第10話 鞍馬月光~後編~竹内文献キリスト伝説殺人事件
《大和太郎事件簿・第10話/鞍馬月光》
〜竹内文献キリスト伝説殺人事件・後編〜
鞍馬月光28;
2012年3月12日(月) 午前11時ころ、東京・国会前庭
時間塔の前にある四角い噴水池の横のベンチに座って大和太郎と半田警視長が話している。
「東北旅行で成果はありましたか?」と半田が訊いた。
「その件ですが、八郎潟の7人の山伏については捜査が始まっていますか?」と太郎が訊き返した。
「先週の木曜日に大和探偵から電話を頂き、ただちに青森県警に調査を指示しました。秋田市内のタクシー運転手から事情聴取し、7人の山伏の目撃者探しを開始しました。現在も、秋田県警と青森県警が目撃者探しをしています。山描宅急便の冷凍車について宅急便会社に問い合わせましたが、当時、秋田市内を走っている冷凍車は無かったという返事です。冬場なので、ほとんどは普通トラックで配達しているとの事でした。また京都市内でも7人の山伏と冷凍車が目撃されていないかどうかを京都府警も捜査しています。」と半田が言った。
「と云うことは、山伏たちが乗っていたのがその冷凍車で、木の十字架もそのトラックに積まれていた可能性が大きいですね。」と太郎が言った。
「それで、秋田から青森へ向かう国道や県道に設置されているオービス監視カメラの記録写真映像を調査したところ、十和田湖へ向かう国道を走っている冷凍トラック車を見つけました。車のナンバーは偽造でした。トラックの運転手もサングラスと帽子とタオルで顔を隠していました。十和田湖にあるホテルの監視カメラ映像も現在調査中です。何か判ればいいのですが。」
「偽造ナンバーの冷凍トラックですか・・・。」と太郎が呟いた。
「何か思い当たる事でもありますか、大和探偵。」と半田が訊いた。
「山伏と偽造ナンバーで思い当たるのはK国秘密情報部・KISSの弾武典です。」と太郎が言った。
「なるほど。弾武典ですか。最近は姿を現わしていなかったですが、またぞろ動き始めましたかね・・・。」
「木の十字架を大潟富士の頂上に立てて、何か呪文を唱えていた訳です。しかも、十和田湖方面に向かって、呪祖していて、その十字架が十和田湖に置かれていた。死体付きでね。」と太郎が言った。
「それも、胸に十字の傷を付けられ、十字架に磔にされた状態で乙女の祈り像に立て掛けられていた訳ですね。何を呪祖したのでしょうね・・・。」と考えるように半田が言った。
「キリストの里ではなく十和田湖に十字架を置いた意味が判りません。半田警視長の意見をお聞かせいただければ有り難いのですか。」と太郎が訊いた。
「うーん。キリストの墓ではなく、乙女の祈り像の傍に捨てられた殉教者パウロですかね・・・。」
「乙女祈りとパウロ。殺害の犯人がナオキ・タグチの洗礼名がパウロであることを知っていたと仮定するのですか。パウロはペテロと同時期にローマで斬首されました。その首は3回転がり、そこから泉が湧き出したと云う伝説があります。十和田湖がその泉に相当する訳ですか。何と無く違う気がしますね。キリスト教の伝道者パウロではなく、キリスト自身を模した遺体と考えれば、どうですか・・・。」と太郎が言った。
「乙女の祈りとキリストですか・・・?乙女は処女懐胎した聖母マリア。そして、母の元に帰ったイエス・キリストですかね。」と半田が言った。
「聖母マリアの祈りとは101回の涙を流した秋田・聖体奉仕会聖堂にある木彫りのマリア像と関係がありますかね?八郎潟の横には国道101号線が走り、その横にはバイパスとしての県道42号線。42号線は死を意味し、101回の涙は死に向かう道を行くキリストに対する憐れみの情ですか。その情を、十和田湖に居る聖母マリアの祈りに移した訳ですかね。」と太郎が言った。
「先日、大和探偵が言っていたことですが、十字架の十字架と呼ばれた教皇であるピオ9世の時代に起きた聖母マリアによるラサレット第2の告知の実現を願ったと云う事はないでしょうかね。」と半田が言った。
「ラサレット第2の告知ですか。そうすると、7人の山伏たちはキリスト教を十字架にかけることを呪祖したのですかね・・・。7人の山伏が弾武典とその一味と考えると、何故に彼らはキリスト教にかかわるのでしょうか?K国がキリスト教の転覆を考えているとは思えないのですがね・・・・。」と太郎は考え込んだ。
「ブラッククロスですかね。ブラッククロスはK国を影で支援していると謂われています。ところで話を変えますが、八郎潟の八郎太郎と十和田湖の南祖坊伝説についてはどうですかね。」と半田が言った。
「大蛇である八郎太郎。出口王仁三郎が謂ったように八岐大蛇の霊魂を持った八郎太郎が、藤原南祖坊に乗っ取られた十和田湖に帰るための祈りを7人の山伏が代弁したのかも知れませんね。」と太郎が言った。
「それは、蛇族である八郎太郎が天孫族である龍神の藤原南祖坊に再度戦いを挑む象徴なのかも知れませんね。」と半田が言った。
「出口王仁三郎が聖言集の中で謂っていますが、素盞鳴尊の神示を受けて、龍神・南祖坊は昭和3年の秋に十和田湖を離れ、昭和5年8月15日に出口和明となって現世に再生したようです。また、大蛇・八郎太郎は昭和27年から始まった八郎潟干拓計画を赦し、自分は田沢湖に居る辰子姫と暮している可能性が考えられます。あるいは、南祖坊の龍神が去ってすでに空き家になっている十和田湖に戻って、辰子姫と一緒に暮しているのかも知れませんね。昭和27年、高村光太郎は乙女の祈り像の制作を開始していますね。しかし、弾武典はそれを知っているのか、それとも、知らないのか・・・?八郎太郎が戦う相手・南祖坊はすでに十和田湖には居ない。乙女の祈りと十字架、それは平和の証か?それとも、犯人が弾武典として、奴は何を考えているのだろうか。そして、鞍地麗子さんは奴に拉致されたのだろうか?しかし、彼女はどこにいるのだろうか。」と太郎が考え込んだ。
「石田咲子の携帯電話の通話記録だが、ちょっと疑問があります。2月3日の夜、鞍地麗子との通話記録が残っていますが、石田純二との通話記録はありません。同じ京都に来ているのに、何故に話して居ないのか。お互いに京都に居ることを知らなかったのか。夫婦仲が冷え切っていたのか。石田純二の携帯電話は見つかっていないが、電話会社で通話記録を調べました。過去4カ月間、石田咲子の携帯電話との通話記録がありません。自宅への通話も3回あっただけです。」と半田警視長が言った。
「ほんとうに、石田純二さんと咲子さんの夫婦仲は冷え切っていたのですかね・・・。」
「まっ、断言はできません。もう少し、周辺の人物から証言を聞いてからの話です。子供もいなかったですからね。まあ、石田咲子の失踪事件と関係があるかどうかも判りませんがね。」
「確か、石田咲子さんから鞍地麗子さんへの最後の通話が2月3日の夜、午後7時05分でしたね。場所は鞍馬駅前から四条河原町への通話。時間は7分余りの会話。」
「そうだったですかね。」と半田が言った。
「その時間帯の河原町地域の監視カメラ映像に鞍地麗子さんの姿はありましたか?」
「現在の所、発見されていません。」
「その後の午後8時23分、石田純二からの45秒間の電話が京都駅八条口にありましたね。京都駅前での鞍地麗子さんの映像はどうですか?」
「それもまだ発見されていません。JRに乗っていればJR京都駅八条改札口の監視カメラに映っているはずですが、映っていませんでした。地下鉄のホームや地下街の監視カメラ映像を調べましたが、姿は発見できていません。」
「京都駅の八条口には夜行バスの発着所がありますよね。そこはどうですか?」
「京都府警の調査では、鞍地麗子の姿は見つかっていません。夜行バスに乗った形跡もありません。」
「しかし、携帯電話のGPS機能では京都駅に居た訳ですよね。」
「そうです。しかし、目撃証言はありません。どのような服を着用していたのかが判れば見つけやすいのですがね。当時の鞍地麗子の服装が判っていませんのでね・・・。」と半田が言った。
「そうですか。JRの改札は通過していない。そして地下鉄も夜行バスも載っていないとすると・・・。タクシーか・・・。」
「タクシー搭載の監視カメラ映像は30分間隔で消されていきますから、直近の30分しか乗客の記録映像は残っていません。タクシーを利用した可能性はありますね。」と半田が言った。
「タクシーに乗って何処に行ったのか。そして、石田咲子との7分ちょっとの会話内容は何だったのか。石田純二との45秒の会話内容は何だったのか。そのどちらかの会話が鞍地麗子さんの行き先を決めたと仮定したら、何処に行くことになったのかですね。」
「タクシーでしか行けないところ。電車ではなく、タクシーで。あるいは、京都駅前から発着している路線バスで行けるところですかね・・・。」と半田が言った。
「なるほど。鞍地麗子さんは拉致されていないとしたら、そこを探してみるか・・・。とすると、石田咲子さんも一緒に居るのかどうか。しかし、ほんとうに石田夫妻の仲が冷え切っていたのかどうか・・・。いずれにしろ、京都に行かないといけないな、麗子さんの行方を探しに・・・。」と太郎が想いを巡らせながら呟いた。
鞍馬月光29;
2012年3月12日(月) 午後4時ころ、東松山・大和探偵事務所の上の階
東京から戻ってきた大和太郎は明日の京都行きの準備をしている。
その時、ベッドの横に置いてある携帯電話が鳴った。
「はい、大和太郎です。」
「D大学の鞍地です。」
「やあ、こんにちわ。北斗七星について何か判りましたか?」
「いえ、その件ではありません。」
「はい?」
「私や母を監視している人間がいるようなんです。」
「見張られている?」
「ええ。時々、同じ人間を見かけることがあります。観光客なら一度鞍馬に来れば、充分のはずです。鞍馬山にお参りの方なら、京都の町中では着いてきません。なんとなく、見張られている気がします。」
「それは男ですか?」
「ええ。服装は変えていますが、背格好や顔だちは同じです。ときどき、他の人間と交代しているようですが・・・。」
「判りました。明日、新幹線で京都へ行きます。京都駅への到着時刻は君の携帯電話に入れます。京都駅に迎えに来て下さい。その時、君を尾行している人物を確認しましょう。では、明日、電話します。あまり心配し過ぎないように。たぶん、君が姉の麗子さんと接触するのを見張っているのでしょう。」
「僕が姉と会う?」
「そう。失踪している麗子さんを探している人物が、鞍地君を見張っているのでしょう。危害を加えられることはないでしょう、麗子さんが君の前に現れない限りはね。」
「姉は無事なんですか?」
「まだ判りませんが、拉致されたのではなく、何かの理由で姿を隠している可能性が考えられます。明日、その話をしましょう。」
「そうですか、判りました。では、明日の電話をまっています。よろしくお願いします。」
「ああ、それから、この件を警察には連絡しましたか?」
「いえ、まだです。」
「私が京都へ行くまでは、警察には知らせないでください。見張っている人物に姿を隠されると、麗子さんを探す手掛かりがなくなりますので。」
「判りました。できるだけ早く来て下さい。」
鞍馬月光30;
2012年3月13日(火) 午後1時30分ころ、JR京都駅烏丸口改札
「やあ、お待たせしました。」と、改札口を出た太郎が言った。
「ご足労をお掛けします。」と鞍地大悟が言った。
「尾行者は何処にいますか?」と太郎が小声で訊いた。
「今は姿が見えません。」
「それでは、京都Tホテルのロビーに行きましょうか。」と言って、太郎は歩き始めた。
2012年3月13日(火) 午後1時50分ころ、京都Tホテル・コーヒーラウンジ
太郎と鞍地がコーヒーラウンジのテーブルを挟んで話しあっている。
チェックイン・タイムになっていないので、太郎はキャスター付きの旅行バッグをフロントに預け、倉地と一緒にコーヒーを飲みながら、周囲の状況を観察していた。
「ラウンジのソファーで新聞を広げている男です。」と鞍地が言った。
「なるほど。あの男ですか・・・。」と太郎は横目づかいにラウンジのソファーに座っている男をながめた。
「これからどうしましょうか?」と鞍地が訊いた。
「しばらく、話を続けましょう。鞍地さんにお聞きしたい事があります。」
「何でしょう?」
「お姉さんの麗子さんのことですが、京都周辺で姿を隠す場所とか、それらしい場所とかを聞いたことがありませんか?」
「姉が姿を隠しそうな場所ですか?」
「友人の家とか、何か因縁でもありそうな場所とか。どうですか?」
「うーん。思い当たる場所はないですね。捜索願いを出していますから、姉の友人関係は警察がひと通り調べたと母から聞いています。」
「お姉さんが、よく遊びに行っていた場所とかはどうですか?」
「姉が遊んでいたところは、鞍馬寺ですかね。子供のころは僕たちの遊び場でしたからね。大人になってからも、時々はお参りに行っていました。それと、由岐神社などでもよく遊びましたね。しかし、身を隠すにはちょっと違いますかね。芸妓になってからは、時々、五条天神によくお参りするようになったと、姉は母に言っていたそうです。」
「五条天神ですか。あの牛若丸と弁慶が出会ったとされる五条橋近くの。」
「そうです。五条天神の祭神は由岐神社と同じで、大己貴命と少彦名命です。794年の平安京遷都の時に大和国宇陀郡から天神を勧請したのが始まりらしいですね。天の鏡船に乗って大己貴命の前に現れた、天からの使いであるとされる少彦名命にちなんで、当時は天使の宮と呼ばれていたようです。後鳥羽天皇の時代に五条天神と改められたと云うことです。」
「天使の宮ですか。」
「ですから、五条堀川近くには天使突抜町と云う地名が残っています。」
「天使突抜ですか。面白い地名ですね。」
「昔は、天使の宮の境内まで鎮守の森を突き抜ける道が通っていたらしいです。ですから、天使突抜通りとも呼ばれています。鎮守の森はかなりの広さがあったと謂われています。」
「確か、由岐神社は940年、御所である大内裏宮中に祀られていた大己貴命と少彦名命を北方守護のために鞍馬山のふもとに遷したのでしたね。」
「そうです。その遷宮の時、鞍馬の村人が篝火を焚いてお迎えした名残が、鞍馬の火祭です。由岐の文字は、矢を入れる武具の靫から変化しました。北方を守護するための武器である弓矢の矢を入れる器具が靫です。武士が背中に背負っている筒です。ですから、由岐神社の別名は靫明神です。」と鞍地が言った。
「天使を突き抜ける矢ですかね・・・。」と太郎が言った。
「それはまた、不吉な表現ですね。でも、天使突抜には別の意味があるのかも知れません。」
「別の意味?」と太郎が訊いた。
「オリオン座の3つ星を囲む4つ星の一つです。」
「ほう。オリオンの4つ星の一つと云うと?」
