第二十三話 Small Nightmare
逃げた少女を追走し、屋根の上を一直線に突き進むリアン。
不意に、雲のない綺麗な月夜であったはずの空に一点の陰りができた。不思議に思い、見上げた視線の先には三階建ての家屋が宙を舞って降ってくる光景が映る。
(オーバーアクセラレーション、発動ッ!)
次の瞬間、リアンのいた場所は轟音と共に粉々に吹き飛んだ。
(ミナト。あいつら、二手に別れた)
(それは……厄介だね)
一瞬で落下地点から移動したリアンは、マップを眺めて苦い表情をする。
完全にというわけではないようだが、この世界は彼女たちの思い描いた通りの出来事が起こる。少女自身が願えばこうして何度でも蘇ることもできる。だが、それを願う役割がいる。
「さっさと三人まとめて倒さなくちゃならないけど、こうも離れられちゃね」
リアンの狙いに気がついたのか、不可思議な能力に警戒したのか三人は姿を隠してしまった。マップ機能を有しているリアンにはそれぞれの位置など特定しているが、二人と一人がそれぞれ離れた場所に分かれているため、片方を倒してももう一方に向かう間で確実に復活させられるだろう。それもどこからか覗いているのか、つかず離れずの位置をキープしようとしている。
(とにかく、このままじゃまずい。どうにかして……挑発したらでてくるかな)
モノは試しにと、腹に力を入れて大きな声で叫んだ。
「出てこいクソッタレ! ツラ見せろ!」
結果として、挑発によって誘き出すことには成功した。ただし、応えたのは少女自身ではなく、夜の闇が溶け出して固まった黒きドラゴンの咆哮ではあったが。
「これダメだな」
滑るように路地裏へと飛び降りその勢いのまま駆け出すと、すぐ後ろをドラゴンが飛び込んできた。狭い通路を強引にこじ開けながら迫ってくるので、家々は砕かれ瓦礫が飛び散る。
ジグザグに路地を駆け回りながら、リアンは初めてこれが夢でよかったと思いつつあることに気がついた。
(こいつ、こっちに向かってきてる?)
少女たちは動いてはいるが、常に建物をいくつか挟んだ離れた距離を保っているため、屋根にいたとしても路地に逃げ込んだリアンの居場所は絶対に見えないはず。だというのに、入り組んだ路地を走り回るリアンをドラゴンは正確に追ってきていた。
(影を通して見てる? いや、それにしてもおかしい)
そもそも、明らかに視界に入っていない状態で十字路を曲がろうとも、一切の確認動作もなくこちらへ向かってくる。だとすれば、やはり何かしらの方法で少女がこちらを覗いている可能性が高い。そう考えたリアンはマップを注視する。
(この二人組……必ずボクの前方に回り込んでる。もしかして、彼女たちは――ッ、地震!?)
ドラゴンが移動する衝撃とは別に、大地が小さく振動し始めた。それも段々と大きくなっている。前世で地面が揺れる事には慣れているため動じることは無かったが、この世界に来て初めてのことに嫌でも不吉な予感が高まる。
(ミナト、飛んで!!)
その予感はすぐに当たった。前方の路地から大量の水が濁流となって流れ込んできた。前後に挟まれたリアンは即座に屋根へと飛んだが、間髪を入れずドラゴンの牙が襲いかかる。
「しつこい!!」
超高速移動で退避した場所へと頭から突っ込んだドラゴンはそのまま建物の崩落に巻き込まれ、濁流と瓦礫の中に飲み込まれた。だが、リアンの身体にオーバーアクセラレーションを連続使用した代償が遂に現れ始めた。
「ぐっ……」
(ミナト!!)
全身を走る鋭い痛みに歯を食い縛りつつ、なんとかその場に踏みとどまった。
「まだ、大丈夫。それに二人の位置もわかった」
(本当?)
「横は建物、後ろにはドラゴンがいて見えなかったんだ。そして前方の建物に邪魔されない場所は……」
そう言ってリアンは視線だけを上に向けた。路地を走るリアンの前方にいて、障害物を通さない位置といえばそこしかない。
(空?)
(うん。それにやっぱり、お互いの感覚を共有していると考えたほうがいい)
それがどの程度まで共有しているのかはわからないが、挟み撃ちにされた事を考えると少なくとも視覚は共有されていると考えるべきである。
(空……やっかい。先に打ち落とす?)
