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見知らぬ世界

 背中に勢いのいい風圧を受けながら落下していく体。風の切る音が耳にゴオオオオオ! と聞こえると同時に髪の毛がすごい勢いでなびく。毛先がたまに目の中へ入りそうになって視界の邪魔をする。傷が完全に癒えていない体には堪える。

 トーイの双眸には飛び込んで来たサラが映っていた。

 真っ白いワンピースのスカートの裾が膝に引っかかってバサバサと音を立てて波打っている。サラの長い髪が風によって舞い上がりそれどころじゃない状況なのにも関わらず、綺麗だと思ってしまう。

 その後すぐ我に返ったトーイはサラに向かって叫ぶように言った。

 「戻るんだ!!」

 次の瞬間、サラは顔色を変えた。だが、頭を振った後風圧に逆らいながら真っ直ぐに手を伸ばしてくる。

 トーイは、その手を取ることを迷った。

 だが、このままだと二人の命が危険なのだ。既に下界の大陸が間近に迫っていた。

 トーイは、伸ばされた手を、しっかりと掴むと、全身の込めるだけの力をその手に込め、サラを体ごと引き寄せる。勢い余って、サラの華奢な体がトーイの胸にぶつかってしまったが、こういう状況だ。トーイに後悔はなかった。

 強く抱きしめる。

 しかし、数秒も経たぬうちにサラがトーイの胸元にあった手に力を込めて上半身を引き離した。軽くショックを受けたトーイだったが、離れたサラがトーイに優しく微笑んできたのを見て、嫌がったわけではないと分かり、安堵する。

 そして、次の瞬間。

 サラの背中から純白の翼が、バサっと音を立てて現れた。何本か抜けた羽根が、ひらひらと宙を舞ったが、それらと一気に距離が開いていく。

 驚いたことに、サラが背中から生やした翼を羽ばたかせることで、落下する速度がかなり緩やかになっていた。それでも落下していることには変わりはなかったが。

 「ご、めんな……さいっ! 私……だけ、じゃっ……!」

 そう苦しそうに言うサラの声が聞こえた。

 サラだけではトーイは重くて抱えきれないのだ。

 このままではサラも巻き込んでしまう。

 苦しそうに、それでも決して落とすまいと翼を勢いよく羽ばたかせているがそ、その代償に、羽根が次から次へと抜け落ちていっていた。

 苦しそうにするサラを、もうこれ以上見ていられない。

 自分がいなければサラは空を飛べるのだ。

 「やめてくれ! もういいから! 離せ!」

 「いやっ……! 絶対離しません!!」

 「っ……!」

 気持ちは、物凄く嬉しくて、舞い上がってしまう。だが、状況が状況だけに素直に喜んでもいられない。

 それなら、どうにかして二人が助かる方法を見つけなければ。

 ―――どこかに、立ち寄れる場所でもあれば……!

 そう思い、必死にあたりを見回すが、周囲にあるのは森と水くらいだった。

 ―――このままでは……!

 サラの方に視線をやって、必死に歯を食いしばり、汗を流しながら苦しそうに支えている姿を捉えると、トーイも胸が張り裂けそうになる。

 ―――苦しい……お願いだから、もうやめてくれ……!

 でも、彼女は絶対離しはしないだろう。

 それが解っているから。

 トーイは周囲を再度見渡し……ある事を思いついた。

 「なあ! あの泉まで行けるか!?」

 風の切り裂かれる音がサラのおかげでだいぶやわらいだとはいえ、彼女は必死に翼を羽ばたかせている為、聞こえにくいかもしれない。

 そう考えて、トーイは叫んで問うた。

 トーイの言葉を聞いたサラは彼が指さす方向を何とか確認し、視線をトーイに向けると軽く頷いた。そして体の向きを変え、懸命に羽ばたかせながら泉へと向かっていく。

 ―――泉まで届けばそれでいい……!

 数分が永遠にも感じる時間が経ち、その間ゆっくりと泉へと向かって行く。サラの手が少しずつ汗ばんできており、最悪の事態も想像してしまう。

 サラの踏ん張る姿を見て、トーイは申し訳なく思い泣きそうになる。

 ―――俺は……汚い……。自分の欲望を叶えるために……彼女だけに、無理をさせている……。

 サラへと視線を向けて、眼を細めて彼女を見つめる。サラは進むことに必死な為、おそらくトーイが己を見ていることなど気づいてもいないだろう。

 ―――ごめん……!

