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第三章・ゼンシン

 

 初めてライブハウス『vibes』に行ってから四日が経った。私の落下のケガも十分に治り、早速日崎さんの家の家事をやらせてもらっている。洗濯に掃除。日崎さんの家はものが多くて、いっぱい買うんですね?と聞いたら毎日のようにファンからプレゼントが届くそうだ。手紙はもちろん、花束やハンカチなど。そのおかげで花がいっぱいの部屋が日崎さんの家にはあった。よって、水やりも私のお仕事の一つ。


「ふんふ~ん♪あ、ちょっとあげすぎちゃったかな、お水。ごめんね。」


 脳内に流れている音楽は四日前、バンドメンバーの皆さんに聴かせてもらった代表曲『袖の時雨』だった。歌詞の内容は二人の恋仲の男女が長い間離れ離れになっていたのだけど、すれ違いの上に再会するという一本の映画を凝縮したような、感動と哀愁が混ざり合わさるとても感慨深い一曲だった。その割に曲自体は荒々しく、ロック全開なところがまたギャップがあり、奇跡的なくらい歌詞と同調できててすごかった。


「もう頭から離れないや。」


 今日は土曜日。月曜日からは学校に通っていいとの話を日崎さんから聞いたので、のんびりしてられるのは今の内だ。

 鼻歌交じりに大量のお花畑に元気を与えていると、遠くから荒々しいギターの1コードと大声が平穏を突き破る。


「あ~わからんない!わからんないよ真紀ち!!」

「…。」

「たーすーけーてー!!」

「はぁ。なんでいるんだろ、美華さん。」


 切りの良い所でジョウロを定位置に置き、私のベットがある部屋へと足を向ける。そこにはだらんとベットの上で仰向けになって、お腹にギターを置いている美華さんの姿があった。ちなみにクルミはその隣のチェストの上でお座りしてる。


「…真紀ち、うち今ギターを産んだよ。生後5秒。」

「ギターのやりすぎで頭がおかしくなったんですか?美華さん。」

「あぁもう全然コード覚えられない!なにこのFコードってやつ!人の指じゃ無理だって!」

「そう?ですか?そこまで難しくなかったよ?」

「真紀ちは指やわらかいよね。なのに皮膚は硬い。どうなってんだい。」

「そうは言われても…。うぅん。」


 なんでいるんだろうとは言ったけど、理由は知っていた。日崎さんがいつでも自分の家に来ていいよと美華さんに許可を出したからだ。日崎さんがいる時ならギターを教えてくれると約束した二人を、私は見た。


(でも今日日崎さんいないのにな。高校生って休日は暇なのか?)


 日崎さん曰く、私が家で1人で寂しくないようにという意味も含めて美華さんを呼んだと言っていたけど、これじゃどっちが子守りかわからない。


「ちょっとやってみて、真紀ち。」

「わかった。です。」


 美華さんのギターを借り、Fコードを鳴らしてみせる。まるで手品でも見せられたように目を大きくまん丸に開いた美華さんを思わず笑ってしまった。


「はへぇ…すご。」

「ふっ…へへっ。」

「待って今なんで笑ったの…!もう!真紀ち!」

「いえ、すいません…ふふっ。」


 申し訳ないとは思いつつも、美華さんのオーバー気味なリアクションには慣れない。昨日の夜、日崎さんお手製ハンバーグを食べに来た美華さんなんて、


【うまっ!うまっ!うまっ!】

【食べてない時にも言うな、ややこしい。】


 と日崎さんに怒られてて、その時も笑っちゃった。

 いつも何かしらの面白い、楽しそうな表情をする美華さんだったけど。

 その時突然真顔になった。


「…あのさ、真紀ち。」

「はい、なんですか?」


 ギターを返そうとすると、美華さんがぽんぽんとベットの上を叩く。どうやら座ってほしいらしい。私はピンク色のギターをベット上に置きつつ、自分自身も上に座った。


「話したくなかったら良いんだけどさ。リメさんとはどういう関係なの?あ、これはあれね。険悪なムードにしたいわけじゃないから。バンドメンバーとして知りたいなぁ…みたいな。」

「あぁ…えっと…。」

「バンドのみんなもライブハウスでは納得してたけど、流石に急で驚いたからさ。真紀ちを迎える準備でもしてたって事前に聞いてたわけでもないし。事情が知りたくて。リメさんは、うちらの仲間だから。」


 仲間。一つの物事へ一緒に走る者のこと。互いに支え合うメンバーの1人に突然子供でもない、女の子がくっついてきたら。興味よりも大きい心配、疑問が勝つ気持ちはよくわかった。


(隠すことじゃ…ないよね。それに、美華さんは私の事友達って言ってくれた。)


 出来る限り、友達に隠し事はしたくなかった。

 なので、私は話した。自分の生い立ちと、誤った決意を。その後日崎さんに拾われて今に至る経緯までを全て美華さんにさらけ出した。話している途中、どうしてかどんどん美華さんの顔が青ざめていってたんだけど…


