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二話 外に出た日のこと

結局、一度言い出したら聞かないらしいロアラの発言は、胃の辺りを押さえて半分泣いている執事の健闘空しく、そのまま受け入れられることになった。

「お洋服の話ができる子が欲しかったのよー。使用人の子達だって可愛いけど、あまり派手なものはいけませんって怒られるし」

 丸い瞳を輝かせて、自らせっせとドレスの山をひっくり返してロアラは笑う。

 この広い屋敷に引き摺りこまれてから数日経ったが、部屋の奥から出てくる服の山にはまだまだ終わりが見えなかった。

「奥様、本当にお世話になっていていいのですか? 私、特にお役には立てませんが……」

「ロアラ様、チズル嬢も仰るように、王宮での保護が原則でございますのに」


 ――世界の迷い子たる「星跨ぎ」発見の折は、原則各国王宮にて保護を要請する。


 現代で言うところの六法全書かなにかだろうか。執事がそんな一文が書かれた分厚い本を片手に必死にロアラにすがりついても、その悲鳴は届かなかった。

「あらー。貴方、自分で原則って言ってるじゃない。ここは王都だもの。そんなに問題ないでしょう?」

「……ああ……左様でございますか」

 まとめて全て諦めた遠い目で、確実にロアラのものだろう仕事をせっせと片付ける執事を、可哀想に……と千鶴は無言で眺める。

 あえて声はかけず、千鶴は静かにカニ歩きでロアラの視線から執事を隠した。

 下手にこの破天荒貴族を刺激した結果、二日前は結局執事女装大会という大惨事になったのだ。これ以上、彼の胃を荒らしたらそのうち血反吐を吐きかねない。


 目に見えてしょんぼりした執事からそっと視線を外した千鶴の腕に、新しい服が乗せられる。

 身体に沿うように作られた上半身は黒一色。腰の高い位置で美しい光沢の紫色のリボンが結ばれ、その下からふんわりと同色の布が床まで緩く広がっている。

 広がった袖口から覗いた白いレースと、一見無地のように見える胸元部分には、光の加減で色を変える糸でびっしりと刺繍が施されていた。

「あの、奥様、これは流石にちょっと」

「やだ、チズは本当に照れ屋さんなんだから。ほらほら、そんなこと言ってないで早く着て着て! それで私の事、お母さまって言ってちょうだい!」

「勘弁して下さい……」

 興奮最高潮のロアラに、疲れの滲んだ千鶴の声は相変わらず届かない。ここ数日、こんなやり取りを一体何回しただろうか。


 屋敷に彼女が来てからというもの、ご機嫌うなぎ上りのロアラに強引に隣の部屋に押し込まれ、千鶴は一人小さくため息をつく。

 刺繍の細かさといい、手に伝わる感触といい、このドレス一着で一体どんな額になるのか。

「どうしよう、ドレスが札束に見えてきた」

 ブランドものに手を出すにも気合がいる一般人の性か、彼女の口からそんな言葉が漏れた。

 



********




「皆さん良い人なんだけど、ちょっと感覚おかしくなりそうだわこれ。うわ、肌触りが尋常じゃない……」

 仕方なしに腕を通したドレスは、やっぱり気味が悪い程着心地が良い。

 ロアラの体形に合わせられているために、千鶴には所々ゆとりが多すぎる箇所が無いでもないが、それを差し引いてもぴったりと吸い付くようなその肌触りに、彼女はひとつ身震いをする。

 部屋にあった鏡で乱れた髪を直しながら、千鶴はここ数日の出来事を思い出した。



 はしゃぐロアラの爆弾発言の後、一部屋だけで、千鶴のアパートがまるごと入りそうな広い部屋に案内された。

 状況が飲み込めずにぼーっと立ち尽くした千鶴の前に、甲斐甲斐しく世話を焼こうとメイド達が入れ替わり立ち替わり現れる。

 土下座する勢いで止めてもらったが、「チズル様」なんて呼ばれて、飛び上がるほど驚いた。


「奥様が急に言い出したので、どんな方かと思ってましたが、お可愛らしい方ですわ」

「いえあの、そんな事は」

「そんなに恐縮なさらなくても大丈夫ですよ」


 些細な事にもいちいち照れ、ぺこぺことお辞儀しながら忙しなく「ありがとうございます」と「すみません」を交互に言い続ける千鶴を微笑ましくでも思ったのか、彼女たちは今ではロアラの無茶な思い付きへの良き相談相手になっている。