この現状をヨーコは重く見ていた。今の少女は偵察機のようなものだ。相手の手の届かない所から見下ろし、ほぼノータイムで地上の兵士と情報を共有する厄介極まりない存在。
しかし、ここで少女にとって大きな誤算があった。それは彼女の位置がリアンにとっては射程圏内であるということだ。
視界をナイトビジョンに切り替え、スナイパーライフルをもって打ち落とすなどリアンの腕であれば造作もない。それを踏まえてのヨーコの提案だが、当の本人は首を横に振った。
(手の内を明かすことになるから、一発で決めたい。だから、まだここじゃダメ)
(ここじゃダメ?)
(そう。ここじゃ……っと、また来た!)
復活したドラゴンがリアンの頭上目掛けダイブを回避する。
リアンが屋根に上がったからか、空から見下ろしている少女に大きな動きはない。居場所がバレていない思っているのか、それともバレても何もできないと思っているのかはわからないが、これ幸いと前世では何十回何百回――何万回と繰り返してきた最適な位置取りを求め、脳をフル回転させる。
(おおよその目処は立った。まずはこのクソトカゲだ)
そう判断したリアンは、瓦礫を払い除け立ち上がったドラゴンの前に立ち、両手を広げた。
「さあ、こっちだ。どうした? こいよ!」
挑発に乗った訳ではないのだろうが、どこか苛立ったように大口を開くとそのままリアンを丸呑みにし胃袋へと飲み込んでしまった。だが、気がつけば飲み込んだはずの少女が眼前立っているではないか。その上、その手には見せつけるように何かのスイッチを握りしめている。
そう、確かにドラゴンは飲み込んだのだ。超高速で回避したリアンの置き土産を。
「お弁当は食ったか? 爆発するうまさだから、ちゃんと味わえよ」
意思のない操り人形であるはずのドラゴンが冷や汗を流した。それは操り主の少女が潜在的に感じた恐怖の表れだろうか。
リアンが手に持つスイッチを押すと、恐怖は体現する。
胃袋で起爆したC4が腹を突き破り、ドラゴンは悲鳴にも似た咆哮を残して暗闇へと霧散した。
すでにリアンの肉体は限界に近いが、これで終わりではない。少女の意識が一瞬でも、爆散したドラゴンに向いているであろう今がチャンスなのだ。悲鳴を上げる身体に鞭を打って、再びオーバーアクセラレーションを発動すると目的の場所へとひとっ飛びで降り立ち、懐から取り出したスタングレネードを持って大きく振りかぶった。
「いい加減……目を……覚ませええぇぇぇ!!」
およそ三秒後。夜空へと投げ込まれたスタングレネードは闇を貫く白き閃光を解き放った。
そのまま暫くすると、空から羽の生えた少女が腕に抱えた別の少女を放すまいとしながらも、フラフラと地面へと落ちてきた。抱えられた少女もぐったりとしている。
気絶するかしないかの絶妙な距離へと投擲されたスタングレネードは、リアンの思った通りの効果を発揮したようだ。
「きゅ~……」
屋根の上へとゆっくり落ちてきた少女は突然の発光によって目を回していたが、いまだ消滅していない。
だが、これで良い。もし気絶でもして落下した衝撃で消滅してしまえば意味がない。これで、いまだ健在でありながら視界が奪われたままの彼女たちを確認するために、隠れていた少女が屋根の上へと身を乗り出してきのだから。
それは三百メートルほど離れたこの距離ならば何もできない、できたとしても回避が容易といういままでの常識を当てはめた油断であった。
「えっ!?」
だが、少女の視界には思いもよらない光景が映る。黒く長い異物を手に、清黒蝶が不遜な態度で睨みつけていた。まるですぐ目の前に立ち、次の瞬間にも少女を手にかけることなど容易であるかのように。
刹那、少女の脳裏には先の光景が蘇り、背後にいるはずのない清黒蝶の幻影を見た。そして判断する。
(きっと彼女は、それを回避しようとする。本来ならそんな必要ないのに、一度経験した彼女は本能で幻視した未来を回避しようとする)
そしてその時は訪れた。