「で、今こうして住まわせてもらってる。ます。」

「ご、ごめんなさい!!」

「え……?」


 私が話し終わると、美華さんはすぐに頭を下げてベッドに沈みこめた。よく見ればいつの間にか足も畳んでいて、気づかぬうちに私は女子高校生を土下座させてしまっていた。


「み、美華さん!?頭上げてください、どうしたんですか?!」

「気軽に聞いちゃダメな話だった。軽薄だった。ごめん、真紀。」


 顔を上げてくれた美華さんは、いつもの調子とはどこか雰囲気が違って。黙ってそのまま私の手を取って、握ってくれた。日崎さんよりも柔らかくて、もっと暖かい気がした。


「あーそうかー…。うー…消化できない…。でもリメさんがやけにぼかしたのもなんとなくわかったなぁ…。」

「えっと…しない方が良かったですか?」

「まぁ~…そうね、うん!しない方が良かったかもしれない!いや嬉しいよ。うちには話しても良いって思ってくれたんだもんね。ありがとう。」


 ありがとう。私は何もしていないのに、貴重な感謝の言葉をもらってしまった。


「無暗に人に話すものでもなかったって意味。うちも誰にも話さないって約束する。今後は気を付けて。その…真紀ちには悪いけどさ、気分のいい話じゃないから…。それに多分リメさんも嫌がる。」

「わ、わかった。です。」


(あんまり人には話さない…そうしよう。)


 話し終えて謝られるような話なんだから、そりゃしない方が良いに決まってる。むしろ最初に聞いてくれたのが美華さんで良かった。こんなに真正面から受け止めてくれる人も、早々いないだろうから。もしかしたら傷つくのは私の方だったかもしれない。


「にしても中1のくせにハードな人生ね…真紀ち。うちなんか友達とシール交換してたよ。なんか情けない…。」

「楽しそうです。」

「今度やる?いいよ、シール帳余ってたし。あげるあげる。」

「交換…。」

「あくまでその過程が楽しそうって言ったのね…。じゃあ今度買ってもらいなよ。リメさんに。」

「けど…あの。これ日崎さんに言わないでほしい。んですけど。」

「うんうん、何?」

「あんまり迷惑をかけたくないんです。これ日崎さんに言うと『嫌い』って言われて怒られるんだけど…。」

「え、リメさんそんな子供っぽい事言うの?意外だな…『アイビー』のみんなも言われたことないよ多分。」

「そうなんですか?」


(私にしか言わないんだ…嫌いって。)


 日崎さんの特別になれた気がして嬉しい反面、嫌いって言われるだけの特権は堂々とはできないなぁと複雑な気持ちになった。


「あ、てか今さら迷惑とか言っても仕方ないでしょ。アパートから落ちて病院行ったんだったら。真紀ちの保険証もないだろうしさ。もうすでに君は十分迷惑をかけているのさ!ははは!」

「え?病院は多分行ってないと思いますけど…。」


 そんな覚えは一切ない。


「うそだぁ。2階から落ちたんでしょ?ふつー病院だって。死にはしなくても流石に連れてくよ。リメさん常識あるもん。麻衣子姉さんならわからない…。」

「てことは…意識ないうちに私、病院行ってたってことですか?」

「そうなんじゃないの?真紀ちどんくさいから気づかなかったんだよ、多分。はははー。」


 よくよく目を覚ました時の事を思い出すと、日崎さんは『骨折はしてないみたい。』みたいなことを言っていた気がする。普通に考えたらおかしい、体を見ただけで骨がおれてるかどうかわかる超能力でもなければその発言が出てくるわけがない。

 いつの間にか病院に連れていかれてたんだ、私。


「お、お金どれくらいかかるんですか。それは。」

「うち勉強したよ最近。ちゃんとした検査したなら…3000円くらい。」

「さんぜんえん!?」


 私の食費6日分ではないか。


「あ、でも保険証ないと国がお金出してくれないから3倍くらいにはなるのかな?」

「3000円の3倍…9000円…。」

「そうだね、1万円くらい。素人の憶測だからもしかしたらもっといってるかもね。」

「噓…。」


 確かにここまでくるともう美華さんの言う通り迷惑をかけないとか思ってる場合ですらない。衣食住に病院に…さらにクルミまで洗ってもらってしまった。

 申し訳なさが全身を駆け巡り浸透していく。気がした。


「私も日崎さんに頭も上がらないし足も向けられない…。」

「それは土下座では。はははっ!」

「笑い事じゃない!です!私もう一生をかけても返しきれないです…。うう…。どうしたらいいの…。」

「とりあえず、今日リメさん帰ってきたらありがとうって言えばいいんじゃない。」

「それだけでいいの?ですか?」

「もちろんいつかはちゃんと何らかの形で返さなきゃ。命の恩人なんだもん。でも、大人になるまでは甘えなよ。素直にさ、リメさんに。」

「私日崎さんの子供じゃないですよ…?」

「別に血のつながりだけが親子じゃないでしょ。うちパパのこと親子だと思ってないもん。何もかもがそりがあわないんだよ。ラーメンはうち醤油派だけどパパみそ。ドーナツはうちポンデだけどパパはチョコオールド。…うちは隠し子だったのかもしれない。うーむ。」

「血のつながりだけが親子じゃない…のか。」


 美華さんの言葉は後半イマイチよくわからなかったけど、一番最初のその言葉は何故だか不思議と私の心に浸透していった。すーっと、何の抵抗もなく。


 プルルルル


 瞬間、固定電話の鳴る音が聞こえて来た。


「お、真紀ち電話だよ。取って来て。」

「犬…。」


 不本意ながらも、真面目な電話かもしれないものを美華さんに代わりに取ってもらうのは気がひけるので、私はベットから降りてその電話を取りに行った。


(誰だろ。日崎さんかな?また迷惑電話かも。)


 日崎さんからは後者の場合は何のためらいもなく切って良いと言われていた。一度やったら少し楽しかった。


「もしもし、なんでしょう?」


 しかし、受話器から流れて来た音波は予想のどちらでもなかった。


[【ターゲット・ミュート・ナイトコア】]

「え?」


 それっきりでプツンと電話は切れてしまった。ツーツーと冷たい電話終了の音だけが聞こえてくる。


(たーげっと…ないとこあ?どういう意味だろ…。)


 考えてみたものの、ろくに最近学校も行っていない中1の私では解読することなんて到底できなくて、諦めた。


「間違い電話…かな?」


 その時は特に気に留めず、美華さんの部屋へと戻った。

 この電話のことを17時に帰って来た日崎さんに伝えていたら、未来が少し変わっていた可能性があることを当然私が知る由はない。



 ・・・



 ガチャリと玄関の扉が開いた音と同時に私は時計を見た。時刻は16時を示しており、日崎さんが帰ってくるには少し早い時間帯。


(どうしたんだろう?)


