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十五話 二歩目から暴走

今年もよろしくお願い致します。随分久々の投稿で申し訳ありません。これからもぼちぼち書いていきます。

朝一にいつもは来ない千鶴の部屋にまで足を運んで不機嫌そうな花霞は、ひこひこ忙しなく鼻を動かしながら早く早くと千鶴を急かす。


「いくら私よりも縦にも横にも大きいとしましても、もっと手早く動くことは出来ないのですか、妃殿下?」

「はいはいただいま! ちなみに花霞さんこれから着替えなんですけど」

「それが何か?」

「あ、いえ、別にいいんですけどね……」


 王に会うとなればそれなりに気合の入ったドレスを着なければ不敬に当たるだろうし、目の前の兎の機嫌が余計悪くなる。ドレスを着るとなるともちろん下着姿にならなければならないのだが、一応雄の花霞的にはいいのだろうか。

 こちらの下着に相当するのが薄いワンピースとカボチャパンツなために、千鶴本人はむしろ地球の頃より露出度が減っているからか恥ずかしくはないのだが、隣で着替えを手伝う朔はなんとも複雑そうな顔をしている。


「あなたの体なんぞ見てどうこうなるほど私落ちぶれておりませんので。それよりも早く仕度を済ませて下さい。そもそもそうも気軽に部下に礼を言わない! にやつかない! 一体私が何度言いましたか! それから――」

「始まっちゃったよ……」

「はあ……千鶴さまー、髪型は少し大人っぽくしておきますねー」

「ありがとう朔。あの鼻っ面このブラシで撫で倒したら静かになるかね……」


 あまり煌びやかにならないように、首元から手先までを覆う、体に沿ったラインを描く淡い青色の優雅なロングドレス。その背中の紐を縛って貰いつつ、つらつらと小言を言い続けている花霞に見えないように千鶴は手の中の小型スライムブラシを弄った。

 困ったようなへちゃむくれ顔の中に、どこか「やっちゃえばいいのに」という雰囲気を醸し出す朔の手を取って立ち上がり、千鶴はゆっくりと部屋の扉に向かう。


「ようやくお出ましですか。全く。ここの所貴族の皆様との会談でただでさえご多忙な陛下がお待ちだというのにこの人間風情は……」

「えい」

「ヒィっ!?」


 見送る朔に小さく手を振って扉から外に出ても、まだ文句を言っている花霞を見下ろしていた千鶴は、とうとう耐え切れなくなってそのまっしろふかふかな頭にブラシを突き刺した。

 素っ頓狂な花霞の悲鳴に目を丸くしながら、ぐりぐり脳天をかき混ぜる手は止めない。

 

「陛下のお話ってなんでしょうね、花霞様」

「う、ちょ、と、なにを、ひいぃ」

「これ作ったのまずかったでしょうかねぇ」

「やめ、この、ひいいぞわぞわするぅぅ……!」


 硬い中にもぷにぷにしたつぶが無数に敏感な鼻先から耳の間を通る感触に、全身の毛を逆立てて花霞が悶える。

 毛だけはさわり心地が最高だったせいで、最初は憂さ晴らしくらいの気持ちだった千鶴の手が、段々と普段朔達にしているような本格的な動きをし始める頃には花霞の声が半ば悲鳴に変わっていた。


 それでも側近の意地か、はたまた無意識にか、彼の足はきちんと王の執務室に向かっている。


「千鶴さま、楽しそうですねー……」


 変な声を上げつつ遠ざかる小柄な花霞と、ちょっとうっとりした危ない顔の千鶴を眺めて、朔は乾いた笑いを漏らしていた。

  



************




「妃殿下をお連れ致しました」

「ああ、入れ」


 どこかとろんとしているのに、いつになく刺々しいという不思議な花霞の声に、ほんの少し首を傾げて漆黒の獅子王は静かにペンを置き、入室を許した。

 毛を逆立てた花霞に続いて重厚な扉を恐る恐るくぐる名ばかりの自らの王妃の姿を、王はじっと巨大な机の向こうから観察する。

 はっきりと姿を見たのは宴の時以来か。がちがちに強張っていた以前よりも、長いドレスでの足運びにも自分に対する挨拶にも、慣れのようなものが見て取れた。

 花霞や月刃、謁見に来る貴族からの報告で、なにやら王妃らしからぬ、ともすれば獣人すら嫌がるような雑用を喜々としてこなしていることや、城内でも身分の低い者達を中心に心を開きつつあることは耳にしている。