 ただし、着せ替え人形ごっこが好きなのは雇い主とほとんど変わらないために、千鶴の平穏はまるで遠かった。

「綺麗な服に豪華な食事にメイドさんの三拍子とか、おとぎ話のお姫様か私は。ちょっとペット感覚混じってる気もするけど」

放っておくと朝の着替えから入浴までついて来て、ぴかぴかのきらきらになるまで自分を磨き上げようと狙っている、可愛いお姉さま達のパワフルさに千鶴はたじたじだ。 

鏡の前で煌びやかなドレスを摘んで、千鶴は乾いた笑いを漏らす。 

「ぽっと出の私にも優しい、いい人達なんだけど……」

突然増えた「娘」に苦笑しながらも、邪険にされる事もなく受け入れてもらえた。


優しい人たちに、安全な居場所。思えば会話にも最初から苦労しなかった。

ロアラだって、とんでもなく破天荒でどこまでも突拍子無いけれど、千鶴が不自由しないようにと心を砕いてくれている。

「この後どん底に落とされたらどうしよう」

どこまでも漫画のお約束のように恵まれたこの状況に、千鶴はほんのり怯えながら、この幸運を噛みしめる。しかし、そんな中一つだけ残った不満に、彼女はがっくりと膝を折って絨毯に沈んだ。

「あああ……もふもふが足りない」

両手で掴んだ絨毯の、かすかなふかふかすら愛おしい。


 

 わきわきと怪しく両手を動かす彼女は、動物がいなければ生きていけないとまで豪語する、無類の動物好きだった。

 





 千鶴が生まれ育ったのは、周りを田んぼや畑に囲まれた田舎だ。最寄りのコンビニ車で十分、電車は一時間一本で、かわりに裏山徒歩三分。

 そんな環境に囲まれていたために、物心ついた頃には年上の男の子たちと山や林を駆け回り、川で魚を釣って遊ぶとんだ野生児になっていた。


 小学校に上がった頃、幼い千鶴が力仕事のかわりに任されたのは、家の周りの広々とした庭で飼われていた動物たちの世話だった。

 犬に猫、鶏に合鴨。近くに牧場があったために、ご近所さんには馬や牛、山羊や羊まで揃っていた。

 他の子供たちと一緒に、動物たちが生まれたばかりの時からその世話に明け暮れるうちに、千鶴が動物好きに育ったのはある意味当たり前の事だろう。

 慈しんで育てれば、それ以上の素直な感情を向けてくれる動物たちが、千鶴は大好きだった。

 元々相性が良かったのかみるみる彼女の腕は上がり、動物たちも彼女を慕ってよく懐いていた。学校から帰れば、毎日のように毛玉まみれになったものだ。


「ああ……猫の肉球かぎたい……。犬の鼻づらつついて怒られたい……」


 若干変態のような声が漏れたが、千鶴は至って真面目だ。

 とんでもない姿勢で寝ている猫の、温かくてふわふわの腹を撫でるのも、玄関先に寝転んだ犬の少しごわつく毛皮に顔を埋めるのも、ちょっと香ばしい鶏の羽毛やビロードのようにつやつやの馬の体を撫でる事も、実家を出てしまった今では滅多に出来る事ではない。

