第7話 元婚約者の愚かな誤算
私は愛用の鍬『あかつき丸』を肩に担ぎ、村の入り口へと続く道を大股で歩いた。
背後には、臨戦態勢に入ったベア吉(体長4メートルの魔熊)が、のっしのっしと続いている。
そのさらに後ろでは、難民たちが不安そうに身を寄せ合っているが、私は彼らに「下がっていなさい」と手で合図を送った。
村の境界線にある柵の向こう。
そこには、土煙を上げて並ぶ三十騎ほどの騎士団と、豪華な馬車が一台止まっていた。
馬車には、我が祖国オルド王国の紋章。
(本当に来たわね、馬鹿王子)
アンナの不審な動きから予想はしていたけれど、まさか軍を率いて強盗に来るとは。
落ちるところまで落ちたものだ。
私は柵の前で立ち止まった。
馬車の扉が開き、金髪の青年が降りてくる。
ジェラルド王子だ。
数ヶ月前、夜会で私を断罪した時と同じ、傲慢な笑みを浮かべている。
ただ、その服は少し綻びており、以前のような煌びやかさはない。
「久しぶりだな、エレノア。……ふん、泥臭い格好をしおって」
王子はハンカチで鼻を覆いながら、私を作業着ごと見下した。
隣には、護衛の騎士団長が控えている。
「何の御用でしょうか、殿下。ここは既に貴国の管理外ですが」
私が冷淡に告げると、ジェラルドは芝居がかった仕草で肩を竦めた。
「つれないことを言うな。余は慈悲深いのだ。罪人であるお前が、この不毛の地で必死に生きていると聞いて、救済に来てやったのだぞ」
救済?
どの口が言うのか。
「アンナから報告があったぞ。お前、横領した金を元手に、随分と羽振りのいい生活をしているそうじゃないか」
ジェラルドの視線が、背後の村――豊かな畑と、真新しい石造りの家々に注がれる。
その目に宿っているのは、慈悲ではない。
隠しきれない「貪欲」だ。
「帝国の商人と結託しているとも聞いた。……いいか、エレノア。その富は本来、王国のものだ。お前が盗んだ金で築いたものなのだからな」
呆れて言葉も出ない。
盗んだ?
私が?
全部、私の労働と、帝国の正当な投資によるものだ。
「それで? 金をよこせと?」
「言葉が汚いな。……『返還』だ。そうすれば、お前の罪を少しは軽くしてやってもいい」
ジェラルドは一歩前に進み出た。
そして、ニヤリと気持ちの悪い笑みを向けた。
「今、余の隣は空いているのだ。あの男爵令嬢は……少し浪費が激しくてな。追放してやったよ」
(ああ、やっぱり捨てたのね)
「お前も反省しているだろう? 今なら特別に、側室として王宮に戻ることを許してやろう。その代わり、ここの資産と権利を全て余に献上しろ」
彼は両手を広げた。
まるで、私が泣いて縋り付いてくるのを確信しているかのように。
「さあ、感謝して余の手を取れ。こんな泥だらけの生活、貴族の娘には耐えられまい?」
周囲の騎士たちが、同調して薄ら笑いを浮かべる。
難民たちの方から、悲鳴のような声が漏れるのが聞こえた。
私はゆっくりと深呼吸をした。
怒り?