 その時だった。

 「も……だめぇ…………」

 サラの掠れた声が聞こえたと同時に背中に生えていた翼がふっと消え、体が傾いて勢いよく落下をし始める。それに気が付いたトーイは力一杯彼女を引き寄せ抱きしめた。

 落下地点を予測するために視線を下す。双眸に飛び込んで来たのは、底が見えそうな程透き通っている綺麗な泉だった。


 サラは、なんとか泉に辿り着いていたのだ。


 勢いよく落下している途中、水面に激突する寸前で、トーイはサラが完全に気を失っている姿を確認した後。


 背中から、翼を生やし衝撃を和らげてから、泉へと落下した。



 サラの体を片手で抱え、もう片手で泉の水面を掻きながら前へゆっくりと進む。水が目に掛かかり視界を狭め、息を自由に吸えないなど苦しい思いをしながら、気絶している様子のサラの顔が水中へ入ってしまわないように、慎重に泳いで渡る。

 そうして泉の縁についたトーイは手をついて呼吸しやすいように体を安定させた後、サラの顔を覗いて声を掛けた。

 「サラ、サラ! 起きて、サラ」

 「ん……」

 すると、僅かに声が聞こえ、サラの瞼が震えたあと、ゆっくり開いていった。緑色の鮮やかな瞳が覗き、その綺麗な双眸にトーイは一瞬息を吸うのも忘れて見蕩れた。

 柔らかそうな唇が、か細い声を紡ぎだす。

 「と……トーイ、さん……?」

 その声を聞いて、はっと我に返ったトーイは慌ててサラに声を掛ける。

 「だ、大丈夫?」

 「……ええ……ちょっと、疲れてしまって……私、どうしたのかしら……」

 まだ辛そうに顔を顰めてそう言ったサラだったが、焦点が合っていなかった目を胸から下を包んでいる泉に向けると軽いパニックに陥った。

 「えっ、えっ? 何、どうして私!」

 「お、落ち着いて大丈夫だから! とりあえず、岸に上がれる?」

 「き、岸……?」

 そう呟くと肩越しに背後を振り返り顔を上げる。泉の縁が見えてサラは体を回転させ向きを変えた後両手を伸ばして土に手を置いた。そして視線を、自分を抱いてくれているトーイに向けるとトーイが頷いたので、顔を正面に戻してぐっと両手に力を入れ体重を移しながら、体を前のめりにさせつつ浮かせていく。水中に入ったままのトーイが空いている片手でサラの腰、そして脚の順に体を支えて岸に上がる手助けをした後、自分も這い上がる。途端、余分な水分が体中から流れ、毛先や服の縁からポタポタと大地へ落ちていっては吸い込まれていった。水分のせいで動きにくく、体が重い。

 トーイは横腹の裾を持って上着を引っ張ると、余分な水分を取るために絞る。途端、ボタボタとコップ一杯くらいの水が地に落ちていった。

 ―――とりあえず、こんなものか。

 そしてトーイは、これからのことを相談するためにサラの方を振り向いて―――……目を大きく見開き、固まった。


 

 サラはいつも白いワンピースを着ていた。それは今日も同じである。

 白い服というものは水分を含むと肌が透けて見え体の曲線が露わになるものである。その為、今のサラは、華奢な肩、腰の曲線、柔らかな胸の膨らみ、そして普段なら隠れて見えないはずの太腿の肉付さえトーイの瞳に焼き付けさせていた。

 さらに、紫の長い髪が一部、白く柔らかそうな頬に張り付き、毛先からも水が滴って艶やかに見せていた。

 その様な姿で可愛らしく首を傾げたサラに見つめられ、トーイの心臓がこれまでにないほど強く跳ねバクバクと凄い速さで暴走し始める。一気に頭に血がのぼりカッと顔が熱くなって、耳と首も真っ赤に染めたトーイは素早くサラに背を向けると地にしゃがみこんだ。

 ドッドッドッド、と強く暴れている心臓の音を自分で聞き、感じながら胸の裾を無意識に握りしめ、片手で口元を覆い視線を落とす。体中が火照って変な汗が額から流れる。

 ―――おおおおおお、落ち着け! 落ち着け!! 心臓、静まれ! お願いだから静まってくれ!!

 静まれと念じれば念じるほど、サラのしどけない姿が脳裏に浮かびあがり、打ち消すどころかますます鼓動が強くなっていく。

 ―――っ、お願いだから収まってくれよ……! 嫌われたくないのに……!!

 ぎゅ、と目を力強く瞑って強く祈りを捧げた。何かに祈るのはこれが初めてだった。

 背後で、じゃり、と砂を踏む足音が響き、同時にサラが動いた気配を感じ取ったトーイは、心臓が一層力強く打つのを感じ、焦りだす。

 この場から消え去りたい。

 そんな思いがトーイの心を占める。

 「トーイ……さん?」

 か細い声が聞こえて、無視するわけにもいかず、かといって振り向くわけにもいかず、トーイはそのままの姿勢で応じる。

 「な、に……?」

 どうか、声が震えてませんように。

 そう願いながら。



 ―――トーイさん、なにか怒ってるの、かな……。当たり前、だよね……泉には来れたけど、辿り着けなくて結局迷惑かけちゃったし……。

 自分の不甲斐なさにショックを受け、肩を丸めてサラは無意識に胸で組んだ両手に視線を落とす。

 声を掛けるのは、とても怖い。

 でも、濡れたままではずっといられない。病気にかかりでもしたら大変だ。

 勇気を出してトーイの背中に一歩近寄り、おずおずと視線を向けると口を開いた。

 「あの……どこかに、移動しませんか……? このままここにいても……」

 そう言葉を切ったところで、サラの頬にポタ、と何かが落ちた。

 ―――……?

