side-悪魔城にて-3
少女を閉じ込めている部屋から出たガッチは、薄暗い廊下を靴音を響かせながら歩いていた。
自身でもよくわからないわだかまりが、心の中に巣食っている。
ガッチはイライラし、舌打ちをした。そしてピタリと足を止めると真縁の壁を、握った拳でダン!と力強く叩く。
それは静かな廊下によく響いたが、ガッチの他に聞く人はいない。
「……くそっ! なぜこんなにもイライラする!」
壁についていた拳を開きながら手を離し、止めていた足を動かし始めると、再度廊下に靴音だけが響き渡る。
階段を下りてまた廊下に出ると、正面と奥の方にもう一つ扉がある。それぞれを開けると、男性の悪魔達が雑魚寝する部屋とつながっているのだ。そしてそれらの寝室には広間へ続く扉が一枚ずつついており、いつでも広間で集まれるようになっている。
ガッチは一番近くにある正面の扉を開け寝室へ移動すると、更に扉を開けて広間へと足を踏み出した。その中央に、やはりリーガを中心とした固まりができていた。今日は機嫌がよいらしく、リーガは、はまっている紅茶を飲みながら皆と談笑している。その集まりの中には、おそらくシラードとマックもいるだろう。一目でどこにいるかは分かりずらいが。
気づかれないように気配を消して、慎重に壁沿いを歩いていく。
―――見つかるとめんどくさいからな……。
そう考えた後でふと思う。
―――なぜ俺がこんな苦労をしているんだ……。
静かに溜め息を漏らす。
―――まあ、今更仕方ないか……。
中央を避けて気づかれることなく無事に外へ出たガッチは隣の塔へ向かって歩いていく。そっちには女性達が住んでおり、皆で家事を行っているのだ。
塔の前へ移動したガッチは本来扉がついてあるはずの間から広間の中を覗く。すると、いいタイミングで女性が一人広間の端にある柱を拭いていたので、一歩中へ入ると声を掛けた。
「なあ! アンナ呼んできてほしいんだけど」
その声に気が付いた女性はガッチに気づくとにっこり笑って掃除を中断し、近寄って来る。
「あらぁガッチじゃなぁい。久しぶりねぇ」
少々ねちっこい言い方で体をくねらせながらガッチの腕にそっと手の平を触れてくるのを見て、眉を顰める。
「ユリア、やめろよ」
「えぇーちょっとぐらいいいじゃなぁい?」
そう言ってガッチの腕を取り、自分のそれに絡ませてくるユリアに対し、嫌悪感が湧いた。
そしてまた、そう感じる己が理解できない。
ユリアのこういうボティタッチは今に始まったことではなく、今までそれに嫌悪感を抱いたことなどなかったのだ。
それなのに、なぜだろうか。
こんなに鬱陶しいと感じてしまうのは。
数秒経っても自分を睨み付けるように見てくるガッチに嫌気が差したのか、ユリアは突然腕を離し、不機嫌そうに顔を歪めた。
「あーあ、つまんなぁい今日のガッチ。で、アンナだったっけ? 呼んでくるわぁ」
そう言ってユリアはガッチに背を向けて奥の方へ消えていった。
姿が見えなくなり、一人残されたガッチは溜め息を漏らす。
そして脳裏に浮かぶのは、十日は経つのにまだ名も知らぬ少女の姿。
先刻の、恐怖に歪めた顔、そして小刻みに震えていた体の事を思い出し、今度はガッチの顔が歪む。
―――何故あんなにも怖がる。何もしないのに。
無意識に、握った拳で壁を力強く叩く。ドン、と音が響いた。
―――俺は何故こんなにあの女を気にする?どうでもいいじゃないか。ただの人質だ。それだけの価値しかない。そうだろう? ……そうだ、その筈だ。
ドン、ともう一度壁を叩き手を離すと、門から一歩外へ出て壁に背中を預け、空を見上げる。
暖かい日差しと、眩しい太陽がその漆黒の双眸に映った。
風が吹いて、ダークブラウンの短い髪をさわさわと撫でてゆく。
それが、心地よくもあり、鬱陶しくも感じる。
「ガッチー?」
耳に、アンナの声が届いた。壁から離れてもう一度門に立って、アンナから姿が見えるようにすると、奥の方で辺りを見渡している女性の姿が目に映った。
「アンナ」
呼びかけると、アンナは彷徨わせていた視線をしっかりとガッチに向けて、しっかりとした足取りで素早く近寄って来た。
「なんだい? 用事があるって聞いたけど?」
肉付きのよい胸を張りながらあまり括れてない腰を両手で掴んで肩幅に足を開き、そう告げる。
若い頃は妖艶な美女で、そこかしこの男達にひっぱりだこにされていた、とアンナは昔よく話してくれたが、よい年を迎えた今では影も形もない。それでもガッチは、このふくよかなアンナが好きだった。口うるさくはあるが、心が広くとても頼りになるのだ。
「あのさ……」
と言ったところで言葉が詰まった。
―――服のサイズわかんねーや……そういや年齢も知らね……。
「あ~……」
困ったような顔を浮かべて右手で髪をガシガシ掻くガッチの姿を見て、アンナは首を傾げる。
「何か困りごとかい?言ってみな」
「え、なんでわかるんだよ」
掻くのを止めて顔をあげ、真っ直ぐ自分を見つめながら訊かれたアンナは呆れ顔で言う。
