第十七話 ギルドワーク
秋の色も全て落ち葉と変わり、厳しい寒さに身を震わせるある日のこと。学園内の雑木林にて、一人の少年が冷や汗を流しながら剣を手にしていた。
服で手の汗を拭い剣を持ち直し、木を背にして周囲をくまなく見回す。一見、人の寄り付かない雑木林らしく人の気配は無い。だが、少年はその違和感の無い環境に違和感を覚えた。何故ならばこの空間には確実にもう一人、存在している事を知っているから。
裏側へと慎重に顔を覗かせると、10メートルほど先の木陰からチラリと剣の切先が見えた。
(罠、だな)
少年はこれを好機とは思わなかった。相手の心理的死角への奇襲は彼女の得意とするところであり、もう何度も罠にかかった少年は警戒の色を強めた。
(このまま相手が動くのを待つか。それとも……)
暫く悩んでいたが、意を決し前へ出る。意識は前方よりも周囲に向けられ、足音を立てないよう迂回しながら近づいていく。
目標の手前で一旦気持ちを落ち着け、飛び出す勢いのまま構えをとったが予想通り剣が幹に挟まれているだけで持ち手は不在であった。
周囲に視線を配る。ここは既に彼女の手のひらの上なのだ。前後左右をくまなく見渡すが影も形も無い。
「こんな時は上っ……じゃ、ないッ!?」
意識を上へと向けた瞬間、突然足に何かが絡みつく。驚いて視線を落とすと、手が地面から生えて自分の足首を掴んでいた。
急いで回避行動を起こそうとするがそれより早く少年の視界がひっくり返り、視界が暗転する。
「いつつ……っ!!」
「ボクの勝ちだね、ソル」
ソルに短剣を突きつけながら、笑顔のリアンが勝利宣言をした。
「お前、どこにいたんだよ!?」
「ん? ここだよ」
リアンの指差した先は木の根元であった。
「でも、下から上まで確認したぞ?」
「それはね……」
リアンはおもむろに地面を掴んだかと思うと、軽々持ち上げた。
よく見ればそれは、ボロ布をつなぎ合わせたものに枯れ葉を付着させた偽装網であった。
「ほら。自作のカモフラージュネット。布切れと樹脂で試しに作ってみたけど効果あったみたいだね」
「……マジか。よく見りゃ周りと結構違うのに、なんで見つけられなかったんだオレ」
そう言って頭を抱えるソル。それは枯れ葉で隠されているが、よくよく見ればちらほら布地が見えている箇所もある。
「仕方ないよ。影になってたし、カモネット見せたのもこれが最初だもん」
カモフラージュネットをたたみながら説明する。
「ソルの中では今の格好のボクを想像して探していたよね? でも違った。いないはずの人を探すのってすごく難しいんだ」
「いないはずの人……」
「で、も。ボクが潜んでいることは知ってたんだから、もっと集中して全体を見通したら発見できたかもよ」
「うっ……気を付ける」
素直なソルに笑顔で頷くリアン。
二人がここで稽古をするようになってしばらく経つ。
最初にソルが頼んできた時はエイムストラの件もあってリアンは渋い顔をした。だが、彼にしては珍しくしつこく頼み込んできたのでそのうちリアンが折れて今に至る。模造剣を使用した稽古ではあるが、終了後は生傷が絶えない。主にソルがであるが。
「それにしても、よくいろいろと思いつくな。どれも聞いたこともないものばかりだが、やっぱり炎海殿の教えのおかげか?」
「まあそれはいろいろ。普通に打ち合ったらボクなんて力負けしちゃうからね。勝つためにはこういう戦術が必要なんだ」
「なんかって……西区であんだけの大物振り回してたのにか?」
「アレは装備のおかげだもん。それともソルはチェーンソーや、この前見せたアサルトライフル使って欲しいの?」
「滅相もございません」
ソルは両手を上げて降参する。
