一万アクセス突破記念 奔放教師山本健三の華麗なる半生
一万アクセス突破です。読んでくださった皆さんのおかげです。あんまりいつもと変わらない気もしますが、本文をどうぞ。
〜出生時〜
父弘志、母良子の一人息子として愛知県の一地方の病院で生まれる。命名健三。
その日、看護婦数人が窓の外に<激しく光る何か>を見る。
看護婦Aの証言「それは病院の敷地内に落ちたように見えたがよくわからない」
看護婦Bの証言「<光る何か>は見ていないが、掃除中にお札を見つけた」
看護婦Cの証言「健三君は生まれてすぐに目を開いていた」
〜幼少期〜
母良子の証言「始めて話した言葉は<あんらくし>」
父弘志の証言「昔から絵本など本ばかり読んでいた」
二歳の頃、<健三失踪事件>が発生。数時間後、家から離れた駅近くの本屋で発見。
通行人の証言「一緒に大人がいないので変だとは思った」
店員Aの証言「一人でこの店に入ってきてずっと座り読みしていた」
店員Bの証言「読んでいたのは絵本ではなく小学生向けの本」
警官に保護され、理由を問われるも「もくひします」の一点張りで何も話さず。
〜幼稚園児時代〜
保育士Aの証言「この時すでに吉川英治の本を愛読していた」
保育士Bの証言「孤立しがちだったがそれを気にする風ではなかった」
六歳頃、<健三愛読書廃棄事件>発生。少年らが健三の本を無断で廃棄。
数日後、首謀者の少年は原因不明の失語症となる。
理由を尋ねられるも青ざめるばかりで情報を与えず、数日後転園。
転園後は言葉を回復するも、理由は決して明かさなかった。
健三の関連は不明である。
〜小学生時代〜
授業で書いた詩や文が数々の賞を受賞。各学年で教師から<神童>の名を受ける。
しかし授賞式には出席せず。大いに顰蹙を買うも気にする素振りを見せず。
当時の友人の証言「<面倒くさい>が口癖だった」
当時の担任の証言「国語力がずば抜けていた。きっと大人物になると思った」
〜中学校時代〜
生徒会選挙の応援演説を頼まれる。「面倒くさい」と嫌がるも六法全書で買収。
校長が直々に褒めるほどの名演説を披露。応援された生徒は見事当選する。
三年時には六法全書の大半を記憶。将来を期待される。
しかし九月<第二次健三失踪事件>発生。<探すな>のメモを残し消失する。
半月後何事もなかったかのように帰宅。この半月は謎のままである。
三月、高校をいくつか受験。有名校含む全てに合格するも一番近い高校に進学。
理由を「通学が面倒くさい。受験したのは気分」と語る。
〜高校生時代〜
文系科目では全国区の実力を誇る。理系科目(主に数学)では追試も受ける。
当時の発言1「「数学をやったおかげで幸せです」なんて聞いたことがない!」
当時の発言2「数学?食べられるんですか?」
二年時<文化祭中止計画>を練る。生徒集会では役員と大議論。
「文化祭の準備なんて面倒くさい」を信念に華麗な話術で議論を有利に展開。
しかし数の暴力により敗北。このころから<言葉の魔術師>と呼ばれる。
三年時には多くの有名私大への推薦を進められるも辞退。
家から通える教育大学に進学。理由は「教職は食いっぱぐれがないから」
〜大学生時代〜
文学サークルに所属。<本山蔵兼>の名で某文学賞佳作を受賞。
成績はいいものの対人関係に難あり。
教職には向かないのではと指摘を受けるも教員免許を取得。
見事高校教師となり公立高校に赴任。
〜若手教師時代〜
早くも自分はほとんど指導をせず生徒に丸投げする現在のスタイルを確立。
当時の生徒の証言「先生が何もしないから自分たちでやらざるを得なかった」
二度目に赴任した高校で<終生の敵><竜虎>と称される藤田先生と邂逅。
生徒の自主性を重んじる(つまり自分は何もしない)ことで反感を買う。
<読書感想文の是非><宿題の存在>などをめぐり対立は悪化。
しかしこの二人のクラスだけ極端に成績が良いという謎の現象で沈静化。
藤田先生の転任で<第一次藤山戦争>は終息。
〜中堅教師時代から現在〜
初のお見合いを経験。出会ってから数分でプロポーズする。
「古典の教養はありますか」
「……はあ、学生時代にやりましたけど」
「結婚しましょう」
「……はあ?」
結局、数度デートを重ね、結婚。夫婦仲は上々らしい。
四度目の転任。藤田先生との再会。ここに<第二次藤山戦争>勃発。
「……そして現在に至るんだよー」
「突っ込みどころが多すぎて突っ込みきれんな」
なんでお前がそんなこと知ってるんだとか証言はどうやって取ったとか。
特に健三さんの行動には突っ込みきれん。
「俺たちってすごい人が担任なんだな、旦那」
「そうだよねー、かなりの変人だよねー」
「お前らが言うな」
こいつらもそのうちに伝説になるんじゃないかと考えてしまう俺だった。