「藤原教授から教えて頂いた話ですが、上賀茂神社、八瀬の御陰神社、山科の天智天皇陵墓、そして五条天神です。五条天神の真北に上賀茂神社があり、真東に天智天皇陵、上賀茂神社の真東と天智天皇陵の真北に御陰神社があります。そして、この四つの霊地点の中に、下鴨神社、鴨川の分岐点の出町柳にある河合神社、京都御所の三つの霊地点があります。靫の文字の音読みはサイです。」と鞍地が言った。
「なるほど、面白いですね。そうすると、巨人の剣・サイフにあたる位置には五条天神が来るわけですね。」
「そうなりますね。そして、昔の京都御所には、天使である少彦名命を祀る由岐神社がありましたが、鞍馬山麓に遷されました。藤原教授が仰るには、それは天使が4つ星で作る結界を突き抜けて北の地に放たれた事を意味するらしいのです。」
「なるほど、天使が突き抜けた訳ですか。なるほど・・・・。しかし、由岐神社が鞍馬山麓に遷宮された940年ころの御所、すなわち内裏のあった場所は現在の京都御所の地より西側でした。現在の堀川通りより西側にあったはずです。だから現在の京都御所がオリオンの三ツ星の一つに当たるとするのは良しとしても、940年当時の御所は三ツ星の一つではなかったはずです。」と太郎が言った。
「しかし、五条天神の境内に突抜通りがあったのは、後鳥羽天皇の時代で1180年ころです。そして、『天使の宮』から『五条天神』と呼び名が変更されたのも後鳥羽天皇の時代です。その時代には由岐神社はすでに鞍馬山麓にありました。そして、オリオンの三つ星の一つである由岐神社が、放たれた矢のように、4つ星でつくる結界を突き抜けて鞍馬山に飛んで行ってしまい、940年から現在に至るまで御所には矢は無い訳です。すなはち、現在の京都御所が三つ星の一つの位置に相当しますが、その場所には由岐神社と云う天使の矢はなくなっている訳です。やはり、教授の発想にはいつも驚かされます。」と鞍地が言った。
「鞍馬生まれで、掌に十字架のアザが現れた鞍地麗子さんは天使の放った矢とすれば、天使の矢を入れておく靫は由岐神社と同じ祭神の五条天神と云う訳ですね。天使突抜町を探してみますか・・・。天使が麗子さんを護っていてくれればいいのですがね・・・。」と太郎が呟いた。
その時、コーヒーラウンジの端の方のテーブルに座っている男の姿が太郎の目に止まった。
「あれは、姿を消していた聖武祇園連合会組長の岡上正一。朝読新聞社の調査では、本名は田中義一で東京都調布市の出身だったな。何で、ここに居るのだ?うーん、なんとなく、ラウンジのソファに座って新聞を読んでいる男を見張っているような気がするな。岡上正一は俺の事を知らないはずだな。だから、俺を見張っているとは考えにくい。麗子さんの弟である鞍地大悟さんを見張っているにしては、我々に近すぎる。やはり、あの男を尾行しているのか?岡上正一の正体がいまいち判らないな。そして、鞍地大悟を尾行している新聞男の正体も判らないな。」と太郎は考えを巡らせた。
「鞍地さん。これからD大学の藤原研究室に行くのでしたね。」
「ええ。午後3時から藤原教授と打ち合わせがありますので。」
「地下鉄に乗っていくのですね。」
「ええ、そうです。」
「それでは、ここで別れましょう。私はトイレに行くふりをします。あの新聞男が君を着ければ、私が、その後を着けていきます。もし、あの男が君の後を着けずに私の後を尾行してくれば、決着をつけます。後を気にせずにD大学に向かってください。後は私が処理します。」
「判りました。よろしくお願いします。」と言って鞍地はテーブルから離れて行った。
そして、太郎もトイレの方に向かった。
その後、黒い背広姿の新聞男が鞍地大悟を尾行し、新聞男の後を岡上正一が尾行した。そして、その後ろから太郎も着いて行った。
鞍馬月光31;
2012年3月13日(火) 午後2時ころ、神奈川県警・刑事部長室
神奈川県警の高神刑事は、岡上正一と鶴ヶ岡八幡宮で会っていた男が姿を消した横浜市内地下鉄駅の監視カメラ映像を調査し、その男の行方を執念深く探索していた。
「岡上正一の素姓がわかりました。レッドシューズプロに出入りしている坂崎と云う男が岡上正一と会っていた奴です。岡上も時々九州から横浜市内に来ていたようです。坂崎とは繁華街の居酒屋などで会っていたようですね。伊勢佐木町や関内の監視カメラに映像が残っていました。」と高神刑事が言った。
「レッドシューズプロ?」と河井刑事部長が言った。
「坂崎幸造、芸名が高橋吾朗と云う俳優です。まあ、無名で、時々TVの通行人などに顔を出す程度の様です。レッドシューズプロに登録して、映画やテレビの仕事を斡旋してもらっているようです。住所は川崎市です。しかし、こいつを尾行したら東京のイスラエル大使館に入っていきました。」
「イスラエル大使館に入った?」
「もう少し追跡調査をしないと何とも言えませんが、情報部の手先をしているのかもしれません。」
「イスラエル情報部と云えば、通称モサドと呼ばれる優秀なスパイ組織じゃないですか。岡上正一もモサドの情報部員なのですかね?」と刑事部長が訊いた。
「通常、情報機関は現地人を下部組織の情報収集部門の職員として雇っていると聞いています。イスラエル人が日本国内で活動すると目立ちますから、日本人を使って活動しているのでしょう。」
「なるほどな、秘密諜報部の行動が相手に知られないためには現地人である日本人スタッフを使うしかないか・・・。」
「福岡県警からの情報では、岡上正一の本名は田中義一で、東京都調布市の出身です。高校卒業後の3年間は東京都大田区の機械工場で働いていましたが、その後の経歴は不明です。5年前に突然、北九州市に現われ、暴力団の聖武・祇園連合会を組織しました。活動の資金源などははっきりしていないようです。」
「岡上正一はモサドの日本人スタッフか。」
「可能性は大です。」
「判りました。引き続き坂崎を監視して、岡上の居所を探してください、高神さん。」
「しかし、何故に岡上は福岡で殺された菅原清隆に近づいていたのでしょうね?」
「刑事局長補佐の半田警視長の話では、菅原清隆はサラシスターズと関係があったらしい。北九州のオメガ教団研修所で死んだサラシスターズの女支社長は世界的なテロ組織であるブラッククロスの工作員であったらしい。」
「なるほど。イスラエル国の情報機関モサドがブラッククロスを追跡しているという事ですかね。」と高神刑事が呟いた。
「この件は私の方から警察庁・刑事局長に報告しておく。」と河井刑事部長が言った。
鞍馬月光32;
2012年3月13日(火) 午後2時30分ころ、烏丸今出川のD大学付近
地下鉄を降りた鞍地大悟がD大学の構内に入って行ったのを見届けた黒い背広を着た男は、ポケットから携帯電話を出して、数秒間電話をかけた。
背広姿の男から30mくらい離れたところにある中華料理店の前には岡上正一が居る。
そして、地下鉄の階段口には大和太郎が週刊誌を立ち読みしている。
烏丸今出川の交差点近くから東に向かって歩いていた黒い背広男の横に黒塗りのワンボックス車が止まり、男は素早くその車に乗り込んだ。そして、車は今出川通りを東に向かって走り去った。
太郎は、上着のポケットからボールペンを取り出し、ワンボックス車のナンバーを週刊誌に書きこんだ。車は京都ナンバーであった。
背広男の後を歩いていた岡上正一はタクシーを探しているようであったが、あいにく、タクシーは見つからなかった。
その後、出町付近で通り懸ったタクシーを止めた岡上正一は河原町通りを南に向かって走り去った。
太郎もタクシ―を探したが、タクシーは来なかった。
「岡上正一か。何者だろう?黒いワンボックス車は半田警視庁に調査を依頼するかな・・・。新聞男がKISS要員ならば、偽造ナンバーの可能性もあるな。」と思いながら、今出川通りを太郎はD大学の方向に歩いて戻って行った。
鞍馬月光33;
2012年3月13日(火) 午後3時過ぎころ、D大学・藤原研究室内
大和太郎、鞍地大悟、藤原大造の3人が会議スペースで話しあっている。
「天使突抜け通り付近には宿泊施設などはありますかね?」と太郎が訊いた。
「レンタル貸しの京町家がありますね。イベントなどで学生が時々利用しているようですね。」と藤原教授が言った。
「レンタル町家ですか・・・。」と太郎が言った。
「そこに姉が隠れているのですか?」と鞍地が言った。
「なんとも言えませんが、調べる価値はあると思います。2月3日の午後7時過ぎ四条河原町に居た麗子さんに石田咲子さんから通話があり、そして午後8時23分、京都駅八条口にいた麗子さんに石田純二さんから通話があり、その後から鞍地麗子さんの携帯電話のスイッチは切られたままです。自らスイッチを切っている可能性もあります。石田咲子さんか石田純二さんが姿を隠すことを進言したのかもしれません。」と太郎が言った。
「そうですか。姉が無事に居るといいのですが・・・。」と鞍地大悟が言った。
「折角3人が揃ったのですから、北斗七星のはなしの続きをしましょうか。」と教授が言った。
「その前に教授、上賀茂神社、御蔭神社、山科天智天皇陵、五条天神で囲まれる結界の話を聞きたいのですが。」と太郎が言った。
「鞍地君から聞きましたか。」
「ええ。」と太郎が返事した。
「オリオン座の4つ星に相当する4地点。その4地点について関係するのが、上賀茂神社は丹塗矢伝説、御蔭神社は御生れ神事、天智天皇は時を刻む時計を日本に導入した人物、五条天神は大己貴命と少彦名命です。特に天鏡舟に乗って現われた少彦名命は天使とされていますが、大己貴命は別名が大国主、大黒様であり、福の神です。川から流れてきた丹塗矢の神と下鴨神社の祭神である玉依姫の間に生まれた上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神は成人すると矢となって天井を突き破って天に昇って行きました。天使突き抜けです。また、オリオン座の3つ星に相当するのが、下鴨神社、河合神社、京都御所です。出町柳にある河合神社は只洲神社とも呼ばれ、間違いを糾すとされています。突き抜けた天使である少彦名命と福の神である大己貴命は京都の北の地である鞍馬の由岐神社にいます。以前にも話しましたが、由岐神社は創建時には内裏御所にありました。竹内巨麿の謂うイエスキリストフクノ神の福神との繋がりです。北の地である戸来村にあるキリストの墓に矢が飛んで行く時、オリオン座の4つ+3つの星が、北斗七星に変化する時で、それが間違いを糾す時なのでしょうか。天開別命である天智天皇がその時を告げるのかも知れません。」と藤原教授が自分の発想を説明した。
「なるほど、天使の放つ矢が極北の地にある北極星・キリストの墓に飛んで行く時、間違いが糾される訳ですか・・・。」と太郎が考え込んだ。
「大和君、何か閃きましたね。」と教授が訊いた。
「いえね、秋田県の八郎潟で7人の山伏が大潟富士に十字架を立てて、呪文を唱えていたらしいのです。その十字架は十和田湖方面を向いていたそうです。たぶん、戸来村のキリストの墓に向かって何かを呪祖していたのでしょう。たぶん、その7人の山伏は弾武典が率いるK国秘密諜報機関・KISSの要員でしょう。そこには、鞍地麗子さんがいなくてはならなかったが、拉致に失敗した。その代りに、パウロ・タグチを十字架にかけて十和田湖に置いた。それは、大蛇である八朗太郎が十和田湖に帰って来た事を意味するのでしょう。弾武典にとっては、蛇族である大国主、或いは大和三輪の大物主の丹塗矢が北極星に放たれることを意味していのでしょうかね。」と太郎が言った。
「鞍地麗子さんが天使の矢ですか?」と教授が訊いた。
「ええ。麗子さんの掌には十字架のアザが現れていたそうです。それは、かつて、秋田湯沢台にある聖体奉仕会のシスターの掌にも現われたらしいのです。」
「聖母マリアの像に流れた101の涙ですね。そういえば、十和田湖の十字架で磔にされて死んでいた人物の胸は十字に切られていたのですね。」と教授が言った。
「そうです。」と太郎が言った。
「殺された人の胸に描かれた十字架はテンプル騎士団のマークですかね。」と鞍地が言った。
「なるほど、11世紀十字軍のテンプル騎士団ですか。」と太郎が言った。
「テンプル騎士団の正式名称は『キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち』です。中世の第一次十字軍でソロモン神殿をイスラム教徒から奪還し、エルサレムを守るために創設されたテンプル騎士団は、ソロモン神殿のあった場所にエルサレム神殿を建てテンプル騎士団本部をそこに置きました。その時に、キリストが十字架に架けられたとされる十字架を発見したという伝説もありますが、真偽は不明です。その後、19世紀末になってアドルフ・ヨセフ・ランツが新テンプル騎士団を創設しました。そのランツが発行する雑誌を興味強く読んだアドルフ・ヒットラーは後年にナチス・ドイツを率いることとなります。この新テンプル騎士団は他の秘密結社と融合、分裂を繰り返し、ゲルマン騎士団と云う秘密結社へと変身していきます。そして、ゲルマン騎士団から分派したトゥーレ協会ができます。このトゥーレ協会を創設したのが神秘主義者で占星学者でもあるルドルフ・グラウアーと云う人物です。『トゥーレ』とはギリシア・ローマ時代の伝説に登場する極北の島を意味します。そして、オカルト的な結社・トゥーレ教会は政治色を強めて、テロ、暗殺、人種差別を行いますが、テロ集団の隠れ蓑を作るため社会労働サークルと合併してドイツ労働党となります。そして、ナチス・ドイツに変身しました。さらに、ナチス・ドイツの中に黒い騎士団・ナチス親衛隊SSが誕生します。ナチス親衛隊SSは中世の十字軍時代のドイツ騎士団をモデルにしていました。中世十字軍の3大騎士団はテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団です。そしてドイツ騎士団はドイツ語地域のみの出身者で構成されていました。また、黒い十字架が描かれた白いマントと胸に黒い十字架を描いた鎧を着用していました。このドイツ騎士団の規律と栄光を目指したのがナチス親衛隊SSです。ヒットラーもナチス親衛隊SSは危険な存在だと思っていたようです。その後、SS長官のヒムラーはヒットラーに無断でイギリス・フランスと和平交渉を計画しますが失敗し、服毒自殺をします。このナチス親衛隊SSの中に『聖槍の騎士団』と呼ばれる組織がありました。聖槍とは十字架に磔にされたイエス・キリストの脇腹を突き刺した槍です。」と鞍地大悟が説明した。
「極北の島・トゥーレですか。そして、黒い十字架・聖槍の騎士団ですか。」と太郎が呟いた。
鞍馬月光34;
2012年3月14日(水) 午前9時30分ころ、京都市下京区天使突抜一丁目
天使突抜通りは正式には京都市下京区の東中筋通りと呼ばれる。東中筋通りは五条堀川交差点から3筋東側にあり、南北に走る通りである。
五条通りの北側に天使突抜1丁目と2丁目があり、南側に天使突抜3丁目と4丁目がある。
そして、東中筋通と松原通りの交差点を南に下ったところが天使突抜一丁目である。