「ただいまー。」

「おかえりなさい!マイハニー!」

「帰れ。」

「えぇえええ!?いつでもいて良いって言ったじゃないですか!話が違う!」

「おかえりです、真紀さん。」

「ん、ただいま。足はもう大丈夫か?体痛いとこない?家事無理なのはなかった?私が代わるよ。」

「問題ないです。家事は全部できました。」

「偉いね。何か買ってあげよう。」

「うちの時と反応が違いすぎませんか…。」

「買うって…どこか行くんですか?」


 私は日崎さんの荷物を受け取りながらも聞いてみた。


「土曜は大抵冷蔵庫の中すっからかんだからね。スーパー行くよ。だから早めに帰ってきたの。真紀が食べたいの買おう。もう出れる?」

「はい!あ、荷物だけ置いてきます。」

「ありがと。」

「うちも問題ありません。行きましょう。」

「帰れ。」

「絶対行く!」

「…荷物持ち。」

「ふへへ…リメさんの荷物…ふへへ。」

「美華、お前高校で友達いるのか…?」


 そんなこんなで私と美華さんと日崎さんで買い出しに行くことになった。近くのスーパーは徒歩で行ける範囲内にあって、一度おつかいに行ったことがある。そこそこに広く、辺りに住んでいる老若男女問わず愛されているお店だ。昔からあるらしいんだけど、古さを感じさせない清潔具合は価格高騰の現状でも根強くお客さんが来る秘訣だったりするのかもしれない。


「さてと、美華。カゴ。」

「はいリメさん。今日の夕飯は何の予定ですか?」

「美華は親御さんの作るご飯食べなさいよ。」

「あ、もしもしママ?今日もリメさんのとこでご飯食べてくね~。」

「コイツ、流れるように通話しやがって。全く…。真紀は、何食べたい?なんでもいいよ。」

「えーと…うーん。」


 日崎さんの作る料理ならなんだって美味しいので、ここは何でもいいですと答えたいところだけどそれでは多分困らせてしまう。明確に、けどできる限り作りやすいご飯、なんだろ…。

 悩んでいると、ふと目に入ったものがあった。


「…やきそば?」


 そう書かれたプラ包装に包まれたラーメンみたいな色をした麺が入っているものをみつけた。これが焼きそばだっけ?


「良いね真紀ち。うちも焼きそばが良い!」

「焼きそばって、おにぎりじゃないんですか?」

「出た、真紀のなんでもおにぎり概念。たまにあるけどさ、やきそば風おにぎりみたいなの。じゃあ今日はやきそばにしようか。ちゃんとした焼きそば真紀に食べてもらうためにも。」

「え、焼きそば食べたことないの?真紀ち……あ。」


 美華さんは今日ベットの上で話したことを思い出したようだ。


「リメさん、世界一の焼きそばをお願いします。真紀ちの為に。」

「真紀の為だとしてもそれは難しいなぁ。そうだな…焼きそばか。真紀、もやし持ってきてくれないか。安いやつ。」

「わかりました。」


 日崎さんの傍から離れ、もやしのある場所まで移動した。前に来た時のおつかいメモにも、もやしは入っていたのでそこまで時間をかけず見つけることができた。


(早く戻ろ。ん?…わ、懐かしい。)


 戻る道中、カップラーメンコーナーを見つけた私は懐かしさに引っ張られてしまった。カップラーメン、お湯を淹れて3分待つだけで熱々の美味しいラーメンを食べられる画期的な食べ物だ。


(おにぎりばっかり買ってた私に、たまにはカップ麺もどう?って教えてくれた店員のお姉さん元気かな。)


 最初お湯を入れるなんて知らなかったから、店員さんがコンビニのポッドを使って淹れるところを目を輝かせながら見ていたのをよく覚えていた。冷たいおにぎりばかりだった食生活に革命が起きたと思った。

 けれど2食を500円で済まそうとすると、少しカップラーメンは高かった。

 だからテストで良い点を取った日や、友達に褒められた日とか。良いことがあった時用に10円前後のおつりを貯めて買うことにしてたんだ。


「わ、コンビニだと高かったけどスーパーは安いや。こっちに来れば毎日カップ麺だったのか…。」


 少し前の私なら脳内で踊りあかしただろうけど、日崎さんの作る暖かく美味しいご飯を味わってしまった現状では微妙に感じた。我ながら贅沢な人間になったものだ。


(あ、早く戻らなきゃ。日崎さんが待ってる。)