 不思議に思いながら、頬に手をやって落ちたと思われるところを撫でると、その手を眼下まで持ってきて確認する。

 何かで指が濡れていた。

 透明の液体。

 ―――なに……? これ……お水……?

 そっと指を近づけて匂いを嗅いでみるも、無臭だった。ふと泉を見ると、頬に落ちた何かが泉にも点々と落下しているようで、静かだった水面が所々小さく波打っていることが分かった。

 縁に寄って行って手の平を空に向け、顔を上げる。

 天界ではいつも空は晴れていたので、このような暗い空など見たことがない。それ故、なぜこのような現象が起きているのか不思議でならなかった。

 新鮮でもあるけれど。

 暫く空を眺めていると、落ちてくる水が、段々と強さを増してきて量が多くなってきていることに気が付いた。それによってトーイも変化に気づき立ち上がると、サラと同様空を見上げる。

 「なんだこれは……」

 サラはトーイの呟きを耳にし、そっと視線を移した。

 やはりトーイも知らないのだ。

 そこで、ふと気づく。

 ―――そういえば、トーイさんって……何族、なのかしら……。竜族の可能性もあるし、鳥族? でも鳥族なら下界に住んでる……わよね、きっと。じゃあ、ヴァンパイア……とか……?

 考えてみるけれど解らない。後で訊いてみようと心に決めて、サラはもう一度トーイに声を掛ける。

 「トーイさん、どこかへ移動しましょう」

 「ああ、そうだな……」

 言いながら振り向いてサラを見た途端、服が透けて肌に張り付き、体の線が露わになっていたことを思いだし、トーイは咄嗟に視線を逸らした。

 「……? あの……?」 

 不審に思ったサラは少しずつトーイに寄って行って、ゆっくりと手を伸ばした。

 が、さっとトーイが手を上げて制止させる。

 「ごめん、近寄らないで。その……ちょっと、まって」

 前者の言葉でサラがショックを受けたことも知らず、トーイは背中を向けると、張り付いていて時間がかかったが上着を脱いで、一旦それを思いっきり絞り水分を取る。そして意を決してサラの方を振り返り、上着を差し出しながら一言告げた。

 「これ着て」

 「は、はい……」

 何がトーイを怒らせたのか解らないサラはこれ以上トーイを怒らせたくないがために、言われるがまま服を取ると頭から被って着る。服が水分を吸い取っているせいで重たく動きずらいが何とか腕も通したサラは、目を逸らしたままのトーイを見ると、小さい声で呟くように言った。

 「着ました……」

 すると、トーイが溜め息を漏らし、それを耳にしたサラはびくっと体を震わせる。

 視線をサラに向けたトーイはとりあえず見ることが出来るようになったと、安堵の溜め息をもう一度漏らし口を開いた。

 「ごめん、ちょっと、目のやり場に困ってさ……」

 その言葉を聞いて、サラは首を傾げる。

 その所作を見て通じてないなと思ったトーイは更に言葉を重ねる。

 「いや、言いにくいんだけど……服、透けてたから…………」

 顔を赤らめて目を逸らし、そう恥ずかしそうに告げるトーイを暫く見つめていたが、徐々に言葉が染み込んできて言わんとすることを正確に理解できたサラは顔を真っ赤に染めた。

 「ご、ごごごごごめんなさい! 私、気づかなくて……!!」

 ―――恥ずかしくて火が出そう!! どうしようー!! 顔が熱いよー!!

 顔を薔薇色に染めて恥ずかしそうに両手で頬を挟み、慌てているサラを見たトーイは、その姿が可愛くてつい吹き出した。

 「なっ、なんで笑うんですかっ……!」

 「ごっ、ごめんごめん……」

 ―――可愛くて、つい……。

 そんな言葉を、心の中で付け加えたトーイは暫く笑ったあと恥ずかしそうに俯いているサラに声を掛けて泉を離れた。


 ポタポタと天から落ちてくる滴が、鬱蒼と茂っている草木の葉にあたって、音色を奏でている。

 そんな中を早歩きで進んでいる内に、ますます強まっていく音と量。状況が悪くなっていく一方だった。

 下界に足を踏み入れたことは一度もない為、場所も解らないし、この世界の事には疎い。すべての事において未知なのである。

 ただ、今の状況が悪いことだけはひしひしと感じていた。

 やがて歩くのに、体力的にも精神的にも限界が来たころ、目の前に一軒の古そうな小屋が現れた。

 誰が使っているのか、何のためにそこに小屋があるのか等一切思いつくことも考えることもなく、二人はただ小屋があったことに感謝し、急いで中へ入って行く。

 中は薄暗く、じめじめしていた。どこからか曇ったような臭いも漂っていたが、そんなことに構っていられる状態ではなかった為、二人はとにかく降っている水のようなものが止むまで、と間にもう一人座れるくらいの距離を置いて肩を並べて床にお尻をつけ、両膝を立てて足首付近で両手を組み、外の景色を覗ける窓を見つめながら、待っていた。


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