第6話 傾く王国、輝く荒野
(まさか、私が村長になるなんて誰が予想しただろうか)
私は丘の上から、眼下に広がる光景を見下ろして溜息をついた。
かつて赤茶けた荒野だった場所には、今や緑の絨毯のような農地が広がっている。
黄金色の小麦、鈴なりのトマト、巨大なカボチャ。
そして、その周囲には整然と並んだ石造りの長屋と、活気に満ちた人々の姿があった。
「村長! 第三区画の開墾、完了しました!」
「こっちの井戸掘りも終わったぞ! 水が出た!」
作業着を着た男たちが、泥だらけの顔で笑いながら報告に来る。
彼らの手には、私が支給した帝国製の丈夫なスコップやツルハシが握られている。
「お疲れ様。お昼休みにしていいわよ。今日の賄いは『魔猪と根菜のカレー』だから、しっかり食べてね」
「うおぉぉ! カレーだぁぁ!」
「村長万歳! エレノア様万歳!」
男たちは子供のように歓声を上げ、食堂(巨大テント)へと走っていく。
彼らは皆、祖国オルド王国から逃げてきた難民たちだ。
数週間前から、国境を越えてこの地に辿り着く者が後を絶たなくなった。
理由は単純。飢餓だ。
王国は長雨による不作に加え、宰相たちの失政で物価が高騰。
さらに「国境の向こうに、食べ物が無限に湧き出る黄金の郷がある」という噂が広まったらしい。
最初は数人だったのが、今では五十人を超える大所帯になっている。
「……ま、労働力が増えるのは歓迎だけどね」
私は肩を回した。
帝国のアレクセイとの契約により、作物の販路は確保されている。
むしろ「もっと作れ、あるだけ買う」と言われている状態だ。
人手はいくらあっても足りない。
私は彼らと契約を交わした。
『衣食住と安全は保証する。その代わり、私の指示に従って働くこと』
彼らは泣いて喜んだ。
王国では税を搾り取られるだけで、明日のパンすら約束されていなかったのだから。
「さて、私も一仕事しますか」
私は現場へ降りていった。
新しく到着した難民家族のために、住居が必要だ。
建設予定地に立ち、意識を集中する。
設計図は頭の中にある。
耐震構造、断熱性重視、採光よし。
「……ふっ!」
足裏から魔力を流し込む。
地面がゴゴゴと唸りを上げ、土が盛り上がり、変形し、硬化する。
数分のうちに、頑丈な石造りの集合住宅が出来上がった。
「す、すげぇ……」
「魔法使い様が、俺たちのために家を……」
新入りの難民たちが、信じられないものを見る目で私を見ている。
貴族にとって魔法は支配の道具か、見栄の飾りだ。
こんな風に民衆のために使う変わり者は私くらいだろう。
「さあ、荷物を入れて。布団は倉庫にあるわ」
私が声をかけると、母親らしき女性が駆け寄ってきて、私の泥だらけの手を握りしめた。
「ありがとうございます……! 本当に、なんと御礼を言えばいいか……」
「お礼なら働きで返して。明日はジャガイモの選別作業があるから」
私は努めて事務的に返した。
慈悲深い聖女になるつもりはない。
これは対等なビジネスだ。
その時だった。
難民の列の後ろから、見覚えのある栗色の髪の女性がおずおずと進み出てきた。
「……あ、あの。エレノア様……?」
私は眉をひそめた。
やつれて、粗末な服を着ているが、その顔立ちはよく知っている。
「アンナ?」
実家の公爵家で働いていたメイドだ。
私の専属だったはずなのに、継母や義妹の顔色ばかりを窺い、私には冷めたスープを出したり、ドレスの修繕をサボったりしていた。
私が追放される時も、嘲笑うように見送っていたのを覚えている。
彼女がなぜここに?
