表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放令嬢はドレスを捨てて鍬を持つ。  作者: 月雅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話 覇王の不器用なプロポーズ


「……静かになったな」


隣を歩くアレクセイの声が、茜色に染まるトマト畑に溶けていった。


あれだけ騒がしかった王国軍も、今はもういない。

残されたのは、風に揺れる作物の葉音と、遠くの村から聞こえる難民たちの笑い声だけ。

嵐が嘘のような、穏やかな夕暮れだ。


「ええ。おかげさまで、明日からはまた農作業に専念できそうです」


私は泥のついた手袋を外し、ポケットに入れた。

隣を歩く彼は、漆黒のマントを夕風になびかせ、皇帝としての威厳を漂わせている。

けれど、その横顔はどこか柔らかい。


「アレクセイ陛下。今回は本当にありがとうございました。軍まで動かしていただいて……」

「礼には及ばん。俺は投資先を守っただけだ」

「それにしても、鉱山の権利まで奪い取るとは。相変わらず商売上手ですね」

「君こそ。あの請求書の金額、俺の想定より一桁多かったぞ」


アレクセイが楽しそうに笑う。

私もつられて笑ってしまった。

こんな風に、国のトップと冗談を言い合えるなんて、数ヶ月前の私には想像もできなかっただろう。


私たちは畑の丘の上にある、一本の大きな樫の木の下で足を止めた。

ここからは、私が開拓した全ての土地が見渡せる。

緑の畑。水路。石造りの家々。

私の汗と涙と、魔力の結晶。


「……エレノア」


不意に、名前を呼ばれた。

振り返ると、アレクセイが真剣な眼差しで私を見ていた。

夕日を背負ったその瞳は、ルビーのように赤く、そして熱を帯びている。


「君に、話がある」

「はい? 追加の契約でしょうか。カボチャの増産なら……」

「仕事の話ではない」


彼は一歩、私に近づいた。

その圧に、私は思わず半歩下がる。

心臓がトクトクと警鐘を鳴らし始めた。

ビジネスモードの彼ではない。

これは――「男」の顔だ。


「単刀直入に言う。……俺の国へ来ないか」

「え……?」


私は目を瞬かせた。

帝国へ?

それはつまり、農園を捨てて移住しろということだろうか。


「あの、それは……専属の栽培師として、ということですか?」

「違う」


アレクセイは首を横に振った。

そして、私の右手を――マメだらけで、爪の短い、ゴツゴツした農家の手を、そっと両手で包み込んだ。


「俺の、妻としてだ」

「――っ!?」


思考が真っ白になった。

妻?

私が?

皇帝の?


「ご、ご冗談を! 私、バツイチ……じゃなくて婚約破棄された傷物ですよ? それに、見てくださいこの手を!」


私は慌てて手を引っ込めようとした。

恥ずかしい。

こんな泥臭い手が、皇帝の白魚のような手に触れていいはずがない。


「日焼けしてるし、ガサガサだし、鍬だこ(・・・・)だってあるんです! こんな手をした皇后なんて、帝国中の笑い者になります!」


「笑う奴がいれば、俺が斬る」

「そういう問題じゃなくて!」

「それに」


彼は私の手を離さなかった。

それどころか、親指で私の掌にある硬いタコを、愛おしそうに撫でた。


「俺は、この手が好きなんだ」

「え……」

「何も持たない荒野で、鍬一本で立ち上がり、民を守り、国すら退けた手だ。王宮で宝石を弄ぶだけのどんな令嬢の手よりも、俺には美しく見える」


彼の言葉には、一点の曇りもなかった。

真っ直ぐすぎて、火傷しそうだ。


「エレノア。俺は皇帝として、常に結果を求められてきた。有能か、無能か。敵か、味方か。……そんな世界で、君だけが俺に『ご飯はおいしいか』と聞いてくれた」


彼は少しだけ照れくさそうに視線を逸らし、また私を見た。


「君の作る飯を食べると、生きている実感が湧く。君が笑うと、肩の荷が下りるんだ。……俺には、君が必要だ」


「アレクセイ……」


胸が熱い。

鼻の奥がツンとする。

追放されてから、私は「一人で生きていく」と決めていた。

誰にも頼らず、自分の力だけで立つことが強さだと思っていた。


でも、この人は知っている。

私が強がっていることも、泥だらけで必死なことも。

その上で、「それがいい」と言ってくれる。


「でも……私、畑を離れられません。ここは私の命ですから」

「分かっている。だから、『国ごと』と言っただろう?」


アレクセイはニヤリと悪戯っぽく笑った。


「このオイレンベルク地方を、帝国の直轄領とする。君はその領主であり、同時に俺の妻だ。畑仕事は続けてくれて構わない。いや、続けてくれ。君のトマトが食えなくなると俺が困る」

「そ、そんな無茶な……。皇后が兼業農家だなんて」

「前例がないなら作ればいい。俺たちは『覇王』と『聖女(魔女)』だろう?」


彼は私の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。

距離がゼロになる。

彼の体温と、微かな鉄の匂い、そして日向のような匂いが私を包み込む。


「返事は?」


至近距離で見つめられ、私は観念したように息を吐いた。

勝てない。

鍬で岩盤を砕くことはできても、この人の直球な愛を砕くことはできそうにない。


私は彼の胸に、こつんと額を預けた。


「……高いですよ、私の食費は」

「構わん。国庫を空にしても養う」

「それに、怒ると鍬で殴りますよ」

「甘んじて受けよう。……だが、手加減は頼む」


ふふ、と二人の間で笑いが漏れた。

私は顔を上げ、彼の赤い瞳を見つめ返した。


「謹んで、お受けいたします。……アレクセイさん」


陛下、ではなく、名前で。

それが私の答えだった。


アレクセイは満足げに目を細めると、ゆっくりと顔を近づけてきた。

夕日が彼の背後で輝き、世界が黄金色に染まる。


「約束する。君と、君の愛するこの土地を、生涯かけて守り抜くと」


唇が触れた。

短く、優しい、誓いのキス。

それは甘いトマトのように瑞々しく、それでいて深い安心感に満ちていた。


遠くで、ベア吉が『ヴォフ〜ン(アツいねぇ)』と鳴く声が聞こえた気がしたけれど、今は無視だ。


「……さて」


唇を離し、アレクセイは私の肩を抱いたまま言った。


「契約成立だな。ではさっそく、今夜の夕食といこうか。腹が減っては愛も語れん」

「もう、雰囲気ぶち壊しですね」


私は呆れながらも、彼の手を握り返した。

その手は大きく、温かく、もう二度と離れないという強さを秘めていた。


「今日は特製のカボチャグラタンにします。カロリー高めですけど、覚悟してくださいね」

「望むところだ」


私たちは並んで丘を降りた。

繋いだ手と手が揺れる。

畑には、明日もまた新しい命が芽吹くだろう。

そしてこれからは、彼と一緒にそれを育てていける。


悪役令嬢として捨てられた私は、荒野で鍬を握り、そして――世界で一番幸せな「農家兼皇后」になる未来を手に入れたのだった。


【第10話へ続く】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