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落下

 サラはいつものようにトーイの傷の手当を終えた後テーブルの前で薬箱の蓋を閉めながら呟いた。

 「さて、買い物行こうかな……」

 ソファーに腰を下していたトーイは突然聞こえてきたその言葉に素早く反応し、肩越しに背後を振り返ってサラを見た。

 「俺も……」

 そっと囁かれるように言われた言葉に、サラはその主へと視線を向ける。

 二人の目線が合った。

 「俺も、行ってもいい、かな?」

 「え……でも、怪我が……。大丈夫ですか……?」

 その言葉を聞いたトーイはゆっくりと立ち上がった。途端、少し痛みが走って、顔を顰めるがサラの方をみると、微笑む。

 「大丈夫だ。……ゆっくり歩いてくれれば」

 ふっ、とサラは微笑んだ。そして、頷く。

 「分かりました。ゆっくり行きますね。……もう少し時間を置いてから行きますか? それとも今からにします?」

 「俺は、…………」

 そう言った所で、トーイは言葉を切った。

 なんと呼べばいいのか、困ったのだ。

 ―――名前を、呼びたい。そうしても、いいかな……?

 緊張と、淡い期待で心臓が高鳴りだす。

 ゴクン、と沸いた唾を飲み込んでから自身を勇気づけ、口を開いた。

 「……サ、ラの……サラに、合わせるから」

 無意識に握っていた拳に力が入り、頬が熱を持つ。それを知られたくなくてトーイは俯いた。

 ―――言った……!

 反応が、怖い。

 心臓が暴れ、その鼓動が聞こえやしないかとひやひやしながら、トーイは固唾を吞んで反応を待った。僅か数秒の間が、数時間にも思える。

 この時、トーイは俯いていた為、サラの薔薇色に染まった頬をその双眸に映すことはなかった。

 サラはサラで、男性に呼び捨てにされるのは初めてのことで、とても戸惑っていた。

 だが、このまま黙っているのも悪いので、慌てて口を開く。

 「あ、その……」

 サラが呟いたことでトーイの緊張で固くなった体が一瞬ピクリ、と震えたのだが、サラが気付くことはなかった。

 「はい……あ、ありがとうございます……。せ、洗濯物、裏に干してきます!」

 逃げるように浴室へ向かったサラの後姿を、トーイは、嬉しさでにやけた顔を左手の甲で隠しながら見送った。



 浴室へ駈け込んで後ろ手で扉を閉めたサラは、頬が熱を持ち、心臓がドクドク鳴っているのを感じていた。無意識に右手の平で扇ぎ、熱を冷まそうとする。

 「なんで私、こんなに熱くなってるんだろ……」

 ぎゅ、と左手で胸元の裾を握りしめながら呟くように言った。

 「……洗濯物干そうっと」

 既に洗ってある洗濯物を籠に入れると、浴室の外へ通じる扉を開けて出ていく。途端、涼しい風が吹いてサラの背中まである髪を弄んだ。

 気分が良くなったサラはぐっと背伸びをする。筋肉がほぐれて、気持ちがいい。

 そして、籠の中に入っている濡れた服を手に取って、干すための細いロープへ一枚一枚丁寧に掛けていった。



 残されたトーイは数秒そのまま立っていたものの、歩き出して浴室を通り過ぎ階段をのぼっていく。そして自分の部屋とは反対方向へ廊下を進んでいくと最奥にある小さい木製の扉を開けた。

 その途端涼しい風が吹いてトーイの短い髪を揺らした。暖かい大気を感じながらベランダに出ると、下をこっそり覗く。そこには、洗濯物を干しているサラが居た。

 己の胸の高さまである灰色の手摺に両腕を乗せて、更にその上に顎を乗せ、干す姿を微笑みながら見守った。

 数分干していたサラが突然小さくくしゃみをし、周囲をきょろきょろと見渡している。そんな様子を見ながら、トーイはふっ、と柔らかい笑みをこぼした。

 ―――可愛いなぁ。

 その数分の後洗濯物を干し終わったサラは空になった籠を両手と胸で抱えると、浴室へ続く扉を開け、中へ姿を消した。トーイも体を起こし、ベランダからでると、廊下を歩いていき、リビングを覗く。浴室から僅かに物音が聞こえた後、扉がガチャリと音を立てて開き、サラが姿を見せた。上のトーイには気づかず、リビングへと歩いていく。