 ここ最近地元に帰れず、常連の動物カフェへ顔を出す暇も無かった千鶴は、そろそろ禁断症状でも出るんじゃないかと絨毯を握りしめて鼻を鳴らした。

「この布、青大将の大ちゃんの鱗っぽい……気がする事もないでもない……」

 さらりと自分の動きに合わせて落ちてきたドレスのスカートを撫で、実家の倉庫に住み着いていた蛇の事を思い出してしょんぼり眉を寄せる。

 蛇のくせに笑ったような顔で、妙に愛嬌のある可愛いやつだった、と、爬虫類から昆虫まで守備範囲の彼女は、悲しい一人遊びに項垂れた。

 しかし、急に騒がしくなった扉の向こうが、千鶴の意識を過去から引き戻す。

「いけない、奥様、遅いからって怒ったかも」

 随分ここに長居してしまったと、千鶴は慌ててスカートを整えて勢いよく大きな扉を開いた。


「すみません奥様! 遅くなり……ました……?」

「……ええと……?」


 両手を広げた男前なポーズの千鶴の目の前には、知らない青年が眉を寄せて立っていた。

 少し癖のあるキャラメル色の髪を後ろへ撫でつけ、薄い青の瞳でこちらを見ている彼。

 深い赤色に金糸の縫い取りが美しい軍服と相まって、おとぎ話の王子様がそのまま抜け出てきたようなとんでもない美青年だ。

「これは……どちらのご令嬢ですか? 母上」

 一瞬そのアイスブルーの目を千鶴に向け、ひょいと方眉を上げた彼は、ロアラの方に首を振って渋い顔をする。

 突然増えた青年に固まっていた千鶴だったが、その口から出た「母上」の単語に信じられないものを見る目でロアラの方を向いた。

「やだもう! チズルにその服とっても似合うわ! ねえアン、どうこの可愛いこと!」

「人の質問に答えて下さい母上」

 きつい口調でロアラに詰め寄る青年と、ほとんどそれに見向きもしないロアラ。

 きょろきょろと二人を見比べる千鶴に、大きなため息をついた青年が頭を掻く。

「ひとまず、その大量の服を仕舞って下さい」

 綺麗な人は怒った声まで美人だと、二人に囲まれた千鶴は欠片も関係ないことを考えていた。



*********



 ひとまず話を、と青年――正真正銘ロアラの息子である、カトレア卿アントラが眦をつり上げ、それに便乗した執事に懇々と怒られたロアラは、渋々千鶴を着せかえ人形ごっこから解放してくれた。

 今日のは朝食後から始まったはずだったが、太陽はもう空の一番高いところに差し掛かっている。

「星跨ぎを保護した、のは結構ですが、私には一切そのような報告がありませんでしたが?」

「いいじゃない。もー、みんな頭堅いんだから!」

「堅い堅くないの問題ではないのですよ母上……」

 メイドのお姉さんに差し出されたカップを受け取りながら、千鶴は目の前で繰り広げられる親子喧嘩をぼんやりと眺める。

 美人二人が左右に並んでいるのは実に眼福だったが、いかんせんお題が自分の事ではいたたまれない。

「あの、すみませんアントラ……様? ご迷惑おかけしたようで……」

「いや、君が謝ることは何もないんだ。悪いのはこちらで」

「なによー! こーんな可愛い妹ができて、感謝されても怒られるいわれなんかないのに!」

「だからそういうことではなくて! ……ああもう、ともかく、一度王の元へお連れしなければ。その後の処遇は、王にお決め頂くのが筋と言うものです。聞けば、ここに来てからずっとこんな状態だったそうではないですか」

「えー、いいじゃないのー。可愛いでしょ?」

「母上は黙ってて下さいもう」 

 しょぼんと頭を下げた千鶴にわたわたと手を振り、ロアラに雷を落としたアントラは、カップに残ったお茶を飲み干して立ち上がる。

「アントラ様?」

「アンでいい。幸い、今日は行事もない。このまま王宮まで、共に来てはもらえないだろうか」

 少し背の高い千鶴よりも、更に頭ひとつ大きな体を縮めて、アントラはそっと千鶴に手を差し出した。


 