 私は急いでしまって、周りを見ずに動き出してしまった。そのせいで近くにいた人にぶつかってしまった。


「あたっ!」

「あら、ごめんなさ……真紀?」

「え……おかあ、さん…?」


 ぶつかった相手は、お母さんだった。橘京子。最後に見た時より随分とやつれて見えたその人物は、私を置いて捨てた最低の人間。


「貴方まだ生きてたの?悪運強いのね。」

「出て行ったんじゃ、ないの。」

「近くを寄っただけよ。……ふん、もやしに、カップ麺?自販機の下でも漁って生活してるの?辛くない?」


(そうだ、忘れてた。私のお母さんはこういう大人だ。)


「もしくは誰かに拾われてたりするの?そうよね、服綺麗だものね。そのクマも。……ぬいぐるみのくせに随分と小奇麗なことで。」


 自身に都合が悪い事は無視か嘘を吐いて、自分の責任を運命のいたずらによる不幸だと決めつけ嫌な感情を誰彼構わずぶつける、そんな大人。

 以前の何も知らない私は、お母さんの言う事は全て正しいんだと思った。

 生まれる意味のない子、何をしても無意味。いるだけで邪魔。必要がない。

 全てを真に受けてしまっていた。


(でも……違う。そんなことない。)


 私は日崎さんから少しでも自信をもらっていた。心の余裕が出来た今ならば……!!


「人に迷惑かけて生きてるのね。」

「っ……。」


 人はそう簡単に変われないことを、私は知った。

 こういう時に限ってお母さんは間違ったことを言わない。一番言われたくない、わかり切ってる言葉を行ってくるのが親だ。

 直りかけていた心の柱が軋む音がする、ぎしぎしと……ヒビが入って。


「あーあ、1人で生きて行けるなら尚更さっさと出て行けばよかったわ。毎日毎日500円、無駄なお金使わせて。面倒な育児だったわよほんと。最初から育てるんじゃ…

「それは育児とは呼びませんよ。……おばさん。」

「日崎さん……。」

「おばっ…。」

「ごめん、真紀。1人で行かせなきゃよかった。」


 私とお母さんの間に、日崎さんが割って入って来た。買い物かごで。

 当たり前のことのように私を自身の体に寄せてくれたことが、小さなことだけどなんだか嬉しくて涙が出そうになる。


「ふ、ふん。この人が居候先の人?あなたも大変ね、こんなのを拾って。」

「お言葉ですが。拾うとか、こんなのとか。使わないでくれませんか。真紀は1人の人間です。機械じゃない。」

「けど大変でしょ?機械でも人でも、何かを消費しなきゃ生きて行けない。なんなら機械の方がまだマシよ。電気を流した分働いてくれるんですもの。けどこの子は何もしない。何もできない。食べて寝るだけの存在ですよ?そんなの、生きているだけで無


 刹那。パァン!と気持ちの良い音がカップ麺コーナーに響いた。大人同士の喧嘩は怖くて、ずっと項垂れてたけどその音に流石に私は顔を上げた。

 外れていてほしかったけれど、想像通り日崎さんがお母さんの頬を思いっきり叩いていた。グーじゃないだけまだ温情があったのかもしれない。


「あ、貴女何するのよ!?」

「今何言おうとした、お前。生きてるだけで無駄って言おうとしたのか!?」

「ひっ……。」

「子供は成長するのが仕事だ!冷たく、プログラム通りにしか動かない機械と一緒にするな!……あんたに真紀の母親を名乗る権利はない。もう二度とこの子の前に現れないでくれ。」

「な、何様よあなた!!ただの他人のくせに人の家庭事情に踏み入ってくるなんて!け、警察を呼ぶわよ!」

「………せに。」

「は?」

「私の事、捨てたくせに!!!」

「それ……は。」

「……。」


 真っ白になったお母さんを見て冷静になり、自分でも驚いた。こんな大きな声で、はっきり自分の意思をお母さんに伝えた事なんて生まれて初めてだったから。

 突然私が声を張り上げたから日崎さんもお母さんも、固まってしまって。


「はーいお二人さんちょーっとヒートアップしすぎですよ~。落ち着きましょうね~。周りの人びっくりしてますから。店員さん来ちゃいますから。」

「美華さん!」


 静寂を破った美華さんの言葉通り、ふと辺りを見渡すといつの間にか人が集まってきていた。


(こんなにいっぱい!?ぜ、全然気づかなかった……。)


 大勢いる中で大声を出したことが今さらになって恥ずかしくなり、私は日崎さんの背中に隠れた。


「あとー、真紀ちの、お母さん?」

「な、何よ!あんた誰よ!」

「友達です、真紀ちの。それと、警察呼んで困るのそっちですよね。」

「はぁ?!」

「うち知ってますよ。近くのコンビニで万引き、公園の子供に大声出したり。駅でも迷惑なくらい騒いで。高校生の中でもヤバいヤツ認定されてますから、あなた。」

「うっ……ぐっ!!最悪な日よ!今日は!」


 お母さん……いや、京子さんは顔を真っ赤にして買い物かごを振り回しながらその場を去って行った。事が終わったと判断したのか、集まってきていた他のお客さんも段々と散り散りになっていく。


「ふぅ、怖かった。世に解き放たれたモンスターペアレントは手の付けようがないっすねぇ。で、真紀ち大丈夫?怪我とか?」

「だ、だいじょぶ。……です。」

「良かった。そしてはい、リメさんはアウトー。」

「は、はぁ?」

「ビンタはダメですよ、大人なのに。ねぇ真紀ちー?」

「ぼ、暴力はダメです。」

「ほら。」

「うぐっ……そ、そうだな。悪い、良くないとこ見せた。少しイラつきすぎて。」

「まぁ気持ちはわかりますけどね。うちも遠くから眺めてましたけど、拳が震えて震えて。あと少しで美華ちゃんパンチが炸裂するとこでしたよ。」

「……最初から美華さん見てたの?」

「あ。」

「ビビりめ。」

「さ、最後助けたじゃないですか!ほら、早く買い物済ませましょうよ!」


 ぷんすかと足を大きく開いた変な歩き方で美華さんは日崎さんから買い物かごを、私からもやしをふんだくって歩いて行った。


(怖くても助けに来てくれたんだ、美華さん。……優しいな。)