「何言ってんのアンタ。何年の付き合いなのさ。例え無表情でもあたしには解るよ」
「なんで」
怪訝な顔をして言うガッチにニヤリと笑いながら答える。
「秘密」
その言葉に口をへの字に曲げるガッチを見ると、ますます面白がって笑うアンナだったが、ひとしきりすると本題に戻る。
「で? 何しに来たの」
「あー……その、女物の服が、欲しいんだけど」
「おんなぁ? 何アンタもついにコレが出来たってわけ?」
にまにましながら小指を立てて楽しげに訊いてくるアンナにガッチは慌てて叫ぶように言う。
「違うって!! やめろよからかうの!!」
「やだねーそんなに怒ることないだろ。ところでいくつくらい? 年」
ムスっとしていたガッチだったが答えられない質問をされて言葉を詰まらせる。
その様子を見てピンときたアンナは両肩をすくめた。
「わかんないのかい? そのくらい訊いとかないと。アンタもほんと不器用だねぇ」
「だから!!」
「はいはい、ちょっと待っときな」
そう言うとアンナは素早く背を向けて歩いていく。そんなアンナにさらっとあしらわれたガッチは胸の前で両腕を組むと不機嫌そうな顔でぶつぶつと独り言をお経を読んでいるかの如く呟いた。
その数分後には何着かの服を腕に掛けたアンナが姿を現し、ガッチに差し出してくる。
「これでいいかい? あたしのお古で悪いけど」
「助かる」
「いいさ。近いうちに紹介しなよ」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてそう言いながら肘でガッチの横腹をつついてくるアンナに、ガッチは苛つきが頂点に達しそうになった。
その雰囲気を察したアンナは、
「はは、ちょっとからかい過ぎたね。ごめんごめん。ほら、行ってきな」
と言いながら手の甲をガッチに向け、上下に振る。
それを見て、怒鳴りつきたい感情を溜め息に込めてゆっくり吐くと、
「じゃ、またな」
と固い声で告げ、来た道を戻って行く。
去っていく後姿を見送りながら一人残されたアンナは、
「にしても、ガッチがあんなにムキになるとはねぇ~青春だわねぇ。くっくっく」
と、楽しそうに独り言ちたのだった。
時はほんの少し戻って。
ガッチが出ていき、少女は、己が着ている服に染まった紅色と床に転がったままの花茶を順番に見ると、はぁ、と溜め息を漏らした。
「これ……片づけなくちゃ……」
でも、床を拭くものがない。
「借りた服を使うわけにもいかないし……タオルも……」
そこまで呟いたあと、少女の顔が突然花が開いたように明るくなった。
「そうだ! 私が最初に着てた服……! でも、あるかな……」
きょろきょろと辺りを見渡した後、とりあえずベッドの側の棚を開けてみることにする。両膝を折ると床に着け、踵に丸みをおびた小さいお尻を乗せると、じっくり引き出しを観察する。そして、小さく二カ所削られているところがあるのを見つけ、そこに両手をひっかけて引っ張ると、軽く開いた。
そこに入っている綺麗にたたまれた白い服を見て、拍子抜けした。
あまりにも簡単に見つかった。
それと同時に笑みが広がる。
早速服を取り出して引き出しを閉め、立ち上がると肩の部分を両手で掴み、たるまないようピンと引っ張って掲げる。すると折れていた裾が重力に逆らえずはらりと下へまっすぐ伸びて、全貌を見せた。
自分が着ていた白いワンピースを見て、嬉しくなる。
けれど、これを汚さねばならない。
それを思い出して、その明るかった顔が曇る。
「いいよ……ね。だって、家に帰ったら、いっぱいあるもん……服」
そう静かに呟いて少女は悲しそうな顔のまま、服を握りしめると胸元に持って行き、拳に力をいれて握る。
「……帰れるよね……?」
その問いに答えられるものは、ここには誰もいなかった。
ぎゅ、と更に強く握りしめた後、服と床の液体を順に見て、少女は気が変わらないうちに、と思いっ切って床に広がっている液体に持っていた服を押し付けた。床に広がっていた赤い液体は、どんどん少女のワンピースに吸い込まれて、同時に赤く染めていく。それを見て一瞬悲しくなったが、やってしまったものは仕方がないとすぐに気を取り直す。
やってしまったことで吹っ切れた少女は床に広がっていた赤い液体を全てワンピースへ吸い込ませるとそれを持って浴室へ入って行き、扉を後ろ手で軽く閉めた。そして借りていた服を脱いで染みになっている部分だけ桶の中に溜めてある水で濡らしながら、ごしごしと擦り取っていく。
「うーん、綺麗には取れない……かぁ……」
その時、服を持ってきたガッチが室内へ戻ってきたのだが、水の跳ねる音と己が服を擦っているそれで、少女はその存在に気づかなかった。
部屋に入ったガッチは瞬時に、見える範囲内に少女がいない事を悟ると、自然に視線が浴室へ向いた。耳を澄ませてみれば、何かの音が聞こえ、よく見ると扉も完全に閉まってはおらず、数センチ開いていた。
―――服の替えはない筈。何をしてるんだ? ……まさか逃げようと?
