十一話 朝の来客のこと
「バケツと、ブラシは壁に掛かってるし……。朔ー、ちょっと髪の毛まとめるの手伝ってくれないかなぁ」
「にゃ! お安いご用ですー。今日は張り切って、編み込みにしちゃいますよー」
「いやだから、そんな凝ったのできるような長さないってあいたたたた」
思いがけない白羽の提案から少し。日の出る前の静かな城内で、千鶴は情けない悲鳴を上げていた。
朝から元気のいい朔に髪と頭皮を虐められつつ、千鶴は今日一日の予定を思い出して、嬉しいやら悲しいやら妙な顔をする。
「今日のご挨拶の相手はどんな人かなー」
「朝食に花霞さまが乱入してらっしゃいましたし、どうでしょうー」
「対外うささんがご飯に来るときは両極端だもんなぁ……今日は質問責めと嫌みの応酬どっちかな。フォンたちの世話に行ってる暇があるといいけど」
「一昨日は大臣さま方に車座で討論会されたんでしたっけー」
「あれはね……なんか、精神的にくるから二度と止めてほしい」
無骨なブーツの靴紐を結んで、千鶴はため息を吐いた。
ここ数日、白羽の言ったとおり、千鶴はひっきりなしに獣人たちの前に引っ張り出されている。
「職場の面接だってあんなに辛くなかったよ……」
どうもやっかい事を自分から増やしているような気がしつつ、千鶴は遠い目をした。
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「ご趣味は」
輪になった椅子の真ん中に、ぽつんと置かれた丸椅子に座らされ、開口一番真剣な顔で聞かれた言葉に、一瞬固まる。
「え、あ、はい、動物の世話です……」
お見合いか! と内心思わずつっこんだ千鶴の目の前で、質問した獣人が殴られた。
「馬鹿者! なにをふざけているんだこの馬鹿!」
「いってぇ……なにも殴らなくてもいいじゃありませんか。ちょっと緊張してるご様子の后を思っての優しい配慮ですぅー」
「今すぐ私の角の餌食になりたくなければ口を閉じていろ。この大馬鹿駄犬」
もふもふと長い首回りの毛に顔をひっこめるようにして、金色の狼がへらへら笑う。
枝のように広がる角を振り立てて怒る、自分よりはるかに大きなエルクを前にしても、その表情はとろんと緩んだままだ。
「犬じゃないです狼ですー。さて、冗談はこの辺にしましてぇ、妃殿下にはお聞きしたい事が沢山ありますから。まぁ、よろしくお願いしまぁす」
「あ……ハイ……」
言うが早いか、ぐるりと周りを囲むように、六人の獣人が席に着く。なんとなく狼の方を向いて座った千鶴に、狼の隣、エルクが咳払いをした。
「妃殿下。どうぞその駄犬ではなく、私の方へ顔をお向け下さい……。改めまして、陛下とのご結婚、誠におめでとうございます。ここにいる大臣一同、心よりお喜び申し上げます」
「お、お祝いの言葉、ご丁寧にありがとうございます……」
「早速ですが妃殿下、王とはお話になられましたかな?」
「い……いいえ。あの、陛下はお忙しいようでして、その」
「式典馬の小屋に入り浸っているというのは、誠でございましょうか」
「あの……」
「側仕えの家付き猫とはどういったご関係を?」
「他の使用人に対してとある噂を耳にしたのですが……」
矢継ぎ早に六方向から声が飛んでくる。答えようにも、彼らはその時間を与えてくれない。
もはやどこから言えばいいやら、と背中にじっとり変な汗をかき始めた千鶴は、大臣達の表情から、この座談会もどきの意図を悟った。
「妃殿下、お答えください。王の隣に立つということは、とても重要な事なのでございますよ」
エルクの猫なで声に、千鶴はああ、そうか、と視線を空中へ逸らす。
この大臣達は、千鶴と話したい訳ではない。だた、千鶴に「そら見ろ。お前は王に相応しくなどない」と告げたいだけなのだ。
真正面からぶつけられた拒絶に、彼女は思わず言葉に詰まり、膝の上で手を握って押し黙る。
その様子に、六人の大臣は満足そうに笑った。反対に、千鶴は愛想笑いのなりそこないのようなおかしな表情で、静かにぺらぺらと話し続ける彼らを見る。
結局、何一つ千鶴に喋らせる事も無いまま、拷問のような座談会もどきは、一時間ほど続けられたのだった。
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「あれは久しぶりにイラッとした。いつか私のテクで泣かす」