いいえ。
ただただ、呆れと哀れみしかなかった。
「……お断りします」
私の声は、予想以上に低く響いた。
「は?」
「お断りすると言ったのです。お金も、土地も、作物も、一粒たりとも渡しません。ましてや、あなたの側室? 冗談も休み休み言っていただけます?」
ジェラルドの笑顔が凍り付く。
顔が真っ赤になり、額に青筋が浮かぶ。
「き、貴様……! 余の温情を拒絶するのか!? この売女が!」
「泥臭い生活、と仰いましたね」
私は王子の罵倒を遮り、一歩踏み出した。
「ええ、泥だらけですよ。毎日土を耕し、種を撒き、水路を掘る。爪の中まで真っ黒になるわ。……でもね」
私は自分の手を見つめた。
マメだらけで、ゴツゴツした手。
でも、王宮で宝石をいじっていた時より、ずっと好きだ。
「この手で育てたトマトは甘いの。自分で建てた家は暖かいの。あなたたちが税金で食べる飯より、ずっと価値があるわ!」
「黙れ黙れ! 騎士団長、やれ! その生意気な女を捕らえて、財産を没収しろ!」
ジェラルドが喚き散らす。
騎士団長が剣を抜き、部下たちに合図を送った。
「悪く思うなよ、元令嬢。抵抗するなら斬り捨てる」
三十人の騎士が、馬に拍車をかけて突撃してくる。
殺気立った蹄の音が迫る。
その時。
丘の向こうから、黒い影が動こうとする気配を感じた。
アレクセイだ。
彼は約束通り、私の危機に軍を動かそうとしている。
(待って、アレクセイ)
私は心の中で彼を制した。
これは私の喧嘩だ。
私の庭に土足で踏み込んできた不届き者を、他人の力で追い払っては意味がない。
「ベア吉」
『ヴォフ(御意)』
私の短い呼びかけに、背後の巨体が呼応した。
「警告はしましたよ」
私は担いでいた鍬を下ろし、切っ先を地面に向けた。
そして、全魔力をミスリルの刃に集中させる。
イメージするのは「耕運」。
ただし、深さ五メートルの超深度耕運だ。
「そこから先は、私の国よ!!」
気合いと共に、鍬を大地に突き刺した。
『大地粉砕』!
ズドォォォォォォォォォォン!!
爆音が轟いた。
私の足元から、騎士団に向かって一直線に亀裂が走る。
ただの亀裂ではない。
地面が噴火したように隆起し、巨大な土の津波となって騎士たちの進路を塞いだ。
「な、なんだ!?」
「うわぁぁぁ!」
馬たちが驚いていななき、前足を上げる。
突撃の勢いは完全に止まった。
騎士たちは落馬し、無様に砂埃の中を転がり回る。
そして、そこに追い打ちをかける影。
『グォォォォォォォォォォォッ!!』
ベア吉が立ち上がり、腹の底から咆哮を放った。
Aランク魔獣の「威圧」スキルだ。
ただの人間なら、その声を聞いただけで腰が抜ける恐怖の波動。
「ヒッ……!?」
「ば、化け物だ! 熊の化け物がいるぞ!」
騎士たちは恐怖に顔を歪め、剣を捨てて逃げ惑った。
ジェラルド王子も例外ではない。
彼は腰を抜かし、へたり込んでいた。
股間が濡れているのがここからでも見える。
「ひ、ひぃぃ……く、来るな! 余は王子だぞ!」
私は隆起した土壁の上に立ち、鍬を片手でくるりと回して肩に乗せた。
眼下の王子を見下ろす。
その視線だけで、彼はカエルのように縮み上がった。
「お引き取りください、殿下」
冷たく言い放つ。
「次に来る時は、その馬車ごと肥料にしますから」
「お、覚えていろぉぉぉ!」
ジェラルドは転がるように馬車へ逃げ込み、御者に絶叫した。
騎士団も我先にと逃げ出していく。
彼らが去った後には、砂煙と、捨てられた剣だけが残された。
「……ふぅ」
私は長く息を吐き、肩の力を抜いた。
勝った。
自分の力で、守り切った。
背後で難民たちが歓声を上げている。
ベア吉が鼻を鳴らし、私の頭をポンポンと大きな手で撫でてくれた。
「ありがとう、ベア吉」
私は苦笑しながら、丘の向こうへ視線を向けた。
そこには、呆れたように、でも満足そうに笑っているであろう「彼」がいるはずだ。
これで終わりじゃない。
王子は必ずまた来る。今度はもっと汚い手を使って。
でも、怖くはなかった。
私にはこの鍬と、仲間と、そして――最強のパートナーがいるのだから。
「さ、仕事に戻りましょう! 荒らされた地面を直さなきゃ!」
私は明るく声を上げ、再び鍬を握った。
今日の夕飯は、勝利の祝杯だ。
【第8話へ続く】




