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自分のための物語

作者: ドロップ
掲載日:2026/02/17

個人向けに作成しています。


横浜の古いアパート、3階の角部屋。

窓の外では、2026年の2月とは思えないほど冷たい雨が降り続いていた。

テーブルの上には、開封されて10年近く経つ『カタン』が広げられている。

六角形のタイルは角が少し欠け、木製の開拓者は何度か塗り直された跡がある。

赤・青・白・橙の4色のうち、今夜は橙だけが動いている。

プレイヤーは一人。

佐々木灯あかり、29歳。

残りの3色は、昔の「約束の相手」が置いたままの駒だ。

「あーあ、また羊ばっかりか……」

灯はサイコロを振った。

出目は4と6。合計10。

橙の開拓地が建つ丘のタイル(羊)が光るように揺れた気がした。

彼女は資源カードを一枚引く。

羊×1。

また羊。

この半年で、羊のカードだけが30枚近く溜まっている。

「交易……してくれる人、いないよね」

誰もいないテーブルに向かって呟く。

昔はここに4人がいた。

大学時代のサークル仲間。

毎週金曜の夜、この部屋でカタンをやって、笑って、時には本気で喧嘩して。

でも、最後のゲームの夜——

橙のプレイヤー、悠斗が言った。

「俺が10点取ったらさ、灯にプロポーズするわ」

みんな笑った。

灯も笑った。

でもそのゲーム、悠斗は本当に9点まで行った。

最後のサイコロが、灯の「盗賊」を動かしてしまった。

橙の街が奪われ、悠斗は「ま、いっか」と笑って、そのままゲームを降りた。

次の週、悠斗は交通事故でいなくなった。

それから灯は、毎月この日だけ、

4人分の席を用意して、一人でカタンを続けている。

他の3色は、悠斗が最後に置いた位置のまま。

誰も動かさない。

今夜、橙は9点。

あと1点で勝利。

でも必要なのは「小麦2+鉱石3+羊1」での都市化。

手元にあるのは羊が山ほどと、木材が2枚だけ。

灯はため息をついて、資源取引の宣言をする。

「羊3枚で……小麦1枚、誰かくれない?」

静寂。

すると、ふと——

青の開拓地が、かすかに動いた気がした。

「……1:1でいいよ」

声がした。

低くて、少し掠れた、聞き慣れた声。

灯は顔を上げた。

誰もいないはずの青の席に、

ぼんやりとした輪郭が浮かんでいる。

Tシャツにジーンズ、いつもの少し猫背の姿勢。

「悠斗……?」

「遅くなってごめん。

ちょっと道、混んでてさ」

幽霊みたいな彼は、苦笑いしながら資源カードの山を指差した。

「羊3枚で小麦1枚、交換成立な」

灯の手が震えた。

カードを差し出す。

確かに、青の側から小麦カードが一枚、滑るように移動してきた。

「なんで……今?」

「約束してたろ。

俺が10点取ったら、って。

でも俺、9点で終わっちゃったからさ。

代わりに、お前が10点取ったら——

俺の分まで、ちゃんと笑ってくれよって思ってた」

灯は泣きながら、都市化のカードをプレイした。

橙の開拓地が街になり、勝利点10。

ゲーム終了の瞬間、

部屋中のタイルが、ほのかに暖かい光を放った。

悠斗の輪郭が、ゆっくり薄れていく。

「最後にもう一個、取引いい?」

「……何?」

「俺の最後の羊一匹を、お前にあげる。

だからさ——

これからは、誰かと一緒にカタンやってくれ。

俺の席は、もう空けておいてもいいから」

灯は首を振った。

でも、声は出なかった。

最後に悠斗が笑った。

あの、ちょっと意地悪で、でも優しい笑顔。

「次は、新しい誰かと、

ちゃんと4人でやってみて。

……俺、見てるから」

光が消えた。

テーブルには、いつものカタン。

ただ、橙の街の隣に、

青の開拓者駒が一つだけ、

まるで「またね」と言うように、

そっと寄り添うように置かれていた。

灯はそっとその駒を手に取った。

「……うん。

次は、ちゃんと誘ってみる」

雨が止んだ。

窓の外に、横浜の夜景が少しだけ明るく見えた。

ボードゲーム大好きなので、題材として選ぶことが多くなるかな

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