 私にもあんな度胸があればな、と羨ましく思っていると日崎さんがいきなり私の手を握って来た。


「真紀、ごめん。冷静じゃなかった。……美華の言う通り、叩くなんて。大人の対応じゃなかったわ。」

「けどスカッとしましたよ、私。」

「……へへっ、だよな?」

「助けてくれてありがとうございます。」

「それは美華に言いなさい。私はただ言いたいこと言っただけだから。」


 ぎゅっと日崎さんの手を強く握ったら、ぎゅーっと同じように返してくれた。今の会話は二人だけの秘密。そう、言葉はなくとも私たちは伝えあえた。

 波乱万丈な買い出しだったけど、その後はこれといったことはなく無事家に帰ってくることができた。日崎さんはすぐ焼きそばを作ってくれて、美華さんは誰よりも早く席について……。


「んまぁっ!リメさん!りめさぁん!」

「名前を呼びたいだけでしょうがそれはもう。真紀は?おいし?」

「感無量です。」

「どこで覚えたのその言葉……。」

「あの、美華さん。」

「ふぁあに?ごくんっ。」

「私のお母さんがその……悪い意味で有名ってどういうことですか。」

「あー……あー?」

「私を見るな。というか美華。真紀の事情聞いたのか?」

「はい、実は教えてもらいました。もちろん誰にも言いませんよ!……うちでも、言いふらすような話じゃ絶対ないことだってくらい、判断着きます。さて、焼きそばをもうひとくちぃー!」

「美華さん。」

「……はぁ。わかったよ、教えてあげる。って言ってもこれ噂だからさ。信憑性ないのに話しちゃっていいのかなって。悩んだの。」


(しんぴょうせい……確か間違いかもしれない、みたいな言葉だ。本当の事じゃないかもしれない情報……。)


 別に良いと思った。どうせ良い方向に間違った情報なんて、あの人にはないだろうし。


「それでもいい。です。……自分のお母さんが、どうなったのか知りたい…から。」

「……リメさん。」

「良いよ、真紀が望んでるなら話して。私も知りたいし。」

「わかりました。」


 そこから美華さんは京子さんの現状について、確証はないものの教えてくれた。まず、別に遠くへいなくなった訳ではないということ。

 配偶者と歩いているところは誰も見たことはないらしく、常に顔をしかめていて警察のお世話になっている場面を見た人はいるとのこと。


「万引き……まで。。」

「相当お金に困ってるんじゃない?見た感じ痩せてたし。あれはヤバいね。真紀ち、離れられてラッキーじゃん。」


(そういえば、カップ麵コーナーにいた。……お金なかったんだ、京子さん。)


「美華。どんな人だったとしても真紀の母親だぞ。」

「す、すいません…。」

「大丈夫です、もう。2度と戻る気はないですし、お母さんだとももう……思ってません。」

「真紀……。」

「私とはなんも関係ない他人です、もう。……良いんです。言いたいことは、言えましたから。」

「あれは痺れたよ、真紀ち。【私の事、捨てたくせに!】って。それで勇気もらって出て行ったもん。」

「そうだな。言ってやったのは良い事だ。間違いじゃない。けど真紀、お互い反省しよう。公共の場で騒がしくはしないって。」

「はい。」

「不本意ながらその点はこのJKがまともだった。」

「もっと褒めてください。」

「帰れ。」

「嫌でーす。リメさんが入った後のお風呂に入ります!で、リメさんのベッドに泊ります!」

「あ、もしもし内藤さんですか。美華さんがもう帰りたいらしくて、はい。すいません迎え来てもらえますかね。」

「こ、この人!流れるようにママに電話しやがった!」

「ふふっ。」


 そうして、神経のすり減った1日は幕を閉じた。確実に前進出来た気がした。京子さんと再開したのはびっくりだったけど、日崎さんに美華さんが守ってくれたのがとても嬉しくて。2人のおかげで今日が良い日で終えられたんだから、感謝しかない。

 ただ1つ、違和感が喉に突っかかっていた。この違和感の正体は、寝るまでわからなくて、寝てしまって次の日にはもう覚えていなかった。



 ・・・



 5日後


 久しぶりの学校にも慣れてきた頃だ。月曜日登校した時、何か先生に言われるかと怯えていたけど、気持ち悪いほど何事もなく学校生活が再開してむしろより不安になった。

 そんな元々日常だったはずの非日常を今日も終えて、家に帰る道中のこと。


(家事早くやらなきゃ。クルミもぎゅーってしなきゃだし。やることいっぱいだ。)


「にゃー、可愛いねー。」

「……間場さん?」

「おっふ、真紀氏。下校中かな?乙です。」


 道端でしゃがんでいた間場さんを見つけた。相変わらず小さな女の子のぬいぐるみと、萌え萌えなTシャツを着ていた。そんな間場さんが、咄嗟に背中に何かを隠したのを見逃さなかった。私の勘がそこに何か小さい生命があると囁いている。


「ねこちゃん!」

「あちゃあ……見つかっちゃったお。真紀氏抜け目ないねぇ。」

「捨て猫ですか?」

「っぽいの。僕、ぬこを見過ごせないたちで。」

「好きなんですか?」

「すこすこのすこだよ。」


(……間場さんと話すの、疲れる!)