 トーイはそろそろかと考え、階段を降り始める。その度に軋んだ音が立ったが、気にしない。

 床に足がつくと、トーイは定位置の青いソファーへと足を運び、腰を落ち着けた。台所で僅かな音が聞こえ、止んだ数秒後に背後から声がかかる。

 「あ、トーイさん。いつからそこに座って……」

 立ち上がってサラの方を体ごと向け、口を開く。

 「今座ったんだ。……行く?」

 「あ、はい。そうですね」

 微笑んでサラはそっと移動し玄関の扉を開け、トーイに視線を移した。トーイはゆっくりとした足取りで歩を進め、サラの横を通ると外に出て、彼女が出てくるのを待つ。

 外に出たサラは扉を閉めるとトーイに微笑みを向け、口を開いた。

 「行きましょうか」

 「ああ」

 そして、二人は肩を並べてゆっくりとした足取りで歩いて行った。



 行き交う人々と言葉を交わしながら歩いていくと行きつけのパン屋が現れて、扉をあける。

 中に入ると、いつもの中年のおばさんではなく、若い女の子が背中を向けて一人立っていた。

 「いらっしゃいませー」

 そう声をかけながら振り向いた女の子は、頬にかかった、薄茶色のふんわりウェーブがかったセミロングの髪の毛を耳にかけた。

 「あ、サラさん。こんにちは。……後ろの方は? 見掛けない顔ね」

 長い睫をパチパチさせて、にっこりとトーイに微笑みながらそう言うと、サラも一瞬戸惑ったが、質問に答える。

 「トーイさんです。怪我をされているから、私が看病を任されているの」

 「ふぅん」

 短く言うと、トーイの側まで寄った女の子は下から顔を見上げる。

 その時奥からカタン、と音がして軽快な声が室内に響いた。

 「あら、サラちゃん! こんにちはー! 今日も買いに来てくれたの?」

 声のした方に視線を向けると、カウンターの前にカールした胸まである長い髪を耳の下で結び、白いフリルのついたエプロンをしている女性が目に映った。

 その姿を見て、サラは何故だか安心し、自然に笑顔が浮かんでいた。

 「おばさま」

 「今日はどれにする?」

 声をかけられたサラはカウンター前に立っている女性へと近づいて行く。トーイもついて行こうと思い足を一歩踏み出したところで、まだ側に立っていた女の子が、素早く腕を絡ませてきた。

 それを、怪訝な表情で見やる。

 「やだーそんな怖い顔し・な・い・で・よ!」

 その言葉でますますトーイの纏っている雰囲気が険悪なそれへと変わるが、気にした風もない。

 「こら、離れなさい! お客様に失礼でしょうジョナ!」

 叱咤されてジョナと呼ばれた女の子はしぶしぶトーイを解放し、後ろへ下がった。

 解放されたトーイは前に出てサラとの距離を縮めてサラをどぎまぎさせたが、優しさを含んだ瞳でサラが買い物を終えるのを見守った。

 その様子をこっそりみていたおばさんはにんまりし、ジョナは面白くなさそうに頬を膨らませて店の奥へと姿を消したのだった。



 買い物を終えた二人は離れに向かって歩き出す。サラが抱えているパンが入った袋をトーイは持とうとしたが、サラは怪我しているからと丁寧に断った。

 やがて家に着いた二人は中へ入ると、トーイは椅子に腰を掛け、サラはパンをしまいに台所へ向かう。それから温かい紅茶を二人分淹れると、お盆に乗せてテーブルまで運び、そっとトーイの前に置いた。

 「ありがとう」

 「いいえ」

 微笑みながら言われ、サラの表情も自然に明るくなる。

 そうしてゆっくりとした時間を過ごした後、トーイが口を開いた。

 「そういえば、ここの……端ってどうなってるのかな?」

 「端……ですか?」

 思いもよらない質問だったのか目をパチパチさせて言うサラを見て、つい笑顔になる。

 笑い声を漏らしたトーイに、頬を赤く染め、サラは口を開いた。

 「へ、変なこと……言いました、か?」

 「いや」

 ―――可愛かっただけ。

 心の中でそう付け加えてから席を立ち、トーイは歩いていくと玄関の扉を開けた。扉は完全に閉めずに外へ出ると、周囲を見渡す。

 その背後にそっと近づいて行って、外へ出ると、サラはトーイより前へ出た。

 すっと正面に腕を伸ばして人差し指で指し示す。

 「ここをまっすぐ行ったところが端にあたるんですよ。行ってみます?」

 「ああ」

 軽く頷いたサラは、トーイにあわせてゆっくりとした足取りで先頭に立ち、歩いていくと、先の方で三人の子供達が駆けまわって遊んでいる姿が目に映った。

 足を止めることなく足を進めると、子供達の側を通り過ぎ、とうとう端まで来る。


 そう、確かに端だった。

 道が途切れ、覗くと海の上にどのくらい広いのかわからないが未知の大陸が広がっており、山や川、建物などがあった。

 下界が見えるのだ。

 「うわぁ……」

 感嘆を含んだ声がトーイの口から漏れ、背後に立っていたサラは静かに微笑んだ。

 その時。

 「うわあ!」

 間近で男の子の声が聞こえたと思ったら、サラの背中に衝撃が走り、体が前方へ勢いよく押し出された。

 あまりに突然のことで対処する暇がなく、サラの体は、同じく子供の声を聞いて振り向いたトーイの胸にあたり、それによってトーイの体が押され、空へ放り出される。

 

 ―――え……。

  

 背中に受ける風圧。

 流れる景色。

 

 ―――やば……。

 

 そう考えた時。

 

 サラが自分の元へ飛び込んでくる姿が見えた。


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