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十話 花の小道でのこと

 相変わらずの美しい馬体の上に、相変わらずの氷の顔を乗せた白羽は、かつ、と前足の蹄を鳴らして高い所から千鶴を見る。


「こ……こんにちは……」

「ようやくここに来たのか。愚図だ愚図だとは思っていたが、とんだ並足ぶりだな」

「あ……ハイ、すいません……」


 やれやれ、と首を振る白羽の顔を見上げて、冷や汗をかきながら千鶴はその場に正座した。

 なんとなく、この人にひんやりした視線を浴びせられると、物凄く悪い事をした気がして居たたまれない。

 助けて、と横目で見た朔は、唐突な大物の登場に引き攣った顔で頭を下げていた。ぶわっと広がった尻尾から、どれだけ驚いたのかよく分かる。


(こりゃ助けは期待できなさそうだ……)


 仕方なく千鶴は立ち上がり、胸の辺りで祈りの形に手を組むと、片足を引いて一礼した。


「……無為に日々を過ごしているようではないらしいが、それにしても、数日でこの厩舎の頂点に立ったフォン殿よりも、段違いの遅さだぞ」

「あ……あはは……。フォン、本当に女帝になってるし」


 花霞にちくちく嫌味を言われながら習得している作法は、それなりに気に入られたらしい。

 獣人の女性がとる一礼を淀みなくこなして見せた千鶴に、本当に少しだけ白羽が目元を緩めた事に、千鶴はほっとした。

 しかし、千鶴はそれより愛馬の出世具合に呆れる。当然よ、と気取った仕草で首を反らすフォンに笑いが込み上げた。


「流石は駐屯地の女帝。御見それしやした姐さん……! あ、やめてやめて、頭よだれでべちょべちょになっちゃうから噛まないで」

「はあ……相変わらず、暢気なものだな。星跨ぎ」

「へ、あ、すいません!」


 軽口を叩いてフォンとじゃれる千鶴に、ため息混じりの白羽の声がかかる。慌てて背筋を伸ばした千鶴に向けて、白羽は一歩下がると背後を指さした。

 千鶴が視線をそちらに向ければ、そこにあるのはずらりと並ぶ馬具の数々。

 いかにも式典や儀式に使うような美しい彫刻と彩色のものから、銀や鋼で出来たシンプルなものまで様々なそれを千鶴は口をあけて見渡す。

 

「扱いは分かるな? 外で待っている。フォン殿をお待たせしないよう、早く支度をしろ。朔、手伝ってやれ」

「にゃっ! は、はいー!」

「へ、え? ちょっと、どういうこと」


 固まった朔にそれだけ告げた白羽は、颯爽と踵を返して厩舎を出ていく。

 後に残された千鶴は、何度か瞬きをすると、ようやく動き出した朔の尻尾を捕まえて撫でながら、困りきった顔を見合わせた。


「朔さんや、あれは、その、ここにある馬具を、フォンに付けろってことでいいの、かな?」

「恐らくはー。遠乗りのお誘い……ではないでしょうかー……?」

「あんだけ初日にフォンの待遇に怒ったくせに、あの人、何考えてんの……?」






**************






「敷地内であれば、どこへ行こうが構わないと、陛下から許可が出ていると聞いてな」

「はい、あの、そうです。四階以外は……」

「そうか」



 うららかな日差しの中、のんびり歩くフォンの上。彼女の気紛れに任せて、手綱は膝に離したままの気ままな散歩は、ラルキアにいた頃からよく二人でしたものだ。

 いつもと違うのは、隣に美しいケンタウロスが一頭、静かに寄り添っている事だろうか。


 びっくりするほど続かない会話に、千鶴の背中は冷や汗でびっしょり。顔は明日筋肉痛になりそうなくらいかちかちに引きつっている。

 朔は厩舎に残り、フォンは美しい花のアーチが続く森の中に意識が飛んだまま。

 この居たたまれない空気に一人取り残される事になった千鶴は、張り付いたように動かない舌を無理矢理引き剥がして、隣を進む白羽におずおずと声をかけた。


「あの、白羽様」

「星跨ぎ、私はフォン殿に言われて、お前を今日までここに置いてきた」

「は、ハイ?」

「朔が懐いている所を見るに、確かにお前は我々に害を成そうとはしていないようだ」

「すいません話が見えないんですが……」


 滔々と一人で語る白羽に、着いて行けない千鶴は妙な顔で小さく呟く。それを聞いているのかいないのか、白羽はひんやりした流し目で千鶴を見た。

 

「しかし、暢気な事を言っていられるのも、今限りだぞ」

「はい?」


 氷の視線と一緒に投げられた言葉に、千鶴はぱちくりと瞬きをする。これ以上、まだ何か一大イベントがあるというのか。

 嫌な予感に思わず首ごと向いた先で、白羽は小さく息をつくと、少しだけ歩く速度を速めた。


「敷地内だけとはいえ、出入りの許可が出たという事は、陛下がお前をここの住人と認めた事になる。仮に、だろうがな」

「はあ……」

「認められたという事は、お前は形式上「妃」となる。この意味が分かるか?」

「ええと、どういう事でしょう……?」

「……星跨ぎ、頭の回転まで並足以下ではこれから困るぞ。貴族と重鎮共からの挨拶と銘打った品定めは、この分ではどうも当分終わりそうにないな」


 呆れの混じった白羽の言葉に、ようやくそれを理解した千鶴が固まる。下からフォンが、今頃気付いたの? 本当にアホの子なんだから、と緩く首を振っているのが余計辛い。

 