 独特な語彙に頭が疲れる。なんかめんどくさくなったので、私はさっさと家に帰る事にした。することも多いんだし。


「私もう行きますね。」

「あ、待って真紀氏。」

「はい?」

「ぬこ様を引き取ってくれぬ?」

「え。」

「僕の家で匿ってあげたいのも山々なんだけど、もう我が家3匹もぬこ様がいるんだ。流石にオーバー、ぬこ様のハピネス致死量なのだ。てことでどう?」

「私の家、今日崎さんのとこなので日崎さんに確認しなきゃなんですけど……。」


 居候のくせにさらに日崎さんにお金をかけてしまうような行為、ちょっと気がひけた。けれど段ボールの中の猫はつぶらな瞳でこちらを見つめてくる。

 やめて見ないで拾っちゃう。


「ふぅむ、それはダメですなぁ。ならば今日は僕の家でこの子を匿う故、聞いてもらえない?飼っても大丈夫かどうか。」

「わかりました。聞いてみる。ます。」

「うん、ありがと。」

「……は、はい。」


 基本変な言葉と変な表情の間場さんが、突然無邪気そうな笑顔を向けてそういったので、思わずドキッとしてしまった。イケメン恐るべし……。


(そう言えば、日崎さんの仲間さん方は皆すぐにありがとうって言ってくれる。……優しいからかな。)


「こんなオタクと話してくれたので、こちらもさしあげちゃいまつ。」

「なんですか?これ。」


 渡されたのは1枚の紙だった。


「今度の日曜日に僕たち『アイビー』がライブをするときのイベントのチケット。お金はいらないンゴ。個人的なお礼。」

「い、良いんですか?」

「うん。真紀氏が日崎氏と会った影響か、最近日崎氏が笑顔をよく作るようになったんだ。元々笑わない人って訳じゃなかったんだけど、作り笑いなところがあって。バンドの空気も柔らかくなってやりやすいし、僕らみんな感謝してるんだお。だからお礼のライブチケット。絶対来てクレメンス。」

「じゃあいただきます。……あの、元々の日崎さんがいないバンドメンバーはどんな感じだったんですか?」

「元々は麻衣子氏と来都氏のお二人と、個人でピアノを弾いていた僕が集まってバンドを組んだんだお。そこに当時の古参ファンの美華氏が加入して、伸び悩んでるところで日崎氏を麻衣子氏が連れてきてくれたんだ」

「へぇ……美華さんは元々ファンだったんですね。」


 中学校の同世代の友達は未だできないのに、大人の皆さんのことばかり知って行って。こんな学生は日本中でもあんまりいないだろうなと自虐する。


(けど幸せだ。なら良いか。)


「ありがとうございます、色々教えてくれて。面白かったです。」

「ちなみに麻衣子氏と来都氏は大学の後輩先輩関係だお。」

「そうなんですか!?」


 ギャルとアフロが。そう言われるとそんな気がしてきた。


「ぬふふ、真紀氏が喜んでくれて何よりでつ。では僕はぬこ様を一時引き取るから。日崎氏に確認お願いね。」

「はい。それじゃ。」

「ぐばーい。」


 猫を抱えて、間場さんはいなくなった。やっぱり変な人だけど、やっぱり良い人だ。

 一瞬、同い年と会話するより少し年上の人と話した方が楽しいと思ってしまった。

 もう中学校で友達は作らずこのまま……


(だ、ダメダメ。日崎さんにちゃんと学校で友達作れよって言われたんだから……怒られちゃう。)


 私は頭をぶんぶん振ってから、もらったチケットを丁寧にノートの間に挟んでから帰路を再開した。

 ライブは日曜日、当然何も用事はない。


「そうだ、どうせならサプライズで行こう!客席に私がいたら、日崎さん驚いてくれるかも。」


 やっぱり、日崎さんと関わり出してから毎日が楽しい。

 昨日あったことを思い出せば頬が緩むし、今日の夕ご飯が何か考えるだけでお腹がすく。明日、どんな曲をギターで弾こうか悩むだけで学校が頑張れる。

 今まで重たい何かを背負っていた分、軽くなった私は飛べそうなくらい毎日が幸せだった。


 ずっと、こんな日々が続けばいいのにと。

 ちなみに日崎さんは猫アレルギーだったので、周りに周ってあの猫はアフロの元へとお出迎えされたらしい。



 ・・・



 日曜日


 チケットに書かれていたライブの時間は17時と、少し遅めだった。でも多分ライブハウスのライブってこれが普通なんだろう。今日1日楽しみにしながら、ふんふん♪と変装の準備をする。サングラスに、マスクを用意。もちろんクルミにも。

 楽しみにしていればしているほど時間が過ぎるのは遅いもので、けど案外16時くらいまで来るのは一瞬で。


(チケット準備OK。クルミも変装ばっちし。あとは日崎さんが出かけたらこっそり追いかけて……)


「真紀ー?行くよー?」

「え、あ、ど、どこにですか?」


 玄関から大きな声で呼ばれて、私は慌てて飛んでいった。


「何って、ライブ。今日。」

「……わ、私も?」

「そうだけど…行かないの?」

「行く。ます。けどその……え?教えてなかった……ですよね。」

「あれ、そうだっけ?ふふっ、言った気になってたわ。私の特権でライブの裏にタダで入れるから、お金も必要……あれ?そのチケットいつの間に?」

「間場さんがくれました。お礼だって。」


(でも裏入れるのか。間場さんには悪いけれど、チケットは使わず仕舞いになっちゃいそうだ。後で謝っておこう。)