思い浮かんだ考えにはっとなり、自分の中でまるでそれが当然のように染み込んでゆく。
突然湧いた怒りによりガッチは冷静に判断する力を失い、感情のままに浴室へ向かうと開いている扉の隙間に手を差し込み、勢いよく開けながら怒鳴るように言った。
「何をしているんだ!!」
「っひゃああぁぁあ!」
ほぼ同時に少女の声から漏れる悲鳴も、扉を開けて浴室内の光景を見たガッチの耳には聞こえなかった。
ガッチの双眸には、少女の姿が映っていた。
髪の毛の間から覗く細い首筋に、華奢で、色白な細い腕。驚いたからか握られた拳は、まだ発展途中のふっくらとして柔らかそうな胸の谷間に置かれ、括れた細い腰の続いた先には、踵に乗せられた小さく可愛らしいお尻があった。
漆黒の目を白黒させてそれを見た瞬間、ガッチの思考は停止し、弾け飛んで。
気絶した。
怒鳴られたと思った瞬間、本人が突然背中から倒れてしまった姿を見て、次は少女の思考が停止する番だった。
数秒の後、状況がよく呑み込めなくて呟く。
「えっ……? なになに……? ちょっと、何これ?」
焦りながらも少女は素早く立ち上がると、恐る恐るガッチに近づいて行く。細い足の爪先がガッチの腰付近で止まり、少女はそっと膝を曲げて床に付け顔を覗き込んだ。
ごくり、と緊張で唾を飲み下しながら、じっと見つめる。
―――う、動かない……。まさか、し、死んでないよね……?
心臓が、緊張と焦りから、ドックンドックンと跳ねている。
小刻みに震える手をそっと伸ばして、ガッチの頬の辺りまでくると、ピタリと止めた。
触れていいのか迷い、緊張から変な汗が出て来る。
でも、このままにしておくわけにもいかない。
覚悟した少女は、数センチ先にある、ガッチの頬にそっと指先で触れると、火傷したかのようにぱっと手を離して胸元へ戻す。
そのまま数秒緊張しながら様子を見るが、身じろぎすらしない。
無意識に指先が自身の唇に伸び、首を傾げる。
「あれぇ……?」
そして、今度は最初より若干早く手を伸ばし、ガッチの頬へ触れ、トントンと優しく叩きながら声を掛けた。
「あ、あの……? だ、大丈夫……ですか?」
そして数秒待ってみたが、彼に起きる気配はなかった。だんだん打ち所が悪かったのかと心配になってくる。
「ど……どうしよう……」
そういえば、怪我をしているのだろうか。
そう疑問が湧いて、少女は両手をそっと彼の頭へ伸ばし、僅かだけ左右に傾けながら左手を先に後頭部へ回し支えながら、右手でほんの少し触れて、傷があるか腫れてないかを確かめる。
異常がないことを知ると引き抜いた右手の平を見てみるが、特に変わりがない為安堵から溜め息を漏らした。ゆっくりと頭を下して床に付けると、この後どうするべきかで頭の中がいっぱいになった。
「……担げる、かなぁ……?」
上半身を起こそうとガッチの腕の下に手を入れて引っ張ってみるがビクともしない。
―――お、重いー!!
「っ……無理!」
叫ぶと同時に体から手を離し、一息ついた後視線が自身の体に落とされる。
「あ。服着てないんだった……」
その時、少女の視界にトーイが持っている何着かの服が目に入り、心の中でごめんなさい、と謝りながら一番上の服をとって、広げる。
長袖で、手首部分に軽いレースがついてある、真っ白いワンピースだった。すこしサイズが大きそうだったが、着てみると心が落ち着いた。
それから少女は踏まないように浴室から出るとベッドに視線を向けた。その上には体に掛ける布が置いてある。
ゆっくり歩いてそれを手にし、戻ってくるとガッチの体に掛けると眉根を寄せて、ふぅ、と溜め息を吐いた。
「……このくらいしかできないや……」
そして、傍に座り込んで壁に背中を預ける。
「……病気にならなかったらいいけど……」
そう呟いたあと、ガッチが起きるのを静かに見守った。