西区で見せたチェーンソーや、発砲音だけでリザが腰を抜かしてしまったアサルトライフルという異形の銃を使われたら唯でさえ低い勝率が限りなくゼロになるだろう。
雑談しているうちに準備が整ったリアンが立ち上がる。
「よしっと。それじゃボクもう行くね」
「本当に大丈夫か? お前変なところで常識知らずなところあるし」
「失礼だな~。そこまでじゃないよ」
きっとジト目で抗議しているのだろう。ソルはバイザーに隠れた彼女の素顔を推察しながら見送った。
キュレア南区『アンブシュール』。
王都正門近くに建てられた冒険者ギルド・キュレア支部では受付時間中に限り扉が常時解放され、仕事を求めてやってくる人々がひっきりなしに出入りしている。
多くの冒険者であふれている依頼受注窓口では何人もの職員が忙しそうに働いているが、それとは対照的に新規登録受付窓口に座る女性は暇そうに頬杖をついている。
「お待たせ」
「待ってたよ~」
声をかけてきた赤い髪をショートカットにした女性と入れ替わって立ち上がると、コリをほぐすように伸びをする。
「なにか変わったことあった?」
席に着いた同僚が振り返って聞いてきた。
「なーんにも。新規登録席なんて同じ事繰り返せばいいだけだもん。退屈ったりゃありゃしない」
「真面目にやんなよ」
「あんたが真面目すぎんのよ。あーあ、噂の清黒蝶さんでもやってこないかねぇ」
「もう。昨日も問い合わせきたんだよ。『清黒蝶に依頼を出したい』ってさ」
「そもそも、うちにはそんな奴いないってのに。アンタは会ったことあるんでしょ? 本物にさ」
「う、うん。たぶん」
前に彼女の乗った馬車の車輪が外れ、立ち往生していたところに金属の馬のようなものに跨り、顔は黒いガラスに覆われた清黒蝶が現れたことがあった。清黒蝶は近くの街まで護衛を引き受けてくれた上、一緒に乗っていたキュレア学園に入学予定の妹を送り届けてくれるなど、とても優しそうな雰囲気をまとっていたことを覚えている。
「でも、結構荒っぽいらしいじゃん」
同僚の言葉にキラリと目を光らせたと思うと、どこから出したのか一冊の本を持ち出してきた。それを見た同僚はしまったと言う顔をする。
「そ、それは狂王の封じられた魔剣を使ったからだよ! ほら『清黒蝶 ~狂王の魔剣~』にもそう書いてあるから。清黒蝶以外が使ったら理性を失くした獣になってモヒカンになっちゃうんだって」
「わかったわかった。あんたが清黒蝶マニアなのはよーくわかったから。っていうかモヒカンってなに?」
「さ、さあ? 魔物、かな?」
「あんたも知らんなら……って、あら?」
ふと、ギルド全体が妙に静まり返っている事に気がついた。この時間帯なら、いまだ仕事を求めて冒険者がひっきりなしにやってくるはずだ。
「変ね。なにかあったの……」
「どうしたの?」
同僚が正面を向いたまま固まってしまった。何事かと振り返ってみると、正面の席にちょこんと座る清黒蝶がいた。
「あっ、どうも」
ペコリとお辞儀をする清黒蝶と静止したまま動かない受付。
実は結構前からいたのだが、盛り上がる彼女たちに声をかけづらくてずっと黙っていたのだ。
「あの……」
「ハイッ! 私、リジュ。十八歳。出身地はクルシオルです。よろしくお願いします!!」
「えっ!? あっはい。どうも」
「すみません。ちょっと失礼」
突然リジュの肩が掴まれて、そのまま奥に引きづられていってしまった。
「ちょっと!? あんたなに自己紹介してんのよ。っていうかアレ本物? 装備はともかく子供じゃない」
「ううん。見た目に差異はあるけど雰囲気とか声は間違いないよ」
「アンタがそう言うなら本物みたいね。くっ、平穏だったあの頃が懐かしいわ」
「ついさっきの事じゃない」