「何のお礼だ。浩太朗のやつよくわからないことするのよね、たまに。」

「日崎さんが良く笑うようになったのがお礼と。」


 そういうと日崎さんは口をムの字にした。最近この表情が何なのか、わかってきた。


(にやけそうなの我慢してる顔だ……。)


「そ、そう。自分じゃわからないな。」

「間場さん変な人ですけど良い人ですよね。」

「ふふっ、そうなんだよ。変だけど悪い奴じゃないんだ。実は最初さ、私が『アイビー』に加入するの、浩太朗は反対だったんだよ。」

「そ、そうなの?ですか?」

「なんでだと思う?」

「えっと……日崎さんが好きじゃなかった、とか。」

「あっはっは!そんな単純じゃないよ。てか逆。浩太朗は私の大ファンだったらしい。」

「じゃあどうして?」

「【日崎氏には日崎氏の人生があるから、僕らがわざわざ足をひっぱるのはダメだ。】って。あの頃4人とも売れなくて悩んでたのに、それでも私の事優先したんだ、アイツ。」

「へぇ……。」


 正直言って間場さんが一番何を考えてるかわからない人だったけど、そんなカッコいい事も言うんだなと少し印象が変わった。万崎さんが【来都はオタクじゃなきゃモテるのに】って言ってたのがより実感できる。


「なんだかかっこいいですね。」

「あぁ、浩太朗はピアノめちゃくちゃ上手いし、『アイビー』の要だよ。……っと、話してる場合じゃないな、早く行って準備しなきゃ。行こ、真紀。」

「はい!」

「にしても今日のクルミはなんでそんな不審者みたいな恰好なんだ?眼鏡にマスクて。私とお揃いじゃん。」

「……イメチェン。」

「ユニーク~。可愛いからよし。」

「日崎さんはなんでサングラスとマスク?ですか?」

「そりゃ、有名人だから。」


 ニカっと笑う日崎さん。この時は冗談かと思ったが、ライブハウスに行くとそれが嘘じゃなかったことが分かった。

 その後、日崎さんと共にライブハウスへ着くと前に来た時より明らかに違うことがあった。


「人いっぱい……。」

「いつもこんなもんだよ。私たちがライブするときは。」

「すごいですね!」

「ふふん、すごいでしょ!」


 無邪気に鼻を鳴らす日崎さんが、その時だけ一瞬子供のように見えた。大勢のファンであろう人々が、スタッフの人にチケットを見せている。スタンプを押している様が見えた。どうやらあれで使用済みかどうか判断するみたい。


「それじゃはぐれないよう手つないでおこうか。」

「……日崎さんと手つなぐの、私好きです。」

「…私も。」


 やっぱり暖かい日崎さんの手をぎゅっとして。あの狭い廊下を通って行き、そのままステージに行くのかと思いきや飲み物を出しているスタッフさんに紙を1枚。それからステージの裏の方へと向かう。


(今のなんだろ?)


「真紀、こっちだよ。裏。」

「はい。」


 手をひかれるまま、皆さんの待機場所へ移動しようとして……。


「え、待ってあれリメじゃない!?」

「うわ本当じゃん!ファンでーす!!」

「頑張ってくださーい!」

「……。」


 日崎さんは何も返さず、手を振るだけで済まし今度こそ私たちは裏方へと足を踏み入れた。同時に扉の外から歓喜の声が聞こえてくる。


「きゃーっ!手振ってくれたぁ!」


 顔も合わせた訳でもないのに、ノールックで手を振ってもらっただけであんなに喜べるのかと純粋にびっくりした。


(それだけ日崎さんが好きなんだ……。じゃあ、私も日崎さんに手を振ってもらったら嬉しいのかな。)


「日崎さん。」

「なに?」

「私に手振ってみてくれませんか。」

「……良いけど。」


 実際手を振ってもらったが、きゃーっ!と黄色い歓声をあげたくはならなかった。


「やっぱりなんでもないです。」

「本当に何……。」

「あ、まきまき!来てくれたの?!まじうれしぃ~!りめっちも、よっ!」

「あぁ、麻衣子今日は一段と髪型決まってるじゃない。」

「でしょ~。」

「新原さん!お久しぶりです。服可愛い!」

「ありがと!可愛っしょ、このT。みんなでお揃いなんだよん♪。」

「それがバンドTだからな。リメさん、お疲れ様です。」

「お疲れさん。調子は?」

「最高です!」

「万崎さんこんばんは。」

「おう、良く来たな嬢ちゃん!今日は楽しんでいってくれよ!」

「万崎さんもバンドT似合いますね!」

「だろぉ?誰でも似合うようにデザインしたんだぜ!」

「浩太朗がね。アイツ絵も描けるとか、やばすぎ~。」

「へぇ…いいな。」

「まきまきも着る?外のグッズ売り場で買えちゃうよん。てか買って、資金源。」

「中学生にたかるな、大人が。」

「ジョウダンやんりめっち~♪」


 早速新原さんと万崎さんが私に会いに来てくれた。2人とも今日のライブに合わせ、半袖のバンドTシャツを着ていて。絵柄は緑色の葉っぱにいろんな色のハートが描かれた可愛らしいイラスト。なのに背景は雷が走っていたり、小さく女の子のイラストも入っていて。なんだか『アイビー』の皆さんをそのまま表しているようで、ちょっと羨ましくなった。


