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記憶装置

作者: 新之 力

 その船の艦長は、自室の机に向かい、会話を交わしていた。黒い机の上には、人の拳ほどの大きさの球体が据えられている。

知らない者が見れば、通信装置を使って知己の人間とやり取りをしているのだと思ったかもしれない。

「…だよな、それじゃ、今回のところは業務終了な訳だ。」

「ああ…そうだ。」

「お疲れ様。陸に上がったら一杯やりたいところだけど…そういう訳にもいかないな。とりあえず報告に行くんだろう?あの爺さんは結構口煩いからな。」

 声を発しているのは、球体を備え付けた台座に当たる部分だ。球体を置くように形作られたそれは、球体から送られた情報を受けて音を発する、発話装置と言ってもいい。そしてその発話装置に繋がった球体は、通信装置ではない。

通称ECHO。記憶装置だ。

 生きた人間とは違うが、違和感は全くない。声質は僅かに違うものの、言葉を発する時の高低や溜め、僅かな滑舌まで、まるで同じ人間のようにそっくりなのだ。この装置との会話を始めると、誰もが生前と同じ人間と話をしているかのような感覚に陥る。

 元は、富裕層向けに売り出されたメモリーだったという。生前の家族の記録を残す、という名目で開発されたこれは、金のある人間の間で急速に広まって行った。人間の脳から得られた情報を記憶し、まるで故人が存在するかのように対話する。簡単に言えば、ただ、発した言葉に対して言葉を返すという機械。だが、この記憶装置は、それだけのものには留まらなかった。

 ある人物は言う。

この装置は、生前の人間そのものだと。

彼等はこの記憶装置の中で生きているのだ、という者もいた。

 まるで死後も存在し続けることができるかのようなこの記憶装置は、多くの人間の注目を集めた。

 もちろん、開発した会社はこう断言している。

この装置は、生前の人間がそうするであろう言葉を発するだけの装置である、と。もちろん、その為に必要な情報としてその人物の『記憶』も記録されてはいるが、本人が蘇る訳ではない、と。さらに、この記憶装置を使用するのは利用者が死んだ時に限られる、と発売会社は定めている。情報を読み取る際に脳にかかる負担が大きいというのが理由の一つだ。尤も、それが本当に守られているかは定かではない。


この船の艦長が言葉を交わしているのも、そうした記憶装置のひとつだ。


「どうして記憶装置を使った。」

どうして。

 これが亡くなった友人だと考えているわけではない。彼自身は、記憶装置などというものにはかけらも興味はなかった。これが自分の元に届けられる前の彼は、死んだ人間の言葉を真似るだけのものには意味を見いだせないでいた。

 これは、友人ではない。その意識は常に自分の頭の中に存在している。そのため、会話を始める当初は機械に意味もなく声を掛けるという行為に小さな不快を感じるが、やがて違和感がまるで無くなる。

 そうだ。これがあいつではないのは分かっている。それでも言葉を交わせば、いったん会話を始めてしまえば、まるで長年の友が目の前にいるかのように感じずにはいられない。言葉が途切れれば、ふと意識を取り戻し、和やかともいえる空気を肌に感じる。そのことに気付くと、動揺を覚える。そして微かな苦痛を感じる。

 胸のざわつきからこぼれた疑問に、機械の中の友人が答える。

「ああ…どうしてかな。そうだな…お前だって、そういうものに手を出しているだろう?」

 記憶装置の言葉に、無意識に目を細めた。

 それは自然の摂理に反し、強制的に体の機能を保つためのもの。確かに、自分は老化防止の手術を受けている。理由は単純で、航海中の圧や衝撃に耐えるには筋力の低下などが望ましくないからだ。彼の所属する会社は、積極的にこれを推奨していた。地上ではまだ認められない技術を思い浮かべながら、他意のない答えを返す。

「それは仕事のためだ。」

 陸の人間の間ではまだこれを拒絶する者たちも多いが、宇宙に出る多くの人間はそれを当然のものとして受け入れている。彼自身、自分の体に手を加えることに躊躇はない。

「仕事の為か。」

 含みを持つようにゆっくりとした口調で、記憶装置が応答した。さらには、断定するかのようなはっきりとした声を返してくる。

「そうじゃない。手術を受けなくとも数年は船に乗っていられるはずだ。確かに会社はそう答えるだろうけどな。それはお前が出来る限り長く船に乗っていたいからだ。お前は船に乗っている自分を失いたくないんだろう。」

