序
過去に、大変な経験をした子供は大人びる。それは嘘だ。逆に幼児化することだってある。私は、嫌な経験をした。だから、何をしたって許される。そんな甘い考えに至る人間も少なくない。
いじめられていた。だから、いじめをやめよう。そう思う人間は果たして何人いるだろうか?だいたいの人間は、鬱憤を晴らすために自分より下の者を作り出す。はけ口にするために、自分と同等以下の人間を作り出す。自分が底辺ではない。自分は、無能ではない。自分は、正しい。と言った具合に他人を陥れ負の連鎖を作り出す。結局のところ、誰だって自分一番で、自分が可愛くて仕方ないのだ。
そんな性質を持っているくせに、愛は地球を救うだのいじめや差別は駄目だと、口先だけで語る。その言葉に、思いや意志はこもっておらず、建前と権力、偽善が含まれる。そしてそれを言った者は、自己満足の海に浸るのだろう。自分こそが正しく清いと疑わずに…。
この物語は、一人の少女、春夏の目線で紡がれる。春夏は、人付き合いが苦手で、友人も少なく彼女を知らない人から見たら陰気で気味の悪い少女としてみられるだろう。だがしかし、彼女こそが正しく正常で、日の当たる優しく、明るい場所で生き嘘と本当をごっちゃにし、毒で他人をじわじわ侵食して生きる所謂人気者こそが不誠実で、薄汚れた悪なのだと言おう。
日の当たる場所こそが、正しくそうであるべきだ。と思ってはならない。地下でひっそりと生き、光を求めて生きる生物たちの上に君臨する支配者こそが人気者なのだ。人付き合いが上手い人間は、人を粗末にする。沢山の仲間に囲まれ一見幸せそうに見えるがそうではない。一体、その中に何人腹を割って話せる友人がいるのだろうか?利用価値…自分が暇をしないためにいる玩具は、何人なのだろうか?
そんな誰もが分かりきり、目を背けるえげつなくて受け入れがたい事実にスポットライトを当てよう。さぁ、人間の汚さを思い知ろう。