レンタル京町家はその一角にある。
宿泊している京都Tホテルを出て京都駅前から四条烏丸までタクシーに乗り、四条烏丸から烏丸五条まで地下鉄に乗った大和太郎は尾行者が居ないのを確信した。そして、天使突抜通りの京町家に徒歩で向かった。
「昨夜、ホテルのインターネットで調べた場所はこの辺だったな・・・。」と思いながら歩いていた太郎は、それらしき京町家を見つけ、近づいて行った。
「御免下さい。」と言って、引き戸の扉を開け、太郎は家の中に入った。
「はい。まだ準備中ですから、しばらくお待ちください。」と若い女性が言った。
「ああ、何かの展示会ですか・・・?」と太郎が言った。
「あら、個展に来られたのではないのですか?」
「いえ、人探しで来たのですが、絵画の展示会をしているとは思いませんでした。失礼しました。」
「そうですか。でも絵にご興味があれば、ご覧になりませんか?入場は無料です。お気に入りの絵画があればお売りいたします。」と女性が言った。
「ああ、そうですね。じゃあ、十時になったらまた来ます。ところで、この女性を見たことはありませんか?」と太郎は鞍地麗子の顔写真を見せた。
「さあ、見かけたことはありませんね。私はこの近くに住んでいる訳ではありませんので、すいません。」と女性が言った。
「そうですか。じゃあ、後で来ます。準備中にお邪魔して申し訳ありませんでした。」と言ってから、太郎は家の外に出た。
京町家からしばらく歩いて、太郎は西洞院松原角にある五条天神に着いた。
石柱に『五條天神宮』と彫られている。そして、太郎は鳥居横の高札に書かれている由諸書を読んだ。
「ご祭神の大己貴命、少彦名命、天照大御神にご挨拶をするか。」と思い、境内に入って行った。
本殿に参拝した後、太郎は境内にある摂社にも挨拶に行った。
「白太夫神社か・・・。誰のことだろう?それから、大国主神社、金刀比良神社、福部神社。福部神社の祭神は誰だろう?弁財天社、猿田彦神社、稲荷神社か。それに、菅原道真を祀る筑紫天満宮ね・・・。牛の石像があるな・・。医家の祖神である少名彦命の石碑もあるな。医薬、禁厭の神様か。」と思いながら太郎は神社に参拝をして廻った。
そして、京町家に戻ろうと神社の鳥居のところまで来た時、ジーンズを履いた一人の女性と出会った。
相手の女性は太郎に向かって軽く会釈をした。
太郎も女性に合わせて会釈をし、女性の顔を見た。
「あれ、似ているな、麗子さんに。髪型は違うが・・・。」と思いながら、太郎は女性とすれ違った。
鞍地麗子に似た女性が本殿に参拝している後姿を見ながら、太郎は鳥居の下で上着の内ポケットに折り畳んで入れていた京都市内の地図をポケットから取り出した。
そして、鞍地大悟から聞いていた鞍地麗子の特徴を思い出していた。
「左眼の下に小さな泣き黒子があるはずだな。そして。左手のひらには十字架のアザがあるのかどうか・・・。」
女性が参拝を終えて鳥居の下まで来た時、太郎はその女性を呼びとめた。
「すません。京都観光に来た者ですが道を教えていただきたいのですが?」と太郎が地図を出しながら言った。
「はい。何でしょうか?」と女性が答えた。
「現在の場所は五条天神社の前ですが、この近くにレンタルの京町家があるはずなのですが、何処に在るか、ご存じでしょうか?」と言って、太郎は女性の顔を見た。
「住所はご存知ですか?」
「天使突抜一丁目と聞いていますが。」
「それでしたら、この近くですね。ああ、確かこの一筋西の通りに絵画の展示会をしている町家がありましたわ。そこでしょう。この道は西洞院通りですから、この地図ではここです。その町家はここですから、この前の道を南に行って、右に曲がって行けば良いでしょう。」と神社の前にある道を左手で示しながら、女性が言った。
「そうですか、ありがとうございました。」と太郎は礼を言った。
女性は神社の前の通りを北向きに歩いて行った。
太郎はしばらく経ってからその女性を尾行し、女性が五条天神社から500mくらい離れた所にある5階建てのマンションに入って行くのを見届けた。
マンションは、オートロック式の扉のため、女性の部屋を突き止めることは出来なかった。
マンションの近くに立ちながら、太郎は携帯電話を取り出しアメリカ大使館に電話を掛けた。
「ハロー。大和太郎と申します。海外防衛協力部のミスター・ハンコックをお願いします。」と太郎は英語で言った。
鞍馬月光35;ファチマ第3の予言
2012年3月14日(水) 午後1時30分ころ、京都市下京区西洞院高辻近く
「お待ちしていました。」と太郎が日本語で言った。
「それで、何処ですか?」とジョージ・ハンコックが日本語で訊いた。
太郎から、鞍地麗子を見つけたとの連絡を受けたCIAのジョージ・ハンコックは新幹線に飛び乗って京都まで来たのであった。
京都の地距はある程度判っているらしく、太郎から住所地番を聞いただけで京都駅からタクシーで西洞院高辻近くまで着いた模様である。
ハンコックの他にCIAの日本人スタッフらしき2人が同行していた。
「あのマンションです。」と太郎が指さしながら言った。
「部屋はどこですか?」とハンコックが訊いた。
「それは、まだ判りません。しかし、10時ころにこのマンションに入って行ったまま、一度も出てきていません。管理人室はありますが、今日は不在のようです。」
「OK。太郎は昼食を取りましたか?」
「まだです。この近くで食べて来ていいですか?」
「ええ。我々が見張っています。何かあったら連絡します。それで、鞍地麗子の髪型や服装はどのような感じですか?」とハンコックが訊いた。
「ジョージから貰った写真ではロングヘアーだったが、短髪に直しています。色は黒髪のままです。左眼の下に小さな泣き黒子があり、左手のひらには十字架のアザがありました。」
「まだ、十字架の聖痕は消えていないのか・・・。」とハンコックが呟いた。
「朝はジーンズにジャンパー姿でしたが、今度出てくる時はどのような服装かは判りません。」
「OK。このマンションはしばらく、我々で監視します。太郎は食事に行ってください。」
「それで、これからどうしますか?」と太郎が訊いた。
「太郎が食事から帰ってくるまでに考えておきます。」とハンコックが答えた。
2012年3月14日(水) 午後2時 四条西洞院近くのそば屋
太郎はマンションの前から北へ300mくらい歩いて四条通りに出た。
そして、太郎は更科と云うそば屋に入り、きつねうどんを食べながら現在の状況を考えていた。
「ハンコックが連れて来た日本人はほんとうにCIAの協力者かな?何か、雰囲気がおかしかったな。部下と云う感じではなかった。あのマンション周辺に注意を払う目つきといい、動きの素早さといい・・・。また、ハンコックの指示を待たずに自主的に行動していた。それに、ハンコックは俺を追い払うような感じで食事に行くことを勧めたな。まあ、麗子さんを見つけるのが俺の役目だから、これで仕事は完了と云う事か。しかし、今回の事件に関係しているらしいあの岡上正一が気になるな。本名は田中義一、東京都調布市出身だったな。何故に、北九州で暴力団の組長をしていたのか。何故に、KISSと思しきあの男を尾行していたのか。まあ、鞍地君を尾行していたあの男がKISSの要員とは限らないがな。」
2012年3月14日(水) 午後2時30分ころ、京都市下京区西洞院高辻近く
太郎がそば屋から戻ってきてマンションを見張りながらハンコックと話している。
「それで、これからどうしますか?」と太郎が訊いた。
「アメリカ大使館を通じて、京都府警に連絡しました。まもなく京都府警の刑事が来ると思います。」
「警察を呼んだのですか・・・。」と太郎は不思議そうに言った。
「2月3日に鞍地麗子が姿を消してから1カ月以上たちます。素人の彼女がひとりで自主的に隠れているとは思えません。誰かが同居していると考えるのがふつうです。とくに、身を隠すことを勧めた人物がいるはずです。」とハンコックが言った。
「それは石田咲子さんですかね。」
「いや、違うでしょう。」
「石田咲子でないと、どうして判るのですか?」
「まあ、CIAの情報を信じてください。」とハンコックは太郎の質問を無視した。
「そうですか・・・。」と太郎は不満げに言った。
「警察が来て、鞍地麗子さんを確認したら、太郎の役目は終わります。報酬はいつもの口座に振り込みます。」とハンコックが言った。
「それで、部屋番号は判ったのですか?」と太郎が訊いた。
「警察がマンション管理会社から居住者名簿を手に入れているはずです。それを参考に各家庭を訪問します。」
「同行して来た二人の方はどちらに?」と太郎が姿の見えない日本人の事を訊いた。
「ああ、彼らは裏手にある非常階段の方を見張っています。太郎が見張っている時には非常階段の方も気をつけていましたか?」
「時々、見に行きましたが、通常は利用されていないようです。各階の非常口は内側からだけ開くようです。」とハンコックが言った。
その時、ハンコックの携帯が内ポケットの中で震えた。
「はい。・・・・、何、・・・・、そうか、・・・、やはりな、・・・引き続き見張ってください。」とハンコックが言って電話を切った。
「何か?」
「今、田中義一が非常階段から3階に入った。」とハンコックが言った。
「田中義一?」
「太郎には岡上正一と云った方がいいかな。」
「暴力団・聖武祇園連合会の岡上正一がここに・・・。」と太郎が絶句した。
「彼はモサドの情報要員だ。昨年、太郎からサラ・シスターズの関係者を調べてほしいと言われ事がありましたね。その調査をしていて岡上正一の名前が出てきました。それでCIAが調査したらモサドと判りました。岡上正一はイスラエル大使館に出入りしている坂崎と云う連絡員とコンタクトを取るのが常です。」とハンコックが言った。
「イスラエルの秘密諜報部モサドが何を・・・?」と太郎は呟いた。
「モサドが動いている理由は一つです。イスラエル国を守るためには鞍地麗子が必要と云うことです。」
「何故に鞍地麗子さんがイスラエル国には必要なのですか?」と太郎が訊いた。
「さあ、何故でしょうね。判りません。」とハンコックはあっさりと言った。
しばらくして、京都府警本部の川村刑事と出島刑事のほか2名の警察官がパトカーに乗ってマンションの前に現れた。
それと同時にもう一台の乗用車がマンションの駐車場に止まった。マンション管理会社の社員が車から降りて刑事たちに近づいて行った。
そして、ハンコックと太郎も刑事たち近づいて行った。
刑事とハンコックとマンション管理会社の社員はしばらく打ち合わせをした。
そして、マンション管理会社の社員の案内でマンションに入って行った。
警察官はマンション前に待機している。
このマンションは賃貸契約者が入居しているマンションで、303号室は田中義一と云う人物が十カ月前から借りている部屋であると、社員から説明を受け、一行はその部屋へ向かった。
303号室の表札には田中と書かれている。
川村刑事がチャイムを押した。
「はい。」と中から男性の声が聞こえた。
「警察のものですが、お話したい事があります。」と川村刑事が言った。
ドアーが少し開けられて、岡上正一こと田中義一が姿を現した。
川村刑事と出島刑時が警察官バッジを見せた。
「どうぞ、中へお入りください。」と岡上が静かに言った。
一行は部屋の中に入って行った。
リビングのソファーにはジーンズ姿の鞍地麗子が座っている。
数人はソファーに座り、数人は立っている。
麗子の姿を確認したハンコックが携帯電話で非常口を見張っていた二人の日本人に3階の非常口扉の前に来るように連絡を入れた。そして、二人を迎えるために非常口に向かって部屋を出て行った。
「こんなに早く、ここが発見されるとは思いませんでした。参りましたな。」と岡上が話し始めた。
「そちらは鞍地麗子さんでよろしいですね。」と川村刑事がいった。
「はい、そうです。」と麗子が言った。
「捜索願いがお母さんから警察に出されています。ここに居られる事情をお話しいただけますか?」と川村刑事が訊いた。
「事情は私から話しましょう。」と岡上が言った。
その時、ハンコックが二人の男を連れて部屋に戻ってきて岡上正一の話を聞き始めた。
「岡上正一と云う名前と聖武祇園連合会と云う名称はオメガ教団が考えたものです。何か意味があるのか、無いのか、私には判りません。私の本名は田中義一。イスラエル情報部、通称モサドの情報部員です。潜入調査のため、8年前にオメガ教団に入信しました。はじめの5年間は教団から信頼されるように努力をしました。暴力団の聖武祇園連合会はオメガ教団から運営資金を貰って組を立ち上げました。活動資金も教団から出ていました。聖武祇園連合会の目的は北九州地域の暴力団や警察の活動状況の情報を集め、北九州市若葉区響町にある教団研修所の運営を円滑に進める補助的役割を遂行することでした。しかし、ある時、多沼圭子が現れ、サラ・シスターズ社が私の命を狙っているから姿を隠した方が良いと言いました。サラ・シスターズの事はモサド本部からも聞いていましたので、多沼圭子の言を信じて彼女の云う事に従うことにしました。多沼圭子がどのような組織に属しているのかを調べるのも私の務めと思っての事です。そして、多沼圭子を私の情婦と云うことにしました。ここに居られる皆さんの名前や組織名を教えていただければ、今回の事件に関して私が持っている情報をお話します。イスラエル国だけでは今回の事件に対処するのは難しそうです。皆さんの協力が必要と思われます。ところで、そちらの刑事さんは川村さんと出島さんでしたね。」と岡上が言った。
「京都府警捜査一課です。石田純二死亡事件を捜査しています。」
「私はCIAのジョージ・ハンコックです。」
「自衛隊情報部の遠野多気男と坂上学です。」とハンコックが連れてきた日本人が言った。
「私立探偵の大和太郎です。」
「私立探偵の大和さんですか。福岡の都府楼殺人事件に関係されていた方ですね。」
「御存じでしたか・・・。」と太郎が言った。
「イスラエル国情報部モサドから福岡県警などの動きは聴いていましたから。そして、CIAと自衛隊が協力してサラ・シスターズ社の調査を始めたという情報も聴いています。」と岡上が言った。
「それで、鞍地麗子さんに関する真実とは?」と川村刑事が訊いた。
「パウロ・タグチの死体が十和田湖で発見された事件は都府楼殺人事件と関係があります。それは世界的秘密結社ブラッククロスのナンバーセブン計画の一環だからです。パウロ・タグチの死体が十字架に磔にされていた事情はちょっと別ですが。」と意味ありげに岡上が言った。
「ナンバーセブン計画ですか。」と太郎が呟いた。