 やたらと行動力が有り余っているのか、気がつけば城内の工房にすら潜り込んで、犬猫とスライムを追い掛け回して妙な実験を繰り返していると月刃が嫌そうに言っていたのは、片手に隠すように持っている淡い赤色の物体のことだろうか。


「ご、ご機嫌麗しゅう、陛下」

「……ああ」

「あの、お忙しいようですね……?」


 ぼんやりと上から下まで千鶴を眺めていた王は、伺うようにぽそりと呟かれた言葉に、はっと意識を取り戻す。目の前では自分の許可無く話しかけたことで花霞が眦を吊り上げてきいきい言っているが、それを通り越して困ったような顔の千鶴に視線を合わせた。

 確かに、書類は机に積み重なっている上に、職務の合間に目通りを願う貴族がここの所酷く増えたせいでろくに休息も取れずにいる。

 しかし、顔色が丸見えの人間と違い、表情すら凍ってしまっている自分の不調を、この少女は見抜いたというのだろうか。

 鋭い視線で射抜いた彼女はおろおろしながら毛の艶がどうの、鬣の膨らみ具合がどうのとよく分からない事を言っている。


「……大事無い。それで、職人頭から伝えられた件で聞きたい事がある」

「あの、陛下」

「なんだ」

「ええと、その、特に使い道が無いと聞いたので作ってみたんですが……まずかったでしょうか……」


 おずおずと両手で差し出すのは、いくつも先の丸い突起がついた妙な物体、彼女と職人頭が呼ぶように言えば、スライム製ブラシ。

 紅雷からおおまかな形は口で説明されていたが、改めて実物を見てみても、王にはそれがブラシの役目を果たすようには見えなかった。毛皮の上からも分かるほど眉間に皺が寄った王に、千鶴が慌ててブラシを引っ込める。


「いや、特に問題は無い。無い、が、その妙なものが本当に何か、役に立つというのか?」

「えー……と、はい。恐らく。証拠、証拠はー……ああ! この花霞さんが!」


 うろうろと視線をさ迷わせながら自信なさげに答えた千鶴は、突然はっと思いついたように隣で未だに文句を言っている花霞を手のひらで指した。

 急に話を振られてぐぎゅ、と妙な声を出した花霞に、王は眉間の皺もそのままに視線を移す。


「花霞」

「……私は何も存じ上げません」

「えー……そうくるか……」

「…………」


 窓の外に視線を泳がせる花霞の横で、千鶴が同じように眉間に皺を寄せた。明らか何か知っている様子の花霞だが、頑固なこの従者の口は恐ろしく堅い。

 促せば答えるだろうが、この後の仕事に支障が出ても困る。必然的に、王は説明を、と無言で視線を彼女に戻した。

 しばらく引きつった顔をしていた千鶴は、意を決したように王の顔を見上げる。


「あー、と。その、お許しが頂ければ、ええと……陛下の片手をお借りしても……?」

「どういうことだ」

「何を無礼な!? 陛下! このような人間風情の言葉に耳を貸してはなりません!」

「ちょっ、だって花霞さんやだって言うから! 花霞さんの頭でもいいならそっち貸して下さいよ! 口で説明出来ないんですから!」

「断固拒否します! 陛下にも触れるな!」

「あーもうじゃあどうしたらいいんですか!」

「……声を落とせ。衛兵に連れて行かせるぞ」


 重いため息とともに静かにかけられた低い声に、唐突に始まった二人の口論はぴたりと止まった。真っ赤になって謝る千鶴と忙しなく耳を動かす花霞に、もう一度王はため息をつく。

 跳ねる肩までぴったり揃った二人に、いっそ仲が良いのではとすら思える。

 

