月子のおもいで
思い出というのはほろ苦く、きゅっと胸を締め付けてきて、少しだけ美化されて記憶に残っている。
実際の所は少しと言うよりも、記憶の改変と言った方が正確な場合もあるけれど、大概の場合そんなところであると思うし、そうであって欲しいと願いたいところだ。
あえて僕の事を話すなら、例外もなく、想定外でもなく、予定調和に以下同文で、だいぶ記憶も霞み架かってしまったのだけれど、そんな思い出と言うものが当然のようにあったりするわけである。
恥ずかしながら。
恥ずかしい。
そう、恥ずかしい話であって、人にべらべらと話す事でもないのだけれども、そんな話だからこそ、人というのは誰かに話してみたくなるものかも知れないなどと思ったりしないわけでもなく、僕はどちらかと言えばそう言う種類の人間であると思う。
だからと言って僕は全裸で街中を歩き回る趣味や、ネットに自分の陰部を撮影した画像や動画を流出させると言った性的嗜好の持ち主ではなく、いい加減にいい歳になった僕が惜しげもなく晒す事ができるのは、せいぜい昔の甘酸っぱくて青臭い、極々普通の誰しもが経験してきた事ぐらいなのである。
「クリトリスとスカトロってどことなく似た雰囲気の響きじゃない?」
「似てねーよ。 合ってるところが一つもないよ」
中学生の頃、出席番号順で隣の席となった月子は授業中にも関わらずそんな事を言い始める変わった子であった。
「えー、場所もだいたい同じでしょ?」
「スカトロは出た後で、出る場所のアナルじゃないよ」
「大和田獏と、夢枕獏的な?」
「獏しか合ってないし、意味解らないし、名誉毀損だよ」
授業中であろうと僕らを教師が注意する事はなく、まるで存在しないかのように振る舞った。
僕はそんな空気の読めない月子の係だった。
他にも月子係になったクラスメイトはいたのだけれど、的確なツッコミができなかった係を月子は解任し、僕にめぐり廻って来たのである。
野良猫も、餌をやっていれば情が移るものである。
ましては、隣の席で最低限の意思疎通ができる相手であるなら尚更の事であろう。
人はそれを隣り合わせの恋と呼ぶ。
「いや、それはないけど」
意を決して体育館の裏に呼び出し、告白した僕に月子は何を言っているのかと言う冷静な顔でそう言った。
こうして僕の恋は終わったが、月子係という大任は卒業して会わなくなるまで地獄に日々が続いたのだった。
それから月日は流れ、僕の現実とはかなり違う、美化された部分が多数含まれた思い出というものが形成されているのだけれど、それはそれで大事なものであると言う事は変わりないし、そう思いたい。
彼女のその後は知らないが、ネットで月子というコテハンを見つけた時に、僕の知った月子の思い出が蘇って来たのである。