 単純に、その欲望のためだけだという装置の言葉には、かつての友人特有の手厳しさが残っていた。そして、老いて船に乗れなくなる日が来るのを恐れているのだと。

 艦長は無言でそれを聞いた。

「…それで。」

 彼には、この友人が記憶装置に手を出したことが、不可解だった。単なる消滅への不安なのか。欲求なのか。簡単に言えば、己の存在していた証を残そうという考えから、その手段を記憶装置に頼るのは『らしくない』。

 あいつは人間は何事かを成し遂げるためにあるという言葉を信じ込むような人間ではなく、また何かが存在し続けるということがいかに不可能なことであるかもよく理解していた。

 永遠に続くものなどあり得ない。船に乗る人間ならば、大抵がそのことを思い知る。そしてただ自己の証を残したいだけならば、あの友人は別の方法をとっただろう。

 あいつはそういう人間だった。

艦長の思考を他所に、記憶装置が告げる。

「それと同じことだ。」


 その返答に、少なからず戸惑った。

 仮にこの装置の言葉が真実ならば、存在の証を残すのではなく。…あり続けたいと望んだのだろうか。そう、それでもできるだけ長く。可能な限り長く、存在し続けたいと。

「…それなら、生きていればよかっただろう。俺のように。」

不可能では、なかった筈だ。

 ありとあらゆる手段を用いれば、まだ『存在』していられたはずだ。

 記憶装置は、本人ではない。例えどれだけ本人が目の前にいるように思えても、ただそう思わせるように作られた機械なのだ。あいつはそれだけの存在を、まるで人間のように認めていたのか。

 答えはない。

 答えを知らないからか、それともあいつならば沈黙を返したからか。

 

  椅子の背もたれに体を預け、少しばかり熱くなった頭を休める。

故人にこだわるつもりはない。死んだ人間の模造品と馴れ合おうとは思わない。だが、記憶を情報として記録し、思考を真似たこの装置ならば、答えを導き出すのではないか。そのためだけに彼はこの装置を手元に置き、いつしか記憶装置のある生活に慣れつつあった。

 机に置かれた球体の装置を眺め、ゆっくりとその金属質な光沢に目をやって、いくらか落ち着いた思考で声を上げた。

「お前は本当にあいつなのか。」

艦長の疑問に、軽い調子で装置は答えた。

「さあ、どうだろうな。それはお前次第だよ。」

何故肯定しないのか。そんな所まで生前の友人が言いそうで、思わず沈黙する。

 これが本当にあいつなら、いつか答えを知ることもあるかもしれない。この記憶装置というものは、あの友人が手を出すほどに意味のある物なのか。ただの機械と理解していても、その身を任せずにはいられないほどの抗しがたい引力を有しているのか。

 それを知るまでは、彼はこの装置を見守ることにする。

「…そろそろ行く。」

椅子から立ち上がると、そのまま背を向けた艦長の背中に声がかかる。

「それじゃ、またな。ドーム。おやすみ。」

 優しげな口調で自分の名前を呼ぶ記憶装置には視線を向けず、彼は黙って部屋の外へと歩みを進めた。




 記憶装置ECHOが開発されて60年が経ち、それが当然のように使われるようになった今、その性能に差はあれど宇宙には記憶装置があふれている。機械の中に半永久的に保存された彼らは、常にどこかに存在し、確実に数を増している。いずれすべての人間は、記憶装置を墓場として、その中を終着点とするようになるかもしれない。

 そうしてすべての人間の記録が記憶装置の中に集約されていく。まるで何もかもを飲み込もうとする、深すぎる海のように。人間の視線を介して、記憶装置の人格は勝手に意思を持って動き出す。その姿はまるで、拒絶しがたい亡霊のような存在感を持っている。

 漠然とした疑念と不安を抱えながら、今日も彼は記憶装置のいる生活を送っている。だが、ときおりふと思わずにはいられない。

いつかお前もこの中にはいるかと、聞いてくるのだろうかと。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なにかを「記憶する」装置でなく、記憶そのものが装置化されているという発想が素晴らしいです。 船長と友人の「会話」が、同時に独白でもあるという構造がとても良い雰囲気を醸していると感じました…
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