「とにかく、これはきっと清黒蝶マニアであるアンタのために湖の女神様がくれたご褒美なんだから、ちゃんと責任をもって対処するのよ」
「えっ、ちょっ!? それを言うならさっき清黒蝶がやってこないかなって言ってたじゃない!」
「はいはい。ほら、いつまでも待たせちゃ悪いでしょ、っと」
「ちょっと押さないでって!」
背中を押され無理やり席に戻されると再び清黒蝶と対面する。
「あの、冒険者ギルドに登録したいんですけど?」
「は、はい! えーっとえーっと、新規登録とのことですがどこかのチームに所属、または紹介人はいらっしゃいますか?」
「いえ。とくには」
「それでは念のため一から説明しまします。はい」
リジュは深く深呼吸すると必要以上に気合を入れて説明してくれた。
冒険者ギルドに登録すると、掲示板に張り出される依頼を受けることができる。また冒険者にはランクがあり、ランクが上がると受注できる依頼も増えるという。高ランクになったり名が売れると直接指名が入ることもあり、報酬も高額になるという。
登録料を払うほか報酬の一部は仲介料としてギルドが徴収する。依頼は複数人での受注も可能であるが、金銭面でのトラブルが発生してもギルドは一切の関与はしないという事が告げられた。
「また、チーム専用の依頼というのもあります。もしチームを立ち上げる、または加入するというのであれば別口にて受け付けます。他になにかございますか?」
「いえ。登録をお願いします」
「かしこまりました。それでは登録料として300シルいただきます」
言われた金額を差し出す。
「確かに受け取りました。それではこちらの水晶に手を乗せてください」
「はい」
手を乗せた瞬間、ほのかに水晶が輝き出す。
「それでは、お名前を」
「……」
「……」
「……」
「……あ、あの?」
黙ったままなのがに不安になったのか、リジュが覗き込む。
「……ミナト」
「えっ?」
「名前です」
「あっ! すみません」
リジュが慌てて水晶になにか唱えると光る文字が浮かび上がり、それはリアンの手の上にも浮き出ていた。暫くすると光が消え、手を離す。
「はい。登録が完了しました。こちらが証明書になります」
リアンは手渡された鉄製のカードを見つめる。一見、何も書かれていないように見えるが本人の魔力を込めると、名前と星が浮かび上がるようになっているようだ。
「昇格試験に合格しますと、そちらの星が増えていきますので頑張ってください」
「はい。ありがとうございました」
「そ、それと!」
立ち去ろうとしたところを慌てて声をかけられ、中腰のまま固まるリアン。
「その、あの時はありがとうございました。妹も無事入学できました」
その主語もめちゃくちゃな言葉に後ろで見守っていた同僚はあちゃーと顔をしかめる。リアンもポカンとしていたが、合点がいったのか笑顔で応える。
「どういたしまして。リザ……ちゃんも、おめでとうございます」
去っていく清黒蝶を見つめながら惚けているリジュの肩が叩かれ、現実に戻される。
「ほれ、おつかれさん」
「ありがと~」
差し出された紅茶を受け取り、一気に飲み干すと大きくため息をつく。
「それにしてもアンタの妹さんの名前まで覚えているなんて結構律儀なのね、清黒蝶って」
「言ったでしょ、優しい人だって。あれ? でもあの時自己紹介なんてしたかな。あの大人しい妹が初対面の人に自己紹介してたなんて……あっ!!!!」
「な、なに!?」
突然神妙な顔で大声を上げるリジュに、同僚も何事かと焦る。
「サイン……貰い忘れた……」
「……」
リジュは無言でげんこつを落とされた。
後日、妹とお茶をした際、清黒蝶について問いただしてみたが「しゅひぎむー!」と言って口を割らなかったそうな。