亡済み)の為に救急車を呼んだり、公園で迷子になっている男の子(脈拍数ゼロ)に懸命に話しかけて生きた人間共から白い目で見られたことは数限りない。まったくもって忌々しい。最近は滅多にそんな初歩的な間違いは犯さなくなったが、それでも道で倒れているヤツなんかを見るとどきりとする。死にかけか死亡済みかの確認の為にちょっと爪先で突ついてみようかと思う事もあるが、しかしそれが器付きの人間だったりしたら大変だ。『道端で倒れている人を足蹴にするオンナ』などという不名誉かつ不本意な称号は遠慮したい。
霊感とやらに意味も無く憧れる全ての人に言ってやりたい。ヤツらは目障りで、忌々しく、その存在は極々普通の生活を送ろうとする私にとって、唯ひたすらに邪魔なだけ。ヤツらに関わって良いことなんてひとつも無い。だから私は近所のスーパーで、セールの度に大量の塩を買い込む。そして私に近づくヤツらには、ナメクジのように溶けよ消えよと祈りつつ盛大に塩を盛ってやる。
……そんな私が暮らすマンションの廊下に、ヤツは棲みついた。
「……ちょっとあんた、なんでまだここに居るわけ?」
「あ、オハヨウございます! お仕事お疲れ様っス!」
どこぞで拾ってきたらしい薄汚れた雑巾でドアノブを磨いていたヤツが振り返り、額の汗を拭って爽やかに挨拶する。ヘソから下はゴミ袋に包まれている癖に、その爽やかさが実に鬱陶しい。
「いやあ自分、結構キレイ好きっていうか、掃除や片付けなんかが性分に合ってるみたいで。なので、あの、もしご迷惑でなければ、しばらくマンションの廊下の掃除なんかやらせて頂けないかと……」
無言でジロリと睨んでやると、ヤツは急に気弱げに瞬きし、肩をすぼめて俯いた。
「……あの、掃除だけじゃなくて、ゴミ出しとかもやりますし、あとしつこい訪問販売とかを追い出したりするのにも、自分、もしかしたら向いているんじゃないかと……」
「ここ、一応オートロックの高級マンションだから、訪問販売なんて来ないから。そもそも普通の人間にあんたの姿は見えない」
「あ、そう……ですよね……」
力無くうな垂れた背中に向かってチッと舌打ちすると、ヤツはビクリと肩を竦ませた。
「生ゴミは毎週月曜日と木曜日、資源ゴミは金曜日、不燃ゴミは第一と第三水曜日ね」
「え? あ……ハイッ」
満面の笑顔で幾度も頭を下げるヤツに背を向けて、マンションを出る。
死んで行く当ても無く、心細げなヤツに同情したわけでもなく、妙に人懐っこいヤツの笑顔にほだされたわけでもない。私は死んだヤツにも死後の世界にも興味はない。全てのモノは死んだらお終い。唯、仕事が忙しい私にとって、ゴミ捨てのストレスが減るのは良いことだと思った。
本当に、唯、それだけのこと。