「……それでこそ千鶴さまですー」
とんとん、と靴の具合を確かめて、千鶴は両手を力強く握る。そんな主人の新たな目標に、朔は小さく拍手を贈って苦笑した。
「さてと、じゃあ行こうか」
「はいー」
――チリン
気合を入れ直した千鶴に、朔が頷いた瞬間。扉の向こうから、来客を告げるベルが鳴る。
首を傾げて扉に向かった朔が、ぶわっと尻尾を膨らませて固まった事で、千鶴は異変に気付いた。
「やあやあ、妃殿下と朔ちゃん。ご機嫌麗しゅう」
「これは……。おはようございます」
固まった朔の前に強引に体を滑り込ませて、千鶴は胸を張る。
にこにこと微笑を浮かべてそこに立っていたのは、一昨日見かけたあの狼だった。
ここにいる意味が分からず、千鶴は少しだけ眉を寄せる。それに目敏く気付いたのか、狼は歯をむき出しにしてにたりと笑った。
「妃殿下は護衛付きでございませんと、お部屋を出られないとお聞き致しましてねー。僭越ながら私がご案内をと」
「ご丁寧にありがとうございます……。朔、下がって」
「ち、千鶴さまー……」
「いいの。……ああ、お茶の時間は、朔の焼いたケーキがいいな」
「お話纏まりましたぁ? ではでは、いざ参りましょう。行き先は式典馬の厩舎でございますよねぇ」
ひたすら物腰だけは穏やかに、けれど有無を言わせない口調の狼に、千鶴も笑顔で返事をする。
おろおろと二人を見比べる朔に少しだけ困った顔をして、千鶴は一人で部屋の外に出ると静かに扉を閉めた。
「申し遅れましたねー。私、大臣をやってます、月刀と申します。お見知りおきくださーい」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。千鶴です」
「いやぁ、先日は失礼致しましたねぇ。大臣たちも、なかなかお話ができなくて溜まってたもんですから。次回はもっと有意義なお話がしたいものです」
「はあ……」
またやる気なのか、とうんざり気味に、千鶴は気のない返事を返す。
どうもゆるゆるした話し方と違って、この狼の声には妙な含みがある気がしてならない。
廊下を歩いていると、使用人たちがこちらを認めて一斉に頭を下げる。それにひらひら手を振る彼の耳は、ずっと後ろに倒れたままだ。
耳を後ろに倒し、歯をむき出しにして鼻面に皺を寄せるのが、犬の威嚇のサイン。うなり声を上げられないだけ、まだましなのだろう。
機嫌の悪さ最高潮の月刀に、千鶴は気付かれないようにため息を吐く。
「妃殿下、厩舎でのお仕事はいかがです? 大変でしょう」
「白羽体長のご好意でやらせて頂いていますので、苦ではありません。元々、私が望んだ事でもありますから」
厩舎へ続く花の小道を歩きながら、千鶴は一歩先を行く大きな背中に注意深く答えた。
「ふふ、そうですかぁ。望んだこと、ね」
「あそこには、私の愛馬も――」
くるりと月刀が振り返ったことで、千鶴は後に続く言葉を飲み込む。見上げた狼の顔は、案の定あまり直視したくない表情だった。
真っ赤な花が舞う中、月刀は冴え冴えとした瞳で、にい、と口の端を吊り上げる。
太く鋭い牙が動き、ぐるる、とその奥から堪え切れなかったらしい唸り声が漏れた。
「お分かりのようですが、大臣達は貴女を毛嫌いしていますよ。そしてなにより――俺はアンタが大嫌いだよ」
「っ……ええ」
「あらまぁ、物分りのいい事で。それなら話が早い。白羽をどうやって絆したんだか知らないけどね、早いとこその愛馬さんを連れて、自分のお国に帰ったほうがいいんじゃないの? アンタを王の隣には、置いておけないよ」
「どうして、そうお思いですか」
睨み付けられたまま、千鶴は自分でも無意識に、そんな言葉を紡ぐ。たじろぐでもないその姿に、ほんの少しだけ、月刀の方が面食らったようだったが、ちょうど厩舎に辿り着いたことで、その疑問に答えは返らなかった。
「早く帰りなよ。星跨ぎさん」
扉の前に一人千鶴を残して、月刀は踵を返す。
「どうして、貴方は、王に近い人はみんな、そんなに私を嫌うの……?」
浮かんだ疑問に、答える者はいなかった。
だいぶ間があいてしまい、申し訳ありませんでした。いつの間にかお気に入りも200件越えと、嬉しすぎておろおろしております。これからもマイペースですが、よろしくお願いします。