「ブラッククロスの下部組織であるサラ・シスターズ社がナンバーセブン計画の推進を始めたことを知ったイスラエル情報部モサドは、サラ・シスターズ社に接近して、その計画の実体を解明する役目を私に命じました。ブラッククロスはオメガ教団にも資金援助をしている、という情報はモサド本部でも早くから把握していました。都府楼で殺された菅原清隆、そして、赤間神宮で殺されるはずだった私こと岡上正一、会津で殺されるはずだった宮本紀子。サラ・シスターズの日本支社長であるオードリー・カートライトは彼女の事を伴紅葉と呼んでいました。そして、鎌倉に居た皆本頼智。この4人はアポロンの御子を誕生させるための生贄でした。それを、彼らはオリオンの暗示計画と呼んでいましたがね。」
「アポロンの御子を誕生させるとは、どういう意味ですか?」と太郎が訊いた。
「音楽と弓矢の神アポロンは妹のアルテミスを騙して彼女の恋人であるオリオンを矢で射殺させました。それはオリオンのベルトである三ツ星を写したエジプトのギーザにある三大ピラミッドを破壊することを意味します。何故にピラミッドを破壊する必要があるのかは不明です。4人の死によって、アポロンの御子が生まれる場所が確定すると云うことらしいのです。その場所は岡山県のどこかと云う事でした。正確な地名は知りません。しかし、その計画は自衛隊のジェット戦闘機が北九州のオメガ教団研修所に墜落炎上したために失敗に終わりました。その後、ブラッククロスは次なる計画を推進し始めました。それが、鞍地麗子さんと石田咲子さんに関係するはずです。石田咲子さんは自衛隊の情報部員ですよね。」と岡上が言った。
「それをモサドはご存知でしたか・・・。」と遠野が言った。
「石田咲子さんの任務の内容は把握していませんが・・・。説明を願えますか?」と岡上が言った。
「石田咲子は野田女総理大臣が大臣になる前から潜入捜査のために石田純二に接近させました。潜入調査の目的は、野田女議員に政治献金しているK国系の日本人の背後関係を掴み、彼らの背後にK国が居るのかどうかを確認し、彼らの計画に野田女議員が暗黙のうちに協力させられているのかどうかを監視し続ける事でした。そのためには議員秘書である石田純二に近づくことでした。結局、石田純二と結婚までしてしまいました。最近は石田純二の気持ちが他の愛人に向いて夫婦関係が冷え込んでいたようですが、K国関係の情報収集は継続していました。」
「石田純二の愛人とは鞍地麗子さんですか?」と太郎が訊いた。
「唄奴子の鞍地麗子さんではありません。唄奴子はダミーです。唄奴子を贔屓していると見せかけて、藤香と云う芸妓が本当の愛人です。鞍地麗子さんはそれを判っていて石田純二の相手をしていたと云うことです。」とモサドの岡上が言った。
「何故に、石田咲子さんは姿を隠したのですか?」と太郎が訊いた。
「1月中旬ころから石田咲子の左手のひらにも十字架の痣が現れたのです。鞍地麗子さんと関係があるのかどうかは不明ですが・・・。ブラッククロスに狙われるといけないので、姿を隠させました。石田咲子は鞍地麗子さんと会って十字架の痣を確認しようとしていました。自分の痣と麗子さん痣が同じかどうかを確認したかったようです。」と自衛隊の遠野が言った。
「それで、ジョージは石田咲子さんを探す必要はないと俺に言っていた訳ですか・・・。ところで、岡上さんはどのようにして鞍地麗子さんを保護したのですか?」と太郎が訊いた。
「2月3日、KISSの要員が石田咲子さんを東京から京都まで尾行をしてきました。そのKISSの男を尾行して私も京都に来ました。京都Gホテルのコーヒーラウンジで石田咲子さんを見張っているKISS要員を私も監視していました。その後、石田咲子さんは鞍馬駅前にある鞍地麗子さんの実家を訪問し、麗子さんの携帯電話番号を聞き出し、麗子さんに電話をしました。その時、麗子さんが四条河原町の○○○レコード店に居ると云う事を石田咲子さんに話していました。そして、京都Gホテルで午後8時30分に会う約束をし、麗子さんを見分けるために服装を確認していました。それを耳にした私は、四条河原町近くの先斗町でナオキ・パウロ・タグチを監視しているモサド仲間の携帯電話に知らせました。鞍地麗子さんの左手に現れた十字架の痣を確認するため、パウロ・タグチがヴァチカンの任務を帯びて日本へ行くという情報を掴んだモサドは、密かにパウロ・タグチを監視する計画を立てました。パウロ・タグチが成田空港に到着したした時から、モサドは継続して監視していました。そのモサド仲間が○○○レコード店近くで鞍地麗子さんを見つけ、京都駅八条口までバスで向かった麗子さんを尾行しました。鞍地麗子さんは石田咲子さんの指示で京都Gホテルに向かうところでした。そこへ、石田純二からの電話が麗子さんに入ったそうです。その時、石田純二はKISSかブラッククロスの人間に拉致されそうになっていた模様です。結局は拉致されてしまったようですがね。石田純二から『京都から逃げろ』と謂われた麗子さんは動転していました。その姿を見た私の仲間が異状事態と判断し、鞍地麗子さんから事情を聞き、麗子さんを保護し、このマンションに連れて来ました。鞍馬駅前から京都駅前に向かった石田咲子さんのその後の行動は自衛隊情報部の方がご存じでしょう。」と岡上が話した。
「しかし、十字架の痣に如何なる意味があるのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「それが判りません。ナンバーセブン計画とは何なのかです。」とハンコックが言った。
「秘密結社ブラッククロスの歴史は第一次世界大戦前に遡ります。」とモサドの岡上正一が話し始めた。
「モサドは過去にナチスの残党を追跡した実績があります。19世紀末に登場した新テンプル騎士団の思想を引き継いだのがナチ党です。そして、ナチ党の中に中世十字軍のドイツ騎士団の再生を目的としたナチス親衛隊SSが創られ、様々な手段を用いてヴァチカン内部との親密な関係も構築していました。そして、ドイツが第二次大戦に敗れた時、ヴァチカンの支援で逃走したSS幹部隊員が多数いたとの噂もあります。SSは多額の逃走資金を持っていたとされています。また、ドイツ騎士団は胸に黒い十字架のマークを付けた鎧を着用していました。そして逃走したSS幹部隊員を中心にして秘密結社ブラッククロスが戦後に創設されました。その本部の場所は南米にあるのではないかとモサド本部は考えていますが、不明です。秘密結社ブラッククロスはドイツ騎士団の栄光と勝利を目指しています。それは、エルサレムの地をキリスト教の総本山とし、ナチ親衛隊SSが目指したドイツ騎士団の栄光と規律による世界制覇を実現することです。そのためには神の計画が実現する必要があると考えているようです。彼らの所謂、神の計画が何なのかですが・・・。ユダヤ教やイスラム教との共存は望んでいません。そのため、ブラッククロスは地中海沿岸地域や中東地域が混乱に落ちることを望んでいます。だから、ナンバーセブン計画を推進しているのです。イスラエル国としてはその様な事は絶対に阻止する必要があると考えています。無用な戦いは避けたいのです。しかし、ブラッククロスは神の名のもとの栄光が正義であると云う論理を信じて、狂信的な活動を続けているのです。ブラッククロスの資金源は世界中に散らばっている企業団です。サラ・シスターズ、アラビアン・ビークルなど様々な企業を傘下に置いて活動を推進しています。そして、ブラッククロスはヴァチカンから未だに公表されていない最高機密『ファチマ第3の予言』の内容を知っています。」と岡上正一が言った。
「『ファチマ第3の予言』とは?」と出島刑事が訊いた。
「それを読んで卒倒した教皇も居ると謂われています。第一次世界大戦中の1917年5月13日、ポルトガルの小さな村ファチマの3人の子供の前に聖母マリアが現れました。その後、6月13日、7月13日、8月13日、9月13日、10月13日の合計6回、聖母マリアは出現しました。第3回目の7月13日に聖母マリアは3人の子供に3つの予言をメモさせました。第1の予言は第一次世界大戦の終結。第2の予言は第二次世界大戦の勃発と核兵器の使用。そして、未だ公表されていないファチマ第3の予言。その内容がドイツの新聞にすっぱ抜かれたことがありました。核兵器が増強されていた時代、危機感を抱いた教皇のパウロ6世がアメリカのケネディ大統領とソビエトのフルシチョフ大統領にファチマ第3の予言の一部を書き送ったとされています。その文面を手に入れたドイツの新聞が1963年10月15日に掲載したということです。
その内容は次のようなものです。
『・・・神の大いなる試練が人類の上に下るであろう。民は神の恩恵を足蹴にし、各地で秩序が乱れる。国家の最高部をサタンが支配し、世相はサタンによって導かれる。教会の上層部にもサタンが入り込む。・・・・枢機卿は枢機卿に、司教は司教に戦いを挑む。民族の指導者らは権力をふりかざす。・・・・いたる所で死が勝利の歌をうたう。・・・これがすべて終わったのち、聖母は御子イエズスの後に従った者の心をよびおこす。・・・・』(サンデー社、鬼塚五十一著 ファチマ大予言・34〜35頁より)です。」と岡上が言った。
「ファチマ第3の予言を実現させるのがブラッククロスの狙いですかね。」と川村刑事が言った。
「聖母マリアから予言を聞いたルチアと云う少女は大きくなってからは修道女として過ごしました。その修道女・ルチアがある司教に告げたメッセージがあります。
『多くの民族が地上から姿を消すであろう。・・・・サタンは聖母に対して決定的な戦いを挑むであろう。・・・・犠牲と祈り、これこそ霊魂を救う最も効果的な手段である。・・・・・聖母は二つの剣の間に立っておられる。すなわちキリストが振りおろそうとしておられる剣と、人々の無関心、かたくなな心の剣との間に。・・・・ロザリオ(聖母への祈り)と犠牲、この二つがすべてを決する。・・・』(サンデー社、鬼塚五十一著 ファチマ大予言・36〜37頁より)と云う事です。」と岡上正一が言った。
その話を聞いた一同は黙り込んでしまった。
「犠牲と祈りがすべてを決するのか・・・。」と太郎は思った。
そして、モーゼ五書のひとつである旧約聖書・創世記の第3章15節を太郎は思い出していた。
「『わたしは、お前と女の間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』と神である主が蛇に言われた。ここで主は彼女とは言わずに彼と言っている。彼女なら女性の形をした日本列島だが、彼とは長靴の形をしたイタリア半島を含むヨーロッパのことか・・・?それとも、彼とは女の子孫であるイエス・キリストのことなのか?それとも、アダムのことか?人をエデンの園から追放した神は、命の樹への道を守るために、エデンの東の地にケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置いたのだったな・・・。ケルビム、それはモーゼ十戒が彫られた石板が入っているとされる『失われた聖櫃』の蓋に飾られている2匹の不死鳥のことだろうか・・・?エデンの東の地に置かれた2匹のケルビムは十戒の石板を護っているのだろうか?本当に、犠牲と祈りがすべてを決するのだろうか?」と太郎は妙な事を考えていた。
※著者注;ケルビムは複数形である。単数形ではケルブである。
モーゼは神の指示に従って、十戒が書かれた二枚の石板(証しの石)を納める『証しの箱』を造らせた。そして、その箱の上に乗せる『贖いの蓋』の両端に、羽根を広げた金のケルブを一匹づつ向い合せに取り付けさせた。それが二匹のケルビムである。それぞれのケルブの顔は『贖いの蓋』に向いていた、と云う内容の事が旧約聖書・出エジプト記37章には書かれている。
鞍馬月光36;
2012年3月19日(月) 午後2時ころ、国会前庭
国会前庭の噴水池近くのベンチに座りながら、大和太郎と半田警視長が話している。
「京都府警から報告を受けています。鞍地麗子さんはイスラエル国が保護を続けると云うことでしたね。」と半田が言った。
「そうです。麗子さんの居る場所は五条天神近くのマンションから別の場所に移すとの事でした。」と太郎が答えた。
「石田咲子の方はどうなのです?」と半田が訊いた。
「自衛隊の方はノーコメントと云う事でした。石田咲子さんは自衛隊とCIAが保護している模様です。それに、石田咲子さんは自衛隊の情報部員のようです。」
「そうらしいですね。ところで、モサドとCIAと自衛隊で何か連携行動を開始したと云う情報はありませんかね?警察は蚊帳の外ですわ。あっはっはっは。」と半田が笑った。
「特に聞いていません。私もCIAから鞍地麗子さん発見の任務完了で、この件からお払い箱です。成功報酬はもらいましたが・・・。鞍地麗子さんと石田咲子さんの掌に現れた十字の痣の意味が判らないままです。」と太郎が言った。
「そうですね・・・。何をモサドは心配しているのでしょうね・・・。そして、鞍地麗子さんを狙っているのはKISSの弾武典でしょうかね・・・。」と半田が考えるように言った。
「ところで、京都市内で鞍地大悟さんを尾行していた男が乗り込んだ黒いワンボックス車の行方は判りましたか?」と太郎が訊いた。
「判りましたよ。車のナンバーは偽造でした。しかし、オービスシステムの道路監視カメラ映像記録データベースでそのナンバーを検索したところ、全国のいろいろな場所に出没していることが判りました。特に、1年前から京都府下、滋賀県内近くに出没することが多くなっています。現在、アジトが何処にあるのかを推定し、アジトがあるのではないかと思われる地域を京都府警と滋賀県警に探索させています。」と半田が言った。
「どの地域が怪しいのですか?」と太郎が訊いた。
「比良山の西側や京都の北方地域が怪しいと推察しています。」
「京都の北山方面ですか・・・。」と太郎が呟いた。
「CIAの仕事が無くなったのなら、警察の仕事を手伝ってもらえないでしょうか、大和探偵。」と半田警視長が言った。
「構いませんが、何をお手伝いすればいいのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「十和田湖の十字架殺人事件の犯人を見つけたいのです。」
「八郎潟に居た7人の山伏を探すのですか?」
「まだ、その山伏たちが犯人と決まったわけではありません。その話をする前に、少し、場所を変えましょうか・・・。その前にちょっと電話を掛けさせて下さい。」と半田が言った。
そして、黒いサングラスを掛けた男が日本水準原点標庫近くの木陰から自分たちを見張っているのに気がついた半田はポケットから携帯を取り出した。
半田が電話を終えて後、国会前庭を出た太郎と半田は皇居の桜田門方面に向かって歩き始めた。
鞍馬月光37;同時多発殺人事件
2012年3月23日(金)の朝読新聞夕刊の一面記事
同時多発殺人事件発生を伝える『爆弾テロ犯の遺体か?』の見出し文字が朝読新聞夕刊一面トップに書かれている。他の新聞社の夕刊にも同様の記事が掲載されていた。
記事内容は下記のようなものであった。
本日、関東甲信越地方などの七つの都市で同様の殺人ではないかと思われる黒いスーツを着た男性の死亡事件が発生したことを警察庁から発表された。