「申し訳ありません……。あの、違うんです。どういう物かを分かって頂くには、使うのが一番早いので……。私が信用ならないんでしたら、花霞さんにして頂くでも、ご自分でされるのでも構いません。害が無いのは証明されています。ですから、ええと……」

「構わん。こちらに」

「陛下!?」

「害が無いことは職人頭が証明している。お前が私に害を成せるとも思えない。手で構わないのか」

「お止め下さい陛下! これは触れられると力が抜ける呪いの品です!」

「人聞きの悪いこと言わないで下さいよ……へんにゃりしたのは花霞さんの勝手でしょうに。えと、失礼しますっ!」


 きいきい騒ぐ花霞を置いて、千鶴は恐る恐る王の側に近付いた。お互いこんなに近くに寄ったのは宴以来、きちんと正面から顔を合わせるのに至っては初めてになる。

 青くなりながら赤くなるという妙な顔色の千鶴は、意を決したのか差し出された王の手に自分の手を添えると、そっとブラシをあてがった。


 がちがちに緊張しているのか、心底遠慮した様子で毛の中を動くブラシの感覚がくすぐったい。ただ、自身の手にそっと寄り添う小さな白い手の温もりは、不思議と心が落ち着くような気がする。

 なにやら小刻みに震えているつむじを見つめていた王は、無意識に声をかけていた。


「手では分かり辛いな」

「え、あの、その、ご許可頂けるなら、ええと……鬣の方もさせて頂けたり……?」

「どうも、先程から随分鬣が気になるらしいな」

「気になるというか、そのもさもさぶりに心が痛むというか、そのまま放置するとフェルト化しそうというか……」

「よく分からんが、好きにしろ」

「え、あ、ハイ……?」


 声をかけられたら即逃げようと身構えていた千鶴は、王の言葉に呆けたまま頷く。思考が追いついていないまま、彼女の手はブラシとともに王の鬣の中に埋もれていた。


 こりゃあ酷い、と千鶴の眉間に今日一番の皺が寄る。

 扉から入って来た時に一目見て愕然としたその鬣は、ブラシが通らない程もつれてぼさぼさになっていた。

 あんなに遠目から見てもさらさらでつやつやしていた王の鬣は、見るも無残にあちこちくしゃくしゃに絡まり、ぺったりと膨らみが無くなっている。

 世話係が手を入れることすら出来ないほど忙殺されていたのだろう。食事や睡眠もままならないのか、毛艶も最悪だ。

 真っ黒の上、王の近くに寄る者がいないから気付かれていないのか、はたまた気付いていてもこの威圧感で誰も近寄れないのかは分からない。

 けれど、動物たちの健康管理も一手に担っていた千鶴の手には、その状態の最悪さがひしひしと伝わってくる。

 

 無理に引っ張るとそのままごっそり抜けてきそうな有様に、千鶴はしばらくかろうじてブラシの通る耳の間をむにむに揉んだ後、無言の王にじっとりとした視線を向けた。


「……なんだ」

「風呂」

「ん?」

「お風呂、行きましょう」


 既に緊張は吹っ飛び、今の千鶴にあるのはこの凄惨な現場を作り上げた諸々に対する怒りだけ。

 勢いのままはっきりと呟いた千鶴は、最初の遠慮はどこへやら。がっちりと王の右手を掴んで、その手に未だ握られていたペンを毟り取る。

 妙に気迫に溢れた姿に、緩く瞬きを繰り返す王は、されるがままに手を引かれて椅子から立ち上がった。

 悲鳴を上げる花霞に見向きもせず、きりりと無駄に表情をきつくした千鶴は王の手を引いて、すたすたと執務室を出て行く。慌てたようにこちらに近寄ってくる衛兵を視線だけで止め、王は下にある小さな頭を無表情に見つめてその後に続いた。

 仕事は終わっていないし、衛兵はどうすればいいか分からず右往左往している。

 その様子を見ても、どうしてだか、自分の腕を打算も何もなく握った手を振り払えない。

 

 数歩扉を出たところで、半泣きの千鶴に風呂の場所を聞かれた王が小さく微笑んだのに、彼本人も気付いていなかった。

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