 新しい妃に結婚のお祝いを、とでも言われれば、千鶴は出て行くしかない。千鶴のスケジュールを管理しているのは花霞だ。彼なら、嬉々としていくらでも予定を詰め込むだろう。


「うわああ……」

「さて、何日でお前のその平和な顔が筋肉痛で動かなくなるかな」


 頭を抱えた千鶴に、白羽はニヤリと悪い顔で笑って見せた。楽しむ気満々のその表情すら、様になる辺り美形は得だと千鶴はつくづく思う。

 よく考えれば気が付きそうなこんな簡単な予想に、全く思い至らなかった自分の平和ボケぶりに泣く彼女に、白羽は肩を竦めてため息をついた。

 千鶴の下で、フォンもやれやれと鼻息を漏らすと、付き合ってらんないわ、と咲き乱れる花のアーチの方へ意識を向ける。

 駐屯地の女帝は、興味が無い事にはそれがたとえ千鶴のピンチであっても、涙が出る程クールだった。


「フォンさん、そりゃないよ……」

「フォン殿の呆れも無理からぬ事だ。精々妙な事を口走ってこれ以上苛められぬよう、勉学にでも励むことだな」

「……心配して下さってるので?」

「違う。お前の心配など、どうして私がしてやらなければならない。これは忠告だ」


 即座に笑いを引っ込めた白羽に、ですよね、と千鶴は首を竦めた。そんな彼女から視線を逸らした白羽は、頭上に垂れ下がる大輪の赤い花をひとつ千切って手の中で遊ばせる。


「お前が厩舎に来るまで、もてなしとして私がフォン殿の話し相手を務めていた。聡明で美しいこのフォン殿は、信じられない事に、お前の事を随分と評価している。お前こそが我々を癒す者だと。信じられない事にな」

「さらっとなんか凄いこと言ってますけど、私の方の評価は、二度も言わなくていいです……」

「煩い。それほどまでにフォン殿に信頼されているお前の失態で、フォン殿まで悪評に巻き込まれるような事があってはならないのは、いくらなんでも分かっているな? 正直に言えば、仕事がどうこうと朔を困らせている時点で既に少々難ありだが」


 まるでフォンへの口説き文句のような台詞を冷静な顔で言ってのけた白羽は、千鶴の反論を睨みつけた拍子にぐしゃりと手の中の花を握り潰した。途端香る強い芳香と、その色の不吉さに、千鶴は引きつった顔で背筋を伸ばす。

 更に言い募ろうとでもしたのか、一歩こちらに足を寄せた白羽を、本題は違うでしょ、とフォンがひとつ嘶いて止めた。

 なにかまだ言いたげな顔のまま、白羽は千鶴の顔を覗き込む。反射的に顔を仰け反らせて彼女はため息を飲み込んだ。



 千鶴が獣人の頑なな心を癒す者。初日にフォンが白羽相手に言い募っていたのは、この辺りの事だったのだろうが、流石にそれは買いかぶり過ぎだと思う。

 名ばかりとはいえ妃の役割が始まれば、フォンがどんなに言っても、千鶴の方が仕事がどうこうなんて言っていられないだろう。果たして癒しが必要になるのはどっちだかすら分からない。


「あの、スイマセン、もう朔を困らせたりは」

「まあ、力だけは有り余っている者をただ遊ばせておくのも損だ。お前にやる気があるのなら、手始めにフォン殿の厩舎の管理を任せよう」

「しま……え?」

「フォン殿からの強い希望だ。そうでないと式典には出ないと言ってな。陛下にも了承を取り付けてある。花霞は何故かむしろ喜んでいたように見えたが、あいつも相変わらずいい性格をしていることだ」

「あ……ああ……。あのうささんはむしろそうでないと気持ち悪い、じゃない。本当にいいんですか?」


 思わず納得しそうになりながら、千鶴は降ってわいた話に面食らって白羽を見つめる。フォンの美人ぶりは千鶴も認めているから言う事を聞いてあげたくなるのは男の性かな、とは思いつつ、とんでもない話になにかあるのではと白羽を伺った。

 その疑いを視線から感じ取ってか、白羽は顎を逸らしてはん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


 

「勘違いをするな。お前の為ではない。フォン殿の名誉のためだ。お前の事は、これからも見定めさせてもらう。お前が我々を癒すなど、到底無理な話にしか聞こえないが。……では私は行くが、早急に厩舎の手入れを始めるように」

「ハイ、隊長……」


 呆然と立ち尽くす千鶴を置いて、白羽はその馬体の前足を高々と掲げると、蹄の音も高らかに、花を蹴散らしてあっという間に走り去ってしまった。

 ひとり取り残された千鶴は、見開いた目のまま、体の下でのんびり花を齧っているフォンに視線を戻す。

 あら、ようやっと終わったの? あんたたちの話は相変わらずつまらないわ、と、もぐもぐ口を動かしているフォンと、白羽の消えた方向を交互に見つめた千鶴は、数回瞬きをしてぽつりと呟いた。

 


「隊長、ツンデレ……?」


 アンタ今までの話のどこを聞いていたの、と、千鶴の下でフォンが呆れ顔で空を仰いでいた。


だいぶ間が開いてしまい、すみませんでした。ちょっと一狩り行き過ぎました…。並足=馬の歩法で一番遅いもの。普通に歩いている状態ですが、千鶴の頭の回転は、たまに随分鈍足です。

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