茨城県北茨城市、茨城県鹿島市、東京都府中市、群馬県榛名町、長野県松代市、富山県滑川市、石川県鶴来市の7都市である。
遺体が発見されたのはいずれも3月23日の早朝であった。管轄の警察に匿名の電話通報があり、遺体が発見されたと云う。
いずれの遺体にも後頭部に打撲痕があり、首を絞められた痕があった。遺体が誰であるかが判明しそうな物は何も発見されなかった。日本人なのか東洋系の外国人であるのかもはっきりしなかった。
なお、七つのそれぞれの遺体の衣服のポケット内から、朱文字で『貪狼』、『巨門』、『禄存』、『廉貞』、『文曲』、『武曲』、『破軍』、と書かれた熊野・午王神符が発見されていた。これは北斗七星のそれぞれの星を表す名前である。
遺体が発見された都市を線で結ぶと北斗七星が描く柄杓の形になる。
このことから、捜査本部はこの殺人事件を「同時多発・北斗七星殺人事件」と命名した。
なお、遺体の横に置かれていた旅行バッグの中には時限装置の付いたプラスチック爆弾が入っていた。
鞍馬月光38;
2012年3月23日(金) 午後5時ころ、毎朝新聞本社・社会部
事件記者の鮫島姫子が社会部部長の向山に報告している。
「やっと、見つけましたよ、部長。」と姫子が言った。
「ついに、姫子の勘と執念が実ったな。それで、何処にいた。」と向山が訊いた。
「やはり、長野市の鬼無里です。」
「あそこの忍者屋敷はもぬけの殻だったはずだろ?」
「はい、宮沢の忍者屋敷には居ませんでした。しかし、そこからちょっと離れた、西京地区の内裏跡近くに別のアジトがあり、そこに神威示現斎こと岳内太郎と多沼圭子がいました。現在、長野出張所の月丘さんがそのアジトを監視しています。」
「二人の動きはどうだ?」と向山部長が訊いた。
「今日の所はおとなしくしていました。」
「我々が監視していることは気づかれていないだろうな。」と向山が確認した。
「大丈夫です。」
「気をつけろ。油断のならない相手だからな。」
「判っています。明日から、鬼無里に詰めますから、今日はこれで帰宅し、着替えなどの準備をします。明日また鬼無里に向かいます。」
「よし、判った。しっかり頼むぞ。こっちは、妙な事件が発生したぞ。」
「新幹線の中で読みました。夕刊に載っていた事件ですね。」
「そうだ。以前にあった、神武東征伝説殺人事件に似ている。」
「午王神符に朱文字が書かれているところですね。」
「そうだ。あの時、犯人である岳内林太郎に名前を名乗られた神聖修験研鑽教の教祖・弾武典の行方はまだ判っていないのだったな。」
「ええ、宮崎県警が事件に関係しているのではないかと家宅捜索しましたが、その時には弾武典は雲隠れしていました。結局、事件は右翼思想を持った岳内林太郎が日本国内でテロ計画をしていた3人を殺した、単独犯行事件として終結したのでした。何か、割り切れない事件でした。その後、弾武典は田島真珠社長の誘拐犯人として指名手配されています。今も逃走中です。」と姫子が言った。
「当時、北九州の商社・祇園がK国に禁止商品を輸出した外為法違反事件があったが、あの事件も神武東征伝説殺人事件に関係するのではないかと云う噂があったな。結局は無関係と云うことで決着したがな。あれも、すっきりしなかったなあ。何か、警察が隠していることがあるのかもしれないな。」と向山が言った。
「神武東征伝説殺人事件の犯人・岳内林太郎の父親である岳内太郎。そして、岳内林太郎の近くに居た多沼圭子。そして、都府楼殺人事件の犯人と思われる男がオメガ教団の北九州研修所の自衛隊ジェット機の墜落炎上で死亡した。都府楼殺人事件には岳内太郎と多沼圭子の姿が見え隠れしていましたよね。」
「その通りだ。だから姫子、岳内太郎と多沼圭子をしっかりと見張っておけよ。何かあるぞ、これは・・・。例によって、アジトには抜け穴があるかも知れんから、気をつけろよ。」
「判っています。ところで、大和太郎は如何していますかね?」と姫子が訊いた。
「ああ、私立探偵の大和か。あいつには三重県松阪市と静岡市で発生した妖刀村正による殺人事件の時に貸しがあったな。それに、神武東征伝説殺人事件、都府楼殺人事件、田島真珠社長誘拐事件。この3つの事件に、大和太郎が関係していたな。流石、姫子、良い勘してるな。大和の奴、今度の同時多発殺人事件にも顔を突っ込んでいるかも知れんな。試しに、奴っ子さんの動きを調べてみるか。」と向山部長が言った。
鞍馬月光39;
2012年3月25日(日) 午前10時ころ、国会前庭
太郎と半田警視長が話している。
周りにはほとんど、人影がない。
「先週の月曜日に、ここで我々を監視していた男ですが、新宿のマンションに住んでいます。現在、警視庁の人間に監視させています。現在の所、東京都内以外に行動範囲を広げていません。マンション管理会社の話では、中古自動車輸出商会『アラビアン・ビークル』東京本社に勤めているらしいです。新宿区百人町に会社があります。自動車部品を中東に輸出しているようです。どうも、時々はその会社に出かけているようですが、正社員ではなさそうです。アラビアン・ビークルがどのような組織とつながりがあるのか判らないので、直接にアラビアン・ビークル社への聞き込みはしていません。現在、継続調査中です。」と半田が言った。
「アラビアン・ビークルですか。」
「何か御存じですか?」
「いえ、詳しくは知りません。以前、その名前を聞いたことがありました。ちょっと、怪しげな会社であると聞いたことがあります。」と太郎は、CIAがマークしている組織であることを思い出していた。
「なるほど、怪しげな会社と云う噂があるのですか・・・。」と半田が言った。
「それで、同時多発殺人事件の捜査状況はいかがですか?」と太郎が訊いた。
「殺された人物の身元はまだ判明していません。警視庁をはじめ、各県警本部内にそれぞれの捜査本部を設置しました。警視庁を中心にした合同捜査本部にして、TV会議を活用します。神武東征伝説殺人事件以来の大掛かりな合同捜査になりそうです。」
「あの時は、弾武典がKISSの計画の首謀者でしたが、今回も関係していますかね。」と太郎が言った。
「思い込みは禁物ですが、その可能性も調べ始めています。まだ、指名手配中の弾武典の所在が掴めていませんが・・・。」と半田が言った。
「京都の北山の捜査状況はいかがですか?」
「かなり地域を絞り込みました。鞍馬から花背峠を越えて更に北に行ったところに花背原地町という集落があり、そこに修験者が訪れるお寺があります。大悲山・峰定寺と云うのですが、その近くにある民家にアジトがありそうなのです。黒いワンボックス車を目撃した人が数人いました。」
「大悲山ですか。」と太郎が呟いた。
「御存じですか?」と半田が訊いた。
「ええ。学生時代はオートバイで北山を走り回っていましたから。広河原近くもよく走りました。」と太郎が言った。
「なるほど。大和探偵は土地鑑がありそうですね。」
「大悲山・峰定寺となると、山伏ですね。」と太郎が言った。
「山伏が何か?」と半田が訊いた。
「以前お話したことですが、鞍地麗子さんを探して秋田の八郎潟へ行った時、大潟富士の山頂で7人の山伏が十字架を立てて、何かを呪文を唱えていたという目撃者の話をいたしましたね。」
「青森の十和田湖に向いて呪文を唱えていた山伏たちですね。そして、その十字架は、乙女の祈り像の前で殺されていたパウロ・タグチさんが磔にされていた十字架と同じ大きさだった。なるほど。私としたことが、迂闊だった。山伏たちは神聖修験研鑽教の教祖・弾武典の配下の人間ですか・・・、すなわちKISSが動いていますか。そうすると、K国を秘密裏に支援しているブラッククロスが関係している可能性がありますね・・・。殺された7人は八郎潟で目撃された山伏と同一人物かも知れないのか・・・。ふーむ、また、被疑者死亡で十字架殺人事件を終結させるのか・・・。」と言って半田が腕を組んだ。
※大悲山峰定寺:京都市左京区花背原地町
宗旨は本山修験宗、守り本尊は十一面千手観音。脇侍として不動明王二童子像と毘沙門天像が祀られている。観音像を本尊とし不動明王と毘沙門天を脇寺とする寺は天台宗系寺院に多くみられる形態である。千手観音は大悲観音とも呼ばれ、大悲とは観音の大いなる慈悲心を表わしている。この寺の近くの川は京都嵐山を流れる桂川の源流である。
平安時代の末(1154年)、鳥羽上皇の発願により三滝上人が創建し、藤原通憲(信西入道)と平清盛が寺の造営にあたったとされる。標高747mの大悲山中には修験行場が多くあり、多くの修験者が修行を行った場所である。竹内文献を世に出した竹内巨麿もここで修業をしたと謂われている。奈良県吉野郡の大峰山に対比して、北大峯とも呼ばれたらしい。
「それで、殺されていた7人の男たちが所持していたプラスチック爆弾の時限装置の件ですが・・・。」と太郎が訊いた。
「ああ、その話でしたね。7つの爆弾の時限装置の設定時刻が一時間づつ摩れていました。」
「爆発時刻が一時間づつ摩れていたのですか・・・。」
「そうです。茨城県北茨城市の爆弾が午前0時、茨城県鹿島市が午前1時、東京都府中市が午前2時、群馬県榛名町が午前3時、長野県松代市が午前4時、富山県滑川市が午前5時、石川県鶴来市午前6時に設定されていました。」
「北茨城市から始まって鶴来市で終わっているのですね。」
「そうです。この意味が判りますか、大和探偵。」と半田が訊いた。
「鶴来市の白山比め神社は北斗七星の破軍星とか剣先星と呼ばれている星に相当します。北茨城市にある天津教・皇祖皇太神宮の貪狼星から始まって、鹿島神宮の巨門星、大国魂神社の禄存星、榛名山神社の廉貞、皆神山熊野出速雄神社の文曲、天津教・天神人祖一神宮の武曲、そして破軍星、あるいは剣先星である白山比め神社で爆発は終わることになっていた訳ですね。そして、天神人祖一神宮と白山比め神社を結ぶ直線上にあにあるのは宇佐神宮です。剣先の向う先は九州大分県の宇佐神宮になります。これは、京都のD大学の藤原教授と以前に検討した内容です。」と太郎が言った。
「天神人祖一神宮とは変わった名称ですね。天神と人間の先祖が一体化すると云う意味ですかね。」と半田が言った。
「天津教・天神人祖一神宮は北斗七星ではζ星と呼ばれている星です。実は、ζ星は二重星でミザールとアルコルと云う2つの星が重なっています。明るいミザールは2等星、少し小さいアルコルは4等星です。アルコルは『馬の乗り手』と云う意味です。すると、ミザールは馬と云う事になるのかも知れません。人馬一体と云うことでしょうか。天津教の創始者である竹内巨麿はこの点を考えて北斗七星のα星とζ星の位置に神社を設置したと考えられます。また、北極星の位置に当たる戸来村には救世主・キリストの墓を設置したのでしょう。」と太郎が言った。
「天神の馬に跨った人物が七本の剣を持っているのでしょうかね。」と半田が言った。
「どうでしょうかね。泰澄上人が白山奥宮に九頭龍神である白山妙理権現を奉祀したきっかけは、白馬に跨った美女の夢を見て、その女性から白山を開け、と言われたからだとされています。九頭龍神を霊視した泰澄上人が祈りを捧げると、その九頭龍神は十一面観音に変身したと云うことです。」と太郎が言った。
「それは、どういう意味ですか?」と半田が訊いた。
「判りません。ただ、天神人祖一神宮と白山奥宮を結ぶ霊ラインの延長線上に京都の鞍馬山と大悲山があります。平安時代に創建された時の大悲山峰定寺の本尊は十一面観音千手観音でした。十一面観音の慈悲が救いになるのかもしれません。」と太郎が言った。
「それで、この次は宇佐市が爆弾テロの標的になるのですかね?」と半田が言った。
「それは判りません。KISSの弾武典が何を考えているのか。そして、K国のバックに居るブラッククロスが何を考えているのかです。ナンバーセブン計画を始めたブラッククロスの動きを察知した人物、あるいは組織がナンバーセブン計画の阻止に動いているのかも知れません。」と太郎が言った。
「ブラッククロスの動きを阻止する組織が七人の男を殺した訳ですか・・・。」と半田が言った。
「それは、自衛隊のジェット戦闘機をオメガ教団研修所に墜落させたのと同じ組織、すなわち、神威示現斎こと岳内太郎が関係している組織でしょう。この組織を仮に『影の軍団』と名付けておきましょうか。」と太郎が言った。
「KISS・弾武典と影の軍団・岳内太郎が戦いを始めていると云う事ですか・・・。」と半田警視長が考え込んだ。
「ところで、鞍地麗子さんと石田咲子さんの所在はご存じですか?」と太郎が訊いた。
「いえ。モサドも自衛隊も、何も教えてくれません。しかし、KISSは何故に鞍地麗子さんと石田咲子を狙っているのでしょうね。左手に現れた十字架が意味することは何なのかですね。」と半田が言った。
「ブラッククロスの神の計画の実現には二人が必要と云う事でしょう。何故に必要なのかですね。」
「モサドはそれを知っているのですかね。モサドはヴァチカンの使命を受けて来日したナオキ・パウロ・タグチをマークしていたのでしたね。」と半田が言った。
「そうです。石田純二の報告を受けた日本の法王庁大使館がヴァチカンにそれを知らせ、ヴァチカンは鞍地麗子さんの左手に現れた十字架のアザを確認するためにパウロ・タグチを日本に派遣したのだとモサドの岡上正一が話していました。」と太郎が言った。
「アザの確認だけだったのでしょうかね、パウロ・タグチに課された使命は。」と半田が言った。
「確認だけなら、写真や法王庁大使館の報告を信用すればいいだけですね。他にも目的があったとしたらですか・・・。ヴァチカン教皇庁が知っている何かがある訳ですか・・・?」
「ヴァチカン教皇庁が恐れていることかもしれませんね。」と半田が言った。
「ファチマ第3の予言に関係する何かですかね・・・・?そして、エデン園の東に置かれた炎の剣とケルビムが関係するのですかね・・・?」と太郎が呟いた。
鞍馬月光40;
2012年3月25日(日) 午後4時30分ころ、大和探偵事務所
「タローいる?」と言って高橋直子が事務所に入ってきた。
「おお、直子か。予定より30分も早いじゃないか。高校時代とはえらい違いだな。」と太郎が言った。
「まあ、社会人になったからね。約束時間は守らないとね。」と言いながら直子が応接用のソファに座った。
「それで、本日の御用件は?直子ちゃん。」と事務机の所に座っている太郎が訊いた。
「姫子からの頼まれごとなの。」
「毎朝新聞の鮫島姫子さんね。それで?」
「岳内太郎の居場所が見つかったらしいわ。」
「なにー!岳内太郎の居場所が判った。どこだ、そこは?」と太郎が驚いたように訊いた。
「それはね、交換条件があるらしいわ。」と直子が言った。
「交換条件?」
「そう、今、太郎が追いかけている事件の事を知りたいそうよ。」
「俺が追いかけている事件?そんな物はないよ。現在は無職です。」
