— 見なければ、壊れなかった —
電車は、いつも通りの混み方だった。
押し込まれるようにして立ったまま、俺はスマホを開く。
通知が溜まっている。
どうでもいいグループのやり取りと、既読をつけるか迷う個人メッセージ。
なんとなく、返信を先送りにした。
――その時だった。
画面の下に、小さく通知が滑り込んできた。
『相手の“本音”、見えてますか?』
一瞬、指が止まる。
広告か、と思って無視しようとしたが、なぜか視線が外れなかった。
『Capture — あなたの選択を、最適化します』
タップしていた。
理由はよく分からない。ほんの数秒、暇を潰すつもりだった。
インストールは異様に速かった。
開いた画面は、拍子抜けするほどシンプルだった。
カメラのアイコンと、小さな文字。
「かざしてください」
「……何これ」
思わず小さく呟く。
周りの人間は、誰も気にしていない。
俺は、少しだけ迷った。
――こういうの、良くないやつじゃないか?
けれど次の瞬間、別の考えが浮かぶ。
ただの分析アプリだろ。
顔認識とか、そういうやつ。
そう自分に言い聞かせて、カメラを起動した。
目の前に立っている男に、軽く向ける。
画面に、いくつかの数字が浮かんだ。
信頼度:28%
ストレス:高
攻撃性:中
「……へぇ」
思わず、少しだけ距離を取った。
その直後、電車が揺れる。
さっきまで自分が立っていた位置に、強く押し込まれる人の塊。
男の舌打ちが聞こえた。
「……」
なんとなく、背筋が冷える。
でも同時に、こうも思った。
――当たってる、のか?
次は、少し離れた位置にいる女性に向けた。
親和性:72%
不安:高
回避傾向:あり
“親和性”という言葉に引っかかる。
なんとなく、その近くに移動した。
少しだけ空間がある。
無理に詰めてこないタイプだと分かる。
結果として、さっきよりもずっと楽に立てた。
「……便利じゃん」
小さく呟く。
その時、画面の表示が一瞬だけ揺れた。
ノイズのように、別の文字が重なる。
「押し返したい」
「うるさい」
すぐに消えた。
「……今の、何?」
見間違いかと思って、もう一度カメラを向ける。
けれど、そこにはさっきと同じ、整った数値しか表示されない。
電車が次の駅に滑り込む。
人が入れ替わり、空気が少しだけ軽くなる。
俺はスマホを閉じかけて――少しだけ迷ったあと、もう一度画面を開いた。
Captureのアイコンが、そこにある。
親指が、自然と触れていた。
「……ちょっとだけなら、いいか」
その一言が、
何を始めたのかも知らずに。