より遠くへ逃げようと、思わず真後ろへと少女は走り出す。そして、リアンの視界から対象を遮るように折り重なって飛び込んできた残り二人の少女。全員が直線上に並んだこのタイミングで即座に腰を落とし、屋根の斜面を利用して《九七式自動砲》を構えた。
急いで壁を構築する彼女たちにかまわず狙いを定め、リアンはトリガーに指をかけた。
「おはよう」
耳をつんざく轟音と共に撃ち出された二十粍口径の弾丸は、巻き上げられた屋根の煉瓦を物ともせず少女ごと撃ち砕く。尚も勢いは衰えず最後の一人へと迫るが、弾は目標を外れて外壁へと撃ち込まれた。
「はぁ、はぁ……ま、まだサめてない?」
それは偶然であった。リアンがトリガーを引く瞬間、焦って振り返った少女は足を滑らせ、弾丸はギリギリのところで彼女の頭上を過ぎ去っていったのだ。
彼女は自身たちに何が起こったのかは理解できていないが、まだ自分は存在しており世界も消滅していないことはしっかりと認識できた。
「やった……やった、やったやった! これで、これで「化け物からは、逃げられないよ」――ッ!!」
悪夢は彼女を掴んで離してはくれなかった。
聞こえるはずのない、聞きたくもないその囁きを、少女は耳ではない何かで確かに聴いた。そして同時に、轟音と共に彼女の意識は今度こそ消え散った。本人は状況を理解する間もなかったが、例え身構えていても屋根を貫通して狙撃されたなど夢にも思わないだろう。
少女のいなくなった世界が白く染まりだす。まるで、目が覚める直前のような感覚にリアンは静かに目を瞑った。
「……ん、うん?」
「姐さん!!」
「目が覚めた!? ねえっ大丈夫!?」
気がつくと、リアンは最初に少女と対峙した屋根の上に立っていた。なぜだか、ガルマンとアリュマージュが心配そうに覗き込んでいる。だが、それに構う余裕はなく無言で周囲を見回すと、破壊された家屋も水没した街も元通りになっている。そもそも、初めから夢だった事を考えれば破壊されたこと自体無かった事なので元通りというのもおかしなことだが。
「フフ……やっぱり、すごいん……だね」
そして、こちらも最初と同じようにリアンの前には少女が対峙している。だが、その目は今にも眠りそうな意識を必死でこらえているように虚ろである。
ガルマンとアリュマージュは背後の少女へと振り向くと目を見開いて驚いた。ガルマンは判断に困っているようだが、アリュマージュはあからさまに警戒している。
「こいつ……いつの間に?」
「んー、なかなか可愛いお嬢ちゃんだけど……なんでかなー。どーにも好きになれない匂いがするんだよねぇ」
「二人とも、あの子の目を見ちゃダメだ!」
リアンのただならぬ様子を見て完全に臨戦態勢につくが、少女はそんな二人には興味がないのか目を合わせようともしない。
「安心しなよ……蝶ちょ……さん。私の……【ゆりかご】は、使ったあと、すごく眠くなるから……もう一度なんて、できないから……さ」
ゆりかご――それが彼女の魔法なのだろうか。それともう一つ、リアンは別のことが気になった。
「その喋り方……まさか夢にいた別の子?」
「そう。私たち、は……三人で一人。リリスは……みんな、一緒」
「リリス……それが君たちの名前なの?」
「そうだよー……えへへ。もっと……おはなし、したかったけど……ザンネン。もう、ジカンみたい」
そう残すと、次第に少女――リリスの体がうっすらと透明になっていく。
「待てッ!!」
「逃がさないっ」
ガルマンとアリュマージュがリリスへと飛びかかるが、おそらく夢である彼女を捕まえることは叶わないだろう。
「バイバイ、ちょうちょさん。また、ユメで……ね」
それだけ残してリリスは完全に消えた。
「……冗談でしょ?」
小倉陸軍造兵廠 九七式自動砲
旧日本陸軍が開発した、ほぼ唯一の歩兵用対戦車ライフル。
全長約二メートル、重量およそ六十キロ。ボルト開放はガス圧利用、後退は反動利用、油圧利用の駐退器に加えショックアブソーバーなど最早大砲並の怪物。とてもではないが、普通は一人での運用はできない。
そして、銃剣が取り付けられる。
銃剣が取り付けられる。