「そう。それは残念でしたね。それでは、居場所を教えられないわね。姫子は弾武典が関係している事件の事を知りたいって言っていたけれどね。」
「なぜ、それを姫子さんが知っているのだ?」
「ほーうら、やっぱり、弾武典を追いかけているのじゃないの。太郎は昔から正直だったわね。誘導尋問に弱いのは昔のままね。」
「直子には参ったな。」
「で、どうなの?」
「いや、守秘義務があるから、その話には乗れないと姫子さんに答えておいてくれ。話は警察に直接持って行ってくれ、と太郎が言っていたと伝えてほしい。」
「そう。判ったわ。考えが変わったら、社会部の向山部長に電話して欲しいそうよ。これが、向山部長の名刺。はい、どうぞ。」と言いながら直子は太郎に名刺を渡した。
「それで、今日はどうする?駅前の焼鳥屋へ行って、生ビールで一杯やるか?味噌ダレの焼鳥は東松山の名物だからな。」
「太郎のおごりで?」
「ああ、いいよ。高校時代の直子には借りがあったからな。」
「そう。その通りよ。太郎はよく判っているわね。」
「じゃあ早速、行こうか。今日は日曜日だろ。あそこは土、日曜の午後5時を過ぎると混雑して席が無くなるからな。」
鞍馬月光41;
2012年3月29日(木) 午後7時ころ、日本海に浮かぶロシア漁船内
ロシアのウラジオストック港は北朝鮮と中国とロシアの3つ国境線が交わる地点近くにあるピョートル大帝湾に面している。ロシアにとってウラジオストック港は冬でも氷が張らない重要な港の一つである。ウラジオストックはヨーロッパからアジアに連なるユーラシア大陸横断鉄道の東の終着駅でもある。
ピョートル大帝湾から南にある日本海へ向かうロシア漁船の中で、東洋人の男と西洋人の男が英語で密談をしている。
「ミスター・弾、ナンバーセブン計画は失敗するのか?命の樹への道を守る炎の剣とケルビムが手に入らなかったではないか。」と西洋人の男が心配そうに言った。
「確かに、ケルブである鞍地麗子を拉致出来なかった。そして、輪を描いて回る炎の剣・北斗七星に相当する都市にあるガソリンスタンドに時限爆弾を設置する役目の男たちも殺され、大火災による炎の剣の実現は午王神符の朱文字によって封印されてしまった。特に、巨門星である鹿島コンビナートを狙った計画が失敗したのは大きいダメージになる。」
「それだけではないだろう。七つの星が封印されたことによって、武曲星である富山県滑川市と剣先星である石川県鶴来市を結ぶ霊ラインの延長線上にある長崎県島原半島への呪祖が出来なくなってしまったのではないかな。島原は天草四郎を首謀者とするキリシタンや農民、浪人たちがキリスト教断圧や支配者による弱者いじめに対し反乱を起こした土地だ。二葉葵を神紋とする下鴨神社のオリオンの三つ星を利用した『アポロンの御子誕生』計画が失敗し、今度は『北斗七星の炎』計画も失敗した。地中海地域のキリシタンによる反乱の再現、すなわち十字軍の再現と地中海沿岸国の被支配層による反乱を成功させる事がブラッククロスの考えているナンバーセブン計画の最重要事項であることは、ミスター・弾、君も十分承知していたはずだろう。」と西洋人の男が言った。
「判っている。しかし、まだ望みが断たれた訳ではない。武曲星である天神人祖一神宮と白山奥宮を結ぶ霊ラインの力を利用できる。このラインはまだ封印されていない。」と弾武典が言った。
「どういう事かな?」
「その霊ラインの延長線上に鞍馬山がある。鞍馬山には魔王尊であるサナート・クマラが住んでいる。そのサナート・クマラが竹内巨麿に憑依して構築したのが七つの都市で形を造る北斗七星。そして、北極星であるキリストの墓だ。富山の天神人祖一神宮と茨城の皇祖皇太神宮と青森のキリストの墓を結ぶ三角形の重心位置に福島の伊佐須美神社がある。伊佐須美神社の祭神は石川の白山比め神社と同じくイザナギ尊とイザナミ尊だ。『蛇に踵を咬ませる』ための手段はまだある。しかし、その前に行わなければならないことがある。」
「何をするのだ?」
「今回の計画と前回の計画、すなわち、ナンバーセブン計画の実現を邪魔している奴等を叩きつぶす。」
「相手は判っているのか?」
「私の霊能に奴等の気が伝わってこない。おそらく、自分たちの気を消すための呪術が使える人物が背後に居るのだろう。警察に潜り込ませている草からの情報は何かないのか?」と弾武典が訊いた。
「北斗七星の7人が殺された事件の参考人として、神威示現斎を名乗る岳内太郎と云う男の行方を探しているらしい。」と西洋人の男が言った。
「何、岳内?確か、熊野三山の午王神符計画を妨害した奴の名前が岳内だったな・・・。そう、岳内林太郎だった。そして、岳内太郎か・・・。熊野三山午王神符計画を妨害したのも奴等だったのか・・・。奴等は、その時から我々の存在を知っていた訳か・・・。むむむむ・・・。」と、弾武典には怒りがこみ上げてきていた。
「岳内太郎の居場所が判れば、君に知らせる。それから、オメガ教団研修所に墜落したジェット機のプログラムを書き換えた元自衛隊員の大友須美雄の居場所は突き止めてある。後で教える。その他、何か手伝うことはあるか?」と西洋人が訊いた。
「京都の大悲山で修業させているオメガ教団の11人を引き揚げさせたい。どうも、警察の捜索が近づいてきている予感がするからな。アラビアン・ビークルに引き取ってくれないか?」
「良いだろう。しかし、アラビアン・ビークルはCIAからマークされている。近後、アラビアン・ビークルとオメガ教団は陽動作戦の囮として利用するつもりだ。その11人は別の企業で引き取る。」
「よろしく頼む、ナンバーセブン。11人を修行をさせる新しい方法は私が考える。」と弾武典が言った。
「しかし、日本の警察から指名手配されている君自身はどうするのだ?」
「霊能が弱くなってしまうので顔の整形手術はできない。しかし、変装は可能だ。心配はいらない。」
「左手に十字架の痣が現れた石田咲子と云う女を自衛隊とCIAが保護しているとの情報が入った。現在、追跡調査中だ。鞍地麗子の居場所は、相変わらず不明だ。それから、日本駐在のモサド要員とCIA日本支部の間で何らかの情報交換が行われているらしい。このあたりの追跡調査も始めている。詳細が判り次第、連絡を入れる。明日からは暗号コードはK2に変更になるから注意してくれ。」とナンバーセブンが言った。
「鞍地麗子と石田咲子の二人か・・・。ついにケルビムが揃ったな。」と弾武典が考えるように呟いた。
鞍馬月光42;鏑矢は放たれた!
2012年4月7日(土) 午後8時ころ、神奈川県鎌倉市にある影の軍団のアジト
相模湾が見下ろせる小高い丘の上に赤レンガの塀で囲まれた戦前からの白壁の洋館が建っている。外灯が数本立っているやや広い芝生庭園がその洋館の南側に広がっており、やや茶色がかった緑色の芝生が満月の光に照らし出されている。
そして、洋館の2階の窓からは明かりがこぼれている。
2階の洋室では10人くらいの人間による会議が行われていた。
「KISS要員の11人が大悲山から居なくなって一週間以上になる。奴等は何処に隠れたのだ。何か、情報はないか?」と岳内太郎が訊いた。
「特にありません。」
「オメガ教団の動きはどうだ?」
「目下のところ目ぼしい動きはありません。」
「何か、おかしいな。KISSもオメガ教団も突然に動きが見えなくなった。」
「マークしているアラビアン・ビークル社員に、最近は尾行をまかれることが多くなりました。それに、アラビアン・ビークルの関係場所でもCIA要員の姿が頻繁に見かけるようになりました。最近は警察関係者の姿もちらほらしています。」
「弾武典の奴、何か用心しているな。何故だ・・・。警察や自衛隊の動きについて何か情報はないのか?」と岳内太郎が言った。
「はい、特に新しい情報は入っていません。」
「そうか。弾武典の動きを知りたいな。何か良い手はないかな。」と岳内太郎が考え込んだ。
その時、一人の男が部屋に駆け込んできた。
「岳内さん、屋敷の外に怪しい男たちがいます。赤外線投光機付きの監視カメラ装置で確認したところ、5人くらいの男がサイレンサー付拳銃を持って、屋敷の周辺を動き回っているようです。」と坂口が言った。
「何!見張りの者は如何した。」
「木田と倉垣の姿が見えません。無線にも応答がありません。」
「坂口、灯りを消せ!」と岳内太郎が言った。
「庭の赤外線警報システムのスイッチは入っているのか?」と暗闇の中で誰かが言った。
「はい、会議直前に動作させてありますから大丈夫です。」と坂口が言った。
「赤外線スコープが廊下の棚の中にあるから各自で着用しろ。そして、各自の判断でこの屋敷を離れろ。この屋敷の地下には非常用の抜け穴が3か所ある。みんな、その場所は判っているな。今後の連絡先はPPMとする。無事を祈る。坂口は私に着いて来い。」と、闇の中で岳内太郎の声がした。
鞍馬月光43;
2012年4月8日(日) 午前10時ころ、神奈川県鎌倉市にある影の軍団のアジト
パトロールカーなど、赤い非常警告灯がくるくる回っている車が屋敷の周りに多く駐車し、警察官や監識課員が動き回っている。
「高神さん、屋敷内には誰も居ません。中庭でも男が二人死んでいます。ライフルか拳銃で撃たれたようですね。」と沢本刑事が言った。
「近くの住人は発砲音を聞いていないようだ。サイレンサー付のピストルかライフルで撃たれたのだろう。屋敷の外では3人の男が死んでいる。3人はいずれも首の骨が居られている。格闘術にすぐれた奴の仕業かな。背後から近づいて、一瞬のうちに首をひねり、殺したのだろう。」と黒いニット帽を被り、黒の戦闘服を身に着けて死んでいる男を調べながら高神刑事が言った。
「犯人は軍人ですかね?」
「さあ、それは何とも言えんな。こいつが手に持っている拳銃もサイレンサー付だ。この男は発砲していないようだ。」
「外壁近くに建っている鉄柱に設置された監視カメラの大半は壊されています。ピストルで撃ったのでしょう。」
「屋敷内はどうだ?」
「目下のところ遺体は発見されていません。しかし、ドアーなどは壊されています。」
「そうか。組織的な争いだな、これは。暴力団か麻薬組織が関係しているのかもな。それで、この屋敷の持ち主の事は何か判ったのか?表札には東郷と書かれていたな。」
「今日は日曜日で法務局も市役所も休みですから、登記簿や住民登録を調べるのは明日になるでしょう。」
「そうか・・・。」
鞍馬月光44;決戦
2012年5月6日(月) 午後0時10分ころ、茨城県筑波山麓の道路端
交通量の少ない道路端に止まった二台の白いワンボックス車と工事用の2tトラックから降りた五人の山伏が居た。
そして、道路端の登山口には工事中・立入禁止の柵が置かれた。
「松尾の鳴鏑の神に祈った呪文符を各自持っているな。」と一人の男が確かめるように言った。
「はい。大丈夫です。」
「よし、それで大丈夫だ。奴に気づかれることはない。鎌倉で死んだ木田と倉垣のものは俺が持っている。それでは行くぞ。」
「おうっ。」と四人が声を上げた。
2012年5月6日(月) 午後0時30分ころ、茨城県筑波山系にある磐座前
茨城県石岡市と桜川市の境にある加波山は筑波山系の北の端に位置する修験道場の山である。天狗の住む山としても有名である。古くは、神母山、神庭山と書かれたこともある。
山頂(709m)からやや北の頂にある加波山神社は約2000年前、日本武尊が東征の時、天御中主神、日の神、月の神の三神を祀ったのが創建である。現在の加波山神社本殿である加波山天中宮がそれである。明治時代までの神仏習合時代は文殊院と称され、神仏分離令で改称された。
現在の加波山神社本殿の主祭神は国常立尊、イザナギ尊、イザナミ尊で、その他、山中には737神が祀られている。
加波山山頂には三枝祇神社本宮本殿がある。主祭神はイザナギ尊、速玉男尊、事解男尊である。その他に、大雷、火雷、山雷、野雷、稚雷、裂雷、土雷、黒雷の八雷神を祀り、猿田彦大神も祀られているようである。
一方、筑波山(877m)には筑波男大神と筑波女大神を祀る筑波山神社がある。平安時代以降、祭神はイザナギ尊、イザナミ尊と同神とされている。筑波山は男体山と女体山の二つの山頂ピークがあり、山の中腹には山頂を遥拝する拝殿として筑波山神社がある。
筑波の名は古代の楽器である紫の筑琴が奏でる音曲が水波の音に似ていたという説話に由来するらしい。
筑波山系には七つの頂がある。筑波山(877m)、弁天山(414m)、きのこ山(528m)、足尾山(628m)、丸山(576m)、加波山(709m)、燕山(701m)を線で結ぶと柄杓の形に似ている。
そして、筑波山神社と群馬県の榛名神社を結ぶ霊ラインの延長線上に富山県の天神人祖一神宮がある。
筑波山系の鬱蒼とした場所にある磐座の前で呪文を唱えている6人の山伏がいる。
「月の神、アヌ・ナ・キ。汝は我に月を与えよ。過ぎることなく、欠けることなく。・・・・」
そこに、別の山伏の集団が静かに近づいて行った。そして声を掛けた。
「弾武典、こんなところで何をしている。」と、背中に神威示現斎と書かれた修験装束を着ている男が言った。
「岳内太郎か。妙な処で出会うな。」と呪文を唱えていた男が静かに振り返って言った。
「日本国に手出しをすることは我々が許さん。」と語気を強めて神威示現斎が言った。
「大きなお世話だ。引っ込んでおれ。」と弾武典がいった。
「話しても判らん奴には死んでもらおうか。」
「止むを得んな。今までの恨みをここで晴らさせてもらう。だが、その前に訊きたい事がある。」
「何だ?」
「我々が拉致したナオキ・パウロ・タグチを奪い、何故に殺し、我々が十和田湖に置いた十字架に張り付けた?」と弾武典が訊いた。
「それが知りたいか。冥土の土産に聞かしてやろう。お前たちが京都・先斗町でパウロ・タグチと石田純二の二人を拉致し、鞍地麗子の居場所を聞き出そうとしたので、お前たちを監視していた我々の仲間が二人を救ったのだ。急いで二人を車に乗せようとした時、石田純二は我々もお前たちの仲間と思い、意識朦朧のまま逃げてしまった。しかし、パウロ・タグチはほとんど意識を失っていたので、彼を背負っていた我々の仲間が車に乗せることができた。そして、我々のアジトに連れ帰った。お前たちKISSとブラッククロスが十字架を十和田湖に置いて呪詛をする計画だと、意識が戻ったパウロ・タグチに話した。すると、何を思ったのか上着を脱ぎ、目の前に置いてあった果物ナイで自分の胸を十字に切り裂き、自分をその十字架に貼り付けてほしいと言い残して死んだ。パウロ・タグチの息が途切れる直前に、我々がその理由をきくと、ファチマ第3の予言、とだけ言って死んでしまった。」
「ファチマ第3の予言と言ったのか、ナオキ・パウロ・タグチは・・・。そうか・・。」と弾武典が呟いた。
「その後、仕方がないので、パウロ・タグチの遺体を冷蔵保管し十和田湖まで運んだ。お前たちの車を尾行していた2月17日の天一天上の終わりの日にお前たち七人は八郎潟の大潟富士から十和田湖方面に向かって十字架を立て、呪祖した。それを見て、私はパウロ・タグチの遺体を冷凍車で十和田湖に運んでおく様に指示した。そして、2月19日の午前3時、お前たちが十字架を乙女の祈り像に置いた後、キリストの磔と同じ形になるようパウロ・タグチの遺体を十字架に釘で打付けた。それだけだ。」と岳内太郎が言った。