(仲間同士で同じことをするのって、なんだかとっても素敵だ。)


「来都、麻衣子。私着替えてくるからちょっと真紀のこと頼む。飲み物はもう頼んでるから。」

「りょ!」

「任せとけい。」

「じゃ、行ってくるよ。真紀。2人に何かされたらすぐ呼んで。」

「りめっちは私たちのことなんだと思ってるのさ!」

「そうだぜ、これと一緒にされるのは心外だ。」

「あぁん?やるか?お?ギャルキックくらうか?」

「アフロパンチを貴様はまだ知らないようだな。」

「あはは…。」


 日崎さんは2人が睨み合う様子を微笑ましそうに眺めてから、更衣室があるのであろう方へと歩いて行った。あのバンドTシャツは日崎さんも似合いそうだ。


「だ~れだ。」

「わっ!…って、声で分かりますよ。美華さん。」

「正解。来たんだね、真紀ち。」


 振り返ると、もちろん美華さんがいた。もうベースを持っていて、当然バンドTシャツも着て。笑ってた。


「似合ってます。服。」

「ありがと。真紀ちも今日は服可愛いよ。……でもなんでクルミちゃんグラサン?」

「ほんとじゃーん。かわよ。なに、オサレに目覚めちったか!クマのくせになはは!」

「マスクってことは花粉か?わかるぜ、俺も花粉症でな。」

「おっさん。」

「おっさん。」

「花粉症は年齢関係ねぇよ!」


 1人1人キャラが濃くて騒がしい分、3人集まると余計騒がしい。でももう私は知っちゃってる。5人全員そろえば、『アイビー』はとんでもなくカッコいいってこと。


(かっこいいと言えば間場さん……ん?いない。)


 私は一度辺りを見渡して、1人足りないことに気付いた。


「あの……間場さんはいないんですか?私言いたいことがあったんだけど…。」

「さっきいたよー?」

「トイレじゃね。もしくは推しに見惚れてるか。」

「ほっといていいよ、真紀ち。浩太朗はいつもふらふらしてるから。」

「そう、ですか……?」

「そうだ、麻衣子先輩。嬢ちゃんの飲み物が用意されてるみたいなことリメさんが言ってなかったか。」

「そーじゃん。行かなきゃねぃ。」

「あ、それなら私も……。」

「座ってなよ、真紀ち。お客さんなんだし。」

「そーそー。黙ってもてなされな!じゃ行くよアフロ。手足りない。」

「ほいよ、麻衣子先輩。」

「ありがとうございます。」


 新原さんと万崎さんが待機室から出ていく。その背中姿が何故か不穏に見えた。


(なんでだろ、胸騒ぎがする……。皆さんいつも通りなんだけど……。。)


 鞄の中のチケットを取り出す。少しくしゃってなってしまっていた。謝るつもりだったが、ライブが終わってからになってしまいそうだ。せっかく用意してもらったのに使えませんでしたって。


「あれ、真紀ちそのチケットどしたの?」

「間場さんがくれたんです。お礼って。」

「へー……いや何の。」

「私が来たら日崎さんが笑顔になったからだそうです。良い人ですよね、間場さん。」

「うちはオタク嫌い……でもイケメンだからギリギリ許してる。」

「ふふっ、仲いいですよね。皆さん。」


 その瞬間、美華さんが何か呟いた。


「……い。」

「え?」

「ん?どうかした?」

「いえ……。」


(今何か……気のせい?)


 聞き取れなかったのか、それとも本当に私が幻聴でも聞いたのか。わざわざ聞き返すことでもないかと、気にしなかった。


「美華さん、ライブって何分くらいなんですか?」

「90分。一時間半だよ。」

「すごく長いですね。」

「まぁね、でも一瞬だよ。聞いてる側も弾いてる側も。」

「一応お手洗い行ってきます。」

「場所分かる?」

「大丈夫。です。来るとき見ました。」

「そ。クルミちゃん持っておこうか?」

「じゃあお願いします。」

「ほーい。」


 クルミを美華さんに任せ、私は待機室を出てトイレへと向かった。もうほとんどの人がライブ会場に入っているのか、さっきいたいっぱいのファンの人たちは廊下からいなくなっていた。


「ふぅ……あぁ。楽しみだな。」


『アイビー』のライブをまた聴ける。しかも特等席で見れるんだ。皆さんの好きなところを。

 歌う新原さんのいつもの茶らけた雰囲気ではなくキリっと目を細めるところが好きだ。シンバルを叩く瞬間の万崎さんのワイルドな笑った顔が好きだ。間場さんの軽やかな手つきが綺麗で好きだ。美華さんの怒ってるみたいに荒々しい、目立とうとしているベースが好きだ。

 そんな4人を引っ張る日崎さんのギターが、大好きだ。


「ん?これ……間場さんの?」


 トイレから出てふと足元に何かが転がっているのに気付いた。男子トイレの前に落ちていた、小さな女の子のぬいぐるみ。


(確か間場さんの推しの……椎名さん。)


 嫌な予感がした。ダメだとはわかっていて、男子トイレへと足を踏み入れる。

 心臓がばくばくと、体を振動させる。

 中は誰もいなかった。あったのは。


「あか、い?」


 個室の前に飛び散った、《《赤い液体》》。私はクルミをぎゅっとしようとして、美華さんに預けていたことを思い出し空ぶる。

 ゆっくりと、勇気を振り絞って前進する。恐る恐る、個室の中を確認した。


「……あいだば…さん?」


 間場さんが口から血を吐いて、座っていた。

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