「別にね、私だってチズ嬢が我が家にいることに不満があるわけではないんだよ。ただ、星跨ぎの保護は国の義務だからね」

「はい。わざわざ連れ出して下さって、ありがとうございます」

「そんなに堅苦しくしなくていいよ」

 初日のあの馬車に揺られて、千鶴はアントラと二人、王宮へと向かっていた。

 着替える時間がないからと、紫色のドレスのまま連れ出された千鶴は、そのリボンを指の中で揺らしながらずっと気になっていた疑問をアントラに投げる。

「あの、皆さんなんで私が「星跨ぎ」だってすぐに分かるんでしょう?」

「ああ、その事か。そうだな……なんというか、星跨ぎは雰囲気が違うんだ。今までこの世界に現れた星跨ぎは、皆魔力が無かった。それが関わっているのかもしれないが、私たちから見るとチズ嬢の周りの空気が「薄い」んだよ」

「薄い……? というか魔力って、魔法あったりするんですかここ」

「魔力が無い分、気配が薄く感じるのかもしれないね。チズ嬢のいた場所には無かったのか。あると言っても、せいぜいランプに火を灯す程度が限界だから、そう身構える事もないよ。現に、うちの執事のようにほとんど力を持たない人も多い。彼は君が星跨ぎとは気付かなかっただろう?」

「はあ……そういうものなんですか」

「この世界の人間なら、いくら力が少なくても、ほんの少しだけは魔力を持っている。一切魔力を持たないのは星跨ぎだけの特徴なんだよ」

「へ、へー……」

 にこやかなアントラに影が薄いと言わた事にへこむべきか、ますますファンタジックになっていく世界の有様に驚くべきか、千鶴は何ともいえない半笑いを浮かべる。

「星跨ぎは、当たり前だがこの世界に疎い。だからこそ、保護の法は守らなければね。人一人、誰も知らない土地で生きていくのは容易ではないだろう? ただでさえ、こんな事になったのは偶然と不運の結果なんだ」

「皆さん、良くして下さいますから、そう悲しんでばかりでもありませんよ」

「なら良いが。母上につき合うのは大変だったろ?」

 肩をすくめて苦笑するアントラに、千鶴もくすりと笑う。彼は少しきつい顔立ちだが、笑うと気さくな内面がよく分かる、穏やかな顔つきになるのが印象的だ。

「奥様が楽しそうですから、出来るだけお付き合いしますよ。でも、息子さんがいるのは流石に予想外でした」

「あの人、童顔だからね。たまに姉弟に間違われるのすら楽しんでるんだから困った物だろ? さあ、そろそろ着く頃だ。城門が見える」

 ロアラがらみの苦労話に花を咲かせているうちに、馬車は目的の場所へ近付いていた。

 小さな窓から見える荘厳な門と美しい庭園に、千鶴はごまかしきれなくなった緊張から背筋を伸ばして固まる。

 そんな千鶴に小さく吹き出したアントラは、その右手をそっと握って小さな子供にするようにその甲をぽんぽんと叩いた。

「王陛下は良い方だから、そうガチガチにならなくても大丈夫だ。話を聞いて、王宮に行くのか、あの屋敷に留まるのか、チズ嬢の思いで決めるといい。個人的には、妹は昔から欲しかったからね。うちにいてくれたら嬉しいけれど」

「やっぱり、奥様の息子さんですねこのやろう……!」

 お茶目に言うアントラは、ロアラが何かを思いついたときとよく似た顔で笑う。

 間近でそんな熱烈な言葉を聞いた千鶴は、赤くなった顔を押さえる事も出来ずに頭を仰け反らせた。

 そのまま両手を振り回して叫びそうになるのを必死で堪えながら、なんとかアントラのきらきらスマイルを逃れて右手をその胸に取り戻す。


 そして、なんとか居住まいを正して、ここ数日ずっと考えていた思いを、引っこ抜かれた右手をわきわきしてちょっと残念そうなアントラに向けた。


なかなか獣人編に入らなくてすいません。もうしばらくお付き合いください。

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