「2月17日が天一天上の終わりの日だと云う事をお前も知っていたか。」と、弾武典は納得するように言った。
「北極星の精である天一神が16日間の天上旅行から地上に戻ってくる日が天一天上の終わりの日。そして、2月17日は二十六夜待ちの月見の日でもある。その日に十字架を立て、何を祈り、何を呪祖したのか、だいたいは想像が付く。」
「あっはっはっは。神の計画を実現させるためだ。判ったか!」
「お前たちの謂う邪悪な神の計画など、実現させない。ナオキ・パウロ・タグチが命を犠牲にしてまで守ろうとしたものが何か知らないが、我々が日本国を守る。弾武典よ、覚悟するんだな。」
※二十六夜待;
月の満ち欠けで、新月が近づく二十六夜の月光の中に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が現れると云う。二十六夜の月はやや上向きの下弦の三日月で夜中に登り始めるとき、最初は一つの光(点)、次に二点の光となり、その後また一つの光(三日月)になる。この月の出の瞬間に三尊が現れるとする月待講の信仰である。
江戸時代には旧暦の一月と七月の二十六夜に盛大な月の出を待つ月見会をしたらしい。
品川海岸近くの高台にある高輪屋敷から東に見える江戸湾の水平線がよく見えたらしい。水平線から出てくる瞬間の月の光は、地球の大気の影響で凸レンズのような屈折現象により、強く輝いて見える。この強い輝きを拝むために二十六夜待の月見宴を江戸の人々は食事をしながら楽しんだようである。
そして、神威示現斎を含む5人の男が手にしていた仕込み杖から刀を抜いた。
弾武典を筆頭とする6人は錫杖を手に持って身構えた。
そして、互いの立ち回りが始まった。
しかし、準備を整え、格闘術と刀剣術の手練れである神威示現斎側が圧倒した。
武器を持ち平素に軍事戦闘訓練を受けている者と、武器を持たず単に諜報工作上の格闘訓練を受けただけの者との間には、余りにも大きな戦闘能力差があった。
「ムグー!」
錫杖を握る一の腕が飛び、返す刀が胴を払った。
磐座のまえから、山伏たちが山道を慌ただしく下って行く。
それを別の山伏たちが追う。
二人、三人と弾武典側の山伏が倒れて行く。
山道周辺の木々には血糊が付いている。
「これまでか・・・。無意味な犠牲を出してしまったな。K国よ、永遠に在れ!」と叫んで、5人の男に囲まれた弾武典は舌を噛み切り倒れた。
「全部の死体に止めを刺してやれ。」と神威示現斎が言った。
「遺体はどうしますか?」と一人の男が訊いた。
「準備してある死体を入れる袋と止血帯、それから血を洗浄するポンプ機材とガソリン発動発電機をトラック車から取ってこい。それから、清めの塩もな。水は、そこに流れている湧水を使う。小奴等は鬼無里の寺に葬むってやろう。修験者として筑波山で死ねるとは、果報者たちよ。K国の愛国者たちに敬意を表する。南無妙法蓮華経。」と、神威示現斎が静かに言いながら手を合わせ、黙祷した。そして、他の4人も同じ様、南無妙法蓮華経と呟き、手を合わせ、黙祷した。5人の白い修験装束には赤い返り血が付いている。
その時、筑波山頂に居た修験霊能者は九頭龍大神が空から霞ヶ浦に舞い降りるのを眺めていた。
鞍馬月光45;
2012年5月6日(月) 午後7時、京都の鞍馬寺
5月6日午後0時34分、太陽、地球、月が同一平面上に載る位置関係になり満月となった。
日本では真昼であり、月は地球の裏側にあった。
真昼の午後0時45分頃から、茨城県の筑波山周辺では突風と竜巻が発生し、多大な被害が出た。
この日、午後7時から京都市鞍馬山麓にある鞍馬寺ではウエサク祭が行われた。
太陽が西の空に沈み、東の空には満月が浮かび上がっている。時折、雲が月を隠していた。
鞍馬寺の本堂前広場の床には六芒星が描かれており、その上には焚き上げ用の杉の葉が積み上げられている。国東半島で修験行者が千把焚きを行う時にも松の木で六芒星を形どった木組みを作り、その上で火を燃やすらしい。
ウエサク祭は、釈迦の降誕日、開悟日、入滅日がインド暦のヴァジャーカ月の第一満月の夜であったことに由来している。ウエサクはヴァジャーカがなまった言葉と謂われている。
中国や日本では4月8日をお釈迦様の誕生の日として花祭りを行う。
お釈迦様が誕生した日、龍が天空から現れてソーマを注いだとされている。ソーマはインドの神々の飲料で神と人間に栄養と活力と霊感を与えてくれる霊薬とされている。
そのことから、満月から降りてくる霊力を人間が受けるために行われるのが鞍馬寺のウエサク祭である。
午後7時から第一部の「きよめ(地鏡浄業)の祈り」が始まり、月に向かって瞑想する「はげみ(月華精進)の瞑想」、そして「智慧のめざめ(暁天明覚)」で聖火を天に向けて焚き上げる儀式が行われ、最後に参列者が花弁を模した紙を燃え盛る杉の葉に焼べて祭りは終わった。
2011年は翌朝の午前3時ころまで行われたが、2012年は午後11時過ぎに祭りは終了した。
2012年5月7日(火) 午前0時ころ、京都の鞍馬寺
焚き上げの跡の片付けが終わった本堂前広場の床にはカゴメ紋・六芒星の絵が現れている。
満月は真南の夜空に輝いている。
モサドと自衛隊とCIAに守られて鞍地麗子と石田咲子が本堂前広場に立っている。
そして、法王庁大使館の大隅司教もその中にいた。
「月からの霊気を受けて、何か変わりましたか?」と岡上正一が訊いた。
「夕方から左手の十字架に少し痛みがあります。」と鞍地麗子が言った。
「私もです。」と石田咲子が言った。
「本当に、この痛みが、命の樹への道と関係するのですか?」と鞍地麗子が訊いた。
「贖いの蓋に載せられた2匹のケルビム。ローマ教皇庁・ヴァチカンは、あなた方、お二人がそのケルビムであるかも知れないと考えています。ヴァチカンの預言者に依ると、5月6日にエデンの東の国で何かが起こるらしいのです。」と大隅司教が言った。
そして、大隅司教がロザリオを手に持ちながら祈りの言葉を月に向かって捧げている。
突然、鞍地麗子と石田咲子が叫び声をあげた。
「イタイッ!」
二人の左手のひらの十字架のアザから血がにじみ出していた。
若い鞍地麗子が自分の手を見ながら、怯えて、泣き出した。
情報部員として多くの修羅場を経験した石田咲子は比較的落ち着いていた。
石田咲子が鞍地麗子を慰めようとして、自分の左手のひらを差し出し、鞍地麗子の左手のひらの上に自分の左手のひらを置いた。
その時、月から二人の体に向かってオレンジ色の閃光が音もなく、一瞬に走った。
『ピカーッ』
そして、その閃光は稲妻のように石川県の白山奥宮から富山県の天神天祖一神社へ走り、そこから二つの方向に分かれて走った。
一方の稲妻は、白山比め神社を突き抜けて大分県・宇佐神宮に到達していた。
もう一方は、皆神山・熊野出速雄神社の方に向かい、榛名神社、大国魂神社、鹿島神宮へ走り、皇祖皇太神宮を突き抜けて十和田神社に到達した。
稲妻の通過した都市では、オレンジ色の閃光が夜空を走ったのを目撃した人たちもいた。
そして、十和田湖の湖面が波立ち始めた。
突風の音と不思議な閃光に目を覚ました十和田湖畔の住人や観光客が乙女の祈り像がある湖岸に集まってきた。
その群集の中に、早朝に神業を行うため、十和田神社を訪問する準備をしていた修験装束姿の宝達奈巳もいた。
「八郎太郎と辰子姫が月に登って行くのね。」と、二柱の青い龍神が湖面から立ち昇っていく姿を霊視しながら南僧坊・宝達奈巳が呟いた。
「あら?楽しそうな男性と女性の霊も一緒に登って行くわね。何方かしら?」
その時、近くに居た若い女性観光客が、手に持っていた高村光太郎作・智恵子抄の小さな文庫本を地面に落とした。そして、風に煽られて、文庫本の一つのページが開いた。
詩の題は『あどけない話』と書かれてある。
智恵子は東京には空がないといふ、
ほんとうの空を見たいといふ。
私は驚いて空をみる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山の山の上に
・・・・・・・・・・・・・・・・・
智恵子のほんとの空だといふ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
月面から弾武典が地球の夜を眺めている。
「日本の上空で閃光が走ったな。しかも、北斗七星の形に・・・。」
そのころ、戸来村にあるキリストの墓では、イスラエル国から送られた白い石が紫色の光に輝いていた。
鞍馬月光46;
2012年5月8日(水) 午前11時ころ、国会前庭
大和太郎と半田警視長が話している。
「毎朝新聞の向山部長からの情報はガセではなかったのだが、先月の初め頃に長野県警本部が鬼無里の現地へ行った時には、岳内太郎の屋敷は蛻の殻でした。例によって、100mくらいの長さがある抜け穴が3本ありました。その抜け穴を使って岳内太郎と多沼圭子は早い段階で脱出してしまっていたようです。毎朝新聞の記者たちが入れ替わりで見張っていたようですが、岳内太郎は気づいていたのでしょう。記者たちは抜け穴があるかもしれないと気をつけてはいたようですが、時々は岳内太郎と多沼圭子が屋敷の表門に現れていたので、必死になって抜け穴探しをしなかったそうです。」
「毎朝新聞の記者さんは岳内太郎の動きで何か気付いたことはなかったのですか?」と太郎が訊いた。
「東京方面に出かけたことが2回あったようですが、尾行しても東京都内で撒かれてしまったそうです。まあ、素人が尾行しても、相手はその筋のプロですからね。もっと早く警察に連絡をしてくれれば善かったのですがね。新聞社としては、特ダネが欲しかったのでしょうかね・・・。困ったものです。」と半田が残念そうに言った。
「そうですか。」
「実は、その後、鎌倉のある邸宅で組織的な抗争事件と思われる殺人事件がありました。合計5人の男が死んでいました。それが、その邸宅には3つの抜け穴がありました。」と半田が言った。
「3つの抜け穴ですか。」
「東郷弥太郎と云う人物が所有者と云う事になっていましたが、その東郷弥太郎と云う人物の所在が不明です。住民登録から本籍地など、明治時代まで遡って調べましたが、東郷弥太郎と云う人物をはじめ、その男の父親や祖父など、親戚を知っている人はいませんでした。どうも、不思議な人物です。」と半田が言った。
「私が想像している岳内太郎の組織・影の軍団の屋敷ですかね、その鎌倉の邸宅は・・・。」と太郎が考えるように言った。
「我々もそう考えています。実は、昨日、大和探偵もご存じの神奈川県警本部・高神刑事と警視庁中央署・鈴木刑事が二人同伴で私の所に突然にきました。」
「確か、中央署の鈴木刑事と云うのは、神武東征伝説殺人事件の犯人である岳内林太郎を尋問した刑事さんですね。」
「ふたりは警察学校の同期で、よく酒を飲みながら情報交換をしているようです。鈴木刑事が犯行を自白させるために岳内林太郎を尋問した時、影の軍団・黒鵜族の作り話で揺さぶりを掛けたそうです。その話を聞いた時、それまで黙秘していた岳内林太郎が急に喋り出したそうです。彼の反応が異常だったので印象に残っていたそうです。普通、作り話を聞いた犯人はせせら笑うか、無視するのが普通です。しかし、岳内林太郎は妙に興奮して、作り話を否定したそうです。高神刑事が謂うには、鎌倉の東郷邸の殺人事件は影の軍団とブラッククロスの争いだろうと云うことです。」
「影の軍団が実在している可能性がある訳ですね。それが、岳内林太郎の先祖から続いている組織と云うことですか。」と太郎が言った。
「それから、二日前の5月6日の午後3時ころ、不思議なことがありました。筑波警察署からの報告によると、二人の登山者が事件の目撃の届け出に来たようです。筑波山中で山伏姿の男たちが喧嘩をしていたのを目撃したらしいのです。山伏たちは殺気立っていて、何人かは刀で斬られて倒れたそうです。それを目撃した登山者の二人は恐ろしくなってその場から逃げ去ったそうです。刀を持った数人の山伏たちと錫杖を持った数人の山伏たちが争っていたと云う事です。刀を持った山伏たち中の一人の背中には何か漢字が書かれていたそうだが、山伏たちの動きが早かったのと、遠くから、少しの間しか見ていなかったので、何の文字かは読み取れなかったようです。」
「5月6日といえば、筑波地方に竜巻が発生した日ですね。」
「ただちに、筑波警察署の警官が目撃した登山者の案内で現地を見に行ったのですが、負傷者や死体などは発見できなかったようです。ただ、山道の近辺にある木や草に血糊が付いていたらしいのです。翌日もその近辺を捜索しましたが、結局、負傷者や死体、武器などは無かったので、警察が介入する事件には発展しなかったのです。しかし、何か気になります。」と半田が言った。
「岳内太郎の影の軍団と弾武典のKISSの戦いがあったと云う事ですか?」と太郎が訊いた。
「刀を持っていたのがどちらで、錫杖を持っていたのがどちらなのか判りませんが、たぶん、刀を持った山伏側が勝利したのでしょう。そして、鎌倉の東郷邸での死体の身元も不明のままです。大和探偵の意見を聞きたいのですが。」と半田が言った。
「弾武典とは陸前高田の氷上山で会ったことがあります。田代真珠社長たちと神業をした時に弾武典とその仲間が山伏姿で現われました。その時の印象では無闇に殺人をする様な男には見えませんでした。一方、北野天満宮で出逢った神威示現斎こと岳内太郎は強くて激しい気を感じる人物で隙がありませんでした。神武東征伝説殺人事件以来の状況から判断すると、岳内太郎の影の軍団が刀を持っていたのでしょう。それに、氷上山で弾武典は強がっていましたが、私の空手経験からみて、それほど強いとは感じませんでした。そう云うふうに考えると、筑波山で弾武典たちは影の軍団に殺されてしまった可能性が強いですね。その山伏たちが弾武典たちKISS要員であったと仮定しての話ですがね。そして、死体は影の軍団が運び去ったということでしょうか。」と太郎が言った。
「弾武典は死にましたか・・・。なんとか、影の軍団と岳内太郎の所在をなんとか見つける必要がありますね。北斗七星に当たる都市で七人を殺した重要参考人でもありますからね。どこに居るのでしょうね・・・。」と半田が言った。
「影の軍団と岳内太郎が、ほんとうに、その七人を殺した犯人でしょうかね。何か、気になるのですが・・・。」と太郎が言った。
「影の軍団は犯人では無いと云う事ですか?」と半田が訊いた。
「殺された七人は、後頭部を殴られた後に首を絞められて死んだのですよね。」
「そうですが、それが何か・・・。」