アンナは私の顔を見ると、芝居がかった動作でその場に跪いた。
「ああ、エレノア様! ご無事でしたか! わたくし、心配で心配で……!」
「……心配?」
私は冷ややかに聞き返した。
「私が追放された時、あなたは『厄介払いができて清々する』って笑ってなかったかしら」
アンナの肩がビクリと跳ねる。
しかし彼女はすぐに涙を浮かべ、声を震わせた。
「そ、それは誤解です! わたくしは立場が弱く、そう振る舞うしかなかったのです! 本当はずっとお慕いしておりました! だからこうして、命がけで追いかけてきたのです!」
嘘だ。
目が泳いでいる。
それに、彼女の視線は私ではなく、私の背後にある倉庫の山積みされた食料や、新品の農具に向けられている。
(……なるほど。食いっぱぐれて逃げてきたのね)
以前の私なら、怒りで追い返していたかもしれない。
けれど、今の私は経営者だ。
感情で労働力をドブに捨てるような真似はしない。
それに、彼女は性格は悪いが、計算と整理整頓だけは得意だった。
収穫物の管理や、在庫チェックには使えるかもしれない。
「……事情は分かったわ」
「で、では!」
「雇うわ。ただし、特別扱いはなし。他の人と同じ条件よ」
私が言うと、アンナは一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに媚びるような笑みを張り付けた。
「ありがとうございます! 一生ついていきます!」
***
その日の夕方。
私は執務室(兼自宅のリビング)で帳簿をつけていた。
アンナが紅茶を淹れて持ってくる。
かつてとは違い、湯気の立つ熱い紅茶だ。
「どうぞ、エレノア様」
「ありがとう」
私はペンを走らせながらカップを受け取った。
アンナは部屋を出て行こうとせず、私の手元の帳簿や、部屋の調度品をチラチラと見ている。
「……何か?」
「いえ、その……驚きまして。荒野へ追放されたと聞いておりましたのに、こんなに立派な暮らしをされているなんて」
彼女の視線が、棚に置かれた「上質な香辛料」や「絹の布地(帝国の特産品)」に吸い寄せられている。
「やはり、噂は本当だったのですね。エレノア様は……その、多額の『持参金』をお持ちだったと」
探るような口調だ。
私は手を止めて彼女を見た。
「持参金?」
「ええ。王宮では皆様そう仰っていますわ。『横領した公金を隠し持っていたから、荒野でも贅沢ができるのだ』と」
なるほど。
私が自分の力で開拓し、帝国と貿易して稼いだとは夢にも思っていないわけだ。
彼女たちにとって、私は「無能な悪役令嬢」でなくてはならないから。
訂正してやる義理もない。
「ご想像にお任せするわ。さ、仕事に戻って」
「は、はい……失礼いたしました」
アンナは恭しく頭を下げて退出した。
けれど、閉まる扉の隙間から見えた彼女の表情を、私は見逃さなかった。
口元が歪に吊り上がり、獲物を見つけたハイエナのような目をしていたのを。
(……面倒なことにならなきゃいいけど)
私は少しだけ胸騒ぎを覚えたが、すぐに頭を振った。
今やるべきことは、明日の出荷準備だ。
アレクセイが「軍の遠征用に保存食を大量に欲しい」と言ってきている。
私は紅茶を飲み干した。
熱くて、香りが良い。
アンナが淹れたにしては上出来だ。
窓の外では、ベア吉が難民の子供たちを背中に乗せて遊んであげている声が聞こえる。
平和だ。
この平和が、私の作った「美味しいもの」と、確かな「経済力」で成り立っていることが誇らしかった。
その頃、村の裏手でアンナがこっそりと空へ向けて何かを飛ばしたことに、私は気づいていなかった。
それは小さな伝書鳩だった。
足には、「エレノアの隠し資産を確認。場所は国境の南……」と書かれた密書が結ばれていた。
私の「成功」は、皮肉にも没落した祖国の「欲望」を引き寄せる最上の餌となってしまっていたのだ。
【第7話へ続く】