「殺し方がなんとなく女性的なのですよね。岳内太郎たちなら、もっと激しい殺し方をするのではないでしょうかね。鎌倉で首をへし折られていた3人の男のように。あるいは、鋭利な刃物を使うとか。しかも、匿名の電話による死体のある場所の連絡。岳内太郎なら、自分たちが殺しておいて、わざわざ警察に電話を掛けるようなまねはしないと思うのです。そのまま、放っておくのではないでしょうか?それに、七人もの男が居る場所をすべて把握できる情報能力が影の軍団にあるのでしょうか?多くても3人から4人くらいなら、居場所を見つけるのは可能かもしれませんが。」
「それでは、誰が犯人なのでしょうか?」と半田が訊いた。
「7人の男の行動計画を容易に知り得る人物、たとえば、弾武典。」
「弾武典は7人の男を放った組織KISS、あるいはブラッククロス側の人間ではないですか。大和探偵、どういう推理ですか?」
「弾武典はK国からの命令でブラッククロスに協力しているだけかもしれません。弾武典は心からK国を愛している男です。しかし、ブラッククロスは神の計画を大義名分にして世界制覇を狙っているのでしょう。七つの都市にテロを仕掛けて火の海にしてしまう計画がナンバーセブン計画であるとすると、弾武典が愛するK国にとって、あまり意味がありません。単に、ブラッククロスの支援を得るためだけに世界テロ計画に協力するようなことは、K国の安全と繁栄を願っている弾武典にとっては面白いはずがありません。」
「それで、仲間の七人を殺したのですか?」
「殺された7人はKISSの要員ではなく、ブラッククロスの派遣した人間たちだったとしたら、弾武典は7人を殺すことには躊躇しないでしょう。テロの犯人がK国だったと世界中から叩かれる危険性を考えれば、むしろ、ナンバーセブン計画の邪魔をする方がK国のためになると考えたのかもしれません。」
「なるほど、そう云う考え方もありますか・・・。弾武典はブラッククロスを裏切っていた訳ですか・・・。ふーむ。そうすると、十和田湖のパウロ・タグチを殺したのも弾武典ではない可能性がありますね。」と半田警視長は腕組みをして考え込んだ。
鞍馬月光47;
2012年6月1日(金) 某所のブラッククロス本部・会議室
「最近、K国秘密情報機関KISSの弾武典の姿が見えなくなったと云う事だが、どうしたのだ?」とナンバーワンが訊いた。
「日本の鎌倉市にある岳内太郎たちが会議行う屋敷の場所を弾武典に教えたのですが、その後の連絡が途絶えたままです。情報部からの報告では、日本の警察は弾武典が死んだものとして、影の軍団とか云う組織の所在を追跡しているようです。」とナンバーセブンが言った。
「それで、ナンバーセブン計画は上手く行っているのか?日本の十和田湖における『十字架の暗事』計画に使った白い木の十字架にはヴァチカンの男が張り付けられていたそうだな。たしか、パウロとか云う洗礼名の男だったな。しかもイエス・キリストと同じ様な格好で磔になって発見されたと云うではないか。十字架のみでないとナンバーセブン計画は成就しないのではないのか。キリストの再来は無いという暗示は、十字架のみが乙女の祈り像の傍にあるという事ではなかったのか、ナンバーセブン。」とナンバーワンが詰問した。
「その通りです。1987年2月に日本を訪問した予言者のリトル・ペブルは、白い十字架を持った7位(7名)の天使たちと紫のガウンを身に付けたイエス・キリスト、そして、紫のマント着た聖母マリアを幻視(霊視)しました。そして、富士山の上空に白い十字架が現れた一週間後に富士山が爆発するとキリストから告げられました。そうです、日本に天罰が下されるはずです。その予言を実現させるため、八郎潟にある大潟富士の山頂に十字架を掲げて、弾武典たち七人の山伏が呪祖し、天罰の実現を祈りました。しかし、ナオキ・パウロ・タグチというヴァチカンから派遣された男が十字架に貼り付けられていたと云う結果は想定外でした。弾武典の話によると、自分たちは白い木の十字架のみを乙女の祈り像に立て掛けて、呪祖したと云うことでした。死体が何時、誰によってパウロ・タグチが十字架に添えられたのか判らないと云う事でした。確か、リトル・ペブルは、聖母マリアの横に教皇ヨハネ・パウロ2世が立っている姿も幻視していたのでしたね。その事とパウロ・タグチが十字架に添えられていた事とは関係があるのではないでしょうか。」とナンバーセブンが言った。
「そうかも知れないが、オメガ教団で洗脳し、テロリストにやっと育て上げた日本人たちのうち、10人もが岳内太郎たちに殺されてしまったではないか。『燃える剣』計画のために時限爆弾テロの実行指令を受けた7人。そして、鎌倉でも3人が殺された。鞍地麗子の拉致も失敗し、もう一方のケルビムである石田咲子も現われ、鞍地麗子と出会ってしまったではないか。ついに、贖いの蓋は開けられてしまった。これでは神の計画は実現しないではないか。ノストラダムスの新しく発見された予言詩『古えの女はいたる所に現われ、平和を嘆願する。群集は畏怖し、90たす3の年、動乱が起こり、強力な戦士たちは拳を振りまわす。アノーは無為に水平線を探す。(ワンダーライフ・1990年5月号・寺島研次訳・小学館刊より)』の意味は、聖母マリアは人々の祈りを願うが、救世主・キリストは現れないと云うことであったはずだ。ナンバーセブン、そうではないのか?このままでは、救世主・キリストが出現し、我々の計画は失敗することになるではないか。ナンバーセブン計画の話はこのくらいにして、さて諸君、終わったことを悔やんでも始まらない。新しい計画を考える時期に来た。それを今日は議論したいと思う。」とナンバーワンが言った。
鞍馬月光48;エピローグ1
2012年7月14日(土) D大学神学部の藤原研究室
前期試験も終わり、夏休みに入った大学構内の午前中は学生も少なく閑散としている。工学部の卒業研究で忙しい学生がたまに往来するくらいである。
藤原研究室内では教授と鞍地大悟が研究内容に関する話をしている。
久しぶりに祇園祭りの宵山と山鉾巡幸などを楽しむために京都旅行に来ていた大和太郎も同席していた。
「中国では北斗七星は北斗星君が乗る『帝王の車』と呼びます。柄杓の斗にあたる部分が帝王の乗る箱の部分、柄杓の柄の部分が車を引っ張る棒と見立てたようです。そうすると、皇祖皇太神宮、鹿島神宮、大国魂神社、榛名神社で囲まれる箱の部分に乗る帝王である北斗星君は筑波山になりますかね。筑波山神社の祭神はイザナギとイザナミですが、加波山神社の祭神は日の神と月の神です。さて、関東平野がまだ海の底で在った時、筑波山系は島として海に浮かんでいました。この筑波山島がイザナミ、イザナギによる国生みのオノコロ島であると云う話も残っているようです。」と藤原教授が言った。
「竹内文献では、地球創世期の天神七代目の天照日大神(正式名称:天御光太陽貴王日大光日大神)と天照月大神(天御光太陰貴王女大神)の時代に天孫降臨が決定され、地球上で皇族天皇の時代(上古代)に入ったとされています。その上古初代天皇が降臨した場所が日本とされています。」と鞍地大悟が言った。
「確か、筑波山系の加波山神社天中宮に日本武尊が祀ったのは天御中主神、日の神、月の神でした。現在の加波山神社本殿の祭神は国常立尊、イザナギ尊、イザナミ尊です。竹内文献と古事記などを総合すると、天照大御神が筑波で生まれ、その後、伊勢に遷ったとされる説話もあるそうですね。」と太郎が言った。
「筑波が国生み地なのですか?」と鞍地大悟が言った。
「まあ、古代の話は証拠がないからね。鹿島神宮がなぜに常陸の国にあるのかが判れば、何かヒントが見つかるかも知れないですがね・・・。北斗星君が北極星の事なのかどうかです。」と藤原教授が言った。
その時、鞍地大悟の携帯電話で、P・P・M(ピーター・ポール&マリー)が歌う『パフ』の着歌が鳴った。姉の鞍地麗子からの久しぶりの電話であった。
♪ Puff ,the magic dragon lived by the sea ♪ パフと云う名の不思議な龍が海辺に住んでいた。
♪ And frolicked in autumn mist ♪ そして、秋の霞が棚引く地で悪ふざけをしていた
♪ in a land called Honah Lee (Honorary) ♪ その地はホナリー(栄光の地位)と呼ばれていた
♪ Little Jackie Paper love that rascal Puff ♪ (わんぱくな)ジャッキー・ペーパー少年はいたずらなパフが好きであった
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ Together they would travel on a boat with billowed sail ♪ 少年と龍はつむじ風を起こせる風車が付いた舟でよく旅をしたものであった
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ A dragon lives forever but not so little boy ♪ しかし、龍は死なないが、少年はそうではなかった
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ One grey night it happened ,Jackie Paper came no more ♪ ある霧の夜、突然にジャッキー少年は来なくなった
♪ And Puff that mighty dragon ,he ceased his fearless roar ♪ そのため、最強の龍は、豪胆な叫び声を上げなくなった
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ So Puff that mighty dragon sadly slipped into his cave ♪ そして、最強の龍は悲しんで巣穴の中に姿を消した
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ Puff ,the magic dragon lived by the sea ♪ パフと云う名の不思議な龍が海辺に住んでいた。
♪ And frolicked in autumn mist ♪ そして、秋の霞が棚引く地で悪ふざけをしていた
♪ in a land called Honah Lee (Honorary) ♪ その地はホナリー(栄光の地位)と呼ばれていた
※著者注:
Jackie Paper は悪戯のある文書と云う意味から偽書と拡大解釈できる。
Honah Lee の発音はHonoraryと同じで、Honoraryは名誉職とか高貴な地位といった意味がある。
そこから、栄光の地位と訳した。
しかし、この歌詞の作者は何をイメージしていたのだろうか?
鞍馬月光49;エピローグ2
2012年7月15日(日) 午前2時ころの夜中、鞍馬寺本堂前広場
イスラエル国情報部モサドは数日前にブラッククロスがナンバーセブン計画を断念したと云う情報を得ていた。それで、モサドから保護を解除された鞍地麗子は鞍馬駅前にある実家に昨日から戻って来ていた。
梅雨が明けたばかりであるが、ここ鞍馬山の麓でも寝苦しい暑さの夜であった。
鞍地麗子は寝付けないので、懐かしさもあって、鞍馬寺まで夜中の散歩に出た。
鞍馬寺の燈籠の灯が続く参道を歩きながら子供のころのことが思い出されていた。
由岐神社や鞍馬寺で遊んでいたころの楽しかった思い出が蘇っている。
左手の十字架のアザも、痛みも一か月前にはすっかり消えていた。
鞍地麗子は鞍馬寺本堂前広場にあるオリオンの四つ星で作る四角形の形をした楚石の前まで来て、東南方向の夜空を見上げた。
※著者注:四角形の形をした楚石
本堂の正面に比叡山や龍岳が望める翔雲台がある。
そこに1メートル四方の板石が置かれている。
この板石は平安時代に行なわれた写経会の資料が収められていた経塚の蓋石で、形はオリオンの四ツ星が形作る四角形と同じ形をしており、石の真ん中には翔雲台から見える山並みの形が白い線で浮かんでいる。
不思議な石である。
月は新月から上弦の月、満月、下弦の月、新月へと29日くらいで一巡する。
新月から数えて26日目が二十六夜待の月見の日である。
今日がその二十六夜待の日である。
東南の方角に比叡山の山影がボンヤリと浮かんでいる。
その山影の上に明るい点がポツンと頭を出した。
すぐに、二つ目の明かりが少し離れて頭を出し、しばらくして、下弦の三日月全体が山影の上に姿を現した。
鞍地麗子は何か楽しい気分になり、聞きなれた三味線の音曲が頭の中に浮かんできた。
そして、麗子はいつものように体が自然に動き始め、『月夜の舞』を踊り出していた。
その時、麗子の事が心配になった母親から携帯に電話が入った。
着歌のメロディがジーンズのポケットの中で鳴っている。
アンディ・ウィリアムスが歌う『ムーンリバー』が鞍馬山に静かに響き渡っていた。
♪ Moon river ,wider than a mile ♪ 月の河よ、貴方は巨大だわ
♪ I’m crossing you in style some day ♪ でも、いつの日か、私は胸を張って貴方と云う河を渡って行くわ
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ Two drifters ,off to see the world ♪ 二人の漂流者がその世界を見るために旅立つのよ
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ We are after the same rainbow’s end ♪ そう、私たち二人は同じ虹の橋の袂に着き
♪ Waiting around the bend ♪ そして、虹の天辺付近でひざまずき(神に)祈るわ
♪ My huckleberry friend ♪ 一緒に苦労を共にした友と
♪ Moon river and me ♪ 月の河の上にいる私とで
『鞍馬月光〜竹内文献キリスト伝説殺人事件〜』
《完》
目賀見 勝利
2012年7月25日 午前0時11分 脱稿
:参考文献:
全天星座百科 藤井 旭 2001年9月 河出書房新社
謎の竹内文書 佐治芳彦 1979年6月 徳間書店
超図解 竹内文書 高坂和導 1995年3月 徳間書店
増補 三鏡 出口王仁三郎聖言集 2010年4月 八幡書店
戦慄の聖母預言(上)(下) 鬼塚五十一 昭和63年4月 学習研究社
ファチマ大予言 鬼塚五十一 昭和56年12月 サンデー社
ノストラダムスの大予言・中東編 五島勉 平成2年11月 祥伝社
智恵子抄 高村光太郎 昭和31年7月15日 新潮社
聖マラキ 悪魔の予言書 ダニエル・レジュ著 佐藤智樹訳 昭和57年 二見書房
封印されたモーゼ書の秘密 K.V.プフェッテンバッハ著 並木伸一郎訳 平成10年 KKロングセラーズ